⑥
迂津至命と伊須厨は、目を疑った。誰の目から見ても由貴は戦闘初心者だった。
否、その筈だった。だが今目の前で、“呪力”の呪の字も知らなかった筈の少年は“転移” ―― いわゆる瞬間移動をして見せたのだ。
しかも、一瞬ではあるが所有者に逆らう筈のない武器“鋭砕飛刀”が伊須厨の意思に逆らった上に、主である伊須厨を貫いたのだ。
在り得ない事だ。
このような事が出来る者は、破魔一族の中でも限られている。ふと、導師の言葉が脳裏を過ぎった。
『瑞智 由貴を殺すなと仰るのですか?』
伊須厨が訝しげに問うのに、導師は微笑を浮かべて頷く。そして預言めいた事を口にしたのだった。
『お前に瑞智 由貴を……』
―― 16年前……
“大兄”と仰ぐその人の魂の誕生を彼らは確かに感じ取った。
だからこそ覇神の地へ赴いた。100年に一度、深き眠りより十月十日醒めるだけの忌部一族は、だが求める魂の誕生に呼応し期せずに目醒めた。
―― まるで……
呼ばれるように
惹かれるように
―――そう……
大兄を迎える為に……
しかし、そこに求める姿はなく、彼らは再び眠りについた。
そして梵天の目醒めと共に……悠久の時の果てに、完全なる覚醒を遂げたのだった。程なくして、どこかで封が解かれる音を聴いた。同時に捜していた魂の鼓動の場所も明らかとなった。
だが、求めていた魂とは違っていた。違っていた筈だった。
似て非なるその魂、それが“瑞智 由貴”だった。
『お前に瑞智 由貴を……覇神 由貴を殺す事は出来まいよ』
脳裏に響く、その言葉。
「……まさか……」
対峙する少年を郷愁の募る思いで見る。鋭砕飛刀を抜くのも忘れて、ただただ由貴の中に求める相手の面影を探す。
―― ずっと、気が遠くなる時を過ごして来た
その間、片時も忘れた事はなかった。
褪せる事のない
今はもう遠い思い出……
「大兄‥‥」
―― ずっと……ずっと会いたかった
背中だけを追い続けていた。
『伊須厨』
まだ耳に残る、そう自分を呼び微笑み掛ける思い出の中の人。
大兄、私は、貴方に近付きたかった
―― だが……
大兄と仰ぐその人の視線の先にいるのは、里でも珠美姫と慕われる少女ただ一人で。でも、そんな大兄だからこそ好きだった。
大兄と珠美姫が、伊須厨にとって憧れの対象そのものだった。二人の後を追うことが、好きだった。だから、二人の命が理不尽な力に奪われてしまったとき、復讐を誓った。
“人”としての道を捨てた。
今でも、その事を悔いた事はない。
唯一悔いるとするならば……何故、ずっと捜し求めていた“魂”が判らなかったのか。しかし、その答えは自身の中にある。槍と剣は交わったまま、膠着状態が続行中だ。
伊須厨から戦意が……殺気が感じられない事に由貴は気付いていた。だが、剣を引けば自身が氷槍に貫かれるであろう事は明白で。途方に暮れてしまっている由貴に、ふっと伊須厨が笑んだ瞬間。
―― ドスッ……
肉を貫く感覚と同時に、温もりが身体を包んだ。
一瞬、何が起こったのか理解出来なかった。
伊須厨は、自分の意思で氷槍を突如引くと、自ら十掬剣に貫かれたのだ。
それに構わず、由貴を抱き締める。抱きすくめられた由貴は、剣を手放す事も許されずただただ呆然と目を見開くばかり。
「大兄。否、由貴……貴方にこの力、お返しします」
―― どうか思い出して
愚かな“人”の行いを
真の敵は誰なのかを
大兄と呼び慕うその人は、千人の命を奪った。
千人殺しの大罪人の魂は、闇に堕ちるしかない。
闇に堕ちる代わりに、新たな力を得る。
だがそれは同時に輪廻から外れてしまう事を意味する。
もう二度と会えない事を意味していた。
千人の命を奪うと同時にその命が尽きた青年の魂は、だがしかし闇に堕ちる事はなかった。
『もう一度、会いたい』
ただ一つ、その願いを叶える為だけにその罪を引き受けた者たちがいた。
その中の一人が伊須厨だった。その“力”を、由貴に返したのだ。
由貴は息を呑んだ。網膜を伝って脳内にまるで早送りをしているかの様に映像が流れ込んでくる。
それは、繰り返し繰り返し見るあの夢に酷似していて……
―— 広い……
広い草原が眼前に迫る。
『……何故……』
そう呟く青年は既に血にまみれていて。
『……これもまた、定めというのか』
知らず腕に力が籠もった。
『これが定めというのなら、私は……』
空を仰ぎ見ていた青年は、すっと眼前に視線を戻すと相棒である両刃の剣を静かに構える。
『往かねば……』
―― “誓い”を果たさねば……
土煙が彼方で立ち昇る
地に響くは死の旋律
天を裂かんと怒号が轟く
『ここは、通さん。……最後の戦だ、付き合え』
その声が響き終わる前に、屍によって築かれた山の上で跪き息絶えて尚、剣を手放さずに居る青年の姿が見えた。
「……天駆鳳叢剣……?」
呆然としたまま由貴が呟く。
「思、い……出し、たので、すね……嬉、し……ぃ……」
そんな言葉を残して、伊須厨だったものは纏っていた衣服を残して大気に溶けるように消えていった。それが、伊須厨の最期だった。主を失った氷槍も、床に落ちる前に消えていった。
「伊須厨……」
同志が逝った。その事に少なからずショックを受けながらも、迂津至命は近付く。
命を掛けた想いが届いた事を祈りながら。
「大兄……?」
「悪いけど、俺はあんたらの“大兄”じゃない」
※※※※※※
何となく……何となくだけど、“大兄”と呼ばれているその青年が俺と何らかの関係があるんだろうなって。たぶん、前世なんだろうなっていう事は、大体理解できた。
でも、俺は“俺”なんだ。
前世が何であろうと俺は“瑞智 由貴”なんだ。
それ以上でも
それ以下でもない。
他のどれでもない。
それが俺の真実……
流石に、ちょっとショックだけどね。
そりゃそうだろう?いきなり戦っていた相手から
『仲間ですぅ~』
なんて仰天告白された上に、自分の前世が
“千人殺しの大罪人”
とくりゃあ、もう「何がなんなんだよ」って感じだ。しかも、肝心の“千人殺しの大罪”の理由……伊須厨の言葉を借りるなら『愚かな“人”の行い』は判らずじまい。
判ったところで、俺は俺。
―― 変わることはないんだろうけど
だからきっと迂津至命の望む答えを俺は持たない。
「伊須厨が命を掛けてお前に望んだというのに、その意思を無駄にするというのか!」
怒りを、真っ直ぐにぶつけて来る。
俺は十掬剣を構えた。
これが答えだった。
構える手が少し震える。
生々しい感覚が、まだ手に残っていて……
それでも、引くことは許されない。これは、俺自身が決めた道だ。
引く気もない。
―― ただ……
ゲームなんかじゃない、紛れもない“現実”なんだと思い知らされる。
「許さん!大兄だろうが、知った事かっ!転生すれば大兄とてただの“人”だというのなら俺が切る!」




