④
ところかわって、翠琉と紗貴。
いきなり消え失せた由貴と緋岐の身を安否する間もなく、こちらも既に戦闘が繰り広げられていた。凄まじい轟音と共に床が抉られる。横に跳躍しながら、紗貴は冷や汗を額に滲ませた。
「あんなのに当たったら、ひとたまりもないね」
土煙が立ち上る先に、大きな鎚を構えた大男のシルエットが見え隠れする。音もなく隣に翠琉が一つ間を置いて着地した。その頃には土煙は晴れて、相手の見たくもない顔が露になる。
「女は良い。柔らかいからな……肉が潰れる瞬間の感覚が堪らないんだ」
恍惚とそう語る男に、紗貴は嫌悪感を隠そうともせずに吐き捨てる。
「はっ、とんだ変態ね。サイテー。この熊男!バケモノ!」
熊男と揶揄された男は確かになるほど、その巨漢と容姿から熊を髣髴とさせた。だが、そんな罵りすら男にとっては褒め言葉でしかないのか、ニタリと笑む。
「恐怖に震える声。良いな……お前が絶望した時の声がもっと聞きたいな」
不覚にも、紗貴は一歩たじろいでしまった。自分でも顔の筋肉が引き攣るのが判る。
―― と、その時……
それまで黙していた翠琉が口を開いた。
「……何人だ……」
紗貴と同等の……否、それ以上の嫌悪感を含んだ声に紗貴は思わず翠琉を見やる。侮蔑と怒りが入り混じる光なき鋭い視線が、大男を射抜いていた。
「何人、喰らった?」
翠琉には視えていた。
男の中で蠢く無数の魂の存在。
タスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテ助けてタスケテたすけてタスケテタスケテタスケテ助けてタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテたすけてタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテたすけてタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテ助けてタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテたすけてタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテたすけてタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテ助けてタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテ助けてタスケテタスケテタスケテタスケテたすけてタスケテタスケテタスケテタスケテ助けてタスケテタスケテタスケテ
―― タスケテ ――
声なき声は必死に助けを求めて来る。
自身の死にすら気付けてはいない。
無限に続く地獄を延々と味わっている魂は、ただただ訴え続ける。
『タスケテ』と。
翠琉には、男を象る容器に詰め込まれた魂の牢獄……そう、見えていた。
「そんなもの、いちいち覚えているわけがなかろう?それとも何かな?おぬしは、自分が食べた畜生の頭数をいちいち数え記憶しているとでも?」
「貴様っ!」
「あんたッ!!」
あまりの言い様に、翠琉と紗貴が同時に声を荒げる。だが、男の声に遮られてしまった。
「おお、名乗り忘れておったか。我が名は須慈……」
「あんたなんて、アンタで充分よ!
悠長に名乗ってくる男……須慈に苛立ちを隠さずに声を荒げる。だが須慈はそんな紗貴を無視して、黙したまま殺気を隠そうともせずに己に向けてくる翠琉に向かって問う。
「何を今更、憤る?」
応えが返ってくるとは露ほども思っていないのだろう。須慈は薄い笑いを浮かべて言葉を続ける。
「お前も、我々の仲間だっただろう?闇に堕ちた人間を狩っていたのは誰だ?」
―― そう ――
我々のエサを作っていたのは
この数多の魂を我らに捧げたのは
「翠琉、誰でもないお前ではないか?」
「うるさい!黙れっ!私は知らん!」
間髪入れずに翠琉が叫ぶ。
「ほう?ならば問おう。何故、今まで先人達が血眼になって探しても見付からなかった我らの里が、お前には直ぐに判った?」
それは翠琉自身が抱いていた疑問だった。言葉に詰まる翠琉に男は畳み掛ける。
「自身の治癒力に疑問を抱いた事はなかったのか?常人ならば持ち得ない治癒力……」
―― そう……
人である事を捨てた忌部の者達の肉体は常人とは異なる“時の流れ”を有している。その尋常ではない再生能力も又、人である事を捨てた代償に得た能力の一つといえよう。そして翠琉も、常人では考えられない驚異的な再生能力を有する。
それは、誰の目から見ても明らかで……。その証拠に、数時間前に羅刹天から負わされた右肩の傷、そして周の錫杖に貫かれた右の手のひらの傷は完全に癒えており、傷跡の形跡すらない。
「お前もこちら側の人間だ。戻って来い」
それまでの笑みをすっと引くと男は翠琉に手を差し出した。翠琉は微動だしない。紗貴は、須慈に視線を向けたまま右手に装着している籠手にも似た自身の真承武具絶風爪を構える。
もしも翠琉が敵側に回ってしまったら……そんな杞憂が紗貴の中で頭をもたげる。翠琉自身も少なからず動揺していた。神羅の中に居た頃から繰り返し罵られて来た。
“闇に染まったバケモノ”だと。否定できない自分が居たのも確かだ。
翠琉には六歳以前の記憶が欠落している。
一体、自分がどんな生活を送っていたのか。
―― 誰と、どんな話を交わしたのか……
その一切が欠如していた。だから、翠琉の始まりの記憶は“否定”だった。唯一の味方である白銀も、だがしかし人ならざる者で……
埋まる事のない空白。
翠琉は、自身の“存在”自体に疑問を抱いていて。それでも、長い年月を経て徐々に失われていく呪力を恐れた神羅一族は“バケモノ”を囲い続けた。
―― “神羅一族”という名の鎖で……
ついには、恐れる力を自分達で飼い慣らそうと……その力を手中に収めようと、翠琉を次代の媛巫女に指名したのだった。
だから、翠琉は辞退した。媛巫女の地位などなくとも自分は神羅に未来永劫の忠誠を誓うと、そう宣誓した。
今となってはどうでも良い過去だ。否、そのはずだった。だがその過去すら男は知っているのか、言葉を続ける。
「己よりも力持つ者を恐れ、排除しようとする排他的な輩に何の意味がある?今のこの世の、何を守る?」
そこには、純粋な怒りが込められていて。
「先に我らの思いを裏切ったのは“世界”ではないか!女、我を“バケモノ”と言ったな?だが、良く考えてみろ。欲の赴くままに奪い合い、殺し合う……人の性ではないか。我らと、どこがどう違う?」
否、我らこそ“ヒト”の本質。
本来の姿だ。
「“ヒト”が生んだ罪の形だ。我らは“世界”に受けた仕打ちを忘れぬ為に“ヒト”である事を捨てたのだからな」
その言葉が終わるか終わらないか……須慈が先に動いた。大鎚が、容赦なく振り下ろされる。紗貴は思わず言葉を失った。言い返す言葉が、思い浮かばなかったのだ。むしろ予想していなかった思わぬ告白に、心が動揺していた。
『先に我らの思いを裏切ったのは“世界”ではないか!』
一体どう意味なのか。
彼らも又、何かの被害者だというのだろうか。
考えても判るはずもない。
そして、知る術すらありはしない。
気の遠くなるような遠い過去の出来事なぞ、どうやって知り得るというのだろうか。
だが気にせずにはいられない。
同じ破魔一族でありながら一体どこで道を別ったのか。
「何!?」
須慈が驚きの声を上げた。何と美しい細身の日本刀が須慈の大鎚を受け止めているではないか。自分の頭上で日本刀……神剣崇月を構えて衝撃を受け止めた翠琉がふっと笑む。
「そんなもの私の知った事か。私は、どこに“正義”があるか人が何たるかなぞ知った事ではない……無論自分の正体に関してもだ」
そこで一旦言葉を切ると、自分の倍はあるだろう須慈の大鎚を押し返した。そして、改めて崇月を構えて続ける。
「真耶の身体を取り戻す。そして……真耶の仇、梵天を討つ。それだけの事だ」
そう、だから他の一切に興味などないのだと、言外に強く言い放つ。
「世界がどうのこうのと、鬱陶しい。私の知った事か」
いっそ、清清しいほどに翠琉は断言する。どこに“正義”があるかなど知った事ではないと。復讐という目的の前では自身の“存在意義”すら無意味なのだと。
―― 一瞬だけ……
ほんの一瞬だけ由貴から向けられた言葉が脳裏を過ぎる。
『俺達と一緒に楽しくって仕方ない、帰りたくなる『日常』を作ろう!』
ソレハ
未来ヘト向カウ
甘美ナ誘惑
自分には願う事すら許されないと判っていながら揺れる心。だが、戻ると誓った。全てを成し終えたその時は全ての罪を贖うと……裁きはこの身に受けると、そう真耶に誓ったのだ。
その約束を、違える事は出来ない。ゆっくりと崇月を構え直す。その時には、既に由貴の言葉は翠琉の中から消え失せていた。
「私の行く先を塞ぐ輩は例え誰であろうとも、切る。‥‥梵天に辿り着くまでな」
須慈が愉快そうに腹を抱えて笑う。
「その、純粋なまでに己の“欲”に忠実な姿勢‥‥気に入ったぞ!前言撤回だ。惜しい……実に惜しいぞ、翠琉!ぬしはやはり、こちら側だ!しかし、戻らぬというのなら致し方ない。我が糧となるが良い。」
―― そして……
「喰ろうた家畜の数など覚えてはおらぬが、翠琉。お前の事は覚えておいてやろう!」
その須慈の言葉に翠琉は冷笑を返す。
「お前に食される前に黄泉の旅路へいざなってやろう」
言うや否や、翠琉が駆け出す。
その瞬間、紗貴にそっと耳打ちする。
予想外の展開に呆気に取られていた紗貴は、その声にはっとすると遅れを取らないようにその場から走り出した。
「まだ、理解出来ぬか。我らに“死”など訪れはせん!」
常人ならば気圧されるであろうその迫力を前に、翠琉と紗貴は全く臆することなく相手へと攻め込んだ。翠琉は口元に薄い笑みを履くと冷たく言い放つ。
「さあ、殺し合おうか」




