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沙羅夢幻想~ さらむげんそう ~  作者: 梨藍
地上編 【挿話】
107/108

唯一無二の④

とにかく、離れなければならない。

自分が傍にいると、また奪ってしまう。


目を閉じると、あの、悍ましい夢の光景が鮮明に蘇って。


判っているのだ。あれは夢だと。


だが、あれが正夢にならないと、誰が言い切れるだろうか。


激しく降り注ぐ雨の中、当てもなく翠琉は歩いていた。


―― 居場所も……


―― 帰る場所も……


(もう、ない……私が、自分で壊してしまった……)


覚えていない、向こう側の記憶の中で微笑む父親の声が思い出せるはずもなく。


『忘れなさい……こんなことは、覚えていなくていいんだよ』


どんな声だったのか思い出せないのに、その言葉だけは覚えていて。真っ赤に染まった手が、頬に触れた感触だけが生々しく思い出される。


何があったのかすら、覚えていないというのに……伐折羅(ばさら)の愉悦混じりの嗤い声と、父親の優しい手の温もりだけは、そこにあって。


―― 私が、消えれば……


(私さえ……いなければ……)


ふと、立ち止まって天を仰ぎ目を閉じる。


(真耶の仇を取るなど……茶番もいいところだ)


判っていた。誰でもない……真耶の命を奪ったのは自分だと。


それでも、それを認めてしまったら一歩も動けなくなりそうで。


(あのまま、止まってしまえばよかったんだ……)


歩く軌跡は、血に濡れていくばかり。


ゆっくりと横を向けば、降りしきる雨によって濁流と化した川が目に入った。誘われるように、一歩、また一歩と近付いて行く。


―― もう、終わらせなければ……


(私は……)


『お前みたいなバケモノが妹なわけないだろう!! 』


かつて、兄から投げつけられた言葉。

反論なんて出来るわけがない。


(事実、なのだから……)


風が吹く。まるで、翠琉を留めるように。

だけど、翠琉は構わず……まるで吸い込まれるように川に身を投げ出した。


―― まさに、その瞬間……


背後から、抱き締められるように引き留められる。


「は、なせ……ッ……離せッ……」


自身の身体を拘束する力から抜け出そうと足掻くが、びくともしない。それどころか、翠琉を抱き締める腕に更に力が込められた。


そのまま抱き上げると、橋の下まで移動したところで、そっと翠琉の身体を解放した。自然と、正面から向き合う形になると、翠琉は鋭く相手を睨みつける。


「余計なことをッ……」


見上げて抗議の声を上げるが、最後まで続かなかった。向き合う形でそのまま強く、再度抱き締められたのだ。


「良かったッ……間に合った……」


落とされた呟きが切羽詰まっており、それが本心であることを翠琉に訴える。余りにも強い力で抱きすくめられて、翠琉はただ茫然とするばかり。それでも、ここで終わらせなければならない。


どこか、遠くに行かなければ……離れなければならない。


その一心で口を開いた。


「お前の、主の為だ……」

「主も、翠琉……貴女を案じておられる」

「いらない。必要ない……」

「貴女には必要なくても、主には必要です」


そこまで大人しく腕の中に囲われていた翠琉は、力任せに身体を離すと挑むように真紅の瞳を睨み上げた。


「璃庵。お前の主の命を、私が奪うかもしれないんだぞ!!」


だけど、璃庵はそんな翠琉の訴えは意に介さず、ふっと微笑んだ。

それは、どこか寂しそうで……


「私が、主を守りますから……貴女にも奪わせません」


そっと、真意を隠して告げる。


「貴女には、もう、何も奪わせない……。私は、貴女の傍にいます。でも……貴女のためには死にません。私の主はただ一人ですから。貴女を一人にはしません……」


―― 何で……


出会って間もないはずだ。

何の縁もゆかりもない。


なのに、何故ここまで心を砕くのか。

何故、ここまで寄り添おうとするのか。


翠琉には理解できなくて、「どうして」と問おうとした、まさにその時……


「翠琉ッ!!!」


名まえを呼ばれて、反射で振り返れば、そのまま抱き締められた。


「あ、に……さま……?」


茫然と呼べば、ひとつ大きく安堵の溜息を吐いて、そっと身体を離す。そのまま、壊れものに触れるように、そっと翠琉の両頬に手を添えて、額と額と合わせた。


「良かった……無事で……」


そして、緋岐が到着するのと同時に一歩後ろに下がった璃庵の方を見る。


「翠琉を見つけてくれてありがとう、璃庵……助かったよ」


そう言えば、薄っすらと笑みを浮かべて璃庵はそっと頭を下げた。


「滅相もございません」


契約者と式神は、精神感応での対話が可能だ。璃庵は、翠琉の姿を見つけて直ぐに緋岐へと連絡を送っていたのだ。


一歩遅れて将と蘭子も駆けつけた。


「良かった、翠琉ちゃん……心配したんだよ?帰ろう?」


将が優しく声を掛けるが、頭を横に振るばかり。


「翠琉……?……やっぱり、俺のこと、嫌いか?」


苦笑交じりに緋岐が言う。


「翠琉のこと、2回も見捨てた……こんなのが兄とか、嫌だよな……」


「そ、んなこと、ありませんッ……」


違うのだと、訴える。

嫌いなのは、厭うのは緋岐ではない……他でもない、自分自身なのだ。


(うん。判ってる……判ってて言うんだから……俺も大概、意地悪だよな)


でも、きっと今じゃないといけない気がした。


“今”、繋ぎ止めないと手遅れになる……そんな予感が胸を過る。


「俺は、決めたよ。翠琉……翠琉がどんなに嫌がっても、離れたがっても、俺が離れない。俺は、離れたくない……一緒にいたい……そのための力も、手に入れた……」


緋岐の声に呼応するようにその手のうちに現れたのは、霞真刹劫真具だ。

それを目に留めた瞬間、翠琉は目を見開いた。


「な、……んて、ことをッ……」

「翠琉……もう、俺も戦えるんだ。こちら側に居るって、覚悟を決めた」

「何故ッ!!!!」


―― ドン!!


と、緋岐の言葉が終わるか終わらないか……翠琉が力任せに緋岐の胸を叩く。緋岐は、それを甘んじて受け止めた。


「なんでッ……こちら側に来たのですかッ!!!力を手に取るなんて、馬鹿なことをッ!!!」


破魔とは無関係の生活を……

闇の存在と係わらない様に……


「その為なら、恨んでいい……ッ……恨んでいたではないですかッ!!!」


まだ、耳に残る兄の怒りに染まった声音。


『俺を兄だなんて呼ぶな!!俺から全部奪って、一人ぬくぬくと過ごしてきたくせにッ!! 俺から、何もかも奪っておいて、今更なんだよッ!!!お前みたいなバケモノが妹なわけな いだろう!!』


「貴方の言う通りです。私はバケモノです!!貴方の妹なんかじゃないッ!!!」


翠琉自身、泣いていることに気が付いていないのだろう。


泣きじゃくりながら、必死に叫ぶ。声は既に枯れてしまっているのに、堰を切ったように声を荒げる。


「放っておけばいい!!捨て置けばいいんだ!!!貴方には、何の関係もないッ!!!」


ふと、緋岐は正体を隠して、目の見えない翠琉と話していた時のことを思い出した。


『憎まれても、いいと思ったんだ……いっそのこと、私のことを憎んで、神羅のことなんて忘れて……普通の生活を送ってさえくれれば……』


(どんな、思いで……)


「力なんか、なかったクセに!!!呪力もない、弱者のくせにッ!!!そのまま、普通に生きればいいのに、なんで余計なことッ!!!」


『私のことなど、忘れてくれて構わない。憎んでくれたっていい』


(どんな、覚悟で……)


「こんな、穢いッ……奪うことしか出来ないッ……バケモノなんて、放っておけばいい!!!どこで野垂れ死のうと関係ないッ!!!!!」」


『平穏な日々を送ってほしい……。望むのは、それだけだ』


―― パンッ……


乾いた音が、その場に静寂を落とした。


緋岐以外の全員が驚きのあまり息を止めた。泣き叫んでいた翠琉も驚いたように茫然としている。


緋岐が、翠琉の頬を叩いたのだ。


「いい加減にしろ」


そこには、静かな怒りがあって。


「翠琉は、誰が、何と言おうと俺の……“鴻儒 緋岐”の大切な家族だ。妹だ……」


それは、誰に対する怒りなのだろうか。

少なくとも、翠琉に向けられたものではないことは明らかで。


「だから、誰にも奪わせない……誰にも、傷つけさせない……」


そっと、抱き締めて背中を優しく、あやすように撫でる。


「翠琉は、バケモノじゃない……もう、独りじゃないんだ……」

「でっ、も……真耶も、白銀も……水比奈もッ……いなくなってッ……もしかしたら、父様(ととさま)も私がッ……兄様だってッ……」

「翠琉のせいじゃない」


しゃくり上げながら言い募る翠琉の言葉を遮るように、きっぱりと緋岐は断言する。


「それに、翠琉がバケモノだっていうんなら、俺はそれを凌ぐバケモノだぞ?」


冗談めかして言う緋岐の言葉に、だけど、翠琉は首を横に振るばかり。


「遅くなって、ごめんな?……もう、絶対に独りにしない」


この手を、拒めと頭の中で警鐘が鳴る。

奪うことになっていいのかと、苛む声が奥底から聞こえる。


―― だけど、それでも……


「いいんだ、翠琉……もう、いいんだよ。俺は、絶対に死なない……翠琉を守る……翠琉が守ってくれた“日常”だって捨てるつもりはない」


―― でも……


と、続けながら翠琉の頭を撫でる。


「その“日常”には、翠琉も必要なんだ……だから、俺は、絶対に手放さない……」


―― 俺は、案外欲深いんだ……


そう、苦笑混じりに続ければ、恐る恐る緋岐の背に翠琉の手が回った。応えるように、緋岐が抱き締める腕に力を込めれば、翠琉は声を上げて泣きじゃくる。


「ごめんな?翠琉……おかえり……」


いつの間にか、雨が上がって優しい陽の光が曇天の隙間から射し込んでいた。


<唯一無二の・了>


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