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黄昏の精霊剣士  作者: えびみそまる
第一章『渇望の国』
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第9話 アズー村

 下水道の一件が片付き、イチタ達は報告も兼ねてギルド長室を訪れていた。部屋には以前同様、ギルドの精鋭が勢揃いしている。


「まずは、私から一言。見事だった」


 開幕にギルド長からお誉めのお言葉を頂く。街の下水道にて複数体の魔物の駆除、奥に潜んでいた大ムカデの討伐。討伐団に属して間もない二人が成し遂げた功績としては、これ以上にない大手柄と言える。


「君たちのおかげで、街中に潜伏していた魔物の居所を知ることができた。我々の留守中にも関わらず、申し分のない成果をあげてくれた。君たちのその行動力とたぐいまれな嗅覚たるや、賞賛に値する。本当によくやってくれた」


 彼に続いて、他の面々も二人に労いの言葉を投げる。


「二人ともすっごーい!」


 アイシャは目をキラキラ輝かせながら二人の功績を祝った。


「へっ、新参にしてはやるじゃねぇか。ま、オレの足元には到底及ばねーけどな!」


 ラシムが目をそらしながら言う。


「いや、本当にすごいよ。これで魔物の調査がより一層進むね」

「さすが、団長さんが見込んだだけあるわね」

「中々に」


 レナトやベルファメラ、そしてミーネアも、皆一様に賞賛の声を上げる。


「は、はぁ……どうも」


 普段から褒められる事に慣れていないイチタは、こういう時どう反応していいか分からずずっとまごまごしていた。隣にいるセリカは相変わらず後ろで手を組みながら退屈そうにしている。


「それとは別に、見直す点も多い。まさか、街の下水道にはびこっていたとは想定外だった」


 リュドはいつになく苦悶の表情を浮かべる。その厳かな面持ちからは、彼の組織の長としての強い責任感が垣間見える。そんな彼を見ていると、心身が少しばかり引き締まる。


「我々は普段、王都周辺区域の調査および各方面からやってくる魔物の個体数の把握し、そこからおおよその生息域を割り出すことを試みている。もし王都に少しでも侵入の危険があるなら真っ先に討伐することを念頭に置いている。従って、今回の状況は異例中の異例。正門付近には常に団の手練れが衛兵と共に警備にあたっている。入り込む余地などありはしないはず……」


場に重々しい空気が流れる。


「街中に現れた魔物は、ミーネアの索敵魔法を持ってすら感知することのできない特異なもの。いつ何時王都に入り込んだのか、侵入経路は不明だが、今回の件でまとめた情報は全て上に通達する予定だ。これを機に、さらに厳重な警備が敷かれるとは思うが、安心はできない。我々もこれまで以上に気を配る必要がある」

「力不足で申し訳ない……」


 己の不甲斐なさに、ミーネアは弱弱しい声色でしょんぼりする。


「気にすんな! オレが許す!」

「なんでお前が偉そうなんだよ……」


 レナトとラシムのやり取りを傍らに、この場にあるアスターの雰囲気を噛みしめる。 


 それぞれがこの街、そしてこの国の現状に様々な思いを巡らせている。例に漏れず、イチタもその渦中にいる。自分のいる世界の状況を知るにつれ、それを嬉しく思う自分がいることと、同時に自分はこれからこの場所で何をしていけばいいのか。知りたいと、知りたくない。内なる葛藤が身を震わせる。


「それはそうと、団長さん。例の村の件だけど……」


ベルファメラが頬に手を当て気遣わしげに伝える。団長はというと、果てと言わんばかりに眉間にシワを寄せる。


「ん? ああ。そう言えば、アズー村の村長から依頼が届いていたな。確か、村の周辺に魔物が現れたと聞いたが?」

「ええ。今朝頃、村人の一人が行方不明になったらしいの。それにあの辺り一帯、以前よりも魔気の量が増えているみたい。だから、ちょっと心配になって」

「早いな。魔物の動向には逐一目を光らせていたが、こうも急激に迫るとは……早急に対処せねばなるまい」

「でも、こっちも今手薄でしょう? 北方の視察に出た討伐部隊が戻ってくるまでは、もう少し時間がかかるし……」

「その点については、理解している」

「どうしましょ、団長さん」

「ふむ」


 ベルファメラが心配そうに問いかける。ギルド長は腕を組み、目をつむったまま俯く。しばらくして、判断がついたのか顔を上げて皆に目を向ける。


「……よし、分かった。まず、その行方不明になった村人と魔物の活発化が関係している可能性は否定できない。いずれにしろ、こちらの勢力を分散させている今、少数ながら、相応の力を持った部隊を派遣する必要がある」

「でも、そこまで腕の立つ子、今こっちで控えているかしら?」


 ギルド長はフッと口角を上げると、イチタ達の方を見た。それに合わせて、皆の視線が一気に注がれる。


「彼らに任せよう」


 団長の言葉を聞いて、アイシャを除いた4人は揃って慌てふためく。


「だ、団長さん。いくらなんでもそれは……」

「 それってもう実質昇格ってこと!? やば! 」

「先導もついていないのに……それに、編成は最低でも三人からでないと」

「あーあ、ついにイかれちまったよ。この人」

「団長、鬼」

 

 それぞれ思いをギルド長にぶつける団の精鋭達。団員の考えからすれば、この反応は当然の帰結と言えよう。いくら直近で並々ならぬ実績を培ったとはいえ、本来複数人で調査に当たる周辺調査に二人で挑むというのは、あまりにも無謀すぎる。だが、彼の意見は違った。


「来たるべき日に備えて、場数を踏んでおくのも悪くない。第一、このくらい軽々突破していかなければ、討伐団の団員は務まらない。例の作戦前の肩慣らしには丁度いい」


 リュドは周囲で動揺する団員の意向を無視して二人に状況を説明し始めた。


「王都より北西に少し進んだ場所に、アズー村という小さな村がある。小規模な村だが、あちらにいる薬師の娘さんがハーブ農を営んでいてな。王都の霊薬研究所にて試作に使用する薬草を送ってもらったりと、それなりに深い関りがある。問題となっているのは、そのアズー村の近辺に魔物の目撃情報があったこと。言うまでもなく、魔物は日に日にその数を増している。今回、君たち二人が成し遂げた偉業から、これらの任務を託すのに十分な力量を有していると判断した。受けてもらえるかな?」


 急な抜擢に戸惑うイチタ。森……イチタにとっては思い出したくもない、苦い記憶だ。ただ、まるっきり利がない訳じゃない。


 イチタの思いに応えるように、話は彼が想定していなかった方向へと進んでいく。ただ、これは彼の抱えている葛藤を拭い去るまたとない機会だ。この地で初めて生まれた導らしい導。惰性で過ごしていたあの頃の日々など、もはや古ぼけた記憶に過ぎない。イチタの中で、メラメラと吹き上がる熱き思い。


 ……次は負けねぇ。


 イチタは彼の提案を承諾する。当然ながら、セリカもその判断に異存はない。二人の意志を確認した後、ギルド長はベルファメラに一言尋ねる。


「そういえば、あの男はどうした?」

「ああ、彼ならまだ調査に出向いたままよ。途中報告も一切ないし……集めた情報をいっぺんに持ってくるものだから、こっちも書類まとめが大変なのよね」


 ベルファメラは困り顔で深くため息をついた。それを聞いて、ギルド長は少し笑う。


「フッ。あいつらしいと言えばあいつらしいな」


 ギルド長はこの場にいる全員に締めの一言を送る。


「状況を確認するため、私はこれから魔物が出現したという現場へと向かう。皆も分かっているとは思うが、これからは今まで以上に忙しくなる。気を引き締めて調査に望むよう。では、解散!」


 話を終えた二人は、ギルド長室を後にする。



 成り行きとはいえ、大変な大仕事を引き受けてしまったと、その責任感がイチタの心身に重くのしかかる。


「ねぇ、イチタ」

「どうした?」

「お腹……空いた」


 こんな時だというのに、もう一人の当事者は随分と呑気なものだ。イチタ今、腹にものを押し込む余裕なんて残ってない。受けてしまった以上、言い訳できないことは分かっている。ただ、少しでも気の休まる時間がほしかった。


「イチタ、大丈夫?」

「ちょっと、先に広場で待っててくれ。少ししたら、俺も後で向かうから」

「はーい」


 おそらく、今回のような案件はこの先も少なからず出てくるだろう。状況に応じて、自分の身を守るのに有効な手だてを考えていく必要がある。


 「いっそのこと、俺も剣を背負うか」と、頭の中でぼやいてみる。無論のこと、付け焼き刃で武器を携えたところで、まともに扱えもしないことは重々承知している。今、自分にできることはなんだろう。セリカに全てを任せるというのはなるべくしたくない。意地と言えば意地だ。そんな時、浮かんでくるものは結局一つ。



 例の魔力誘発剤を用いた実験。可能性があるとすれば、あれが真っ先に候補に上がる。上手いことものにすれば今回の調査に限らず、大きな力となる。今一度シェニに頼み込んでみるべきか。そもそも、ストックに余裕はあるのか。次は万全にしておくと話してはいたが、準備が整ったとして果たして無事に成功するのか。上手いこと発現できたとして、それを実践で活かすことができるのか。考えれば考えるほどキリがない。


「はぁ~、どうしたものかな……」

「えいっ!」

「うわっ」


 突然、何かやわらかいもので目を覆われ、視界が真っ暗になった。背後から微かな吐息。後ろに誰かがいる。いや、さっきの声を聞けば、正体が誰かなんて分かり切っている。邪気のない声色に加えて、こんないたずら染みたマネをする明朗快活な人物と言えば……。


「ア、アイシャさん!?」

「ばぁ、せいかーい!」


 案の定、背後にいた人物はアイシャだった。軌道が読めないというか、神出鬼没にもほどがある。


「な、何か用ですか」

「じーっ」

「?」


 アイシャは下からのぞき込みながら、上目遣いでイチタを見る。彼女の不思議な行動に、イチタはただ目で応じるしかできない。互いに見つめあったまま、しばらく同じ絵が続く。


「あ、あの~」


 数秒後、変わらずこちらを凝視し続けられることにしびれを切らしたイチタが口を開く。


 むぎゅ。


「っ!?」


 彼を見つめ続けることに注力していたアイシャがイチタの頬を両手でつまみ、くいっと軽く引っ張った。


「いべべべべ!らにふるんれふか!!」


 突然の行動に面喰うイチタ。すぐに離してくれたものの、彼の頬はほんのりと赤くなっていた。


「どう? 少しは落ち着いた?」

「はい?」

「だってイチタくん戻ってきてからずーっと難しそうな顔してるからさ。ほら、笑顔笑顔ー!」


 そう言って、アイシャは何のよどみもない邪気もない、純真な笑みをみせた。自分が頭の中で複雑に交差しているものなど、些細な事でしかないと告げるかのように。彼女の笑顔に合わせて、頭の獣耳がピコピコと動く。彼女の気分とリンクしているのか、小刻みにはきはきと、それでいてどこか期待感の入り混じる、何とも清々しい表現だ。


 ただ、ここまで当たり前に語り、分析しておいて今更追及することでもないとは思うが、イチタの従来の感覚からして、こればかりは素通りするわけにもいかないので聞いておくべきだろう。


「あの、アイシャさん」

「ん?」

「その耳ですけど……」

「耳?」

「それ……本物ですか?」

「そだよー触ってみる?」

「いや、大丈夫です」


 アイシャは頭を傾けこちらに耳を突き出す。とはいえ、近くで見ると決してつけ耳などではないことははっきりと分かる。


「でも、不思議なこと聞くね。もしかしてイチタくん獣人族を見るのは初めて?」

「獣人族も何も、こっちに来てから目新しいことだらけで……」

「そういえば、だんちょーから聞いたけど、イチタくんは王都に来て間もないんだよね?」

「ええ」

「何も知らずに13区域に入っちゃうし、服装だって、街の人とは随分違うね」

「13区域……?」

「王都第13区域。昨日、イチタくんが魔獣と遭遇した地区の名前だよ。あそこは、100年も前に魔物の襲撃にあって退廃しちゃった場所で、町の人は誰も近づこうとしないの。今いるのはせいぜい物乞いや、国を追われたならず者だけって話だよ」

「そうだったんですか……俺は、こっちじゃどこを見渡しても分からないことばかりでずっとあたふたしてたけど、今はこっちの世界のこと少しずつ理解してきた気がします。人間だけじゃなくて、アイシャさんみたいな獣人族っていう種族がいることも知れましたし」

「獣人族だけじゃないよ。このラスタルティアには、獣人族の他にもエルフやドワーフ、ハーロイや緋竜族なんかがいるよ」

「エ、エルフ!? エルフって、あの耳長の?」

「うん」

「へぇ、そいつは一度見てみたいな」

「すぐに会えるよ」


 イチタの中でこの世界での楽しみが一つ追加された。今からでもワクワクが止まらない。なんせゲームや漫画、果てはおとぎ話の中でしか見ることのない伝説上の生き物。それが今、現実に会えるというのだから。


「にしてもイチタくんは本当に箱入りな男の子なんだね。どこから来たのか知りたいなぁ~」

「そ、それは……」


 イチタは口を噤んだ。いくらこの世界が摩訶不思議に溢れているからと言って、別の世界からやってきたなどという戯言が果たして通ずるか。またもこちらに顔を近づけ「じ~」と声に出しながら見つめてくる彼女に対し、何も言えずのままでいると、今度はすぐに離れては背筋をピンと伸ばしてニコっと微笑んだ。


「ま、いっか! こうして無事に戻ってきてくれたし、だんちょーもなんか機嫌よさそうだし。イチタくんの活躍、期待してるよー」


 アイシャは手を振りながら、あっさりと去っていった。ふと気づくと、先ほどまでイチタの胸に張りつめていたものがスッと消え去っていた。



 広場へ向かうと、噴水前で待っていたセリカが頬をぷくーっと膨らませながら「おそいー」と不満を漏らしていた。


 



 次の日、十分な休息を採った二人は、ギルド長が用意してくれた荷馬車に乗り、目的のアズー村を目指した。


 正門を抜け、だだっ広い平原をゴトゴトを進む。朝が早かったのと、荷馬車の心地よい揺れのせいか、セリカはスヤスヤと眠りこけてしまった。自慢の剣を抱えて荷台に身を預ける少女の寝顔からは、いつもの魔物を追うギラギラとしたオーラをまるで感じない。



 馬車に揺られることしばらく。大きな木のそばに見える十字路に差し掛かる。脇にはそれぞれの方角に何があるのかを示す看板があるが、そこに何が書かれているのかはイチタには分からない。


 十字路を直進してまたしばらく。すると、遠くのほうに密集した建物が見えてきた。あれが目的の村だ。


 近くまで行くと、門の代わりなのか入口の両端に巨大な木の柱が二つ並んでいる。入り口前で止まると、イチタは御者に礼を述べ、寝ているセリカを起こして馬車を降りる。



 柱の正門から村の中へと入る。こじんまりとしていて、和やかな雰囲気のある村だ。手前には木材を担いで運ぶ体格の良い男性。奥にはお隣さんと楽しそうに話し込むご婦人達。中央には木の枝を持って走り回る子供の姿。とても、魔物の被害にあっているようには見えない。


 しばらく進むと、住民の一人がこちらに気づく。イチタと目が合うや、抱えた木箱を置いて、小走りで二人に歩み寄る。


「あの、俺達……」

「あ、あんたらもしかして、リュドさんの言ってた討伐団の人たちかい?」

「はい、そうですけど」

「ああ、やっぱりそうか。実を言うと、もうダメなんじゃないかと……ともかく、来てくれて助かるよ。今、村長を呼んでくる。ちょっくら待っててくれ」


 流石というべきか。既に話は通してあるようで、特に深い説明も求められることはなかった。若い男は安堵の息を漏らすと、元気な表情を見せ、村長を呼びに向かった。


 待たされること数分、さっきの男が村長と思わしき人物を連れ、再びイチタ達の元へやってくる。見た目は四十半ばといったところだろうか。村を束ねる者らしく落ち着きのある風貌。肩には野性味のある毛皮の防寒具と、首からは謎に小袋を下げている。村長はイチタとセリカ、順に視線を向ける。



「私がこの村の村長だ。まずは一言、来てくれてありがとう。リュドさんには度々世話になっている。聞けば新しく討伐ギルドを発足したと聞いた。どうか力を貸してほしい」

「どうも、討伐団のイチタと言います。こっちはセリカ」


 イチタに紹介され、セリカはコクリと軽く会釈する。


「イチタ殿にセリカ殿。お二人のこと、心から歓迎する。早速、私の家に招き入れ、歓迎会といきたいのはやまやまだが、その前に一度、お二人に村の詳しい状況を知ってもらいたい」

「ええ、お願いします」

「では、こちらへ」


 二人は村長の後に続く。





 数ある民家を横目に、イチタ達は村の奥へと足を進める。やってきた場所は厩舎だ。いや、今は厩舎だったもの……というべきか。イチタはただ、目の前に広がる惨状に言葉を失うばかりだった。


 屋根は崩れ、柱は折れ、辺り一面血が飛び散っている。村長はため息を漏らすと、詳しく説明し始めた。


「見ての通りだ。今朝方、厩舎の方ですごく大きなものが聞こえたもんで、牛飼いが様子を見に行ったら既にこのありさまよ。ここにいる牛たちは薬草栽培と同じくこの村の大事な主要生産物の一つだったから、もうどうしていいのやら……」


 見れば所々、牛の亡骸が横たわっている。セリカは死んだ牛のそばまで歩み寄ると、片膝を立て、状態を観察する。


 息絶えて間もない大柄な牛の死体。はらわたは何者かによって深く抉られ、大胆にあばら骨と内臓が露出している。


 襲われた際、よほど激しく暴れたのか、毛は抜け落ち、全身に擦り傷ができている。


 かなり強い力で掴まれたのだろう。足は完全に折れ曲がり、首には絞められたような痕が残っている。


 それと、気になるのはこのにおい。錆びた金属と、ほのかな青臭さ。そして、古びた油。これら全てが混じり合い、どうにも表現しようのない異臭を放っている。これが牛そのものから発するにおいでないことは、言うまでもない。


「このにおい……どこかで」


 そう。それはつい先日。イチタと二人で下水道調査を行った際、嗅いだにおいと似ていた。


 セリカは立ち上がると、今度は厩舎の方まで近寄り、被害を受けた建物を念入りに見て回る。イチタもまた、彼女のもとへ寄る。


「セリカ……」


 血がこびりつき、斬り刻まれた柱に触れながら、セリカは上から下まで凝視する。その凄惨さを物語る爪痕。あちこちに残された被害の痕跡から、これをやった相手はかなり凶悪な存在であることが窺える。


「深い傷……鋭い刃物で斬りつけたというより、何か大きな鉈のようなもので叩きつけたみたい。それにあの牛……下水道に蔓延していたにおいと少し似てる」


 柱を見ながら、セリカは淡々と分析する。それを聞いて、イチタは推測する。


「下水道のにおい……もしかして、あの大ムカデか?」

「いや、それとは違う……もっと何か別の……」


 大ムカデとは違う、得体の知れない脅威。それが今、すぐそこまで差し迫っている。残された痕跡から、彼女は何を予見するのか。斬り刻まれた柱を険しい表情でじっと見つめたままのセリカ。イチタもまた、頭の中で思い描く。あの巨大蜘蛛とも、大ムカデとも異なるまったく新たな敵の姿……。 


ーーガコン。


「「っ!?」」


 押し寄せる突風。その時、ボロボロになった建物が強風に煽られ、屋根の一部に使われていた木材が飛んでいった。ついここへ来る前は晴れ晴れとした空模様に恵まれていたはずなのに、いつの間にか暗雲がちらほら。


 三人の視線が飛ばされた木材へ向く。今の衝撃で、思考がシャットアウトされる。気持ちを切り替え、二人は村長の話に耳を傾ける。


「魔物の仕業だってのは、十分理解してる。そして、そいつがどこからやってきたのかもな」


 村長は震えながら、歯を食いしばる。言葉にせずとも、その目その挙動から、悔しさと怒りがにじみ出ている。


「案内して……もらえますか?」



 悲劇の牧場見学を終えた後。二人は村長に案内されるまま、近くの森にやってきた。



「ここが……」


 鬱蒼と茂った森。どんよりと薄暗くも愚者を手招くその先は、踏み入る者を惑わす狡猾な天邪鬼。まだ入口に立っただけだというのに分かる。この奥には、何かがいる。


 そうよぎった途端、足がすくんだ。無理もない。イチタにとって、森はもはや鬼門。許されるのならば、今すぐにでもここから立ち去りたい。ここぞとばかりに、本能が危機を察知する。


「イチタ、大丈夫?」

「え? ああ、うん」


 彼のわずかなすくみに気づいたのか。セリカが声をかける。咄嗟にイチタ、彼女に心配をかけまいと嘘をつく。


「この森は、昔からすごく馴染みのある場所だったんだ。ただ、いつからか妙な事が起こり始めて……」

「妙な事?」


 イチタはその意味を問う。村長は無言で頷くと、さらに続けた。


「今までは見なかった動植物や不気味な唸り声。地形も以前よりどこか複雑で、木だってこんなに巨大じゃなかった。とにかく、森全体が重たい空気に包まれてる」


 それは、イチタが以前彷徨った経験とよく似ていた。まるであの時の再現だ。今踏み入れば、もう後戻りはできない。イチタは迷わず確信する。


「まったく無警戒だったわけじゃない。自分も、子供の頃一人で森に入って、よくばあさんにぶん殴られた。当然、村の子供たちをここへは近寄らせない。それだけ気を付ければ十分だと思っていた」


 思っていた……そう言うからには、もう受けてしまったということだろう。この森の洗礼を。


「異変が起きたのは昨日。丁度、今の時間帯に村の一人が薬草を取りにここへ入ったんだ。私と同じく、森の中をよく知る人物だったから迷うことはないだろうと安心していた。けど昼を過ぎても戻ってこないもんだからさすがにおかしいと思って……もう丸一日経つから、望みが薄い事はわかってる……けど、それでも諦めたくはない」


 状況は大方把握した。イチタ達の目的は大きく分けて二つ。一つは行方不明になった村人の捜索。もう一つは被害にあった牛小屋を襲った魔物の討伐。ざっとこんなところだろう。そうと決まれば早々に出発する他ない。


「了解しました。村長さんは村に戻ってください。後は俺達で何とかします」


 その言葉を聞くと、村長は息をつき、安堵の笑みを見せた。


「ほんと、なんとお礼を言っていいか……本来なら、私どもで解決しなければならないところ。自分の至らなさに嘆くばかりだ」

「気を落とさないでください。見つけたらすぐ連れ戻してきますんで」

「分かった。それじゃあ、よろしく頼むよ。あっそうそう、一つ言い忘れたことがあった。」


 別れ際、村長はハッとした顔で何かを思い出す。


「先日、王都に伝書ガラスを飛ばした後、村に若い4人組がやってきてな。一宿一飯の恩義として、村人の捜索に名乗り出てくれたんだ。正直、どこの出かさっぱりで見たところ普通の旅人のような風貌だったからお願いするか迷ったんだけど……依頼が向こうに届くまでは時間がかかるから、なるべく早いほうがいいだろうと思ってその4人に頼んだんだ……ただ」


 それっきり、彼らは戻ってこなかったと、村長は言う。これ以上、事を大きくしないためにも、自分たちでなんとかするしかない。イチタはそう肝に銘じ、村長に言葉を告げる。


「分かりました。頭に入れておきます」


 村長を見送り、イチタとセリカは森へ向き直る。ここから先、相対するは魔物の潜む闇。姿かたちも分からない、未だ相見えぬ敵との遭遇……すぐそこにある。

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