第6話 予兆
その夜……。
「あははっ。 へぇ、そんなことがあったのか」
食事場にて、樽ジョッキを煽りながらレナトはこのフロア全体に響くほど声高らかに笑う。
「笑い事じゃねぇって。こちとら一歩間違えたら、あっさり首飛んでいたかもしれないんだぜ? まぁ、いきなり立ち入った俺が悪いんだけどさ……」
「でも、よかったじゃねぇの、イチタは決闘申し込まれずに済んで」
「ほんとそれな」
あれからもう何時間も経ったってのに、まだ胸の内がドキドキしてる。こんなこと、最初で最後にしたい。
「で? その例の子は今どうしてるんだ?」
「さあ、ギルド長が是非とも引き入れたいって謁見の場で話してたから、こっちに来るまでは一緒だったけど……それ以来見てないな」
出来ることなら、もう一度会って話を。同じギルド内にいるのなら、絶対また会えるはずだ。
あの時間に伝えきれなかった事柄が、イチタの胸に渦巻く。
「こっちはこっちで結構大変だぜ。南西方面は、ほぼ壊滅的と言っていい。あそこ湿地帯が多いんだが、真正面から攻め込むには不向きだ。オレらみたいな近接部隊は特にな。逆に、魔物の方にとっては都合が良いらしい。文字通り、水を得た魚だ」
やりきれない気持ちを酒と共に流し込むレナト。ぷはぁっと豪快に息を漏らし口元を拭うと、今度はニヤリと笑い身を乗り出してきた。
「けど、まるっきり策がないわけじゃないぜ! 湿地を主とする魔物なら、逆に言えばその行動範囲は限られている。そこで登場するのが罠だ」
「罠?」
「ああ、ラスタルティアには先人が対魔物ように開発した罠が山のようにある。爆弾に十字矢、拘束網に煙幕。こいつらを駆使すれば、なんとかやっていける。まずはオレ達が湿地の端に追い込んで、寄せ集まったところでまとめて拘束。後は爆弾でどっかーん」
「へぇ」
「ま、実際にはそれ一つやるのに相当なコストがかかるんだけどな。それでも最善を目指すならこれが一番だ」
レナトは覇気のない声色でそう言うと、静かに席に座った。再びジョッキを煽ると、ふぅとため息をつく。
ふと、イチタは店内を見渡す。ここは一般客もそれなりに多いが、やはりそこかしこに目につくアスターの面々。甲冑に革鎧、剣に槍。言わなくったって、その身にこしらえているものを見ればすぐ分かる。ギルドでは少々ピリついた空気も見られるが、ここは皆が笑顔で語り、楽しそうに飲み食いをしている。まさに憩いの場だ。
「でも、オレも見たかったなぁ……その剣裁きとやら。なぁ、教えてくれよ! どんな感じだった?」
「どんな感じって言われても……とにかく凄かったとしか」
「があああ、それじゃ全然伝わらんて!振りの正確さとか、間合いの取り方とか、もう少し詳しく! 」
「そんなこと言われても……」
レナトはいつにも増して身を乗り出し、熱を入れイチタに迫る。無論、剣術の心得のないイチタがあれやこれや熱弁したところでその語りに正当性などない。せめてそれを伝える手法としては何かになぞらえること……。彼女の剣裁きを表現するに絶妙な例えがイチタの頭に浮かぶ。
「う~ん、強いて言うなら……花?」
「花?」
「花っていうか、花びら。風に乗って空へ舞い上がる無数の花びら……みたいな?」
「……ふーん」
子供がプレゼントを貰う時のようなキラキラと期待に満ちた表情から一変し、目を薄め、途端に興味を無くした素振りを見せる。
「なんだよふーんって……」
「なーんかイマイチ要領を得ないなと思って」
「仕方ねぇだろ、それしか思いつかねぇんだから」
「ま、機会があればその内拝めるか。自分の目で確かめることにするよ」
「そうしてくれ」
あの子、今頃どうしてるのかな……。
レナトが話題に上げたことによって再燃した。例の少女に対する複雑に絡みついたツタのような思い。その真理は未だイチタの元に着かず、そして離れず。彼の周囲を空虚に漂い続ける。
翌朝。この日も変わらず、窓から差し込む陽の光によってイチタは目覚める。ここへ来て三日目の朝。もう三日も経ってしまったのかという驚きと、徐々に元の世界への執着が薄れている矛盾に心揺さぶられる。
朝の穏やかさを見れば昨日のゴタゴタも嘘のように。この一室を常時使わせてもらう代わりに日課として自ら請け負った部屋の掃除を軽く済ませた後、これと言ってすることもないので今日は王都を散策することにした。この街には、長いこと世話になりそうな予感がするし、今のうちに土地勘を掴んでおくとしよう。
「ふぅ、にしても広い街だなほんと。どっから見て回ればいいのやら……ん?」
「おい、ねーちゃん。聞こえなかったんでもう一回言ってもらっていいか?」
「だから、ちゃんと前を向いて歩かないと危ないよって」
道の隅で、何やら揉めている。見ればいかにもガラの悪そうな二人組の男が一人の女の子に詰め寄っている。一人は胸元に三本のキズがある大柄のいかつい男。隣にはそいつの腰巾着と思われる痩せ型の男。男達の苛立ち具合からして、そう簡単に収まりがつきそうな雰囲気ではない。
ただ、その女の子の風貌には見覚えがあった。
あの子……どこかで……。
イチタは目立たぬよう、こっそりと近づく。丁度視界を遮っていた目の前の通行人が過ぎ去ったと同時にその姿を確かめることができた。
「あっ!」
腰の近くまで長い山吹色の髪。
透き通るような翡翠の瞳。
背に携えられた長剣。
間違いない。昨日……闘技場で再会を果たした、あの少女だ。
「あぁん!? 人にぶつかっておいてその態度は何なんだおいっ!」
大男はドスの効いた声色で、眼前にいる者を威圧した。
「一言ぐれぇアニキに詫び入れたらどうなんだおいっ!?」
その横から被せるように怒声を放ついかにも腰巾着といった輩も合わさって状況的には非常にめんどくさいことになっている。
「ハァ……まじですか」
自分含め、なんとなく巻き込まれ体質なのは薄々感じていたけど、まさかこんなに早くとは……。
「いーや、詫びの一つじゃオレの気が収まらねぇ。しっかりと落とし前つけさしてもらうぜ」
「オトシマエ?」
言葉の意味を知ってか知らずか、少女は首を傾げる。
「ねーちゃんよぉ、よく見りゃいいツラしてるじゃねぇか。ちょっくらオレらに付き合ってもらうぜ」
「そうだなぁ、そのくらいは当然だよなぁ」
腰巾着もニタニタしながら、その意見に乗る。
「なぁ、いいだろ?」
そう言って男は少女の肩に手を回そうとした。
「あ、あのぉ……」
「あ?」
いいタイミングで割って入った俺に対し、大男は激しい剣幕で睨んできた。
「なんだテメェは!?」
開口一番に響く怒声。イチタはなんとか相手を刺激しないようなだめる。
「えと、そちらの方の連れといいますか。いいお時間なのでお迎えに上がりまして」
「ほう、そいつはご苦労なこったな。けどもうその必要はねぇ。あいにく、急な予定が入ったもんでな。さっさとけえってくれ」
「と言われましても、こっちもそうもいかないというか……」
「しつけぇぞゴラァっ!」
「ひぃっ」
大男は今まで以上に大声を張り上げる。その圧力に屈し、思わず一歩下がった瞬間。太ももの辺りに感じたわずかな感触。
ポケットの中をまさぐり、手に触れるものを握り込んだ。
「これで、なんとか」
「あん?」
握り込んだ100円硬貨を男に渡す。男は受け取った100円玉を摘まみ上げ、まじまじと見つめる。
「なんだこれ?」
だが、これと言って特に興味も惹かれず、冷めた視線を彼に送る。
「それ、差し上げるんで今日のところはお引き取りを……」
「ナメてんのかっ!!」
だ、だめかぁ……。
デジャブ……にも思えたその流れは瞬く間に終わりを告げ、案の定というか、取り引きする暇もないまま、逆に怒らせてしまった。
「もう頭来た。どれ、一発ぶん殴らねぇと気が済まん」
「あはは。御冗談を」
「冗談に見えるか?」
「いえ」
男は拳をバキバキと鳴らしながら、凄みを利かせた態度でじりじりとこちらに詰め寄る。
「歯、食いしばりな」
ああ……終わったわ。
男が拳を振り上げた。次の瞬間……
「あででででででででで」
少女が大男の手首を掴み、ひねり上げる。大男は情けない声で腕をとられた痛みに悶えている。その様子を隣で見ていた腰巾着の男は目を見開き、慌てふためくもどうしていいか分からずにその場でバタついている。
少しして、少女は大男の腕を離すと特に何か言い返すわけでもなく二人の反応を窺った。
今のがよほどの痛手であったのか、意外にも大男は肩で息をし、さっきまでの怒気は薄れたように見えた。その代わりに色濃く浮かび上がったのは少女の内に秘める底知れない力量か。実際に肌で感じ取った大男は「覚えてやがれっ!」とお決まりのセリフを吐き捨て文字通り逃げるようにこの場から去って行った。それを見た腰巾着も「アニキぃ」と弱弱しく呼びかけながら大男のあとを追った。
去り行く男達を見送った後、改めて少女と向かい合う。
「怪我はない?」
「あ、うん……」
拍子抜けというか。元はこちらが助けに入ったはずが、気が付けば本人自ら事の全てを解決してしまった。
それはそうと、イチタはあのチンピラのことについて、目の前の少女に聞き出した。
「今の連中は?」
「さあ」
「さあって……そんな適当な」
「でも、何事もなくて良かったじゃない」
「それは……まぁ」
少女の言う通り、結果的には痛手を負うことなく事が済んだのだ。これ以上は深追い無用か。
「そういや、まだ自己紹介してなかったっけ。俺はイチタ。何ていうか、昨日はお互い面倒なことになっちまったな」
「そうだね。でも、別にいいんだ。どこにいても、私の目的は変わらないから」
静かにそう語る少女の目は真っすぐでありながら、どこか物憂げで、額面通りに受け取って良いのか、その一部始終はわずかにイチタの心を弄んだ。
「あのさ」
「うん?」
「昨日話した事なんだけど……やっぱり覚えてない?」
「昨日?」
今一度確認してなお、少女の反応は変わらない。どうやらあの時のことは本当にきれいさっぱり覚えていないみたいだ。まるで遠い昔の事を尋ねられたかのように、きょとんとしたまま首を傾げている。
「あー、覚えてなければいいんだ。無理に思い出してくれとも思わない。ただ、お礼だけは言っとこうと思ってさ。結果的にとは言え、あの場で救ってもらったことに変わりはないから」
「……あなたもここの人なの?」
「ここ? ああ、ギルドのことか。一応は。いろいろあって流れるまま昨日入ったんだ。だから、立ち位置的には君と同じ新参者ってところかな」
「ふーん」
な……なんだ? この妙な間は……。
少女はイチタを見つめる。相槌を打つ訳でも、そこから何かを告げる訳もなく、ただただ目の前の新参者を見る。それはまるで、人間と遭遇した野生動物が遠くから様子を窺うような、相対する者に興味を示す、邪気のない眼差し。
「あ、あの~」
しびれを切らし、イチタは眼前で微動だにしない彼女に呼びかける。彼の呼びかけに、少女は一呼吸置いてから口を開いた。
「……た」
「へ?」
「……あたし、あなたとどこかで会ったような」
「そ、そう! 森の中で!」
「森の中……あっ」
「思い出してくれた?」
「う~ん、思い出したようなしてないような……どっちだろ?」
「俺に聞かれても……」
いや、あの状況下なんて、ほんのわずかな時間しかやり取りしていないからな。こっちのことなんて、記憶にないのも当然だ。
「ふぅ。森の一件はもちろん、さっきのチンピラの時だって、返り討ちに遭いそうなところ救ってもらった上、結果的には君が一人で解決したようなもんだし……やっぱこのまま何もお返ししないわけにはいかねぇ。俺にできることがあったら何でも言ってくれよ。つっても俺にできることなんて、たかが知れてるけどな」
「別に、私は何も……」
「いーんだよ。こっちが好きでやってることなんだから。世間一般の当たり前と違って、俺は借りた100円を翌日までに返さねぇと気が済まないタチなんだ!」
少女はじっと俺を見つめる。善も悪も入り混じることのない、まるで野生動物が遠くから人を窺うような純粋な目で。
「イチタって、変わってる」
「君がそれを言うのか……」
次に吐いた一言に突っ込まずにはいられなかったが、この一瞬の間で、なんかこうちょっとだけ分かり合えたような気がしていた。
「……セリカ」
「え?」
「私の名前……よろしく、イチタ」
イチタの熱弁後。少女はクスリと笑うと、静かに自分の名を口にした。
「魔物狩り?」
「そ。私、どうしても魔物を倒さなくちゃいけないの。帰りたい場所があるから」
「帰りたい場所……」
「そう。魔物を倒せば、きっと皆認めてくれる……」
セリカの話は断片的で、どこか要領を得ない。間を置かぬ口振りから、話すことを躊躇っていると言う訳でもなさそうだ。
「訳アリってやつか……?」
「まぁ、ちょっとだけね」
何となく、この時ばかりは深く追求することは避け、ただ彼女の語りに耳を傾けることにした。
「よく分かんねぇけど、あんなのとやり合うのがどれだけ大変かは想像つくよ。せっかくこの街に来たんだし、のんびりしたらどうだ?」
「それもいいけど、少し気になることがあってね」
「気になること?」
セリカは建物沿いを進みながら周囲を深々と観察をする。丁度裏路地の前で足を止めるとその入口付近でしゃがみ込んだ。
「見て……」
セリカはある一か所を指先で示す。そこにあったのは建物の土台部分にわずかにこびりついていた焦げ跡のようなもの。よく目を凝らさなければ気づくことは難しい。
「これがどうかしたのか?」
「ただの焦げ跡に見えるけど、確かに感じる……魔物の気配」
「え?」
この焦げ跡から……? どういうことだ?
一体何が起きているというのか……なんて、考えずともすぐに説明してくれることだろう。
「思った通り。誰の仕業か分からないけど、この街は既に狙われているみたいだね」
「狙われている? それって……」
「きゃああああああああああああああああ」
「「!?」」
突如、街中に響き渡る悲鳴。大通りの方からだ。イチタ達は急いで声が聞こえてきた方へと走り出す。
「これは……」
大通りに入ると、信じられない光景が目に飛び込んできた。状況を見てすぐ、イチタの頭の中であるものとリンクする。
道幅の三分の一を占める程のずんぐりとした体。無機質なまでにその身に組み込まれた6本足。陽の昇る時間帯だというのに、自重することを知らないその禍々しく光る赤い目。
「ま、魔物……」
通りに鎮座するは森で遭遇したあの巨大蜘蛛だ。ただ、森で見た個体の特徴とは所々違いような……。よく見ると、形状も違えば以前よりも一回り大きくなっている。
どうしてあいつがここに……。
巨大蜘蛛は街を蹂躙する。付近の建物は半壊し、既に何人かの住民は被害にあっている。魔物の一撃に巻き込まれたのか、額から血を流し建物のそばで倒れ込む人。たった一体とはいえ、あの巨躯で派手に暴れ回られちゃ、人の多いこの場所ではあまりにも危険すぎる。
人々は恐怖に打ち震えながら一斉に逃げ出す。場は阿鼻叫喚。皆我先にと広場の方へ駆け出していく。
「じゃまだ、どけ!」
「早く行けって!」
時折、響く怒声に焦燥感が募る。早くここから逃げよう。そう脳裏に過った瞬間、声が聞こえた。
「イチタ、ちょっと下がってて」
雑踏という名の風を切って横から前に出たのはセリカだった。人が離れていく中で開けてきた道の真ん中堂々と立つ。背中の剣に手をかけ、鞘からその剣身をスルリと抜いた。
暴れ狂う魔物は自分の前に立つセリカを見つけると、他のものには目もくれず一気に襲い掛かる。
「は、速い!」
魔物はその図体に似合わず、巨体を揺さぶりながら弾丸の如く飛んでくる。セリカは引き抜いた剣を構えることなく、刃の先を下に向けたままじっと奴を睨む。魔物は一定の距離まで間合いを詰めると、そのまま飛びかかった。
刹那、剣を持つ彼女の腕がピクリと動く。直後、姿勢が前傾寄りになったかと思うと、突っ込んできた魔物のどっぷりとした腹が一瞬にして斬り裂かれた。
--キキィ!
魔物は空中で体勢を崩し、スライディングしながら地面に落下した。
「おお!」
わずかな沈黙の後、周りから飛ぶは拍手歓声。俺は急いでセリカの元へと駆け寄る。
「セリカ、大丈夫か?」
「平気。それよりも……」
ーーバタバタバタッ。
「お前ら、散れ!散れ!」
人混みを掻き分け、通りの奥から重厚な甲冑を着た衛兵が複数人やってきた。。
「クソッ、一体どこから」
先頭にいた一人が苦悶の表情を浮かべながら吐き捨てた。後ろの数名も残ったギャラリーを遠ざける。
「いつまで溜ってる。さっさと散れ!」
衛兵は相当ピリついた様子で語気をこれでもかと強めながら、民衆に退避を促す。
「イチタ、行こ」
「あ、ああ……」
これ以上居座れば面倒な事になるのは目に見えている。気がかりが残りつつも、イチタ達は現場を離れる。
噴水前のベンチに座り、頭の中を整理する。俺の隣に座るセリカは依然変わらず、平然とした様子で宙を見つめている。
昨日に続き今日までも。このどうにも処理しようのない焦燥。収まりをつけるには、まず知る必要があるが、幸い、この手のものに詳しそうな人物が丁度この場に一人いる。
「セリカ、何か知ってるのか?」
魔物が現れる直前、セリカの見せた行動は何かその予兆を感じ取っているかのような振る舞いだった。あれを目の当たりにしては、追求せずにはいられない。セリカは一呼吸間を置いてから静かに話し始めた。
「なんとなく、あの辺が濃かったから」
「濃かった?」
「充満してた。間違いなくあれは、魔物の気配」
「それって……」
「私ね。どういう訳か、昔から分かるの。魔物が近くにいる時、体がこう、ほんのちょっとだけピリピリって、その居場所を教えてくれる」
「まじ……?」
「この街だけじゃない。ここに来るまでの間にも、何度かその感覚はあった。それも、今まで感じたものよりずっと強い」
次にセリカが放った一言に、俺は耳を疑った。
「おそらく。まだどこかに隠れてる」
「なっ……」
隠れてる……?
この街に……?
あんな恐ろしい奴が……?
頭の中で様々な思いが交差する。それは、平穏な街の風景からは想像もつかない悪夢。
「だから、イチタも気を付けて……」
「いや、いやいやいや待て待て待て!」
遮らずにはいられない。そんな阿吽の流れで飲み込める内容じゃないからだ。
「ああ……えと、君の話を否定するわけじゃない。けど、そんな急な……」
いや、決して急な話ではないことは重々理解している。この世界に突然飛ばされたこともそうだし、ギルド長の話でもそう。その一つひとつが、忘れるなと言わんばかりに走馬灯のようにして舞い戻ってくる。
自分の中にため込んだ記憶の一喝により、イチタのあれこれ浮かび上がる否定の思いは瞬く間に封殺された。
そう主張する彼女の瞳からも、嘘偽りの念は感じない。無論、そんなことするような人じゃないのは分かってる。これは紛れもなく現実なのだ。いくら頭を悩ませ、目を背けようとも、そこに意味はない。なら、今出来る限りのことを考えるのが先決だ。
「聞いてもいいか?」
「ん?」
「その潜伏してるかもしれない魔物だけど、どこに隠れているのかあぶり出すことは出来るのか?」
街に出現する前に、こちらから先手を打てば被害を最小限に抑えられるかもしれない。
「難しいと思う。覚えてる? さっき見た焦げ跡」
「……ああ」
「他の場所はぼんやりしていたけど、あの場所からははっきりと痕跡が読み取れた。詳しいことは分からないけど、さっきの魔物と強く関係していることだけは確か」
まじかよ……。
まさかこんな形で繋がるとは思ってなかったが……こんな事、いきなり突きつけられても頭がこんがらがるだけだ。
衣食住が確保されているから、しばらくはのんびりできるかと思ってたが、もしこの街にまだ見ぬ脅威が迫っているのだとしたら、悠長に構えてなんていられない。とりあえず、ギルドへの報告は絶対として……ただ、現在アスターの精鋭は北方調査のため全員出払っている。王都、特にこの第一区域は衛兵隊の管轄だと聞く。少々不安はあるが、ここは彼らに任せるしかない。
謎は多いが、少なくとも魔物狩りを生業とする彼女が、この辺りを訪れたというのも納得できた。
「セリカはこれからどうするんだ?」
「もう少しだけ、あの周辺を調べてみようと思う」
「そっか。俺は色々考えたいことがあるから、しばらくその辺を散歩してくるよ。一緒だと、邪魔しちゃいそうだしな。俺も何か情報を掴んだらそっちに伝えるよ。団長さんらが帰還するのは夕刻頃だって話だから、その時間帯になったらギルドでまた会おう」
「うん」
互いに約束を交わし、二人は一度別行動となった。