女三の宮
女三の宮は父は朱雀帝。母は先帝の皇女という血筋の上ではこの上もなく、高貴な身分でした。
女三の宮が幼い頃、母が亡くなりました。
女三の宮は、悲しみのあまり、食も進まず、塞いでいました。朱雀帝やおつきの者たちが心配しました。
「そのように塞いでいては、皆が心配する。」
朱雀帝は女三の宮を叱りました。
みなが女三の宮を心配している様子がわかりました。
女三の宮は思いました。
「母の死は悲しいけれど、皆に心配をかけてはいけない。これは私のわがままね」
以来、女三の宮は聞き分けよくなりました。わがままも言いませんでした。わがままを言わない。それは一見素晴らしいことに見えて、人としての自我を押し殺してしまうことにほかなりませんでした。
年頃になっても女三の宮はそんな調子でしたので、朱雀帝は女三の宮の行く末がきがかりで仕方ありませんでした。そんな朱雀帝が女三の宮の婿に選んだのは自分の異母弟の源氏でした。女三の宮にとっては叔父となります。というのも、源氏によって育てられ、その妻となっているすぐれた女性・紫の上がいたからです。朱雀帝は女三の宮をそのように育ててくれることを期待して女三の宮を源氏に託したのでした。
源氏の方は自ら育てた紫の上とは別に忘れ得ぬ初恋の女・藤壺女御がいました。女三の宮の母の姉にあたる女性でした。いわば、源氏女三の宮はにその面影がないかと期待してその婚姻を受け入れたのでした。
婚礼の日、女三の宮が藤壺女御に似たことが少しもないと源氏はがっかりしました。いわば、勝手に期待して勝手に失望したのです。
それでも、源氏は姫の身分が高貴であり、また、世間的にはこれでも申し分のない姫なのだろう思い直しました。自ら育てた紫の上や藤壺女御のような人は、そんなにいないのだとも思いました。
表向きは女三の宮を大切に扱っていましたので、何年かはなにごともなく過ぎました。
ある日のことです。源氏の屋敷で貴公子たちが蹴鞠が行われていました。二人の貴公子が休んでいると、猫がいきなり御簾を巻き上げてしまったのです。それは一瞬のことでしたが、二人の貴公子は女三の宮の姿を垣間見てしまったのです。一人は、女三の宮の美しさに心を囚われた柏木、一人は、高貴な姫があのような端近にたつなどと否定的な意見を持った源氏の息子・夕霧でした。
源氏の最愛に妻・紫の上が病に倒れました。紫の上が育った二条院のほうが病にはいいだろうということで、屋敷を去り、そして、皆がそ紫の上を慕い、そちらへ移ってしまったため、、姫はわずかなおつきのものと残される事になりました。
「ここで、私が取り乱してしまえば、また、みんなが心配するわね」
姫はまた、自我を押し殺したのです。
「姫様は、殿や皆がここを離れ、平気なのですか」
「あら、なあぜ。殿は、たまには様子をみにくると言っていたのに」
おつきのものたちは女三の宮のその言動が不思議に思えるのでした。
女三の宮に仕えるある者は思いました。
確かに紫の上は素晴らしい方だ。あの方が素晴らしければ素晴らしいほど、ほかの者が見劣りしてしまうということがあの方にはわからないのかしら。あのかたがもう少し、女三の宮を思いやってくれて、道化を演じてくれればいいのに。
人もまばらになった屋敷に残された女三の宮のもとに、ある貴公子が忍んできました。かって、猫が巻き上げた御簾によって姫を垣間見て、心を囚われた男・柏木でした。
女三の宮は驚いたものの、結局、柏木に見を任せてしまったのです。そして、結果、懐妊。それは源氏の知るところとなりました。源氏は表立っては女三の宮を責めはしませんでしたが、刺すような目で姫を非難したのです。
月満ちて、女三の宮は男の子を産み落としました。
しかし、柏木は世を去ってしまいました。
「ああ、私を愛してくれたのはあの方だけだった」
女三の宮に涙が流れました。
産後の日たちが悪いと聞いて父帝、いえ、今は出家して院が心配して訪ねてきました。
「お父様、わたくし、尼になりとうございます」
父も源氏も止めましたが、女三の宮の決心は変わりませんでした。
「あなたは、私を責めるけれど、私を愛してはいないでしょう。それなのに、なぜ、私が我慢しなければならないの。手跡が幼稚、それが何。端近に立ったから何。私を愛してくれた方との子を産んだから、それが何だというの。私はもうあなたから解放されたいの」
尼となった女三の宮はその後、自分の生んだ息子・薫を頼りにして、一生を穏やかに暮らしました。