兵部卿宮 (藤壺の兄・紫の上の父) 北の方
兵部卿宮の北の方はさる大貴族の姫でした。
兵部卿宮には数は多くはないものの、何人かの通う女がいました。中でも寵愛の深い女には愛らしい姫まで生まれていました。ですが、その姫が幼いうちにその女は病を得て亡くなってしまいました。その姫は女の母である祖母の尼君に養われていたのですが、その尼君も、亡くなり、兵部卿宮は姫を自宅に引き取りたいと言い出しました。
北の方は、なさぬ子を引き取るに複雑な心もありましたが、早くに母を亡くし、今、また、祖母も亡くした気の毒な身の上の姫なのだ。できる限り暖かく迎えてあげよう。居心地よくしてあげようと、姫を迎える準備をしていたのですが。どういうわけか、その姫は行方知れずになってしまったのです。
次にその姫が北の方の前に現れたのは、桐壺帝の第二皇子・光源氏の妻としてでした。源氏はの母は身分の低い更衣でしたので、早くから、臣下に降ろされていたのですが、桐壺帝が最も愛したのは源氏の母でした。しかし、その源氏の母の更衣も早くに亡くなったこともあり、一層、哀れに思われたのか、、桐壺帝の寵愛は源氏に向けられていたのでした。桐壺帝の寵愛の深い源氏との縁続きとなれば、我が家にもありがたいことだと兵部卿宮は喜んでいたようでしたが、北の方の心は複雑でした。
やがて、源氏を寵愛した帝が退位し、崩御となったとき、風向きが変わってきました。東宮であった第一皇子が帝となり朱雀帝となりました。朱雀帝の母は右大臣の出でした。そのため、右大臣の勢力はましてゆきました。このようなときこそ、身を慎まねばならぬときなのに、こともあろうにその源氏は朱雀帝の寵愛深い尚侍君との仲が表沙汰になってしまったのです。そのため、源氏は田舎をさすらう羽目になりました。
源氏の妻となっていた姫・紫の上から兵部卿宮に手紙がきました。兵部卿宮は見舞いの手紙を出そうとしていたのですが、北の方はそれを止めました。
「あなたの気持ちはわかります。ですが、あなたには我が一門を守る義務があるのです。いま、右大臣の一門から睨まれれば、どのようなことになるかわからないあなたではないでしよう。私達のことだけならいいでしょう。ですが、ことは、それですまないのです。類は私達に仕えてくれている下々の者まで及ぶかもしれないのですよ」
「だが・・」
「このようなことをいう私をひどい女だと思われるでしょうが、どうか、聞き分けてください」
それっきり、兵部卿宮は黙ってしまいました。
それにしてもと北の方は思うのです。さらってまでも自分の妻にした姫を思うなら、なぜ、もっと、分別をつく行動をしないのか・・・北の方は心でその姫・紫の上に詫びるのでした。
その後、源氏は許され、都に戻り、権勢を誇るようになりました。源氏は田舎にさすらったときに、背を向けてしまった兵部卿宮を恨んでいるのか、入内した兵部卿宮の娘にも白々しい態度でした。兵部卿宮は不遇な時代の源氏に背を向けたことをを悔やんでいるようでした。
北の方は年をとり、臨終を迎えました。北の方は兵部卿宮に言いました。
「ごめんなさいね。あなたに、あの姫に背を向けさせたこと」
「いいのだ。わかっているよ。私だけはわかっているから。お前が皆のことを深く考え抜いてのことだっと。私だけはわかっているから」
「ありがとう。あなた。その言葉で私は救われました」
北の方は兵部卿宮に手を取られてなくなりました。