9話 【後手1】私が調理師に?
「日が暮れる前にやるぞ」
邪神はアウロラのために、彼女の好みに合いそうな柄のエプロンと三角巾を用意してやる。
アウロラが寝ている間に作ったのだそうで、自立支援に対する彼の本気度がうかがえる。
まずは清潔な手洗いを教え、料理の基礎ということで、アウロラに計量器具の種類と使用方法を教え、粉末と液体の計量をさせてみる。
「それでは擦り切れてない」
「目盛りをよく見ろ」
「何故そこまできてこぼす?」
アウロラは細かいことが苦手なのか、右から左に移すだけの単純作業でどれだけ粉をこぼしたかわからない。
野菜を切らせてみれば毎回手を切ってしまう。
指先と野菜が血だらけになる前に、彼は傷を治癒してやる。
切っては治し、切っては治す。
もはや野菜を切っているのか指を切っているのかわからない。
一体何がそんなに難しいのかと邪神は思うが、彼女にとっては地獄の作業のようだ。
「い、痛いです……」
ついにアウロラがくじけて音を上げた。
そこへ邪神がとどめの一言を刺す。
「長く人間を見てきたと思ったが、あんたほどの不器用は初めて見た」
「邪神さん、怒ってますか? 無表情だから何をお考えなのか分からなくて。昨日の邪神ちゃんさん姿ならよく分かるんですけど」
「呆れているだけだ」
彼がこれまで接してきた人間は英雄や賢者など優秀な人材が多かった。
彼らは総じて器用で、打てば響き、物覚えもよかった。
何か知恵を授けようにも、指導にさしたる労力はいらなかった気がする。
アウロラはそんな偉人たちとは違うようだ。
欠陥ありの巨大な法力と引き換えにポンコツを得たらしい。
これは時間がかかりそうだぞ、と邪神は落胆する。
「私、きっと聖女以外には向いてなくて……聖女以外の適性がないんです」
聖女が一番向いてない、という言葉はこらえた邪神である。
アウロラはすっかり落ち込んで、肩がしゅんと下がっている。
縮こまったアウロラは存外に華奢で小さく見える。
子供に過度な期待をかけたのが悪かったのだろうか。
「邪神さん、教育虐待って知ってます? 最近多いんですって。やってる方は気づかないんですって。さ、気づいたら胸に手を当てて反省しましょう。私は水に流しますから」
「そんな大したこと求めてないだろう」
「邪神さんは神様だから大したことないと思っても、人間には難しすぎるんです」
「あんた以外の人間9割9分はできてる」
詰めては逆効果かと気付き、邪神は叱咤をやめてみる。
「まあ、最初はそんなものか。あんたは子供だしな」
「今何かを諦めましたか?」
「なに、ナイフを使わない調理でも考えればいい。ズボラ飯というらしい。庭に野菜と卵を取りに行くぞ」
「はい!」
しょぼくれていたアウロラは元気を取り戻す。
二人は転移術で世界各地にある、いくつかの拠点の家庭菜園と鶏小屋を回る。
アウロラからすれば、優良物件の内見会のような気分だった。
「邪神さんの別荘、どれも管理が行き届いていますね!」
「たまに人が住んでいたりするので追い払うんだ」
「快適そうですもん。私でも住み着いちゃいます」
「たしかに住み着いてるな」
プチトマト、レタス、ピーマン、ズッキーニ、人参、コーン、ほうれん草などの野菜と卵、果物を収穫した。
野菜の特性や栽培方法、含まれている栄養、収穫方法なども簡単に教わる。
元智神であった邪神による、聞く人によってはありがたいであろう知識の大半は、アウロラの右耳から左耳へと抜けていた。
「トマトって土に埋まってるんじゃないんですね」
「卵って落としたら割れるんですね」
「鶏のメスしか卵を産まないんですね」
「理学も基礎から教える必要がありそうか……?」
彼女の知識レベルはそんな具合だった。
転移術を使って拠点の家に戻る。
収穫した野菜を丁寧に洗って、ハサミでカットし、葉物野菜を千切ったり並べるだけ。
炒り卵を作って粉チーズをふりかけ、プチトマトで彩りを添える。
「何だかお料理、楽しくなってきました!」
邪神は口を出すだけで全く手を出さなかったが、それでもアウロラ一人の力で豪華なサラダが出来上がってしまった。
アウロラがピザを食べたいというので、「今から発酵を待つのか」と愚痴を言いながらも粉をひいて生地をこねる。計量は怪しかったので邪神が担当した。
「どうしても生地が円形にならないのか?」
「はい、どうしても。でもどんな形でも味は同じですよね」
「違うんだな」
仕方なく、邪神が成形を手伝ってやる。
「トッピングはチーズとコーンだけでいいです」
「まあ難しいことはすまい」
何かをスライスさせればアウロラの血のグレイビーソースを加えることになってしまう。
「メインのお料理は? お腹すいてきました」
「ピザで時間をとってしまった。魚に塩こしょう、ディルとレモンのスライスを置いて石窯に突っ込むか」
アクアパッツァの予定ではあったが、アウロラのレベルに合わせて凝ったことは諦め、素朴な魚料理にする。
「あと一品か?」
「あと一品! あと一品!」
邪神はグリッシーニと生ハムを出す。
「棒に巻き付けとけ」
「巻くだけでいいんですか?」
「別にこういうのでいいんだよ」
シンプルな一品ができた。
「わ、私にも料理できました!」
あれこれと皿に盛っただけともいえるが、料理は料理。
アウロラは達成感もひとしおだ。
「おめでとう」
「あ、邪神さんに褒めてもらえました! 頑張ってよかったです。さ、一緒に食べましょう」
シンプルすぎてどう転んでもまずくなりようがないメニューではあったし、ピザはチーズとコーンのみだし、魚に至っては邪神の火加減の調整が全てだった。
グリッシーニの生ハム巻きはもう巻いただけ。
「この葉のちぎり方など、なかなかいい」
「頑張りました」
アウロラはふんぞりかえって鼻高々である。
「魚もいい焦げ目がついて香ばしい」
「邪神さんが焼いてくれるのを見てました!」
それはアウロラの領分ではない。
「塩加減もちょうどいいな」
「塩こしょう、振りました!」
「ピザもまあ、ピザだ」
「ですよね!」
「サラダに卵の殻が入っているが、まあ気にするほどでもなかろう」
「こ、細かい! 邪神さん細かい! 美味しいって言ってください」
「……初めてにしてはまあ」
甘々の採点だった。
「美味しいんですね。やったー!」
それにしてもこのペースでいくと、調理師として独立するまで何年かかることやら。
別の適性もあるかもしれないので色々やらせてみようか、と邪神は長い目で見ることにする。
「邪神さん、例のスタンプ押して下さい」
「そうだったな。2年延長だ」
自立支援スタンプカードに、スタンプが押され、調理師と書き込まれる。
アウロラはたしかに世界の危機を二年延長した。
(それにしても……承認欲求というのか、人間はそんなにも褒めてほしいものなのか)
アウロラは昨日とは違い、サラダも好き嫌いせず残さず完食した。
自分で収穫し、自分で料理したものは美味しく感じるものなのだろう。
それが食育というものだった。
ちなみに魚の骨取りはどうするのかと思って見ていたら、骨ごといった。
これは元々の食べ方のようだ。
(こんな外れ値のような人間がいるとは。俺の見識もまだまだだな。研鑽を積まねば万能神の名が廃るか)
褒め言葉の効果を知った邪神はその夜、アウロラがトイレに行っている間にさりげなくテーブルの上に置かれた書籍を発見する。
「女の子のやる気を引き出す魔法の褒め言葉」、ご丁寧に付箋つきだ。
邪神の本棚にはこの世界の書籍のみならず、他の世界の書籍も蒐集されている。
誰が置いたのかは明白である。
(やれやれ。これを俺に読めというのか)
まあそのうち、と彼は引き出しにしまっておいた。