8話 【後手1】私…自立支援されるんですか?
翌朝、アウロラが目をさますと邪神は男神に戻っていて、さらに一昨日の衣装に戻っていた。
やたら時間のかかるらしい変装だか特殊メイクも元どおりに施されていた。
何なら前と同じではなく、更にグロテスクなメイクになっていた。
彼の外見がどれだけグロくなっても、素顔を見てしまったアウロラには効果がない。
むしろ自分だけが彼の素顔を知っているという特別感に酔いしれていた。
「おはようございます邪神さん。……邪神ちゃんさんはどこに」
「もう邪神ちゃんさんはなしだ」
「またその衣装に落ち着くなんて……」
邪神更生計画は振り出しに戻ったのかとアウロラが落胆したのは無理もない。
蓑をむしられた蓑虫のようだった昨日とは違い、今日の彼は堂々と邪神をしていた。
昨日は普通の神様みたいで尊かったし、美少女姿も最高だったのに!
と名残惜しいアウロラである。
「大体認識阻害が使えて人目につかないんだから普通の格好をしてたっていいでしょうが」
「これは俺の仕事着だ。昨日はあんたに付き合って脱いだだけで、着ていないと具合が悪くなる」
「完全に蓑虫の習性ですね」
アウロラの寝起きの髪を梳いて、邪神は「洗い流さないトリートメント」をつけてきれいに三つ編みを結ってくれる。
ここに来てからというもの、以前のように寝癖とは無縁の生活になっていた。
「邪神としての仕事もしていないし、終末のご予定も立たないんですから仕事着なんて着なくていいじゃないですか」
耳が痛い気がする邪神である。
邪神とて働いていないわけではないが、保守管理とは地味な仕事だ。
「あんただって僧衣が正装だろう。ほら、朝食にするぞ。着替えろ」
アウロラの僧衣は例によって邪神がクリーニングしてアイロンがけもしたうえでハンガーに吊るしてくれていた。
内側の名札が取れかかっていたので補修もされていた。
そこまでしてもらっておきながら、アウロラは所属団体『神聖なる光の集会』のコスチュームをこきおろす。
「いえ別に僧衣は地味なので着たくありませんけど?」
「だったら聖女なんてやめてしまえ」
「それとこれとは別なんです!」
アウロラは邪神にパジャマを作ってもらってそれを着ていた。
「寝巻きを部屋着にするな。僧衣が嫌なら何かに着替えろ」
「うう、では今日はこれ」
どんなデザインの服でも物質創造を使で顕現させる邪神に対し、アウロラはおねだりし放題だった。
これまで僧衣のみの服装を強いられていた反動もきて、ファッションへの渇望が限界突破している。
「とにかく今日は後手。一日俺のターンだ。昨日一日付き合ってやったんだからあんたが俺の言うことを聞く番だ」
「な、何をさせる気です!? 庭の草むしりとか? 排水溝のぬめり取りとか?」
固唾を飲むアウロラに、邪神は一冊の分厚い本を押し付ける。
アウロラが恐る恐るタイトルを読み上げる。
「お仕事図鑑……?」
「何かやりたい仕事を選べ。それに合わせてキャリア設計をし、最短で職業人として通用するように徹底的な全人的教育をしてやる」
邪神の言葉の端々に人柄の良さがにじみ出ている。
邪神と聖女の会話でなければ、教育熱心なパパと娘のような会話だった。
「邪神さんが……私を教育? やだなー聖女としての教育ならもう全課程修了していますが?」
「人として基本的なことが何もできていない」
「私ってそんなに人としてダメですか? 人外の邪神さんに言われるほど?」
アウロラは地味にダメージを受けているが、入浴や歯磨きまでできていないのである。
「で、でも邪神さん、人間の教育なんてできるんです?」
こう見えて万能神の看板に偽りはなく、彼は全方位に習熟し何事にも堪能でもあった。
そんなこととはつゆ知らず、アウロラは半信半疑だ。
「いいから何か選べ。まずは軽くお仕事体験をして、向いているものを探せ」
「とは言われても。そうですね……やりたい仕事ですか。うーん……」
アウロラは口を尖らせながらページをめくる。
選びかねているようだ。
邪神的に、いくつかお勧めの仕事はあった。
要するに、「やらかしてもクビにならない職場」「賄いがついていて食える職場」「現場が変わらない職場」だ。
神術を使ってアウロラの適正値を解析し、助言をしてやることもできた。
だが、進路選択は本人の希望が第一である。
押し付けられると反発する。向いている向いていないは二の次だ。
余計なことは言わない。
「女子の憧れの仕事第一位、でしょ」
「将来安泰な仕事第一位、と」
「合コン受けのいい仕事第一位、あらまあ一体何冠取る気ですかこの仕事」
そんな八方よしの仕事があっただろうか、と邪神が訝りながら尋ねる。
「それでいい。職種は何だ」
「聖女のお仕事です!」
アウロラは満面の笑みで答える。
どうやら邪神は彼女に渡す本を間違えていたようだ。
このお仕事図鑑、全面的に聖女を推していたのである。
何なら20ページにわたり聖女の特集まで組んである。
収録されている全職種の中で高収入、高待遇、人気も抜群!
何度パラパラやってもアウロラのページをめくる手はそこで止まる。
「高待遇は嘘だな」
離職率より死亡率のほうが高い仕事だ。ブラックにもほどがある。
「聖女でいいじゃないですか」
「それ以外!」
「聖女の何がそんなにダメなんですか」
アウロラは頬を膨らませて逆ギレしはじめた。
面と向かって言われると、邪神も彼女を論駁するネタに困る。
「聖女とは神様に仕え、悪を打ち払い、法力によって人々に恩恵をもたらす仕事です。私は聖女の仕事に誇りを持っています。あなたのことだって、きっと更生させてみせます。はっ、まさか更生したくないからって私に他の仕事をさせようと!?」
「昨日死にかけておいてよく呑気にしていられるな」
こんな調子だが、邪神は彼女の命を案じていた。
彼女には致命的な欠陥があり、聖女を続けていてはいつか命を落とす。
昨日のようになりふり構わず法術を使う現場を見てしまったら、なおさらだ。
早急な自立と生活能力の向上、そして転職を検討してほしかった。
「そう意固地になるな。職業経験や知識を身につけることは聖職者の修行にもなり、聖女として一回りも二回りも成長もできるだろう。軽い気持ちで臨んでみるといい」
邪神はいかにも親身になってます的な口調でアウロラに語りかける。
彼は口先だけで詭弁を通すことにも長けていたが、アウロラは上手だった。
「聖女以外やるつもりないんで」
「仕方ない、これを見ろ」
邪神は事前に用意していた「自立支援スタンプカード」を掲げて見せる。
子供はこのようなスタンプやシールの類にめっぽう弱い。
「何ですかこれ」
「あんたが何かできるようになるたびにここにスタンプを一つ押す。このスタンプひとつで1年、終末を延長してやる。悪い話ではあるまい」
「1つ10年でお願いします。ポイント2倍デーとか10倍デーとか入れてください」
アウロラは乗っかってきた。
「では1つ2年だ。契約神アウレリウスの枷に誓う」
邪神は契約を遵守するつもりがあるようだ。
アウロラは計算する。
それって、頑張れば百年ぐらいは簡単に稼げるのでは……!?
「俄然やる気が出てきました。私の頑張り次第で人類は安泰です」
「そういうことになる」
「ではまずこの調理師とか」
「確かに、食は人生の基本だからな。悪くない選択だぞ」
「邪神さんのごはん、おいしいので……。私もお返しにあなたに作って差し上げたいんです」
もじもじと俯きながら、アウロラは健気なことを言っている。
その健気さは微塵も伝わらなかった。
「まあ俺以外に食わさないほうがいいだろうな」
聖女であるアウロラと同様に、邪神も食中毒などにはならない。
とはいえ、それを一般人に食べさせると早晩人死が出そうだと予想はできた。