5話 【先手1】デートついでに人間観察しましょう
『天門を開き渡界せよ』
邪神はそつなく転移術を使い、二人は先程いた拠点の民家からマリーノ・デル・マーレという港町の高台に飛んだ。
爽やかな海風がアウロラの銀髪を揺らす。
快晴の空に、白い雲がたなびき、波立つ青い海が陽光に照らされて輝いている。
穏やかに揺れる港の埠頭には、大小の様々な漁船が停泊していた。
「離れろ」
アウロラは木登りをするように邪神にしがみついていた。
「転移術が怖くてこうなっちゃったんです。発作です発作」
「そうはならんだろ?」
「ケチケチしなくてもいいじゃないですか」
舌打ちをしながらアウロラは邪神から離れる。
「ここがあんたの故郷か」
「はい! 一瞬でこんなに遠くまで来れるなんてさすが私の推しの邪神さんです」
「推さないでくれ。俺は嫌われたいんだ」
それをアウロラに言っても無駄だった。
「ともあれ久々の里帰りです。わー、変わってないなー。やーっほー!」
アウロラは故郷を懐かしむように高台の下を見下ろしていたかと思うと、腹からの大声で叫んだ。
『誰も我を見てはならぬ』
邪神は人々が振り向く前に認識阻害の神術を纏う。
彼と繋がっているアウロラにだけは彼の姿が見えていた。
「何故ここで注目を集めようとした? ここで俺の姿を見たらどうなると思う?」
「大変です。皆が尊死します。大量虐殺ですね、気付きませんでした!」
「邪神を見て尊死するのは世界広しといえどあんただけだ」
アウロラの感性は独特だった。
「でも今、邪神さん素顔ですし普通に超絶美形カップルに見えるんじゃないですか?」
「……勝手にカップルにしないでくれ」
「さ、邪神さん。時間が勿体ないです。姿消してていいのでとっとと観光行きましょう」
「“独り言”に気をつけろよ」
アウロラは邪神を連れてぶらりと町歩きを楽しむ。
美しいもの、珍しいもの、活気のある市場、有名な建造物を訪れる。
人間社会や文化を熱心に邪神に紹介し、興味をもたせようとしてくる。
邪神は土地の地理文化風俗の全てをアウロラとは比較にならないほどの解像度で知りえていたが、彼女があまりに嬉しそうに故郷の自慢をしているので不本意にも聞き手に回っていた。
「邪神さん、疲れましたよね。少し休憩しましょう。そこのお店でジェラート食べませんか」
「あんた、買い物ができるのか?」
「失敬ですね。買い物ぐらいでき……あっ」
無一文であることを思い出したアウロラである。
「でも銀行には今月の給金があるはずなので、おろしてきます! あっ、通帳を忘れました。身分証明書もありません。僧服もありません。杖もありません。何もありません」
「次から財布とハンカチぐらいは持参しろ」
相変わらずのポンコツぷりに閉口しながら、邪神は財布からアウロラに金貨を渡す。
彼女は人には見えない邪神のために、長い行列に並んでジェラートを二つ買ってきた。
「買えましたぁ! あっ!?」
彼女は走ったので何もないところで躓いて、ジェラートを放り投げてしまった。
邪神はため息をつきながら二つとも無事に回収し、アウロラに渡す。
「ありがとうございます。これ、一つは邪神さんの分です。二人でお揃いのフレーバーにしました。イカスミ味です」
「食べ物を持って走るな。他の人間はともかく、あんたは必ず躓く」
「ふふ、邪神さんってお父さんみたいなことを言いますね」
二人はジェラートを食べるために防波堤に登り、少し距離をとって座る。
というか邪神が距離をとった。
彼女は大切そうにジェラートを舐めていた。
イカスミ味は不人気だったが、彼女は全く躊躇せず買った。
邪神に食べ物の好き嫌いはないので、彼に不満はない。
「私にも親がいたら、邪神さんに両親を紹介できたんでしょうけど。多分死んじゃったので」
「どう紹介するんだ」
「私の推しなんですって」
もしその状況が叶えばさぞかし両親とやらは不安になるだろうな、と邪神は想像する。
「親に会いたいのか?」
「え、私の親って生きているんですか?」
「両親とも健在のようだが」
邪神はアウロラがジェラートの行列に並んでいた間に町全体の人的ネットワークを通じて走査神術を構築し、アウロラと近縁の遺伝子を持つ者を数名特定しつつあった。
邪神はアウロラの頭の上に手を伸ばす。
『この者の血脈を紐解き、邂逅せしめよ』
その気になれば、親族だろうが両親だろうが、居場所を突き止め引き合わせることなど造作もない。
「あ、やめてください。それなら探さなくていいです。生きているなら両親は私を捨てたか、いらないと思ったのでしょうから。会っても話すこともありませんし……捨てた理由をきくのも怖いので」
聖女の素質は遺伝するので、両親、あるいはどちらかが聖女か聖職者の可能性は高い。
国中の聖職者を根こそぎ当たれば何か手がかりが掴めるかもしれないが、アウロラは探さないことを誓った。
「いらん世話だったか」
「いえ、気にしないでください」
アウロラは困ったように微笑む。
「分かった」
邪神は軽く両手を打ち合わせ、走査神術を中断した。
彼の周囲に張り巡らされていた透明な光の回路が消失してゆく。
「両親がいなくて寂しいと思ったことはありません。でも……私も他の子供達のように、大切な誰かに愛されたいとは思っていました」
道端で手を繋いで家路につく親子や、幸せそうな家族を見たときに、アウロラはふとそう思うのだ。
「その大切な存在とやらが、親である必要もないだろう」
アウロラははっとして邪神を見つめる。
慣れた所作でジェラートを食べながら、彼はアウロラに訥々と助言を送る。
「これからそういう相手を見つけてはどうだ。それはあんたの未来の伴侶や、子供や、親友であるかもしれない。人間はそうして大切な何者かを見つけて支え合っているようだ」
「そんな相手が見つかるのでしょうか」
「せいぜい見つけろ」
「ふふ、その口調だとかなり先まで仕事をする気がないとみました」
二人でぽつりぽつりと、とりとめのない会話をしながらジェラートを食べ終わる。
ちょっとだけデートらしくなってきた、とアウロラは微笑む。
「さ、行きましょうか!」
「口についているぞ」
「え、どこですか? 鏡持ってきてないです」
邪神は仕方なくアウロラの唇についたジェラートを、親指の腹でそっと拭って汚れを分解する。
ついでに、海風で乱れきったアウロラの長い三つ編みを素早くきれいに編み直し、襟のリボンを正した。
至近距離でそんなことをされると、アウロラも挙動不審になってしまう。
「何でそんな器用なんですか?」
「あんたが不器用すぎるんだ」
誰かにそうやってあげていたから器用なのだろうか、とアウロラは少し彼の過去を詮索してしまう。
「邪神さんは、誰かを好きになったことはありますか。人間でなくていいです」
「あるわけがない」
「一度も?」
「ああ」
「それなら、邪神さんにもいつか、大切な誰かが現れるといいですね」
「何を言っている?」
変な空気になってしまったので、アウロラは付け足すように述べる。
「あ、そう思うのは人類のためにもですからね!」
二人はそれからも町歩きを続けるが、アウロラは私服なので、人々には聖女だと分からないようだ。
聖女だ何だと持て囃されても、服を脱ぐだけで分からなくなるなんて。
彼女は少しだけ「聖女でなければいらない子なのかな」と感傷に浸る。
日が暮れて町に明かりが灯り、人々が家路につきはじめる。
アウロラにも郷愁はあれど、帰る場所はどこにもないように感じる。
その辺で日向ぼっこをしていた野良猫らしき猫も、家に招き入れられていた。
(いいなあ、皆は……帰る場所があって)
そしてアウロラを街角に残し、周囲には誰もいなくなった。
アウロラが置いていかれたような気分になっていると、認識阻害を解いた邪神がアウロラの肩に手を置いて告げる。
「俺たちも帰るか」
「え?」
「帰りたくなければここに置いていくが」
「帰ります、帰りたいです。おうちに帰ります! そうか……」
たとえ仮住まいであっても、帰る家があるというのは心が安らぐ。
アウロラは満ち足りた気分になり、転移術に巻き込むために彼女の腰に手を回す彼にそっと寄り添う。
邪神らしい変装と衣装を脱いだその身は、昨夜より温かく感じた。
「夜は何を食べたい」
「あ、そうだ! 美味しいパン屋さん、寄って帰ってもいいですか。まだギリお店あいてるはず」
「あんた無一文だよな……」
「今度返しますから!」
アウロラのお気に入りのパン屋は、ギリ営業していた。
「これは何人分だ?」
「二人ですね」
余裕で五人分はありそうなパンの量を、アウロラは買い込んだ。
この味が懐かしくてつい、とのこと。
邪神と二人で食べることを想定してしても、アウロラは健啖家である。
買った荷物は全て、さりげなく邪神が持つ。
アウロラが悪びれて少し持とうとすると、また転んでひっくり返すだろうからと断る。
「人間観察、楽しんでいただけましたか?」
「大した見ものでもなかったがな」
「ふふ、そうですか。でも私は楽しかったです。今日一日、付き合ってくれてありがとうございます」
邪神に人間観察をしてもらうつもりが、自分中心に引っ張り回してしまった。
私ばかり幸せで、次は彼の好きなものを聞き出してもっと楽しんでもらわなくちゃ、とアウロラは反省する。
『天門を開き渡界せ……』
「海から魔物が出たぞー!」
邪神が神術を発動させていると、町の人々の叫び声が聞こえた。
各家や店舗の門扉と鎧戸が閉められ、警鐘が打ち鳴らされる。
アウロラに緊張が走る。
「た、大変です……! なんてクソ現場に」
数年に一度、町を守る結界が破れて大型の魔物が町に入ってくることがある。
まだ転移が終わってなくてよかった、とアウロラは身構えて周囲に目を凝らす。
「固く戸締まりをしていれば被害は少ない」
「被害は少ないって……それでも人が何人か虐殺されるんです」
「ただの捕食だ」
邪神は今は人を手にかけないが、小規模な魔物の被害も無視している。
人が事故や災害で死ぬのも、魔物の捕食で死ぬのも同じだと考えている。
「邪神さんは、私を助けてくれたのに他の人を助けないのですか?」
「当然だ。あんたが魚を食うように、魔物も人を喰う。それが自然の営みだろう」
「……っ、そうでした。あなたはそういう方なんですよね!」
「俺は人類の敵だと言ったはずだ」
その言葉に、今更のように信憑性が生じる。
「分かりました。私は行きます」
魔物が出たなら、いかなる脅威であろうとそこに聖女は駆けつける。
勝てても負けても、例え死んでも駆けつける。
自分もその一人でありたい。
アウロラはポンコツで奔放な聖女だが、人を助けたいという信念だけは一途なものを持っていた。
彼女は邪神を背に、助けを求める人々のために海岸めがけて一心不乱に走り出した。