4話 【先手1】素顔が見たい!
翌朝、アウロラが目を覚ますと彼女は邪神の上に体ごと乗っていた。
「わふっ!?」
邪神は一睡もしないと言っていたが、ずっと下敷きにしていたのだろうかと顔から汗が出る。
彼女を起こさないよう、この体勢で耐えていたようだ。
「ご、ごめんなさい。何でこうなってます? 事案ですか?」
「勘違いするなよ。あんたが乗ってきた」
「うそ、私って寝相悪かったんですね」
生きていて一度も寝相の悪さに気づかなかったのか、と邪神は念入りに確認してくる。
「いびきとかかいてました?」
「それよりは歯ぎしりだな。あとはすぐ腹を出して寝ようとするからしつこく布団をかけていた」
「本当にごめんなさい……」
「これを見ろ」
彼が手にしているメモは、アウロラの寝相メモのようだ。
夜驚。
歯ぎしり。
布団を蹴る。
180度回転する。などなどの観察記録がある。
「何ですかこの人、やばくないですか」
「あんただよ」
何だか色々と迷惑をかけた気のするアウロラであった。
聖女としての修行時代、誰もアウロラの相部屋になりたがらなかった理由が判明する。
「あまりこの状態が続くようなら医者にかかったほうがいい。主には歯科だ」
「そんなにですか」
「ひとまず朝食だ。朝日を浴び、咀嚼をすることによりセロトニンを活性化させることができるからな」
邪神は昨日と同じく栄養満点の朝食を準備し、庭のテラスに運ぶ。
朝日を浴びれば蒸発しそうなルックスの邪神に給仕されながら、アウロラはまだ頭の整理がつかない。
二人は朝日の燦々と降り注ぐ山頂のテラスで小鳥のさえずりのなか、爽やかに朝食をいただく。
「あ、このロイヤルミルクティーもう一杯ください。砂糖は四杯で」
「一杯にしろ。血糖値が飛ぶぞ」
「砂糖が溶けるうちは何杯入れてもOKって教官が教えてくれました」
「300グラムぐらい溶ける計算になるが本当に合ってるのか?」
紅茶に対する砂糖の飽和量をざっと計算してドン引きする邪神である。
「そういえば私達、何をしてるんですっけ」
「……あんたは俺の討伐にきたんだろ」
美味しい紅茶を小洒落たカップに注ぎながら、邪神はアウロラの目的を思い出させる。
「それそれ、そうでした! 討伐はもういいです。私は邪神さんを更生させたいんですから!」
アウロラはベンチから立ち上がり、びしっと邪神に指先を突きつける。
邪神はアウロラが肘でひっくり返しかけたティーカップとフォークを同時にキャッチする。
アウロラの動きに気をつけていないと、食事のたびに食器が割れて全部なくなるのも時間の問題だ。
「俺もあんたを自立させたい。多くは望まない、食事のたびに食器を割らないとかそういう基本的なことができてほしい」
「お互いにやってほしいことがあると。では一日おきに攻守交代するのはどうですか?」
「一日おきにするのがよくわからんが、まあいいだろう」
「先手後手を決めましょう。じゃんけんで!」
アウロラが先手、邪神が後手になった。
「では私が先手ですので今日は一日、邪神さんには私の言うことをきいてもらいます」
「できる範囲でな」
「まずは軽く質問していきたいです。んー、あなたが邪神さんこと、タクサンアッテナさんですね?」
クリップボードにカウンセリング用紙らしき紙束を挟み込みながら、聖女はすっかりカウンセラー気取りだ。
「生年月日、年齢、出身地は秘密で、ご趣味はなくて、ご家族もお子さんもご親族もなく、職歴も秘密で、好きな食べ物も音楽もなしと……虚無ですね。生きてて楽しいですか」
「質問は終わりか」
「質問、まだあります。邪神さん、あなた変装してるでしょう!」
肌の質感が生物のそれではないことにアウロラが気付いたのは、髪を乾かしてもらっていたときだ。
何となく皮膚をつまんでみると、まるでゴムのような人工物の質感だった。
「だったらなんだ」
「その衣装とメイクを取ってみてください」
邪神の中身を見たい!
これから暫く一つ屋根の下に暮らすのだから、早急に素顔を見せてほしいアウロラである。
「絶対見せない」
アウロラを風呂に入れるときでさえ、着衣のままだった彼のことだ。
素顔を見られるのは相当嫌なのだろうと推察できる。
「お、口答えですか? 先手の言う事は絶対ですよね?」
「王様ゲームではないんだぞ」
「では伺いますが、いったい何故そんな格好をしてるんです」
いつまでも答えを待たれていたので、邪神はため息をついて白状する。
「人と関わりたくないからだ」
「手遅れですけど?」
「は?」
アウロラはまっすぐな瞳で邪神を見つめる。
「私は邪神さんに興味と好感と愛着と尊みを感じてしまいましたけど?」
「何でこの短期間にそうなった」
「だって、悪ぶってても本当は人がいいのバレバレですし。邪神とはいえ神様にお会いしたのも初めてなので、聖女的にはあなたのことを推していきたいんです」
「神なら何でもいいのか。少しは選べよ」
「選べるほどいないんですって。公式の供給が少なすぎてもう何でもいいです」
アウロラは照れながら、使い込んだ宗教絵画集を取り出した。
ペラペラとめくる画集にはびっしりとふせんがついている。
この聖女、重度の神様オタクであった。
「こんな感じの新衣装はどうですか。この清楚で尊い感じ。太陽神様とか雷神様とか炎の神様とかみたいなの。きっと似合いますって」
「断る」
「わーってます、わーってます。初めてのイメチェン、不安ですよね。調子に乗ってるって言われないかとか、笑われないかとか。悪いようにはしません。ちょっとした気分転換、コスプレだと思えばいいんです」
邪神はあれこれとページをめくりながら勧めてくる彼女に、微妙な気分になっていた。
というのも、その画集に掲載されている神々の3割ほどは彼で、アウロラが特に推しと言っている神は10割が過去の彼だった。
創世期には職能神を努めたこともあった彼は様々な名前を持っていて、顕現した時の装いも様々だった。
「服飾や化粧には意味がある。人々に権威を示したい神は敢えて格式の高い礼装を纏うし、邪神である俺は、敢えて人に不快感を与える装いをしている」
「神様と聖女なんて、もはや一心同体みたいなものじゃないですか。私の前では素直になってくれていいんですよ」
アウロラは全くとりあおうとしない。
「さてはあんた、蓑虫の蓑を取って中の虫を見ようとするタイプか?」
「さらにはカラフルな紙くずで着せ替えしようとするタイプです」
余計にたちが悪い。
アウロラいわく、隠されるほど中身を見たくなるという。
「よく考えたらですよ。邪神さんは私の中身をじっくり見てるんですよね?」
「洗って傷を治しただけだ。見たくて見たわけではない」
「見たは見たでしょう。なら私にも見る権利があります。言う事を聞かないなら後手の日に私も一切言う事聞きませんからね。さあ、自分でメイクを落とすか、私に皮膚や毛髪ごと剥がされるか選んでください」
脅迫に屈した邪神は、その場でメイクを落として正体を現す。
今にも腐り落ちそうに見えた病的な灰色の肌も、黒く汚染され血走った灰色の瞳も、骨のような肌の突起も全てが偽りだった。
真の姿を見せた邪神に、アウロラは声を失い見とれてしまっていた。
邪神は口をパクパクさせているアウロラの視線を煩わしそうにする。
たった一目で彼女を虜にした彼の姿がどんなものかは、彼女のみぞ知る。
「危ない。尊死するかと思いました。死因は急性尊死です」
過剰な反応をみせるアウロラを、邪神は警戒していた。
殊に、聖女は神に対する感受性が高く傾倒しやすい。
邪神のことも極限に美化されて見えているに違いない。
聖女には一般人には見えない神気も見えるので、さぞかし輝いて見えることだろう。
「邪神さんって太陽神様そっくりですね。超絶美形じゃないですか。太陽神様のコスプレしたら似合うと思いますよ」
そりゃ同一人物だから似合うだろうな、とは言わない邪神である。
「こんなに尊いお姿をしているのに何で人に嫌われたいんです? 一体何があなたを追い詰めているんですか。人間に酷いことでもされたんです?」
彼女は悲しげに、彼が人を遠ざけたい理由を詮索する。
何故ここまでひねくれてしまったのかと問いただしたいのだ。
「何か勘違いをしているようだが、俺は人類の敵だぞ」
「……っ!?」
アウロラは肌に痛いほどの威圧を感じた。
彼は今、アウロラに危害を加える意志を鮮明にしている。
「遠からず人類を絶望の淵に陥れる。破壊と殺戮が俺の存在理由だ。侮るなよ」
超絶美形の素顔で凄まれると、あたかもそれが彼の本心のように聞こえる。
「そのイベント、いつやるんです? 今日明日ですか、十年後ですか、千年後ですか?」
「まだ決めていない。だがいつかやる」
「実は面倒に思ってるとかですか」
アウロラは見逃さなかった。揚げ足取りには長けている。
「然るべき時を見極めているだけだ」
「終末はどんな感じでやってくんですか? やっぱ蝗による大飢饉とか、業火で焼き尽くすとか、地震も捨てがたいですか」
「詳細は決めてない」
もはややるやる詐欺である。
昨日家庭菜園に多年草の苗を植えていたところを見ると、あと数年はないなと察するアウロラだった。
「じゃ、私と一緒に終末の予定、決めていきましょう。大事なことは一人で決められないタイプなんですよね?」
「……あのな」
邪神を捕まえて終末の詳細をもっと詰めろとは、怖いもの知らずのアウロラだった。
「ちなみに人間のこと、そんなに嫌いですか?」
「愚問だ」
「では……馴れ馴れしくされて嫌だったんですね。すみませんでした」
アウロラは唇を強く噛み締めながら俯いている。
さすがに怯んだかと邪神が思ったのも束の間のこと。
「これだけは言っておきます。……人のことは嫌いでも、私のことまで嫌いになってほしくないです」
「語順が逆ではないのか?」
彼女は鈍感力も高いうえ、人並み外れた図々しさも兼ね備えていた。
この空気の中、手始めに街に行って人間観察をしませんかとアウロラは邪神を誘う。
脅された直後に親睦を図ろうとするあたり、怖いもの知らずだ。
「お出かけするなら、おしゃれをしなきゃですよね!」
彼女は手持ちのボードの用紙にサラサラと絵を描くと、「これです」と言って邪神に掲げて見せた。
「邪神さん、こんな服作れます?」
「その画力では何がどうなってるのかわからん」
アウロラの絵が下手すぎて服なのかどうかすら怪しい。
邪神は密かに基礎デッサンの本を本棚から取り出す。
終わっている画力を改善させるためにいつか課題をやらせようという魂胆だ。
「……芸術性が高すぎて神様にも伝わりませんでしたか。私の才能が怖いです」
ファッション雑誌を楽しそうに繰っては、ページにしおりを挟んでいる。
邪神は彼女の選んだ服を物質創造で拵えてやると、満面の笑みで受け取った。
「わあ、着替えてきまーす!」
「待て」
アウロラがすぐにも脱衣場で着替えようとしていたので、邪神は彼女の肩に手をかけて止める。
「やめておけ。着替えられない」
「……? さすがに着替えぐらい自分でもできます」
物理的な障害があり服を交換できないと気付いていないのはアウロラだけだ。
「ふんっ! ふんっ!」
服を引っ張ったり袖を引っ張って五分ぐらい頑張ったが、無理なものは無理だった。
「言わんこっちゃない。袖が伸びるぞ」
「邪神さん、意地悪ですよ。できないならできないって言ってください」
「警告はした。よくそんなので生きてこれたな。空間概念が全くないのか」
邪神はもうあれこれ億劫になって、手錠と鎖を破壊しにかかった。
「千切るぞ」
「だめですって!」
邪神は千切った後、猛烈な違和感に襲われる。
アウロラの首と自らの首が、意図せず透明な光で繋がれた。
「は!?」
アウロラの首に黄金の術痕が刻まれ吸収され、黄金のネックレスのようなタトゥーとなった。
邪神の首にも違和感がある。彼は一つの可能性に思い至った。
「アウレリウスの枷……まさか本物だったのか?」
聖遺物は殆ど遺失されるか偽物とすり替わっているが、ごくたまに本物の聖遺物が発見される。
その一つを引き当てたアウロラの強運ぶりに恐れ入る。
契約神アウレリウスとは、現在はこの世界を去った契約を司る職能神であった。
どんな効果が付与されているのかは分からないが、契約の絶対遵守くらいは仕込んでいるだろう。
現物が破壊されたら、概念で束縛するというトラップが用意されていた。
そういえばあいつ陰湿な神だったな、と邪神は思い出す。
「私達どうなっちゃったんです?」
「概念の鎖に囚われた。俺とあんたの存在が束縛されている」
「わ、やっちゃいましたね! 緊縛術ですか?」
アウロラは逆にテンションが上がっている。
「俺は束縛と言ったからな」
「私達、これで晴れて両思いですよね! 邪神さんの首にも同じタトゥーがあるんですね!?」
アウロラは何かを盛大に勘違いしていた。
アウロラの目には、概念の首枷ですらお揃いのタトゥーのように見えるらしい。
「まあいい」
枷が現物から概念になったことで、アウロラは服も着替えられるし、互いに距離を取ることもできる。
手錠が概念の首枷になって、互いに離れ離れにはなれないのを気にしなければ、一応日常生活に支障はない。
邪神は変装すれば首のタトゥーも隠れる。
アウロラも僧衣が詰め襟なので問題ないだろう。
「これ、邪神さんにも外せないんですか? ふふ、大枚はたいて買った甲斐がありましたね。詐欺かと思いましたが信じてよかったです」
「外せるが、場所が首だからな。いじりたくない」
どのような効果があるのか調べてから外すべきだ。
「解除しようとして爆発したら死にますもんね」
不死身の邪神はともかく、アウロラは即死かもしれない。
復活させてやることもできるが、面倒だった。
「さらにトラップが用意されていたらと思うとな。仕方ない、あんたに暫く付き合ってやる」
「付き合っているだなんて大胆ですね……」
「付き合ってやると言ったからな」
アウロラは胸に手を当て何やら感激しているが、何から何まで間違っていた。
「数理センスもなければ語学も苦手か。一体何なら得意だっていうんだ」
邪神は彼女のポンコツっぷりを嘆かわしく思う。
本当に戦闘以外は何もできないようだ。いや、戦闘もできなかったなと前言撤回する。
「ふふーふー」
アウロラは鼻歌交じりに着替え終えると、鏡の前にしがみついて離れない。
右往左往する小動物のような動きだ。
「なんだろうなその動きは」
愛嬌があるのか不気味なのか判断しかねた。
服を替えるだけで何がそんなに嬉しいのか、と邪神は冷めた目で眺める。
「私いつも僧服を着ているので、こういう普通の女の子のかわいい服って憧れだったんです。私の願いを叶えてくださってありがとうございます。さ、次はあなたのお着替えですよ」
「着替えない」
「私が先手なんですよね?」
その一言は万能だった。
結局、彼はアウロラの選んだ服に着替えさせられた。
「邪神さんもよくお似合いです! マジ尊……すみません。浮かれてしまって。初デート、どこに行きましょうか」
「デート?」
「に、人間観察です! 言い間違えました!」
初デート、もとい初人間観察はアウロラの生まれ故郷でということになった。




