3話 早速お世話されてます!
湯上がり肌の聖女に清潔なバスローブを着せ付け、椅子に座らせて水分補給をさせながら、邪神は慣れた手付きで髪を乾かす。
「この謎ドリンクすごくおいしいです」
「梅はちみつレモネードな。自分が何を飲んでいるかは理解しよう」
「あれ……?」
聖女は心地よい温度の熱風を操りながら髪を弄んでいる邪神の手にふれる。
彼の肌の手触りに、違和感があったのだ。
聖女は邪神の手の甲を撫でたりつねったりしてみる。
「どうした、熱風が熱かったのか? 何がしたいのか口で言ってくれないとわからん」
「いえ温度は最適です。私、わかっちゃいました」
「何が」
「ふふ……わかっちゃったんですよ」
「気色悪いな」
髪を乾かしたあとは、まっさらに浄化した彼女の僧衣を着付けてゆく。
手錠をされているので互いに服を着ることができないはずだが、そこは神の権能を駆使して強引に着付ける。
少女を裸のまま放っておくわけにもいかない。
何より風邪をひく。
癒やされてもてなされ、肌艶のよくなった聖女に、邪神は暇つぶし用の雑誌を差し出す。
「料理ができるまで休んでいろ」
「邪神さん、そんなにお気遣いいらないんですよ……」
「別に気遣ってない」
邪神は簡易転移術で必要な食材を宙から呼び出すと、キッチンにこもる。
『万物を我が供犠とし得たり』
彼女の希望を聞いてしまったからにはと、意地で海の幸フルコース、ペスカトーレとオイスターのアヒージョ、バターたっぷりのバケット、山盛りのサラダを作って食卓に並べた。
邪神のチートがなければ普通に山菜尽くしになっていただろう。
聖女を食卓につかせ、完璧に食卓を整えてから、邪神はそれを突っ立ったまま見下ろしている。
「あ、ありがとうございます……私のためにわざわざ?」
この邪神、思った以上に世話をやいた。
やはり更生の可能性を感じる……そう確信した聖女は、やってやるぞと密かに決意する。
邪神の手料理とはどんな味なのかと恐る恐る料理を口に運ぶと、聖女は危うく昇天しそうになった。
折角作ってくれたのだからどんなにまずくても褒め倒そうと思ってはいたが、そんな心配は無用だった。
10段階で評価すると1億だった。
ただの料理ではない、ふんだんに神力が含まれている。
そんなの、聖女の味覚には覿面に効くに決まっていた。
「信じられないほど美味しいです。ここは一年先まで予約の取れない大人気レストランですか?」
「空腹だから旨く感じるだけだ」
「またーご謙遜を~」
「それから野菜を食え。緑黄色野菜から逃げるな」
「緑黄色野菜って何ですか」
邪神のリビングの本棚には世界中から集めた古今東西の書籍が整然と並んでいた。
その中から見繕ってテーブルに置かれた一冊には、「0歳でもわかる基礎からの栄養学」、と書いてある。
「邪神さんも一緒に食べませんか。とても美味しいですよ?」
「俺は食事をしない。気にせず食べろ」
「でも、一緒に食べると美味しいですし、見られながらは気が引けて食べられないので。食べるふりだけでもしてもらえませんか」
そう言われてしまったら、付き合わない理由もなかった。
邪神は折れて彼女の隣に座すと、少しだけ食べるふりをして食事に付き合った。
誰かとともに食卓につくのは、もう何千年ぶりだろうか。
「あの……相談なんですけど」
「何だ」
「あ、サラミ載せて下さい」
聖女の話に耳を傾け、焼き立てのバケットを給しながら、邪神が答える。
「相談はサラミの話か?」
「いえ違います。もしよければ暫くここにいていいですか? あなたを邪神ではなく神様として更生させたいですし」
「もしよければも何も、どうせここに居座るつもりだろう。そうだな、俺もあんたに聖女を辞めさせて自立させたい」
「私のこと、気にかけてくださるんですか?」
「全く気にかけてないからな」
言葉とは裏腹に、冷えた水のおかわりをグラスに注いでくれる。
「ありがとうございます! 水のおかわりまで気にしてくださって」
「気にかけていないと言ったからな」
互いの目的は異なるが、相手の世話を焼きたい思いは不思議と一緒だった。
聖女の顔が明るくなり、邪神に無防備な笑顔を向ける。
「ではお互いに離れられない理由ができましたね。一時休戦といきましょう!」
「戦ってない。あんたが襲ってきただけだ」
邪神が訂正しても訂正しても聞いたこっちゃない聖女である。
「申し遅れました、私はアウロラと申します。姓はありません。あんたではなく名前で呼んでくれると嬉しいです」
「気が向いたら」
「あなたのお名前は?」
「色々あってな」
彼は名乗ったことは一度もないが、過去に奇跡を起こし様々な姿で顕現するたびに新しい名前をつけられた。
他の神々からはエルと呼ばれていた。
どうせ最後は全てを滅ぼすのだから、この世界の人々に記憶されないほうが好都合だ。
「イロイロアッテナ?」
「違う」
「では、私が名前をつけてあげますね。邪神なのでじゃ、じゅ、じょ……」
緑黄色野菜をフォークで皿の隅に避けながら、じから始まる名前を考え始めたアウロラである。
ふざけているのかと思えば、眉を寄せて真剣に考えている。
「じーさん、おじいさん、おじぃちゃま……」
「それをいい名前だと思う感性、人間関係で苦労するぞ」
名前はもう邪神でいいということになった。
食事の後、リビングのソファで幸せそうに食い倒れていたアウロラはうとうととし始めた。
時計はもう深夜を回っている。
「まさかここで寝る気か?」
値落ちする前に移動をさせるべきか邪神が迷っていると、ふと目を開けたアウロラと至近距離で目が合った。
「私のこと、見てました? もしかして私のこと、気になります……?」
「気にならない。叩き起こして寝室に連れて行こうかとは思っていた」
「邪神さんも一緒に寝ましょう!」
「一人で寝ろ」
「だって私達、身も心も繋がってますし。どうせ同じ部屋で寝ることになりますよね」
アウロラは互いの左手の鎖をつなぐ指先でくるくると弄ぶ。
言い方はアレだが、互いを繋ぐ鎖の長さ的に同室で寝ざるを得ないのは確かだ。
「寝る前に歯磨きをしろ」
「明日の朝いちにします」
邪神は面倒くさがるアウロラを叩き起こし、歯磨きセットを渡し流しに連れていくと、彼女は寝ぼけた様子で口に歯ブラシを突っ込んでガチャガチャとやった。
そのまま口をすすごうととするので、邪神は歯ブラシを奪い取る。
「待て待て、三秒と磨いてない! 全然磨けてないぞ」
異常に過保護な邪神はアウロラの口を開けさせると、その場で磨いてフロスまでした。
ついでに未治療の虫歯も全て治して歯石の除去もしておいた。
彼は過去に医学と薬学の神を務めていた時期もあり、歯磨きをなめきった輩を許せなかった。
「歯の表面がつるつるになりました。いつもざらざらなのに」
アウロラは手鏡を見ながら感動している。
「いつもこの状態にしろ。歯の健康は人生の質に影響する。齲蝕を引き起こす細菌は血流に乗って全身に感染症を引き起こし、予後はきわめて不良だ。口腔衛生を疎かにするな」
アウロラに知識を授けようとする邪神の言葉を右から左へ聞き流しながら、彼女はどこか懐かしさと心地よさを感じるのだった。
孤児の生まれゆえに親の顔も知らないが、父親とはこういうものだろうか。
明日も磨いてほしいな、などと思いながら。
アウロラが案内されたベッドルームは日当たりがよさそうな客室で、シーツは新品、床には埃ひとつ落ちていない。
できる限り清掃してくれたのだということはアウロラにも分かった。
邪神はアウロラを案内すると、彼女に背を向けて床に腰を下ろす。
「明日は起こさないから好きなだけ寝ろ」
「邪神さん。一緒に寝ませんか。ベッド一つしかないんですよ。ほら、ここ!」
聖女は身をベッドの端に寄せて、ぽんぽんとベッドをタップして邪神の寝るスペースを作っている。
「俺は元々寝ないから気にするな」
「寝ないのに何でベッドがあるんです?」
「たまに迷い込む人間がいるから、休ませる為に置いていた」
遭難者のために部屋をきれいに整えておくなんて、別荘管理人のようだ。
親切にもほどがある、とアウロラは彼を尊く思う。
ただ彼は、外見と態度でとことん損をしている気がした。
突き放す割に、よく世話を焼く。
何がしたいのだろう。
その本性がわからない。
「あなたで暖をとりたいのでここで横になってください。山の夜は寒いのです」
「寒いなら暖房器具を追加するが」
「ほんのり温かいのがいいです。例えば人肌です。あなたが来てくれないと寝ません」
アウロラが懇願するように言うと、邪神は折れてベッドに横たわり、アウロラに背中を向けた。
アウロラがその背中にそっと体を重ねても、邪神は嫌がらなかった。
黒革の装束に包まれた背中は思った以上に温かく、何か心地よい波動が出ていて、彼女はすぐに眠りに落ちた。