26話 【後手24】終焉は突然に
アウロラとイリアが邪神のもとに転がり込んで、約三ヶ月が経とうとしていた。
大神殿長ルシアナの配下の者がアウロラたちを追っていたが、邪神の認識阻害のおかげで二人は見つかることはなかった。
アウロラとイリアはアウレリウスの枷のもと確実に契約を更新し、終末は二百年ほど延期されようとしていた。
アウロラとイリアでポイントを二倍ずつ稼ぎ、勝手にポイント三倍デーなどを作るのだからたまらない。
しかしそんな無茶苦茶をされていても、邪神はごねたりしなかった。
悠久の時の果てにアウロラと交わした約束を見届ける者はいないだろうが、彼は勝手に約束は守るつもりだった。
そんな日々を過ごしながら、邪神は夜明け前、いつものように家庭菜園の手入れや拠点の掃除をしていた。
眠らない彼は、各地の拠点の環境整備、保守点検に加え、家事や手仕事をして朝まで過ごすことが多い。
摘んだ野菜を自宅に盛り込み洗っていると、キッチンの蛇口から落ちる流水が小さな人型を作り、それはみるみる人体ほどの大きさに成長した。
邪神は手を止める。
この質感は魔物ではない。
それどころか、この世界の者でもない。
キャンプの時にアウロラとイリアを見張っていた何者かが、遂に姿を現したのだと理解した。
「エル」
正体は判明した。
彼をエルと呼んだのは、ヴァッソという水神の思念体だ。
異世界から分身を使って接続している。
「何の用だ」
「調子はどうだ」
「いいも悪いもない」
「人間と馴れ合っているようだが、何故だ」
邪神はヴァッソと三千年ほど前に組んで仕事をしていたことがある。
当時は敵対関係にはなかったが、風向きが変わったようだ。
邪神はヴァッソに気づかれないよう、静かにアウロラとイリアの部屋を結界で包み隠す。
異世界に実体が存在するヴァッソは邪神の世界に介入はしてこないだろうが、念のためだ。
二人のことをヴァッソに知られているなら、必ず標的にされる。
ヴァッソは気まぐれに、何度も洪水を起こし文明を滅ぼしたことがある。
治水技術を伝えるためだろうと邪神はヴァッソの行いに目を瞑っていたが、ヴァッソの性質は非常に陰湿だ。
「馴れ合ってはいない。適当にあしらっている」
「何故殺さない」
「あんたは殺しすぎだ。散る花を手折るな。少し待てば枯れように」
邪神は無為なことが嫌いだ。
どうせいつかは滅ぼすのに、それ以前に個別に手にかけたくない。
まとわりついてくる人間がいても、殺そうとは思わない。
「その世界はもう終わらせろ」
「いつ終わらせるかは俺に裁量があるはずだ。急ぎの用でもあるのか」
「お前に召集がかかった」
神々は現在、新しい大型世界の創造のために多くが借り出されている。
主神オメガが召集をかけ、神々を呼び戻すために旧世界の破壊を命じているとのことだ。
特にエルの応召は義務であると告げられる。
「今後は、高度でより発展性のある世界のみ残すことになった」
「つまらん奴が、つまらんことをする」
発展性を追求すれば世界の安定性が犠牲になる。
永遠に発展し続ける世界、それは邪神がすでに四度の失敗を経て通り過ぎた道だ。
進化を加速させ続けた結果、最終的に何もいなくなった。
オメガの不見識を邪神は嘆く。
「そっちの事情はどうでもいい。この世界は用済みだ。一刻も早く終わらせろ」
「それはオメガの意向か」
「そうだ」
「オメガに伝えろ。命令は受諾しない」
彼は躊躇なく主神の命令をはねつけた。
「ほう。オメガに逆らうか。さすがは孤高の万能神エルだ。ではお手並拝見といくか」
それがヴァッソが最後に残した言葉となった。
ヴァッソの思念の抜けた水は床に激しく流れ落ち、キッチンは洪水のようになる。
邪神はオメガと因縁がある。
世界運営方針の違いから過去に何戦もやりあったことがあり、一度も負けたことがない。
一対一なら負けないだろう。
ただ、無愛想な邪神と違って、身内贔屓をするオメガにはヴァッソのような日和見の取り巻きが多い。
数千対一になると少しきつい。
それ以前に、邪神を攻撃するのではなく邪神の世界を破壊してしまうかもしれない。
そうなれば結果的にオメガの勝ちだ。
(オメガがどう出るか)
水音と振動に驚いたか、アウロラとイリアが飛び起きてきた。
「邪神さん、おはようございます。今の音なんですか!? わ、水浸しですね!?」
「水遊びでもしてたんですか?」
「そんなわけがないだろう」
この二人と話していると、邪神は妙な気分になる。
馴れ合っていると言われても仕方がない。
「あれ、なんかこのあたり、邪神さん以外の気配がしません?」
「私も思いました」
「正解だ」
二人は聖女なので、邪神とは異なる気配を感じるのだろう。
「お友だちが尋ねてきたとか。よかったですね、ぼっちじゃなくて」
「ぼっちのほうが気楽なんだがな」
いつもの減らず口ではなく、それは邪神の本心だ。
ぼっちで気ままにやってきたのに、自らより格下の主神に顎で使われる生活には戻りたくない。
「えー。お友達がいたほうがいいですよ」
【時を遡れ】
邪神は神術で床の水を消し去る。
一刻も早くこの場からヴァッソの痕跡を消してしまいたかった。
「今日は邪神さんのターンですよ」
言われてみれば24ターン目。後手のお仕事体験だ。
邪神はそうだったなと思い出すとともに、そんなことをしている場合ではないことに気付く。
「次はお花屋さんの体験をしたいです」
「フラワーアレンジメントがやりたいです」
カルチャースクールのようなノリで、アウロラもイリアもやる気満々のようだ。
邪神はいつもと変わらない二人を見て、切迫した事態をしばし忘れることができた。
「今日はお仕事体験はやめよう」
「邪神さんおつかれですか。ぼっちが急に友達と話すとつかれますもんね。私達でご飯作ります」
「何でも良い。そうしてくれ」
アウロラとイリア、二人の調理によって朝食に並んだのは、ふわふわのオムレツ、フルーツ、ソテーした野菜、手作りソーセージ、手作りパン。
アウロラもイリアも、この三ヶ月でかなり調理の腕を上げていた。
彼女らだけで作った食事を味わい、その出来栄えを鑑みて、そろそろ追い出してもいいのではないかと邪神は心に決める。
「今日の朝ごはんも最高ですね!」
アウロラもイリアも、自信に満ちて幸せそうな表情をするようになった。
幸福、多幸感、安心を示す人間の豊かな表情だ。
邪神がそのように人間の表情を設計した。
邪神は二人に供されたものを賞味し完食したうえで、おもむろに切り出す。
「アウロラ、イリア。あんたらはもう十分に自立のためのスキルが身についている。聖女を辞めても生計は立てられるだろう」
「え、何の話を……」
「お仕事体験は終わりだ。食べたら支度をして、ここを出ていってくれ」
アウロラもイリアも急展開を飲み込めない。
あまりにも急な話だ。
前日まで追い出される予兆すらなかった。
朝いちのキッチンの大洪水といい、今日の邪神は変だと二人は気付く。
「何かご機嫌を損ねることをしましたか」
「俺には感情がない」
アウロラはこの三ヶ月、一度も邪神が怒った場面を見たことがない。
「そうでしたね。お友達が遊びに来るので私達が邪魔とかですか?」
「あんたら二人が邪魔になったかと言われれば、その通りだ」
二人共ショックで食事の手が止まった。
「もう、終末の延長はしてもらえないってことですか?」
「現時点で累計256年だったな。その約束は果たす」
「何があったのか説明してくれませんか。そんな急に……お友達に何か言われたんですか?!」
邪神はこの世界をたった一柱で保守管理、運営しているが、この世界の外には多くの神々がいる。
邪神は神々の長である主神の引き抜きに遭い、この世界はただちに破棄せよとの命令が下った。
邪神はその命令を蹴った。
おそらくは主神の逆鱗に触れ、報復は必至。
邪神が敗北を喫することはないが、この世界を保護できるかは分からない。
最悪の場合、惑星ごと全滅することになる。
二人には簡潔にそう説明した。
「朝から激重な話ですね……で、どこから嘘です?」
アウロラがまたまた、と手を振っている。
「こんな話で嘘をつきはせん」
「神様に長っていたんですね」
「そうだ。あんたらが骨を折って俺と契約をして折角終末を延長していたのにな……こればかりは予測できなかった」
「迷惑な話ですよね」
イリアは恐ろしさのあまり歯の根が合わない。
アウロラが何故そんなに平然としているのか理解できない。
「アウロラ……離れよう。邪神様の足手まといになっちゃう」
「当然私も戦うよ。私、邪神さんの眷属だし、邪神さんが戦うときは一緒に戦う」
イリアは聞き分けたが、アウロラは残ると言ってきかない。
「神同士の戦いだ。人間など一瞬で蒸発するぞ」
「でも、隙をついて攻撃をしたり……こう、得意のギャグで和ませたり?」
「お願いだから空気読んで」
こんな時までズレているアウロラに、イリアは半泣きだ。
「邪魔をする気がないのなら離れていてくれ。あんたらがいると俺も本気を出せない」
長い沈黙の末に、二人は邪神の申し出を受け入れた。
アウロラとイリアは即日、邪神のもとを去ることになった。
永遠に続くかと思われた幸せで長閑な時間は、突如として暗転した。




