21話 【先手4】川遊びから温泉までやっていき
「いつまで寝ている? 何ならこのままもう寝ていてもいいが」
グランピングのテントの中で寝ている二人を見下ろしながら、邪神は声をかける。
バーベキューの後片付けもきれいに終え、石窯も元のように自然に返していた。
優良キャンパーらしく、バーベキューの痕跡は何も残していない。
「はっ!? もう川遊びをする時間でした」
「予定は削ってもいいんだ。振り回されるな。自然を見てのんびり過ごすこともまた、キャンプの醍醐味だぞ」
「それもそうですね……二度寝しよっかな」
邪神は行程をこなすのが億劫なだけなのだが、例によってアウロラはなんだかいい話風に受け止めていた。
「って、そうはいきません。川遊び、とっても楽しみにしていたんですから」
アウロラは我に返って起床し、イリアも往復ビンタで叩き起こす。
「いたたた、何て起こし方するの!」
「おはようイリア。こうしちゃいられない、泳ぐよ!」
「いきなり泳ぐな、溺れるぞ」
邪神は寝覚めに淹れたてのミルクティーをふるまってくれる。
「わあ、お腹にやさしいです」
「あんたら、ところで泳げるのか? 泳力があっても水難事故に遭うときは遭うが、泳げなければ論外だ」
「馬鹿にしないでください。私達聖女ですよ? さっきはカヤックごとひっくり返ったので慌てただけです」
アウロラとイリアの泳力は、聖女としての修行のなかで身につけた。
二人共横泳ぎと平泳ぎができるようだ。
アウロラは法術で水面を凍らせて走ることもできると言っているがそれは泳ぎではない。
「ライフジャケットを着て泳いだことは?」
「ありません」
「なら講習だ」
また蘊蓄タイムが始まったか、とアウロラはもうライフジャケットを脱いで遊びたいが過保護な邪神は許してくれない。
河原に出て、足を水につけたままの準備体操から教えてくれる。
「筋肉が温まっていないうちに水に入ると攣るぞ」
「はあ」
「ライフジャケットを着て川を泳ぐときは、水泳とは違う泳ぎ方で泳げ。下流に足を向けて川の流れに身を任せる。背泳ぎのようにバランスを取るんだ。浅瀬に来たら、うつ伏せになってゆっくりと立て」
邪神は実演しながらアウロラとイリアの泳ぎをみる。
急流から脱出する方法、滝から落ちたあとの水流から脱出する方法などを学ぶ。
「備えすぎじゃないですか? 川遊びしてて滝から落ちること、そんなあります?」
「あるぞ」
「なんだか川遊びというよりサバイバル講習ですね」
「水難事故をなめるなよ。あんたぐらいの年齢の子供が世界中でたくさん死んでいるんだ」
そう言われると返す言葉もないので二人は安全姿勢を学ぶ。
邪神と遊ぶといつも遊びにならず、何かしらの講習や学習になってしまうので少し困る。
楽しむということが抜け落ちた邪神ならではのアクティビティは、さながらブートキャンプのようだ。しかもしっかりときつい。
(今回のキャンプ、邪神さんと親睦深まってると思う? 水着も却下されたし)
アウロラがイリアにひそひそと尋ねる。
(野外活動スキルは上がってる気がする……)
イリアの率直な感想だ。
邪神は女心が分かっていない。やはり感情がないというのはネックだ。
「あっ、何か凄いちっちゃいカニいたよー!」
イリアがサワガニを見つけて嬉しそうにしていて微笑ましい。
彼女は幼少時からあまり自然に触れたことのない街っ子だった。
「サワガニだな。水底にいる貝、エビ、昆虫などの生物を底生動物というのだ。水質によって生物層も違い、水質等級を判断する指標にもなる。食わないのなら行動観察だけにしておけ」
「サワガニはきれいな川に住む生き物なんですね」
「そのとおり」
「あ、ここ魚の群れがあります!」
イリアの報告はまだ常識的なのだが、それに引き換えアウロラと言えば……
「邪神さん、ヘビトンボの幼虫食べてもいいですよね。エビみたいで美味しいんですよねこれ」
「ならばエビを食うか火を通してくれ」
昆虫食の上級者すぎた。
邪神はかつての世界で、ざざむしなどと呼んで好んで食べている人々がいたのを思い出す。
「魚を見つけたら、何がどこにいるかを覚えておくと明日の釣りで役立つ」
邪神が水辺の生き物の生態について解説を挟んでくるものの、二人はなんだかんだ川遊びを満喫した。
急流でも泳げるようになったし、大半の時間は浅瀬で生き物や小魚を見つけて喜んでいた。
邪神はライフガードのようなポジションで二人を監督している。
「遊んだらお腹すきました! カレーを作りましょう」
日が傾いてきたので、夕食作りに入る。
作ると言ってもどこから作れというのだろう、とイリアは少し不安だ。
「水って川の水入れてもいいですよね」
「川の水なんぞ飲むなよ。寄生虫や病原菌に感染するぞ」
「まさか、飲み水を作るところからやります?」
「そのまさかだ」
邪神はサバイバルかブッシュクラフトでもやっているのだろうか。
布や砂利を通してろ過し、水を沸騰させて冷まして飲料水を作る。
作った飲料水を使い、小鍋でコメを炊いてゆく。
「水の節約のために具材から出る水だけを使って無水カレーにすることもできるぞ」
邪神の指導のもと、二人で交互にクミンシードを炒め、生姜とにんにくを投入。
櫛型切りにした玉ねぎをしんなりするまで炒め合わせていく。
そこで鶏肉を炒め、煮込みながらスパイスで整える。
昼はバーベキューだったので、夜はあっさりとトマトチキンカレーだ。
「あれ、本当にトマトとかから水分が出てきました。ところで邪神さん、何でキャンプでカレーなんですか? 水も勿体ないのに」
カレーライスなど、アウロラもイリアも聞いたこともないキャンプ飯だ。
邪神は木の器とスプーンをその場で拵えて二人に渡す。
二人ともよそってもらうと、焚き火を囲いながらいただく。
「何周か世界を巡っていると、必ずキャンプでカレーと飯を欲しがる人間が現れてな」
「そうだったのですか! バーベキュー連発はきついですし、シチューのようにさらっと食べられます」
どこかの世界の人々に感謝しながら、アウロラとイリアはカレーライスを頬張る。
デザートには焚き火で焼きリンゴを作った。
「温泉も手作りでいきます?」
「実は天然温泉のある場所を選んでおいたんだ」
「さすが! 気がききますね!」
日が沈み始める中、二人は着替えとタオルを持った。
「腕を掴んでいろ」
アウロラとイリアが両側から邪神の腕を掴むと、彼は二人を抱えて夕焼けの空に舞う。
邪神に触れていると重力を感じさせない。
「わあー!!」
邪神は空からしかアクセスできない、秘境の温泉へと二人を案内する。
渓谷の山頂近くに位置する湧出地点からは熱い湯が自然にわいて、澄み切った湯は岩のくぼみに溜まって、白い湯けむりが立ちこめている。
眼下に広がる渓谷の水音が温泉の静けさを引き立てる。
「秘湯というやつだ。この断崖絶壁にあるからか、人間はまだ入ったことがない」
「わあ、私達一番乗りなんですね!」
アウロラとイリアは服を脱いで岩肌にかけ、二人で秘湯に入浴をする。
二人とも全裸だが、断崖絶壁の下から眺めても誰にも見えない。
「ちょっと熱いです」
「ぬるめてやるか」
三人で入るには狭いので邪神は入らず、アウロラとイリアに譲って湯加減を調整していた。
「三人でのキャンプ、最高ですね。体の疲れが飛んでいきます」
「邪神様、ありがとうございます」
アウロラは満喫し、イリアは今日一日働いていた邪神をねぎらう。
邪神は二人がはしゃぐ様子を近くで眺めているだけだったが、ふと背後、上空からの視線を感じ、素早く肩越しに神力を放つ。
一撃で仕留めたようで、三人を見ていたなにかは落下をはじめた。
邪神はアウロラとイリアに「ここにいろ」と言い残し、断崖絶壁を飛んで落下物を追う。
空中で仕留めたものをキャッチし、手にとって確認をする。
「何だ?」
邪神には一目で、この世界には存在しない生物だと分かる。
鳥のような形状をしているが、手にするとするりと溶けて消えた。
(見られていた……何に?)
この質感は魔術でも法術でもない。
少女を狙う温泉の覗きでもありえない。
彼は気づいた。
邪神の管理する世界の外から、邪神を監視している者がいる。




