11話 【幕間】アエテル大神殿にて
ここは大都市ノーウムに位置する世界的宗教団体『神聖なる光の集会』の総本山、アエテル大神殿の大聖堂。
三名の神殿長が大祭壇の前に座し、荘厳なステンドグラスからの光が彼らを照らしている。
総本山アエテル大神殿長、ルシアナ。
ディウォルム神殿長、ユリア。
ウェヌス神殿長、マクシミリア。
彼女たちは太陽を示す金の円と、啓示を象徴する青い星を組み合わせた金糸のシンボルのあしらわれた真紅のローブを着ている。
全員が階級6、至聖の叙階を有していた。
最高位の宗教指導者の前に跪いているのは、港町マリーノ・デル・マーレの地方神殿に所属する、階級3の聖女イリア。
階級の低さゆえに一度も足を踏み入れたこともない総本山に突然呼びつけられたイリアは、どんな尋問が始まるのかと戦々恐々としていた。
「聖女アウロラに関する報告を聞きましたよ、イリア」
大神殿長ルシアナは穏やかな笑顔を保ちつつ、イリアを視線で威圧している。
イリアは蛇に睨まれた蛙に息を潜めている。
「信じがたいのですが、当会以外の目撃者も多数とあれば虚偽ではないのでしょう」
イリアは、アウロラの起こした奇跡が後々問題になると分かり切っていた。
死者蘇生の報告は口の軽い町の人々がぺらぺらと話してしまった。
集団幻覚ではないかと仄めかしてみてもだめだった。
「海竜の胃袋におさめられた者まで助かったというではありませんか」
「足が飛んだ者も歩いているとか」
「ありえません」
マクシミリアが信じられないといったように首を左右に振っている。
「修行時代、聖女アウロラは余人を持って代えがたいほどの高度な戦闘法術を修めましたが、その反面一度も治癒法術を使えませんでした。その彼女がそのような奇跡を起こしたなど……何が起こっているのでしょう」
「イリア、くれぐれも報告に偽りはありませんね。宣誓を」
ユリアとマクシミリアに促され、イリアは神に誓う。
彼女の人生において、宣誓を強要されたことはまだ一度もない。
「宣誓します」
宣誓を破れば投獄などの酷い罰が待っている。
何より教義上、天罰がくだるとされている。
「よろしい。我々はこの奇跡を降ろす法術を知りません。しかし死者の蘇生まで叶ったとなれば」
「古の魔導書を持ち出し、魔導に落ちたのではと」
ルシアナの銀の片眼鏡が怪しく光る。
「世に現存する魔導書は全て破棄されているはずですが、至聖の位階にあるアウロラは、興味本位に禁書の棚を閲覧することもできました。治癒法術の使えないアウロラが、その代替にと魔術に手を染めたとしても……心情は理解はできます」
アウロラに魔術使用の嫌疑がかけられた。
それは会に属する者にとって、死罪にも等しい重罪だ。
「お言葉ですが猊下、アウロラに限ってそのようなことは」
アウロラと修行時代をともにしたイリアは、彼女の性格を嫌というほど知っている。
彼女は治癒法術ができないからといって魔術に手を染めたりはしない。
むしろ開き直っていた。
側にいて危ういと感じるほど、アウロラは使命感に燃え、聖女であることに誇りを持っていた。
イリアにはアウロラの潔白を証明する材料もなく、神殿長たちはああだこうだと意見を述べあったのち、結論が下された。
「ヨハネ。アウロラを探し出し、ここに連れてきなさい。尋問をしなければなりません」
聖堂の隅に控えていたルシアナ配下の聖騎士が、アウロラの追手として放たれようとしている。
「イリア。デル・マーレの神殿に戻り待機。アウロラが接触してきたら報告しなさい」
イリアにも命令が下る。
(大変なことになったわ……!)
イリアは冷や汗をかきながら上申する。
「ルシアナ様。帰還する前にアウロラの部屋を検めてもよろしいですか。も、もし魔術に手を染めたのなら、何か魔導書など部屋にあるかもしれません」
「よろしい」
大聖堂を辞去したイリアは、ルシアナの配下の者にアウロラの部屋に案内された。
聖女たちは各神殿の詰め所で寝起きをし、大抵は相部屋だ。
各室には鍵をかけることができない。
最低限の設備。ベッド、テーブル、タンス、燭台などが備え付けてある。
アウロラの部屋に入ったイリアは愕然とした。
(相変わらずだわ……これをこのままにして出かけたというの?)
アウロラの部屋はまたしても雑然として片付いていない。
開きっぱなしの靴下、下着、ちり紙、ゴミ、未返却の書籍、飲みかけのコップ。
タンスから出たままの服。
おかしのくず。
ぐちゃぐちゃのベッド。
「ほんとに……泥棒でも入ったの? でも、アウロラらしいか。何を急いで出かけたんだか」
彼女の生活はだらしないが、修行に対しては一途だった。
だからあんなに力をつけて出世して。
私生活を顧みる余裕もなかったといえばそうかもしれない。
イリアは整頓しながら、テーブルの上に丸められた紙を広げてみる。
買い物リストのようで、様々なアイテムが箇条書きになっている。
「お泊りセット?」
野営の装備だろうか。
しかし野営なら野営と書くはず。
お泊り……? 友人宅にでも行くのだろうか。
イリアは買い物リストに目を通してゆく。
荷物の量から、年単位の滞在を目的としていそうだ。
「契約神アウレリウスの枷……?」
イリアは最後の項目に目をとめた。
契約神アウレリウスの枷とは降伏させた魔物を一時的につなぎとめておくための、法術を凝らした手錠だ。
ちょっとやそっとの値段ではないレアアイテムで、もしこれを買ったとすればアウロラの給料の数年分が消えたはずだ。
「変ね……」
アウロラは至聖級の聖女。
先日の海竜を逃したのは例外だとしても、魔物と一戦交えたなら必殺を図り、その実績は信頼に足りた。
だから、その用途がイリアには理解できない。
値段が値段だけに、ただのコレクション目的とは思えない。
(邪神を拘束するための鎖? アウロラは邪神を発見した?)
背後で物音がしたので、イリアはびくっとして振り向く。
「アウロラ様? お戻りになったのですか……あ、イリア様」
「アグリッピナ! 私よ私。びっくりしたあ……そうだ。ちょうどいいところに。話を聞かせて」
アグリッピナは大神殿に所属する、十六歳のカーマイン色の髪の修道女。
銀縁のメガネをかけている。
イリアとアウロラの共通の友人だ。
彼女は法力に恵まれず、いつまでも下の階級にとどまっている。
忙しそうに掃除道具を持ち歩いていた。
「イリア様でございましたか。今日はどうなさいました?」
「ちょっと上に呼ばれてね。アウロラのことを調べてたの」
「アウロラ様に何か」
「アウロラって、5月の下旬には何をしてた?」
イリアは、アウロラと同じ神殿所属であったアグリッピナからアウロラの動向を聞き出すことにした。
「邪神を探す旅からお戻りになり、通常任務にあたっておいででした」
「それ。邪神は見つかったの?」
イリアは息を呑む。
先日直接会ったときは見つかっていないと言っていたが、本当なのだろうか。
「成果はなかったとご説明をされていました。その後また夢でお告げを受け、再度の討伐にお出かけになりました」
「なんて自由な。ああいう子よね。……相変わらずだわ」
アウロラの奔放さに呆れながらも、微笑ましく思うイリアである。
そう、ポンコツだけどまっすぐな努力家で。
突拍子もないことを言い出して突っ走り、道に迷って行き倒れる。
うんざりしながらも、誰も放っておけないのだ。
そしていつの間にか、最上級の聖女になっていた。
「至聖級の聖女様にはスケジュールや任地選定にも裁量がございますので」
「そうね。裁量を持たせてはいけないタイプだと思うけれど」
「ですよね……はっ、失礼しました」
「ふふっ、その通りよ」
アグリッピナは上役に対して失言をしてしまったが、イリアは見咎めずお腹を抱えて笑っている。
「そうそう、アウロラが5月の下旬に“アウレリウスの枷”を買ったようなのだけど。これ、誰か知ってる?」
イリアはテーブルの上に放りっぱなしになった領収書を掲げてアグリッピナに見せる。
アグリッピナはメガネをかけなおし、「いち、じゅう、ひゃく……」と領収書の桁数を数えて驚いている。
「誰も存じませんでした。これ、とても高価なものですよね。手に入れるには神殿長の許可が必要ですよね」
「……そっか、そっか。誰も聞いてないんだ」
「何か心当たりが?」
「あるかも」
イリアはアグリッピナに笑顔を向ける。
アウロラは邪神か、強力な魔物を見つけたのだ。
それもアウロラが討伐を諦め、拘束し封印しようとするほどの強敵だ。
(何でルシアナ様に秘密にしたんだろう? 邪神を見つけたなんて前人未到の快挙なのに内緒にしておきたかった? 手柄を独り占めしたかったから? ううん、そんな子じゃない)
「手がかりを一緒に探してくれない?」
「勝手に探ってはいけませんよう」
「許可は出てるから」
「本当ですかあ」
イリアはアグリッピナと捜索、もとい片付けをはじめる。
色々と見たくもないものを目撃しながら捜索していると、引き出しの中から意外なものが見つかった。
血のついた包帯である。
「なにこれ。誰の血?」
「アウロラ様のですかね……? ほら、アウロラ様は治癒法術が使えないので」
「そんなの、他の人に治癒法術で治してもらえばいいのに」
聖女は魔物や悪霊の討伐を頻繁に行っているため、派手に負傷をするのはそう珍しくもない。
だが、包帯を巻かなければならない事態にはならない。
負傷をすればその場で治癒法術をかければよいからだ。
だから絆創膏や包帯などは法力を持たない一般人が買うのだ。
「どうなされたのでしょう」
イリアはアウロラを案じる。
そして、もしかしたらという思いもある。
魔術に手を染めてしまって、その代償に出血していたのだとしたら。
その証拠となるものは、誰にも見せられないだろう。
(疚しいことをしていて、見せられない?)
イリアはぎりっと歯ぎしりをする。
そんなイリアをアグリッピナは心配そうに見つめる。
「アウロラを探さなきゃ……。アグリッピナ、このことは黙っておける?」
「は、はい。私、掃除をしていて何も見ませんでした」
「お願いね。そうそう、ここをよく掃除しておいて。血液のついた何かが出てこないように」
「イリア様。アウロラ様を追われるのですか」
血液のついた遺留品があれば、追跡ができる。
追跡はイリアの得意な法術ではないが、できないことはない。
「追うというか……止めないと」
もし悪事に手を染めようとしているなら、彼女を改心させ、道に引き戻さなければならない。
それがアウロラの近くにいた親友としてのつとめだ。
イリアはそう思う。
「そんな顔をしないで、アグリッピナ。きっと見つかるから」
今にも泣き出しそうなアグリッピナの頬に手を触れ、イリアが微笑む。
イリアのミルクティー色の髪がふわりと揺れた。
「イリア様……幸運を」
「そうね。それだけは祈っておいて」
人並外れた不運を持つイリアはアウロラの手がかり、血の付いた包帯と買い物リストをバッグに押し込めると、足早に宿舎を後にした。
外には不穏な気配を孕んだ雷鳴が遠く聞こえていた。




