1話 邪神討伐は諦めます
とにかく明るい話が書きたくて書いてみました。
あっさりとした軽めのコメディです。
人里離れた山頂を切り開いた場所に、ぽつんと存在する一軒家。
そこに、人目を避けて隠居している一柱の邪神がいた。
その日も、全身黒ずくめの皮の装束に、今にも腐り落ちそうな白灰色に朽ちた肌の彼は、
スコップを片手に、馴れた手付きで家庭菜園の手入れに勤しんでいたところだった。
「あなたが邪神ですね?」
そこに颯爽と現われたのは、銀髪青眼にして純白の僧衣を纏った少女だ。
「天命を受け、遥々あなたを討伐にきました」
12歳の少女は、聖女アウロラといった。
「今日があなたの命日と心得……」
「帰れ」
邪神は最後まで口上を言わせない。
スコップで聖女を追い払うようにしっしっとやる。
聖女に背を向けて野菜苗を畑に植え、じょうろで水まで与え、日付と品種名を書いて立て札をたてた。
「え、いや討伐にきたんですけど」
「討伐報告など適当に書け。あんたのところの宗教団体は報告書の提出ですむはずだ」
邪神は聖女の所属する宗教団体の内情に詳しい。
「そんな“やってる感”はいけません。虚偽の討伐報告などもってのほかです。きちんと討伐し、首をこれに入れて持って帰るんですから!」
聖女は登山装備の代わりに、「首を持ち帰る用の箱」を用意してきたようだ。
聖女と呼ばれる特殊な能力を持った者たちが魔物や悪霊などの邪悪なる存在を討伐し、人々の暮らしを守っているという状況は無論邪神も知るところだ。
が、ここ数百年は魔物も悪霊もさして有害な個体は出ていないはず。
討伐しなくてもいいものを討伐したとか禁足地を浄化したとか報告書を書いて、聖女の仕事は成り立っていた。
討伐などいくらでも偽装できるのに、現物を持ち帰りたいとはなかなかバカ正直なうえ度胸が座っている。
「先に言っておくが俺の討伐は不可能だぞ」
「御託はいいのでかかってきなさい」
「かかっていかない」
「ふ、恐れをなしたようですね。私、聖女としては最年少でも、史上最高の法力を持っていますからね! 来ないならこちらから行きます!」
聖女は仕切り直すように聖杖“暁の杖(Virgam Aurorae)”を構える。
その言葉がハッタリではないと示すように、彼女が杖に法力を通じた瞬間、彼女の周囲に極彩色の陽炎が見える。
【来たれ天の恩寵。主の栄光は天に満ち、その御業を地に示し給え……】
彼女は凛とした声で聖句を紡ぐ。
強力な加護を原資に、戦闘能力の高さもうかがえる。
が、邪神視点ではあどけない十二歳の少女が威嚇しながら必死に虚勢を張っているようにしか見えない。
彼女が聖句を唱えている間、彼はのんびりと聖女を分析していた。
(この子は法力の循環様態に致命的な欠陥があるな)
邪神は身構える様子もなく、腕組みをしながら撃ってくるのを待っている。
あまりに舐められ切っているので、聖女は詠唱を中断した。
「な、何を突っ立って。反対詠唱で応戦しないのですか?」
「撃ってくるのを待ってる」
相手の詠唱が始まったら即座に応戦するか、詠唱を妨げようとするのが常識だ。
「あの……あなた本当に邪神なんですよね? 人違いとかじゃないですよね」
聖女の受けた天啓により、確かに彼は邪神だとわかる。
なのに、言動に凶悪さがないので本物なのか自信がなくなってきた。
「邪神だが?」
「なんか、思ってたのと違いますね。これまでにどんな悪事を働いたのですか。白状なさい!」
「そうだな……悪事か」
話を聞いているうちに、聖女の肩がずるずると下がってきた。
というのも、悪事のエピソードがしょぼすぎたからだ。
雨と間違えて自宅に雹を降らせただの。
野菜の肥料を農家に売ったら豊作にしすぎて市場価格を暴落させただの。
焚き火をしようとしたら風に煽られて山火事になっただの。
ダムの壁の補修をしていたら間違えて水全部抜いただの。
「ただの悪意のない自爆か失敗談じゃないですか」
何なら聖女のほうが悪意のない人的被害をやらかしていた。
山積みの始末書に追われた日々を、思い出したくもない。
「故意に与えた人的被害は? 人を楽しみに百万人ぐらい惨殺したとかは? 豊かな土地を干上がらせて荒廃させたりは? 地震や洪水で国を滅ぼしたとかは? 火山を大噴火させたりとかは?」
邪神だというからには、それぐらいはやらかしていそうだ。
「それはまだやってない」
「やってないんですね」
聖女は話がよく分からなくなってきた。
まだ悪事を働いていない邪神を討伐?
夢のお告げに従おうにも、それでいいのだろうかと良心の呵責も起こるというもの。
「こ、これからやるかもしれない」
返答に少し間が空いた。
「……で、ですね。やはり邪神は邪神、いざ尋常に勝負を!」
彼女は迷いを振り切り、今度こそ杖を振りかぶる。
「喰らいなさい」
【“天の白炎”】
彼女は法術を駆使し、聖杖の力を引き出し無数の火球や熱波の連撃を打ち込んでくる。
彼は防御もせず、その攻撃の全てを受け止めた。
全ての攻撃を受けきったのに、ダメージらしいダメージを受けていない。
聖女の法術は邪神の体に当たる前に無効化されているようだ。
「うっ……」
無傷の邪神とは対照的に、聖女の体に激痛が走る。
彼女は分厚い僧衣で隠してはいたが、法術の反動で全身裂傷だらけだった。
「不可視攻撃とは……やりますね」
「攻撃してない。あんた、法術を使うたびに自分で傷ついてるだろ」
「う、うるさいですね!」
「ここで野垂れ死なれても困る。その怪我、治してやろうか」
「えっ」
聖女は息を呑み、胸の鼓動が跳ねる。
怪物じみた邪神の顔を見つめながら、彼女は暫く考え込んでいた。
「いいことを思いつきました。私があなたを更生させれば、邪神を討伐したことになりますよね」
「なるわけないだろ」
邪神を更生させてうやむやにしてしまおうなんて考えるのは、彼女ぐらいのものだろう。
「あんた、ずれてるって言われないか?」
「んなー……! 言われます」
聖女は心当たりがあるらしく、落ち込んだ顔をしていた。
「聞いてみますけど、あなたは邪神とはいえ神様のはしくれなんですよね」
「まあそうだ」
「ですよね。では改心し更生しましょう! 人に感謝されるって気持ちいいですよ?」
「宗教勧誘なら間に合っているし、感謝もされたくない」
聖女の説教だか改宗活動が続く間にも、日は暮れてゆく。
邪神は話を聞いているふりをして、主に聖女にやられた家庭菜園を直していた。
聖女が藪蚊の大群に襲われていたので、邪神は簡易的な結界で追い払ってやる。
「説教はそこまでにして後日出直せ。夜の山中は冷えるし危ないから」
「仮に私が一旦麓の村に帰るとします」
「そうしろ」
「あなたはその隙に逃げますよね。邪神をおめおめと逃がすわけないじゃないですか」
とんでもない強火のストーカーに狙われたものだ、と辟易する邪神である。
殆ど交通事故のようなものである。
「野営の装備も持ってきてないだろ。今夜どうするつもりなんだ?」
「そんなの焚き火でもたきますから」
「焚き火はやめろ。山火事のもとだ。さっきの失敗談を聞いていなかったのか」
「食料も水も現地調達でいいです。川の水や野草やキノコや野ウサギとか食べますし。あと家庭菜園に野菜もありますし。山の恵みというやつですね!」
「家庭菜園から野菜を盗むな。ジビエも生水も怖いんだぞ。最悪命に関わる」
「聖女の加護があるので当たりませんが?」
そのきょとんとした顔は危機感の欠片もない。
「あんたこそ聖女なんてやめちまえ。法術を撃つたびに3割も自身にダメージが入るようでは命にかかわる」
「で、でも歴代最強の聖女って言われて期待されてますし……期待には応えるのが人情っていうか」
「法力のリークがなければな。だいたい、12歳の子供が何で従者もつけずに聖女なんてやってる」
「邪神に語ることなんて……仕方ないですね」
と言う割に聖女は長々と語り始めた。
話を要約できないらしく、同じ部分をループしている。
彼女はある街の孤児であったが、鑑定により聖女の素養を見出された。
それからは生活が一変、聖女としての厳しい修行を完遂し、色々失敗もやらかしたが、今はある世界的宗教団体で世界平和のために奉職している。
「波乱万丈か」
「でも念願の国家資格を手に入れたので今後は安泰です。私、聖女としては最上位の階級なんですよ。食いっぱぐれなしです」
聖女としての就任後は各地を周り土地の浄化や魔物の駆除、悪人の成敗などをしていた。
このたびは西の山脈に住む邪神を討伐しろと夢でお告げがあったので、一人でやってきたとのこと。
「それはお告げではない」
「お告げだって夢の中で言ってましたもん」
「夢の中で聞きましたは論拠になってないぞ」
というのも今、この世界には天啓を下すような神が彼のほかにいないからだ。
彼は邪神だと名乗ったが、その正体は万能神だ。
創世から終焉まで、通り一遍のことは何でもできた。
世界の創造には段階があり、創世期にこそ多くの神々が介入する。
ひとたび世界が完成し成熟期に入ると神々はその世界を去り、他の世界の創世を始める。
成熟後はその時点で最も経験豊富な神が世界に一柱残り、一定期間世界運営を主宰した後、終末にいざなう。
彼はこの数千年というものたった一柱で世界の保守管理をしながら、終焉の日まで人々の暮らしを見届けているところだった。
要するに世界運営の消化試合をしていた。
「でも、やはりお告げは正しいです」
「誰も告げてないのによくここまで来れたもんだよ」
「こうして邪神さんに出会えましたし……信じて来てみてよかったなって」
彼女が打ち明け話をしている間、先程からずっと邪神は聖女に手首を握られ、ぶんぶんと振り回されたりしている。
しかも、いつの間にか呼称にさん付けされている。
「少しは俺の姿が怖いとか気持ち悪いとかないわけ?」
まかり間違って懐かれでもしたら困る。
何とか恐怖心を煽ろうとするも、うまくいかない。
「言葉が通じる時点で怖くないですし、あなた意外とイケボですし。てか一人称俺で二人称あんたなんですね。ちょっと親近感わきますよ」
「我だの爾だの古語で話しかけて通じる知性があるとは思えんからな」
アウロラの教養レベルはかなり低く見積もられていた。
「私は外見ではなく中身が大事だと思います」
「そこらへんの子鹿や野ネズミでももう少しマシな警戒心をしてるぞ」
全く怖がられない。これでは邪神の面目丸潰れだ。
経験と知識のなさから、聖女は彼我の実力の差を分かっていない。
手負いの彼女に更に危害を加えないよう、彼は強大な神力を自身の裡に抑え込んでいたのだが、そんな配慮も知らず彼女はいい気なものだ。
何もかも億劫になった邪神は強制執行で厄介払いすることにした。
「もう付き合いきれない。俺のことは絶対口外するなよ。あと病院に行け」
邪神は恋人つなぎをしてこようとする聖女の手をぺしっと叩いて振り払うと、彼女の足元をすっと指さした。
『地門を開き、彼の者を渡界せしめよ』
彼女を起点に青い光で編まれた高度な神術陣を展開し、転移術に巻き込む。
最寄りの宿のありそうな村の入り口に聖女を置き去りにした。
「え、ちょっと? 邪神さん?」
聖女はぺたんこ座りで道端に座り込む。
寝床に戻るカラスの鳴き声が、辺りにこだましている。
「聖女を無一文で置いてけぼりにするとか、なかなかの邪悪……って」
ふと足元を見ると、宿で数泊するには十分すぎる金貨が置かれていた。
病院代も含まれていそうだ。
しかし聖女の思考回路はどこかずれていた。
「言いたいことは分かりました。次は宿泊の準備をしていきます」
聖女はすげなく追い返されようが、邪神を追うことを諦めなかった。
むしろ冷たくされればされるほど燃えるという厄介ファンだった。