ゲームセット 2
満を野球の世界に引き込んだのは、修二だった。肌に合わないという理由でさっさとサッカー部を辞めてしまった満を、野球部に勧誘したのだ。中学一年生のときだった。
野球だけは、飽き性の満に付き合ってやったらしい。大学に入って辞めたと聞いていたのに、試合会場で満と鉢合わせてさすがに度肝を抜かれた。4 – 9 で負けた。
大学を卒業しても、野球は修二たちを見捨てなかった。運が良かったのだ。修二も満も、大手企業の社会人野球チームにスカウトされた。
「神社を継がなくていいのかよ?」
修二は満に聞いた。満は、大学で神道を学んでいたからだ。
「そんなに、俺と試合するのが怖いか?」
それ以来、満の家の心配をすることは馬鹿らしいので辞めた。
大手企業に雇われたので、収入は安定していた。その上、大好きな野球も出来る。
そろそろ満里にプロポーズをしても良いかもしれない。そんな風に考えていた矢先の出来事だった。
満がバッターボックスに立つ。その口元には、凄みを効かせた笑みが張り付いていた。
考えていることは、テレパシーのように伝わってくる。--次、打つから。
させるかよ。大きく振りかぶった。
「ストライク・ツー」
ストライクあと一つで、ゲームセット。
満の双眼には、闘志の色が浮かんでいた。
何十万回と繰り返した動きを、体が自動的に再現する。振りかぶり、渾身の力で投げた。
白珠は吸い寄せられるように、満の頭部目掛けて飛んでいく。
本能的に察知した満がのけぞる。
何者かが、糸でボールを操ってでもいるようだった。
ボールは、満のヘルメットのこめかみ部分を直撃した。ヘルメットが吹き飛んでいく。
バットを握りしめたまま、満は仰向けにバタリと倒れた。
修二が覚えているのは、そこまでだ。
瞼の裏に刻まれ、夢の中でリプレイされ続ける光景。
我に返ったときには、満は担架で運ばれた後だった。
故意死球を投げたわけはない。平常心で投げたはずだ。
満の右手に麻痺が残ることを知り、修二は悟った。
野球の神様に見放された、と。
周囲が引き留める声も聞かずに仕事を辞めたが、誰も責めたりしなかった。たった一人、満を除いて。満里は、少し悲しそうな顔をしていたかもしれない。
もし、続けたいと思ったとしてもどうせ続けられなかったのだ。
野球という言葉を聞く度に、怖くて手が震えるようになってしまったのだから。
自宅に引きこもり、人の煩悩の数ほどの白球の糸を解いてみた。
中から出てきたのは、鳥の巣にしかならないような色くずと、コルク。
夢なんて--端からそこには詰まっていなかった。
拝殿に戻ると、満が足を投げ出して、ぼんやりと空を眺めていた。
「一日中そんなところに居て飽きないか?」
「修二が馬車馬のように働かされているのを見ていたら飽きないぞ」
働かないのに、口だけは一人前だ。
拝殿から祝詞の声が聞こえなくなった。初節句祝いのご祈祷が無事終わったのだ。
スーツ姿の女性が幼児を抱いている。
幼児は、修二と満を交互に見て嬉しそうに声を上げて笑った。
「かわいいもんだな」
満が、素直な感想を呟いた。
「女を散々泣かせてきた男が言うセリフかねぇ」
満の周囲には、いつだって女の影がちらついていた。
野球青年で美形ともなれば、スポーツ好きの女の方が放っておかない。試合の度に追い駆けてきた満ファンクラブの会員たちは、未だに健在だろうか。
「嫉妬しているのか?」
「嫉妬も心配もしてますが?」
神梅神社の跡継ぎがのんべんだらりと過ごしていて良いはずがない。宮司も満里も放任という姿勢を改めないので、修二だけが満に仕事をさせようと躍起になっている。
「修二に心配されるおぼえはないけどなぁ」
「お前は、朝から晩まで昼寝してほんといいご身分だよな」
「そんな俺に朝から晩までちょっかいばっかかけて、修二は俺のことがよっぽど好きなんだな」
「ふざけるな。お前の将来が心配でみちゃいられないんだよ」
「俺の台詞を取るなよ。俺は、これでもお前のことをすごく心配しているんだぞ。だから俺は……」
「俺の心配をする暇があるなら、一緒に掃除でもしたらどうだ!」
背後から、くすくすと笑い声が聞こえた。
学生服を着た少女たちと目が合う。修二と満の母校の制服だ。
満は顔を片手で覆ってから、ため息をついた。
修二はいたたまれなくなって踵を返す。楼門をくぐる前に振り返ると、満は猫のように丸くなって日向ぼっこをしていた。