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ヴァンフリート王太子の婚約者は聖女である、ことになっている 4


 カーテンを締め切って昼の光を遮った部屋で、白い木箱が黒く塗り替わる。


 返事が来た。気が付くなり、クラリスは飛びついて魔法の郵便箱の蓋を開けた。

 中にあった一通の封筒は、フクロウの目を模した印で閉じられている。それをためらいなく破り開けて目を通す。


『魔女クラリスへ


 毎度ご利用ありがとうございます。

 さて、ご依頼のお品“理由も原因も正体も不明の魔法で意識混濁している人間の意識を取り戻す薬または道具”ですが、当サービスは定義が曖昧かつ存在の不確かな物はご用意できかねます。お望みの物の具体的な名称をご明記の上、再度お近くの“ヤギ”からご依頼いただけますよう、よろしくおねがいします。


 追伸

 あんた正気?


 “フクロウサービス”ダリエルより』


「つっ………………かえねーーーー女!!」


 カールロット公爵邸の一室に、紙の破れる音を覆い隠すヒステリックな魔女の声がこだました。



 ***


 体が重い。

 重いのに、何かに支えられているような浮遊感もある。

 全身にまとわりつく不可解な感覚に、ヴァンフリートはこれが水中の感覚に近いことを悟った。

 ただ、苦しくはない。息はできている。


「ヴァンフリート様?」 


 呼ばれてはたと目を開ける。それでかえって目を閉じていたことに気がついて、背筋が冷えた。まさか、人前で眠ったのかと。

 

 けれど目に飛び込んできた声の主の顔に、ヴァンフリートは自分の拍動が一度止まり、そして落ち着くのを感じた。

 真正面で己と向き合い、口元を隠す扇の向こうから目だけで微笑みを見せてくる女。黒い髪と瞳の、絢爛豪華という言葉がよく似合う美貌の、かつての婚約者。


「いかがされました? 殿下」


 レダリカ・カールロットが、目の前にいる。王宮の広間、宴の空気が漂うその真ん中に。

 だから安堵した。


 また夢の中にいるんだな、と。

 


 ***



 眠れる王子の魔法を解くのに、“聖女”に与えられた時間的猶予は明日の正午まで。

 何が何でも公務に間に合わせろという未来の舅からの厳命と、頼みの綱であったダリエルからのすげない回答が、王宮に戻ったクラリスの頭の中で何度も反芻されている。


 ガラス鉢の中の土も、ぴくりともしない。

 完全に凪いだ空気の部屋の中心で、やがてクラリスは呟いた。


「逃げよ」と。


 言うが早いか、部屋の中の宝飾品を手当たり次第にかきあつめ、絹のチーフで包み込んで逃走資金を確保し始めた。


 だって無理だ。

 自分一人で、この誤字だらけの魔導書を頼りにして、なんのヒントもなしに魔法を解くなんて無理だ。国王に解決を請け負ったときはダリエルがこんな役立たずな答えを寄こすなんて思っていなかった。


 兵士に追われようとも、ここに留まるよりははるかにマシだ。そう思い、クラリスは中庭を見下ろす窓を開け放った。――が。


「よう、久しぶり」

「ぎゃぁぁ!!」


 緑の目の大ガラスが、ひょいっと風のように部屋の中に入ってきたので、クラリスは盛大に悲鳴を上げて腰を抜かした。


「な、な、な、なに!? なんですか!?」

「なんですかとはご挨拶だな。ダリエルから話を聞いたんだよ。昔馴染みがややこしいことになってるみたいだからさ」


 つむじ風をまとって人間の姿に戻った魔法使いは、涼しい顔でそう言った。その姿を見れば『殺される』か『脅される』の二択だと認識していたクラリスは、意外な言葉に目を丸くした。


「えー、あなたが私の心配をしたんです?」

「ごめん。レダリカが、昔馴染みのヴァンフリートの状況を心配してたから、僕が来たってことね」

「あ、そ。……あれ、でもちょっと待ってください」


 渋い顔から一転して、クラリスは期待に満ちた眼差しで、部屋の中を見渡す男に近づいた。


「もしかして、私の代わりに魔法を解いてくれる感じですかぁ?」

「……レダリカがここに来ちゃうよりはマシだからな」


 至極嫌そうな顔のフラウリッツが、チェストの一つへと近付いていく。施錠された引き出しの鍵穴に人差し指を当てると、奥で鍵の回る音がした。


「はっ!? ちょっと乙女のプライバシーを!!」

「やかましいよ。ったくこんなしょぼい引き出しに魔導書をしまうなっての、見つかったらどうすんだよ」

「勝手に踏み込んで素手で鍵開けるような不敬者はあなたくらいなんですけど? やってること強盗じゃないですか! この痴漢!」


 金切り声は、魔導書を手にした緑の目の一睨みで「なんでもないですぅ」と小さな鳴き声に変わった。


「だいたい王宮に魔導書を置くなよな。ジュールシアの末路を忘れたのかよ」

「私は家庭教師じゃなくて聖女兼未来のお妃としてここにいるんですぅ。誰にも私物を触らせませぇん」

「どうだか。今回の件もさ、この誤字塗れの魔導書を見つけた誰かが、ヴァンフリートに魔法をかけたんじゃないの?」

「はぁ? なんの証拠があってそんなこと言うんだか! 私だって魔女の戒律は心得てます、誰にもこの部屋の物は触らせてな……」


 そこで、クラリスは言葉を切った。ページをめくっていたフラウリッツの目が、冷ややかに動く。


「誰」

「……」

「誰に見られたの。魔導書」

「…………」





 ――十数分後。


「間違いないね」


 再びカラスの姿で窓から戻ってきたフラウリッツは、心底苦々しいという顔で人間の姿に戻って吐き捨てた。


「ヴァンフリートは、自分で自分に魔法をかけて、昏睡状態に陥ったんだ。――この、誤字塗れ・でたらめだらけの魔導書に書かれた手順を鵜吞みにしてな!」


 ぼんっと机の上に放られた分厚い書物を、クラリスは青ざめて見つめる。フラウリッツは「も~~~ここってホントにバカのるつぼじゃん!!」と、王太子の寝室から戻ってきたその体をクラリスお気に入りの寝台に投げ出した。


「……だってまさか、あんな一瞬、ちょっと見られただけで暗記されるとか思わないでしょ普通」


 確かに、あの男はクラリスの魔導書に興味をそそられたようだったが。


「ど、どどどどうしよう……」


 ここにきて涙声になったクラリスに、フラウリッツがしかめ面を向ける。


「これって私、戒律違反になりますぅ?」

「……清々しいくらい自分のことしか考えてないよな君って」


 言って、投げた枕はクラリスの頭に当たる前に、鉢から飛び出した土の手がキャッチした。


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