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ヴァンフリート王太子の婚約者は聖女である、ことになっている 3


「えーっと、ごきげんよう陛下。このようなところまでお越し? 足をお運び? ……くださいまして、ええっと」

「口上などききたくはない!」


 じゃなんで教え込んだんだ。これ、国王と王太子が部屋に訪ねてきたときくらいしか使わないって言われた口上なのに。

 舌打ちせんばかりの顔で口元を歪めたが、国王はそれを遥かに凌ぐ剣幕で凄んで、クラリスの腕を掴んだ。


「おぬし、何が目的だ!」

「はー? ちょっと放してください、いったいなぁ、天罰が下りますよ!」

「息子に何をしたと聞いている、答えよ!!」

「……何って、は、何?」


 思いもよらない言葉に、クラリスは目を瞬かせて未来の舅の顔を見た。


 なんだ、珍しい。

 国王夫妻は普段、公の場では冷ややかな態度を崩さず、めったに感情をあらわにしない。クラリスはつくづく、“人形と入れ替えても誰にもバレなさそー”と思っていた。

 なのに、今は青ざめた顔に深いしわを刻み、溢れる苛立ちをすんでのところで抑えるように口元を震わせて、クラリスを睨みつけていた。

 臣下であれば背筋を凍らせて自身と家名の行く末に絶望するところである。


 だがそこにいたのは、王を害虫の親玉呼ばわりした大魔女の弟子にして、自分自身しか愛さない魔女クラリス。不快なものを見るような一瞥ののち、国王の手を躊躇いなく振り払い、「で、何ですぅ?」と厭味ったらしく問いなおした。



 ***



 王太子が、目を覚まさない。


 そう言われて連行された王太子の寝室には、確かに目を閉じてぴくりとも動かない婚約者が、日常着のままで寝台の上に寝かされていた。人払いがされた部屋の中にいるのは、クラリスと王の他は無言で息子を見下ろしている王妃だけだ。彼女は夫が引きずってきたクラリスには目も向けない。


「ただ疲れてるだけなんじゃないですか?」


 ひとしきり部屋の調度品や装飾をうっとりと眺めてから、クラリスはちら、と王太子のことを見てつまらなそうに吐き捨てた。


「すごーく疲れてたら、起こしても起きないことくらいあるでしょうし」

「息子に勝手にさわるな!!」


 クラリスがぺしぺしっとヴァンフリートの顔を叩くと、顔をしわくちゃにした国王が噛み付いてきた。

 元気な中年だ。普段は話したら損だと思ってるのかというくらい口が重いくせに。


「……部屋の中に他人がいる状態で寝姿を晒すなと教えてきた。他者が部屋に入ってきてなお寝続けるような腑抜けではない。まして、声をかけても揺らしても起きないなど……」

「え、じゃあこの人、他人と同じ部屋で寝られないんですか? じゃあ結婚したら私達って寝室別? やったぁ楽」

「そんな話は今しておらぬ! お主が何もしていないのなら、何が原因で起きないのか確かめろ、今すぐに!!」


 怒声に顔をしかめたクラリスは、「そんなこと言ったってぇ」と反論しながら、目を閉じたままの王太子の顔を覗き込んだ。


「ただ寝てるだけなのに、なーにをそんなに神経質に」


 言いながら、とりあえず首の脈を測ってみたり、寝息を聞いてみたり、口を開けたりしてみる。確かに起きないが、師も一度寝ると起こしても起きない人間だった。こんなものだろう。

 あらかた触って楽しくなってきたところで、流れで長いまつ毛を見下ろした。こんなに長くてはさぞ重いでしょうねと思いながら、王太子の薄い瞼をひょいと持ち上げて。


 そして、ぎくりと固まった。


「……うわ、なにこれ」


 呆然と呟いてから、クラリスは無意識に喉を鳴らした。

 紫色の、ガラス玉のように虚ろな瞳。 

 そこに浮かぶ、黒っぽい瞳孔と虹彩と、――そしていくつもの円と幾何学模様を組み合わせた“紋様”。

 それは、一瞬ののちに沈むように消えていった。透明な水に垂らされたインクのように。


 すぐに消えたが、間違いない。

 ――なんで、こんなところに魔法陣が。


「その様子だと、“ただ寝ているだけ”とは到底繰り返せない事態なのであろうな」


 絶句していたクラリスの耳に、怒りを押し殺したような王の声が届く。


「そなたは聖女であると同時に、このヴァンフリートの妃として王宮にいてもらっておるのはわかろう?」

「……だったら何?」


 ぞんざいな口調を、王は咎めなかった。恐ろしいほど静かな、じっとりと重い声が続いた。


「もしもこのまま息子が目覚めぬなら、聖女殿にここにいてもらう必要はない。……生涯、大聖堂で祈りを捧げていてくださって構わぬよ。清貧と貞淑を、掲げてな」


 はっ!? と反応しようとして、顔を上げた先でぶつかった冷ややかな眼差しに、喉が凍った。

 国王は、本気だ。

 魔女の天敵、大聖堂。入るだけなら大丈夫だが、それは断崖絶壁も落ちなければ危なくないというようなもの。そんなところに、クラリスを送りつけようとしている。――幽閉しようとしている。


 もし本当にそうなったとして、自分は逃げ出せるだろうか?

 聖油の火から。聖武器を持った騎士たちから。たぶん、殺していいならできる。

 でもそうしたら、その次は制裁に来る魔女たちから逃げなくてはいけない。

 そして、誰の助けも得られない生活が始まる。唯一クラリスに従順な土塊は、宝石にもお金にも、ごはんにもならない。フラウリッツに対する盾にも、おそらくならない。


 しばらく固まったあと、クラリスはひく、と口元を引きつらせて、笑った。


「……お任せくださいなっ! 人を助けるは聖女の務め、夫を助けるは妻の務めでございますもの!おほほほほほっ!」


 白々しい笑いが響く部屋の真ん中で、片目の瞼を持ち上げられたままのヴァンフリートはピクリとも動かない。それを『誰のせいでっ』と横目で忌々しげに睨むクラリスの手を、王妃が一言「目が乾いてしまうであろう」と呟いてそっと払った。



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