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ヴァンフリート王太子の婚約者は聖女である、ことになっている 2


「……ご機嫌よう、クラリス様」


 大理石の廊下を早足で進む途中、緊張したような、か細い女の声を聞いた。

 横目で一瞬認めた女の顔に、なんとなく見覚えはあったが。


「あ、はいどうも」


 結局、短く言い捨てたクラリスは、立ち止まらずに通りすぎた。

 彼女は、いつだったか養父から紹介された貴族の娘だったはず。うつむいた顔に滲んだ悔しそうな表情に、優越感を感じないわけでもないのだが、ピアノの練習を強引に切り上げたのはこんなところで立ち話をするためではない。

 はやく部屋に戻らないと追手が追いついてきてしまうし、魔導書の受け取りのせいで寝不足のせいか胃もぐるぐるする。

 それにどうせ、こちらは彼女の名前も家名も思い出せない。

 クラリスは振り返ることもせず、あてがわれた自室へとさらに足を早めた。


「まぁ、どうされましたクラリス様! 今はフェルミエ先生のレッスンのお時間のはずじゃ」

「切り上げました。頭痛いので寝ます。はい出てってくださーい」


 自室の前にいた、困り顔の侍女にぴしゃりといい放つ。面食らった彼女の背を押しのけるようにして部屋に入ると、侍女が追いすがるのを阻むように扉を閉める。

 扉の向こうから聞こえる声を無視して、クラリスは茶色い目を素早く大きな出窓に向けた。


 そこにはなんの変哲もない土が、丸みを帯びたガラスの鉢にこんもりと盛られている。花も草もない。クラリスは無言のまま、今度は部屋の扉に視線を送る。

 すると、土はまるで意思のある塊のように、ぞわぞわとガラス鉢から這い出て、扉と壁の隙間へと消えていった。


 これで、誰も入ってこられない。


 ようやく、といった体で息を大きく吐いたクラリスは、豪奢な肘掛け椅子にぼんと身を投げ出した。真新しい靴を脱ぎ、足を遠慮なく机に乗せる。靴擦れに舌打ちした。


 フェルミエという頭髪の薄いピアノ教師なら、今書庫の奥で開かない扉を焦って叩いている。見ていて三日で飽きたイケメンの護衛騎士も一緒だから、そう悪い時間でもないだろう。両方男だけど。


「はーあぁ……。こうでもしなきゃ一人の時間も持てやしないなんて、誤算です……」


 人払いはともかく、自由時間が無さすぎる。養女先の屋敷で過ごそうとしたこともあったが、何を恐れられているのか、王宮の中にいるときよりも護衛やお付きの使用人が――見張りが多いので、半日でこちらに戻ってきたのだ。


「まったく。妃なんて、要は人の妻でしょ、世継ぎを産む女でしょーが! 歴史知ってようとピアノが弾けようとスプーンやフォークを使う順番を知っていようと、一番大事なこととはぜんっぜん関係ないでしょーがっ!」


 苛立たしげに立ち上がると、ストッキングだけの足で床を踏みしめ、鍵つきのチェストへと向かう。

 クラリスは、悠々自適の生活を送るために国王、神官長との取引に頷いた。そのためならと魔女たちにとっての鼻つまみ者“カールロット公爵”の養女になることにも頷いたのに、今の状態は本末転倒だ。

 

「ちゃんと本来の役割を全うさせたいのなら! ストレスをかけず美味しいものといい匂いのするものと肌触りのいいものと目の保養になる男だけそばに用意して、ほっとけっつー話ですっ!」


 荒々しい手つきで引き出しから引っ張り出したのは、明け方前に受け取った魔導書だった。


 これを読むために随分遠回りを強いられた。自分がこの国で二番目に偉い女になる予定のはずなのに、なんて窮屈なんだろう。

 苛立ち任せに肩へぞんざいに乗せた書物から、生成り色の包み紙がはらりと落ちたが、ふんと踏みつけてまた肘掛け椅子に戻る。


(……に、しても)


 昨夜――否、今朝。ヴァンフリートは、なぜ魔導書なんかに関心を示したのか。久しぶりに触る厚い書物を捲りながら眉を寄せる。が。


(魔法、ボクも使ってみたいなーとか浅はかなこと考えたんですかね。あーやだやだ内情を知らない素人の興味本位の気まぐれってやつ)


 それきり婚約者のことを考えるのをやめた。腕の中の、文字の羅列に集中するため。


 本当は、もう魔法なんて使わないつもりだった。何せ王族になるのだ。もう掃除や炊事で魔法を必要とすることはないし、魔女として生活費を稼ぐ必要もない。きれいな服を着てすました顔で、夫とやらの横に立っていればいいのだ。

 なんて幸運だろう。人生楽勝。魔女になんかなりたくなかったけど、お陰で聖女のふりをしてお妃になれるなら、魔女の洗礼万歳だ。


 ――と、思っていたのは国王と“レダリカの代わりになる”取引を結んだ、その日だけだった。

 翌日から始まったのは、王命による“王太子妃になるための準備”だった。それは前任者レダリカ・カールロットが、子どもの頃から身に付けてきた教養・作法を、短期間で頭に詰め込み、体に叩き込む作業である。


『王太子妃としての挨拶はこうです、クラリス様』

『今日は国内外の地理と歴史を学んでいただきます、クラリス様』

『王太子妃としての食事のマナーはこうです、クラリス様』

『今日は諸外国の慣習と言語を学んでいただきます、クラリス様』

『王太子妃として喋るときはこうです、クラリス様。されどめったにお話なさる場面はございません』

『クラリス様、この国の王太子妃になろうというお方が、そのような無様をさらしてはなりません』


思い出して、クラリスは閉口した。らしくもなく、口を噤んでうつむく時間が長くなった。


「……無様無様って、んもぉぉ不敬者どもめ!」


 ぶり返す悔しさに突き動かされ、クラリスはいまだかつてない真剣さで魔導書に目を走らせていった。何でもいいから、作法も知識も手早く身につける方法を求めて。

 だが、そんな都合のいい魔法は見つからない。それもそのはず、歴代の魔女たちの誰も王子妃にも王妃にもなっていないのだから、誰もそんな魔法は必要とするはずがない。


(……デライラさんみたく、私も他人を操っちゃおうかな。そしたら誰も私のことを無様とか思わないわけだし)


 歯ぎしりしているとそんな思考が頭をかすめたが、人心拘束の魔法は並の魔女でも難しい。その上、成功したとわかるまで時間がかかる。フラウリッツがいればなんとかなるかもしれないが、自分ひとりではとても無理だ。


(フラウリッツさんに手伝ってもらえたらなー……)


 クラリスの苛立ちと下心にまみれた脳裏に、遠い日の記憶がよみがえる。

 

『来な、クラリス。あたしのお客に挨拶するんだよ』


 魔女に買われて暮らすようになった隠れ家で、師ベルティナに呼ばれて引き合わされたのは、自分と同じくらいの年頃の男女の子ども二人だった。

 それがフラウリッツとデライラだった。フラウリッツは優雅な物腰で会釈して『初めましてクラリス。私はあなたの師匠の、姉弟子のもとで学んだんだ』と微笑んで挨拶してきた。促されて名乗ったデライラもろとも、人目を惹く端正な顔立ちの子どもだった。その目の奥に影をたたえていても、なお。


 一方、クラリスはそれを受けて『……なんのつもり? 食べ物なら分けないよ』とふてぶてしく言い放ち、客人二人を唖然とさせ、『このバカッ! 卑しいこと言ってないで、名乗ってお茶を淹れてきな!』と師匠に頭をはたかれた。


 それから、三人の魔女と魔法使いは美しい幼年期を共に――過ごしたわけがない。


 二人はごくたまにベルティナとクラリスが暮らす隠れ家を訪れたが、用件は主にベルティナ宛てであったし、クラリスは文字通り挨拶をする程度の関わりだった。ただ、ごくたまに、四人でハーブティーと焼き菓子の乗った卓を囲むことがあったくらいで。


『ねぇ見てクラリス、このケーキ先生が焼いたのよ、すごいと思わない?』


 兄妹のように見えていたデライラとフラウリッツが師弟関係であると、クラリスは少し遅れて知った。出会ったときには名乗り以外ろくに口を開かなかった少女は、だんだんと饒舌になってきて、ことあるごとに自分の師を褒めたたえるようになっていた。

 

 ベルティナも『何さ、時間と材料の無駄さね』とこき下ろしながら、ちゃんと手土産のケーキを二切れ以上食べて、フラウリッツに大人の魔女に振るような話題を向けていた。それはおよそクラリスには向けられないような内容ばかりで、それがデライラの言葉よりよっぽどフラウリッツの“凄さ”をわかりやすく示していた。


「……嫌味な人たち。分かるヤツ同士別室でいけよっての。……あ、そしたら私、デライラさんと二人っきりでフラウリッツさんの話延々と聞かされるんでした……」


 ――四人の小さな集会は、いつからか五人になった。ストロベリーブロンドの新入りになかなか洗礼しないのをベルティナは渋い顔をしたが、フラウリッツは『ああ』とか『そのうちね』だとか『ねぇなんで自分の取り分だけ大きく切るわけ?』などと返してはぐらかしていた。

 一方で、デライラは年上の妹弟子が大層気に入ったらしく、先輩風を吹かしまくってはせっせと紅茶のカップにミルクと砂糖を継ぎ足していた。エリセという名の妹弟子はその贅沢に青ざめて白目を剥いていて、ああこの子も自分と同じ貧民街の出身かなと思いながら、クラリスは『それ、もうお茶の味しないと思いますよ』と師のこだわりの茶葉の死を見届けた。



 終わりは必然だった。師の客だった彼らは、その死によって隠れ家には現れなくなった。



「……おばーさんの魔導書もらって、こっちは処分しちゃえばよかったな」


 どうせ棺に入れても無駄になるだけだったんだし。


 師匠の魔導書をいやいや写した写本の明らかな書き間違いに顔をしかめながら呟く。たまたま正しい知識を覚えていた事項だから間違いに気がついたが、この魔導書はあまり信頼が置けなさそうだ。


「公爵邸にレダリカさんかデライラさんの魔導書ないかな~。ヤギももらっちゃったし、あったらそっち使ったほうがいいかもな〜」


 本人たちに知られたらすぐさま『あげてないっ!』と反論されそうなことをぼやくが、どうせ知られることはない。

 二人はこの王都から去った。詳しいことは知らないし、なぜあんな大きな揉め事をおこしたのかもよくわからないが、別に興味はなかった。

 

 魔女なんてなるもんじゃない。全然楽じゃないし、面倒なことばかりだし、人から蔑まれるし。その上自分はその魔女仲間からも半人前として見下されてきた。


 でも、それももう過去だ。ベルティナも、フラウリッツもデライラも、ロザロニアなんて御大層な名前をもらったエリセも、もちろん、レダリカも、みんな。


(まあダリエルさんは、お金が払えれば要望通り動いてくれるんで、もう少し使わせてもらうかもしんないですけど)


 そうやって、クラリスはつらつらと過去に浸っていたのだが。

 

 ――ドンドンドンドンッ! と、開かない扉を力任せに叩く音に飛び上がって我に返った。


「なっ、なんですか、私体調がっ――」

「部屋から出てこい今すぐに!!」


 強い語調で遮られて、クラリスは一瞬むっとしかけたが、しぶしぶ土に鉢へ戻るよう念じた。

 鬼気迫る声の主が、国王だったからだ。



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