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ヴァンフリート王太子の婚約者は聖女である、ことになっている 1


 気がつくと、目の前に緑生い茂る生け垣が広がっていた。


 王宮庭園のようだったが、自分の腰ほどの高さだったはずのそれが、今は視線と同じくらいの位置にある。

 違和感を吟味する間もなく、何かに操られるように顔が上がった。視界が宙をさまよう。緑の向こうに、ついこの間燃え落ちたはずの旧礼拝堂が見えた。

 そこでようやく、夢を見ていることに気がついた。


 そう、これは夢。それも昔の記憶をもとにしたもの。

 今の自分は、生け垣と同じくらいの身長の子どもの体なのだ。


 合点がいくのと同時に、背の低い自分がその場から離れていく。何かを探すように、視線をせわしなく動かしながら。

 背後で自分を呼ぶ侍従の懐かしい声がしたが、歩みを止めることはなかった。


 黒髪の少女の背中を、木立の隙間から見つけるまでは。


『レダリカ、ひとりで何をしているの?』


 レダリカ。

 ああ、あのときだ。この夢は、あのときを再現しているのだ。


 呼ばれて、少女はこちらをふり向いた。目が合うと、夢の中の自分がほっとしたのがわかる。

 だが彼女は、その視線をすぐにそらし、また後ろ頭を見せつけてきた。もっと大事な用事が、その視線の先の、旧礼拝堂にあるかのように。


 なんてふてぶてしい。古くなった祈りの家を見つめる彼女の背中にわずかにムッとしながら、幼い自分がもう一度声をかけようとした。が。


『私だって、もうここになんの未練もないんだからね』


 脳裏に響いた、小さな背中にそぐわない大人びた声に、動きが止まった。動けなくなった。


 その間に、幼いレダリカが旧礼拝堂へと走りだす。いつの間にか、燃え盛る炎に包まれていたそこへ。


 待ってと言いたい。なのに、声すらでない。


 躊躇いなく、彼女は炎に飛び込んだ。その拍子に、黒い煤が舞い立つ。

 違う。煤だと思ったのは、黒い羽だった。


『レ……』


 勢いを増す炎が行く手を阻む。その奥で、何かが銀色に光って、すぐに消えた。


 息が止まって、視界が弾けた。


「……」


 一回、二回と瞬きをする。見慣れた寝室は、まだ薄闇に包まれている。

 春も過ぎるが、まだ朝は遠い。少し動かした頭は、割れそうなほどに痛い。

 

 けれどヴァンフリートは、眠り直すことはしなかった。いつも通りの頭痛を伴い、寝台から身を起こし、着替えを手に取った。途中でせり上がってきた軽い吐き気をやり過ごす。

 慣れていた。眠りが浅いのは、昔からだ。それこそ子どもの頃から。

 ――夢で見た幼年期のすぐ後あたり、為政者としての教育に本腰が入ってから、ずっと。


 けれど、同じ悪夢ばかり何度も見るようになったのは最近だった。おかげで、短い休息が一日のうちで最も苦痛の時間となっている。


 厄介だ。正気を失っていた頃の自分の悪行だって、まだ全ては始末がついていないというのに。

 鬱屈した気持ちを払おうと、ヴァンフリートはひとり部屋を出た。


 庭へ出て、月の光を受けた芝生を踏み進む。足は無意識のうちに旧礼拝堂の跡へ向かっていた。

 

 ――レダリカが、消えた場所へ。


 草の一本も生えていない焼け焦げた基礎が、つま先に当たる。

 一度は残そうとしていた建物は、今や完全に撤去されていた。燃えたから、だけではなく、王室にとって早々に忘れたい忌まわしい出来事の舞台となったからだ。

 

(どうして、あんなことが起きたのだろう)


 事件から二ヶ月、膨大な執務に追われながら、男は頭の隅でずっとそれを考えていた。


 発端は、自分がルゼに操られたこと。心を操る魔法は、自分がルゼ・カールロットに会うたび、長い年月をかけて、徐々に侵食していったのだと聞いていた。

 年月、と聞いて戸惑った。彼女が王宮に上がるようになったのは、成人の儀を経てからだった。が、すぐに思い直した。自分は何かにつけて、カールロット公爵邸に赴いていた、と。

 レダリカが、婚約者の最有力候補になったから。――それを、確実なものとしたくて。


 一瞬、頭の奥で痛みが強くなった。大きな波が、浜に押し寄せるかのように。

 同時に頭に蘇る、銀髪の魔法使いの怒ったような声。


 そんなに簡単に操られんな。


「本当に、な」


 自嘲的に呟いて、なんとはなしに月の位置を確認する。東の空が明けてくるのもそう遠くない。

 そう思い、部屋に引き返そうと踵を返したとき。


 ――バサバサバサ。


(……フクロウか)


 そう離れていない生け垣の影にいたらしい。たった今飛びたっていった生き物の輪郭はぼんやりとしかわからなかったが、金色の目と大きな体躯から、ほぼ間違いないと思えた。


(そういえば、彼はカラスに変身していたな。……ルゼやレダリカも、鳥に変われたのだろうか)


 もしそうなら、何になれたのだろう。

 もう二度と、確認することもないだろうけれど。


 立ち止まったまま、ヴァンフリートはフクロウがいた生け垣を見つめる。


(……ああそういえば、彼女は、)


 連鎖的に脳裏に浮かんできた新たな顔に、ヴァンフリートは顔をしかめた。と同時に、無言で見ていた生け垣が、ガサガサと揺れた。


 次いで、ひょこ、と葉陰から出てきたのは、まさしく今思い出していた赤毛の頭。


「あ」


 発した声と同時に、しまった、という顔で自分を見てくる、三人目の婚約者。


「……どうした、クラリス殿」


 そういえば、彼女は白鳥に変われた。

 その姿で王宮から逃げ去り、そしてすぐに路地裏で体力が尽きているところを連れ戻された、白鳥の魔女、もとい“聖女”は。

 


 なんてタイミングが悪いんだ、この男。

 その思いを、クラリスは表情から素早く引っ込めて笑みを作った。


「あら、夜明け前のお庭を堪能しているだけですよ」 


 無論嘘だ。

 ついさっきまで、クラリスの目の前にはダリエルがいた。沼地に建つクラリスの隠れ家から運んできた“依頼の品”を、渡すために。


『いっくら有能ダリエル便だからって、王宮に届けさせるなんて。リスキーすぎるってーの。割増だかんね』


 養女として迎えられたカールロット公爵邸で見つけた“ヤギ”に飛び付いて、大急ぎで依頼した魔女の配達。ぼったくった上にそこまで言うなら、当初頼んだ通り自室まで来て欲しかったが、『お妃の部屋なんて目立ちすぎ! 庭が限界!』と切って捨てられた。


 それでも、同胞の協力者がろくにいないクラリスにとって、ダリエルの“相手が魔女で、金さえ払われるなら仕事は受ける”というスタンスは頼みの綱だった。


 クラリスはにこにこしながら、後ろ手に隠した包みを持つ手に力を込める。妃として与えられた宝飾品を手放してでも、届けてほしかったもの。


 日付も変わって夜も明けていない深夜なら、フクロウがやって来るのも飛び立つのも人目につかないだろうとふんだ。


 なのに、よりによってこの男に見つかるなんて。


(さっさと部屋戻って寝ててくださいよ。夢遊病かっての)

 

 内心で舌打ちするクラリスだったが、ヴァンフリートはその場から動かず、視線をフクロウの飛び立った空へと向けて、尋ねた。


「あれは魔女か」


 クラリスの背中に、冷たい汗が伝った。


「や、やーだぁ、まさかぁ」

「フラウリッツとか言う魔法使いは、カラスに化けただろう」

「……」


 男が近づいてくる。大股で早足で。

 クラリスは逃げるタイミングを逸した。


「何をしていた。……また、王宮をのっとる算段でも立てていたか、もしくは、ここから出ていく計画でも練っていたのか」


 目の前まで来てようやく、男は足を止めた。クラリスは「まさかそんなぁ」と涼しい顔で見上げていたが、その実かなり焦っていた。


 魔法で追い払うのは簡単だが、そんなことをしたらもうここにいられない。

 それにまかり間違って殺したりしたら、今度こそ魔女集会が制裁にやってくる。

 クラリスは自分の喉を叱咤し、小首をかしげて精一杯可愛く見える角度を意識した。


「殿下、わたしたち、夫婦になるんですよ? もう少しお互いのことを信頼しましょ?」

「では持っている物を見せてみろ」


 クラリスは固まった。バレバレだったらしい。

 しかしクラリスには、包みのことよりも、当然のように上から目線で命じられたことのほうが重要だった。


「……嫌です」

「クラリス殿」

「お言葉ですけど、あなたの妻も、魔女ですよ」


 フラウリッツさんだけじゃなくってね、と返されて、ヴァンフリートの眉がぴくりと動く。向き合うクラリスの顔からは、もう作り笑顔は剥がれ落ちていた。


「魔女と結婚しなくちゃいけないのは、そっちの事情でしょ? ……あなたのお父様に頼まれて、結婚“してあげる”私へ、随分な物言いじゃないですか」

 

 二人の剣呑な視線が交差する。

 先に折れたのは、男の方だった。


「そうだったな。すまなかった」


 顔を背けてため息をついたヴァンフリートに、クラリスは今度は満足気にニヤーっと口角を釣り上げた。

 その、次の瞬間。


「……と、聞いて満足か、魔女」

「っちょ、ぎゃ!!」


 クラリスは突如右肩を前方に強く引かれ、バランスを崩した。叫び、転倒に備えて、反射的に手が体の前に出る。


 しかし、倒れかけた体は、引き倒した男自身の右腕によって間一髪支えられ、事なきを得た。――持っていた包みは、クラリスの手を離れて男の左手に移っていたが。


「……な、なんて男っ、この私にこんな狼藉、許されると思って」

「黙れ魔女。……本?」


 クラリスは焦り、包み紙がめくれたそれを奪い返そうとしたが、頭二つ分は背の高いヴァンフリートがそれを許さない。

 包み紙はあっけなく剥がれ、それは月明かりの下に焦げ茶色の表紙を晒すことになった。

 

「……呪具、か?」


 訝しげな男の言葉に、クラリスは素早い否定を飛ばした。


「違いますっ! どう見ても魔導書でしょ!」

「どう見てもって……」


 ヴァンフリートは呆れ顔で、その分厚い書物をパラパラとめくった。紫色の目を左右に走らせ、一言「……写本係は字が汚いな」とつぶやいた。


「なんですってこの無礼者! 読みにくいのは、古い言葉で書かれているからですよ、この教養なし!」

「そなたが書いたのか……」


 声にげんなりとした響きが混じっている。クラリスは悔しさと怒りで奥歯を噛み締めた。


 ――パンッ。


「っ!」


 地面から芝生を割って伸びてきた土の鞭が、ヴァンフリートの手の甲を打つ。

 はずみで手放された魔導書を、その土の鞭がすかさず受け止めて、仏頂面のクラリスへと運んだ。


「……さっき、ここから出ていく計画でも練っているのかって聞きましたね」


 魔導書を取り返したクラリスは、顎を上げ、冷たい眼差しと声を目の前の婚約者に向けた。


「言っておきますけど、私、そうそうここから離れる気はありませんので」


 それから、再び底意地の悪さを見せつける笑みを浮かべる。


「繁栄著しいこの王宮に、一生しがみついて、たーっぷり贅沢させてもらいますから。そのおつもりで、どうぞよろしくお願いしますね、旦那さま?」


 悪意たっぷりの笑顔でそう言い、相手の反応を待った。嫌味は相手に嫌がられてこそだ。

 しかし、ヴァンフリートの視線はほんの数秒クラリスの顔に向けられていたものの、さしたる表情の変化はなく。


「そうか」


 すいっと逸れて魔導書へと注がれ。


「では、それをしばし借りてよいか」

「いいわけないんですけど!?」


 予想外の答えを投げ返されて、不完全燃焼のクラリスは不機嫌な足取りで夜明け前の庭をあとにした。


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