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63 夜明け


「動かないで」


 声がした背後へ振り向こうとして、体が固まっていることに気がついた。立ち上がることもできない。

 鎖も何も巻かれていないのに、首から下が人形になってしまったかのようだった。


 焦る私を落ち着かせるように、肩に手が置かれる。


「フラウリッツ、あなたどこに、いえ、あの蝶の魔法はっ」

「静かにしてよ」


 言いたいことが一斉に喉を駆け上がってきた私を、苦笑まじりの声が宥める。


「……あの魔法は、ごめんね。君を信じきれなかった」

「……」

「あの方法とったのは、色んな理由があるんだけど、ひとつは、僕が君を殺すのがどうしても嫌だったから。制裁するとなったら、君、僕からはたぶん逃げ切れないじゃん」


 フラウリッツから、制裁? 逃げ切る?

 ……ぐうの音も出ない。そもそも、逃げやしない、という強がりすら言えないのに。


「かといって魔女集会の決議を無視するわけにもいかない。そんなことしたら僕の一門はほとんど破戒者だ。残るロザロニアの立場がないじゃん」

「……だからってひどい。私にあなたを殺させる魔法なんて」


 声を荒げかけた私の鼻先に、後ろから回ってきた右手の人差し指が立てられた。静かに、と。


「どっちかがどっちかを殺さなきゃ事がすまないなら、君が僕を殺せるよう全力懸けるよ。僕はそういう奴だよ」

「……ルゼとは、一緒に死ねるのに」

「死ねるよ。あいつ問題児だけど、我が子だもん」


 断言されて、何も言えなくなった。動かないはずの指先が震えた。


「……ルゼの前でも言ったろ。僕器が小さいんだ、平等な師匠にはどうあがいてもなれない」


 黙った私の視界から人差し指が消えていく。


「だから、感謝してる。最後の最後に、君は思いとどまってくれた。どんな形であれ、あいつがやり直すチャンスを、僕に与えてくれた」

「……復讐を褒めないで。損した気分になるから」


 すぼんでいく私の言葉に、彼が苦笑したのがわかった。フラウリッツはさっきまでと同じ声のトーンで、話を変えた。


「この人にかけられた人心拘束術がなんで解けてないのか、最初僕にもよくわからなかった」


 この人、と呼ばれたお父様は、全く目を覚ます気配がない。

 けど、と声は続いた。

 

「少し考えれば、なんてことはない、あの金髪王子とは別の魔法をかけられてただけだ」


 椅子に糊付けされたように動けない私は、乾いた声で小さく「……別の魔法?」と繰り返した。フラウリッツがやれやれと鼻をならしたのがわかった。


「言ったじゃん。この魔法は二種類あるって」


“人心拘束の魔法は二種類あるんだよ。”


 言われて蘇る、秋の日の、コスモスの香りをまとった記憶と、フラウリッツの声。


“相手の心を術者が支配して直接操るものと、もともと相手の中にある感情の種を増幅させ、傀儡状態にするものさ。これらに限らず他人の内面に働きかける魔法はどれも難しいけど、後者はとっかかりが元からある分、成功しやすくて解けにくい”


 ――もともと、相手の中にある感情の種を増幅させ。


「この人の中に元からあった家族への情と罪悪感が、ルゼの魔法で歪められて増幅させられてたんだ」


 それが、ゼロから魔法で植え付けられた王太子の恋心との違いだと言う。


「大丈夫、ちゃんと解けるよ。……解いて行くよ」


 部屋の空気が変わった。魔力の流れを感じる。

 そこから感じるフラウリッツの意図に、私は思わず刺々しく反論した。


「やめてよ、解いたって、変わらない可能性だってあるでしょう。情も罪悪感も、もとからルゼ親子にしか向けられていなかったんなら」

「ならどうして、君を最初にヴァンフリートの婚約者にさせたんだ。最初から、“大事な”ルゼにその地位が回ってくるよう仕向けなかったのは、正気のときの公爵にはその気が無かったからだろ」

「でも、」


 むきになるのは、恐れているからだと自分でもわかっていた。

 フラウリッツが魔法を解いて、それでもお父様が今まで通りだったら、もう“もしかしたら”を考える余地が完全になくなる。

 とっくに愛想尽きたはずなのに、わずかな可能性に期待してしまう自分が嫌だった。


「この国で一番高い地位まで上り詰めさせる、それだけの期待をかける父親の中に、娘への思いが欠片もなかったわけないじゃん」

「……」

「この人は本気で、あの金髪王子の妻になることが、この国の女の子にとって一番幸福なことだと思ってるんだろ」


 それは、確かにそうだ。お父様が半狂乱で口走ったのは、愛人デライラへの謝罪と、ルゼを王子の妻にするということだった。


「術者が魔法を忘れて、遠ざかって、呪具が近くにあるわけでもない。術者が僕本人でもない限り、とっくに解けてておかしくない。……それでも解けないのは、この人の家族への思いが、心の底にしっかり根付いてたからなんじゃないの」


 魔力が動く。動けない私の目の前で、筋ばった男の人の手が、お父様の額に翳される。しばらくして、その手はぱちっといつものように指をならして、私の視界から外れていった。


 魔法は、解かれたのか。


「家族への思い……」


 そんなもの、生まれてこのかた、この父から感じたことなどない。

 そう思って見下ろす先の寝顔は、さっきより幾分か穏やかに見えた。

 ……まさか、思い込みだ。


「それでも、」

「それでも不安なら、嫌なら、君を気にかけてくれる別の人間のそばにいればいい。君はもう親の言い付けに諾々と従う幼子じゃないし、そばにいてくれるだろう男に、心当たりもあるだろ」


 さらりと言われて、カッと頭に血が上った。ヴァンフリート殿下を当て擦られたからじゃなかった。


「フラウリッツはっ?」


 どの口でそんなことを言うの。なんでそんな他人事みたいに言うの。

 私に助けが必要だったとき、手をさしのべてくれたのはあなたたちだった。

 ロザロニアは去ってしまったけど、でもあなたはいる。今、私の後ろに。

 一緒にいられない理由なんてないはず。


「あなたは、これから、わたしのそばにいてくれないの!?」

「いてくれないよ」


 あっさりと返されて、二の句が次げなかった。


 先を歩く彼を必死に追って、追い付かせてもらって、けれど伸ばした手を軽く払われたような。


「僕は君のそばにとどまらない。この国には思い入れがない。この王都に愛着がない」

「……わ、私だって」

「それに望まれてもいない、君と違って」

「フラウリッツ、私が聖女にまつりあげられて、嬉しいわけないじゃない!」

「聖女だなんて重々しく考えるなよ。いてくれって言われてるんだから、あらなら仕方ないわねってふんぞりがえっていればいいんだよ。……それが一番、丸く収まるじゃない」


 優しく突き放されて、冷たく諭される。

 そんな風に言われると、まるでそれが実に正しいことのように思えてしまう。焦燥感に、溺れそうになる。


「僕も、君の居場所が定まっていれば、安心して好きなように過ごせる。……なあ、誰かに望んでもらえるのは、贅沢なことだろ?」

「……あなたは、私を望んでくれないの?」


 流されまいとしたはずが、自分でも情けないと思う、すがるような声がでた。

 好きだった、と言われている。その好意に、付け入ろうとしている。自分でも知らなかった姑息な自分が、ここにきて浮き彫りになる。


 フラウリッツは、私の浅ましい質問に苦笑した。呆れられた、と恐れたが、それは違った。


「君が、もっと悪辣な、本当に災厄をもたらす魔女だったらよかったのに。妹も、父親も、元婚約者も簡単に殺すような。そしたら君が森の古くさい城より王都の華やかな宮殿の方がずっと似合うんだってこと、僕は知らなくてすんだ。

 知らないまま死にたかったな、最上級を知ってる女にせっせと炊事させてたとわかると、かえってこっちが惨めになるなんて。……君、かしずかれるのが似合うね。どうあがいても芝居みたいにわざとらしかったルゼより、ずっと」


 頭を言葉で殴られる感覚を初めて知った。呆れられるよりずっと痛い。苦しい。息ができない。


 こんな生活望んでない。

 かしずかれるのは偽りの肩書のせい。慣れてるように見えるのは過去の習慣のせい。真実じゃない。今じゃない。

 そう言わないと。


「……フラウリッツ、」


 声が震えた。口を開くと同時に、肩から手が離れていったから。


「……私、は」

「じゃあね。僕は心機一転、少し遠くに行ってくるけど」


 私の声を遮るように被せてきたフラウリッツの言葉に、舌が固まった。


 遠くに行く。

 十一年前、あの礼拝堂の前で聞いたのと、同じ言葉。


 あのとき、幼い私は、お父様を見送る使用人の真似をして――。


「もう、帰りは待たなくていいから」




「どうか楽しく生きていって。僕もようやく、そうできそうなんだ」





 背後の気配が消えて、ものの数分で、部屋の外から扉を叩く音がした。執事の声も続いた。


「王宮の騎士殿が、お嬢様を探してこられたそうです」


 その声に生返事を返しながら立ち上がる。体はもう自由だった。

 流れ込んでくるかすかな風に、カーテンが揺れている。窓が開いていたことに、気がつかなかった。


 そこから覗く空はもう白み始めていた。急いで王宮に戻らないと、夜明けまでもう時間がない。


 

 初めて、感情を表に出さない教育を受けていたことに感謝した。

 おかげで涙は出てこなかった。



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