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62 蝶と二つの墓標



 手のひらの上に火を灯し、洞窟を抜け、森を走った。途中、太い木の根につまずいて転びかけたのを耐えたとき、男装の変身が解けて寝巻き姿になってしまった。冷たい夜風がむき出しの首を撫で、肌が粟立った。

 それでも足は止まらなかった。


 嫌な予感がしていた。


 フラウリッツが、ヴァンフリート殿下に自分がいなくなったあとのための伝言を残していたことにも、私からの手紙が届けられないことにも。


 息が上がり、肺がはち切れそうになりながら、ようやく暗い木々の向こうに尖塔を見つけることができた。それだけでかすかな安堵が広がった。


 ただそれも、城のどこにも明かりがついていないことに気がつくまでだった。月がなければ見つけられなかったかもしれない。

 

「……フラウリッツ?」


 城の門や扉の鍵が開いているのはいつもと変わらない。

 中に入ってから聞こえたのは、自分の呼吸と、靴音だけだった。目を助ける明かりも、手の上の魔法の火の玉だけである。


「る、留守なの?」


 逸る気持ちをおさえて、私は廊下の燭台に火を灯しながら自分の部屋へと向かった。

 目当ての魔導書は、そこに備え付けられた机の上に置いていたからだ。


 数日ぶりに戻った私室は、最後にここを出た日から何も動かされていなかった。魔導書も、机の上にある。

 私は緊張しながら臙脂色の表紙に手を伸ばした。走ってきたのに、いつの間にか指先が冷え切っていた。


「……二〇九九ページ」


 裏表紙からめくっていく。巻末近くに記載されているのは、難易度が高い魔法だ。


 該当ページで手を止めて、目に入った挿し絵にぎくりと体が強ばった。

 かすれたインクで描かれているのは、並び立つ二つの墓標と、その回りを飛ぶ蝶だ。


 ――あの日、フラウリッツがルゼに向かって飛ばした、輝く蝶。ルゼは、それを呪いと呼んだ。


「……『二つ墓標の魔法』」


 ページの全体像を見て間も無く、この本を写本した時の記憶がよみがえってきた。と同時に、血の気が引いていった。

 

 なぜこの記述を記憶のすみに追いやったのか。


 それは、これが道連れの魔法だからだ。


 挿し絵にある二つの墓標は、術をかけられた者と、かけた者の墓だ。

 その魔法が発動している間にどちらかが死んだとき、その死因の如何に関わらず、もう一人も死ぬもの。

 命を狙われたとき、相手に自分を殺させないためにかける魔法。もしくは、自分の命と引き換えに相手を殺す決意をしたときに使う魔法。

 

 何があろうと、ルゼとともに死ぬ気などなかった私には必要ないと思った魔法。


 けれど、フラウリッツはこれをルゼに使った。

 私がルゼを殺すつもりだと信じていた、あのときに。


『自分で僕を手引きしてたら、目的を達成したあとの君は、罪悪感で後悔したと思うぜ』

 

 魔導書を持つ手に力がこもった。

 何が後悔するぜ、だ。


 あの人は、ルゼと共に死ぬ覚悟をして、その上で私にしたいようにさせていたのだ。


 それがフラウリッツの、ルゼの師匠としての、責任の取り方だというのか。私が、彼ら二人ともの被害者だから?

 

「……なんてこと」


 ショックの次に湧いたのは怒りだった。


 取り残された私の気持ちは?

 私の味方のような顔をして、最後はルゼに寄り添うの?


 悔しさと悲しさ、そして彼を死なせていたかもしれない恐怖から生まれた怒りで、私は奥歯をきつく噛み締めた。

 結局誰も死ななかったし、蝶の魔法も不発に終わった。

 けれど、見つけたらただじゃおかないつもりだ。


 ――彼を、見つけたら。


 どこで?


 ヴァンフリート殿下越しの伝言は、フラウリッツが道連れの魔法で死んだ場合に備えてのもの。魔導書への誘導は私への事情説明であって、今の彼の居所の手がかりではない。


 彼は、道連れで死んではいない。

 そのはずなのに、胸騒ぎが収まらない。


 私は魔導書を抱えたまま部屋を飛び出し、城の奥へと向かった。


「フラウリッツ、どこ行ったの!?」

 

 心臓がばくばくと激しく鳴っているのは、走っているからだけではない。


 たどり着いた城主の部屋も、鍵はやはりかかっていなかった。

 けれど、明かりを灯し、扉の先に広がった光景に、私は立ちすくんだ。


 いつも散らかっていた室内は家具だけを残し、もぬけの殻だった。

 棚を満たしていた本は一冊もない。床にまで積まれていたくらいあったのに。

 壁を覆っていた羊皮紙も、ゴブレットの入っていたケースも、蜂蜜酒の瓶も、何もない。

 机の上にぽつんと置かれた白い木箱は何も描かれていない。かつては、ここに角の生えたヤギの絵が描かれていたはずなのに。


 まるで人がいた形跡を丹念に拭い去ったような部屋の中で、壁にかかっていた魔法の鏡だけが無惨なガラス片となって床に散らばっていた。唯一それだけが、かつて誰かがこの部屋にいたことの証だった。


 殺風景な部屋の入り口で立ち尽くしていた私は、三日前から考えないようにしていたことを認めないわけにいかなくなっていた。


 彼は、私の前から去ったのだ、と。


 ヤギの郵便箱も、魔法の鏡も失われた。

 共用にしようといった魔導書を残して、魔法使いはこの城を捨てたのだ。

 私ごと。



 *


 

 放心したままヴィエリタの店に戻り、私はその足で無意識に公爵邸へ向かっていた。

 自分でも驚いたのだが、少なくとも王宮よりはこちらの方に“帰る場所”という認識が心の奥にあるらしい。


 真夜中に寝巻き姿で現れた私に仰天した執事を放って、私はお父様の寝室に入った。

 部屋の主は眠ったままだ。体力が戻っていないのか、眠りが深くなる薬が処方されているのか。


 寝台の横の椅子に腰かける。カーテンの隙間から差し込む月明かりに、老けた父の寝顔が照らされていた。


 意味もなく来てしまったのだから、このまま起こさない方がいいだろう。この目は私の顔を見ても、喜びはしないのだから。


 頭ではそうわかっているのに、私はぼんやりと口を開けていた。


「……お、」

「待って」


 呼び掛けようとした声が、静かな、低い声で制された。同時に、視界に黒い羽が舞い、寝台の上に音もなく落ちる。


 ――この声は。

 


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