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60 父親にかけられた呪い


 けれど、そのあとも私がおとなしく王宮にいるのは、王太子殿下に懇願されたからなだけではない。


「教会って本当に王様たちとズブズブのベタベタなんですね、あっさり聖女登場を認めちゃうなんて。あーあ、権力があるって、それだけですごく人生楽そう」


 ぐちぐち言いながら、クラリスが席に戻ろうとする。帰ればいいのに、イチジクのケーキがそんなに惜しいのかと当て擦ってやろうとしたが。


「あ、そもそもレダリカさんの実家が政権と教会をくっつける糊みたいなもんでしたっけ。レダリカさんがご当主に嫌われてても、教会はベッタベタに忖度してくれて良かったですね!」

「……」


 にや、と笑ったクラリスに、私は黙って近づいた。その左手首をむんずと掴むと、本来曲げない方向へほどほどに力をいれてひねってやった。


 ギェーッと絞められた鶏みたいな声をあげたクラリスを見下ろしてから、私は部屋を出た。廊下の角に控えていた二人の衛兵のうち、ひとりがこちらを見ていた。


 三日前から私の護衛についてくれている、無口な王宮の騎士だ。あまり印象に残らないのだが、他の騎士と違い濃紺のマントを肩からかけている。その下から、近衛騎士の制服が覗いていた。

 私は苛立ちを引っ込めて、臨時で“聖女見込み”警護についている彼に尋ねた。


「馬車を用意していただける?……父の様子を見に行きたくて」


 



 当然のように公爵邸までついてきた護衛騎士を、三日前と同じように執事に預けて、二階の廊下の突き当たりへと向かう。


 ノックもせずに扉を開ければ、カーテンの引かれた暗い部屋に、尊大で刺々しい声が響いた。


「誰だ」

「私です、お父様」


 答える先に、寝巻きにガウン姿で肘掛け椅子に座る、お父様がいた。


 その声は昨夏よりずいぶん力がなくなって、しゃがれているように感じた。

 外見も記憶の中のそれより老け込んでいた。まだ四十がらみのはずなのに、頭髪は真っ白になり、痩せこけて、しわも増えていて、まるで老人のようだ。見慣れたガウンがずいぶん大きく見えた。


 けれど顔色は、魔法の鏡で見たときよりずっとよかった。咳き込む様子もなかった。実際、医者は唐突に快方に向かう体調に首を捻っているらしい。

 やはり、術者がいなくなって、お父様を襲っていた病の呪いは消えている。


 ――けれど。


「何をしに来た。今日こそわしを殺しに来たのか。妹殺しの悪女めが」


 けれど、お父様はおちくぼんだ両目に憎悪を滾らせ、私を射抜いてくる。私は黙って、体力が戻らなくて座ったままの彼の額に、片手を掲げた。


 ――三日前もそうだった。


 これまでの冷遇が魔法によるものならと、緊張にわずかな期待を織り混ぜて、私は屋敷を訪れた。

 しかし、護衛を憔悴した執事に預け、ひとり寝室に入ってきた私を見て、寝台にいたお父様は忌々しげに睨み付けてきたのだ。


 それからハッと気がつくと、ひたすらルゼの行方ばかりを気にし始めた。私が危害を加えることを恐れていたかのように。


 魔法が解けても、その間の記憶は消えない。ヴァンフリート殿下同様、混乱しているか、私への罪悪感の裏返しで危機感を覚えているのかもしれない。

 そう思うことで予想できた失望をやりすごすと、私は、ルゼはもうこの屋敷には戻らないと伝えた。


 すると、お父様は頼りなさげだったそれまでの様子を一変させた。弾かれたようにとび起きると、強い力で私に掴みかかってきたのだ。


『レダリカお前、ルゼを、どこにやりおった!』


 豹変した態度に、私は硬直してなすがままだった。そんな私の様子にも、お父様の勢いは止まらなかった。


『ルゼを、ルゼを返せ! わしの大事な、デライラの形見を!』

『……落ち着いてお父様、あの子は』


 魔女だったの。そう続けようとしたが、肩に走る痛みに言葉を失った。


『お前はやはり、あの女の娘だ! わしにデライラを捨てさせた冷徹な女のように、今度はお前がわしからルゼを遠ざけるのか!』


 ぎり、と肩を掴む手の指が肉に食い込み骨を軋ませた。――この人のどこにそんな力がと思うほど。

 

 荒れ狂うその姿は、記憶の中の冷徹な父からかけ離れていた。病に弱った姿とはまた別の意味で。


 肩から離れた右手が振り下ろされるのが分かっていても、戸惑いで反応が遅れた。


 ――叩かれる寸前で、お父様の右手は別の人間に掴まれ、止められた。同時に、肩の痛みも消えていた。


 お父様を羽交い締めにしたのは、入り口で待たせていたはずの護衛騎士だった。

 騎士に振りきられたとおぼしき執事や女中頭も遅れて寝室に飛び込んできた。彼らはお父様を騎士から奪うように庇うと、私から引き離していく。


 お怪我は、と端的に問いかけてくる騎士に、私が茫然と首を振る。その目の前で、力が尽きたらしいお父様は、今度は引き絞られるような嗚咽を漏らし始めた。


『うあぁ……すまなかった、デライラ。死なせる気などなかったのだ。ただ王都から離れてくれればと……。あぁぁ、美しいルゼ、あわれなルゼ、母を見捨てた父を、どうか、どうか許しておくれ、お前は幸せになっておくれ……』

 

 執事と女中頭に支えられながら寝台に戻る父を背に、私は無言の騎士とともに寝室を出た。

 そのようにして、まだルゼの魔法が残っていることを思い知ったのだった。


 それから王宮に戻ってあの議事録。もういっぱいいっぱいだった。



 以来、私は日に一度はお父様の様子を確認しにきている。時間差で、魔法が解けていないかと。

 そして解けていないことを確認すると、父を眠らせ自ら解こうと試みていた。――その結果は、芳しくない。

 魔女としての年季の違いか、フラウリッツの呪具が補助したせいなのか。


 今回も手応えの無さに嘆息して、手を下ろした私は眠る父の顔を見つめた。ベネスやヴィエリタに相談しようか。けれど、今の私が、このグラニエルで彼らとうかつに会うわけにもいかない。


 放っておけばどうなるのだろう。


 無力感をひしひしと感じていたそのとき、頭の隅で別の思考が生じた。


 ――もしかして、お父様は最初から魔法になどかかっていなかったのだろうか。

 三日前の変貌ぶりこそが、あの人の嘘偽らざる本音なのではないか。

 だから、ルゼがいなくなっても変わらないのではないか。


 それは私の中でいやにしっくりきた。今までの姿が全くの偽りだったというより、ずっと納得しやすかった。


「それなら、あなたは死ぬまでずっと後悔して、泣き暮らすのね。ご愁傷さま」


 返事のない相手を前に、私はうっすらと口角を上げた。


 しかしそれは、息苦しさですぐに消えた。

  

 つまり、私も親の愛を知ることなんてないというわけだ。一生。

 それはそれで、実に災厄の魔女らしい。嫉妬深い母から生まれ、父に疎まれながら育ち、妹と殺しあった魔女。


「別に、いいわ。私は私の幸せを見つけたし」


 父のしたことを気にする必要などない。母の言ったことに縛られる必要などない。


 ――そう本心から思えたのは、そばに誰かがいてくれたからだ。

 今は。


 ロザロニアはどこに。みんなはどうしているの。

 フラウリッツは、なぜ消えたの。


 今は、誰が、私のそばに――。


「公爵は、寝ているのか」


 その声で、我に返った。


「っ殿下!」


 いつの間にか、入り口に佇んでいたヴァンフリート殿下が、ゆっくりと部屋に入ってくる。

 私は髪を整えるふりをして、目元を拭った。

 


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