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57 謝罪


「……すまなかった、レダリカ」


 騎士団が一人残らず立ち去った、悲惨な庭園。そこでたっぷり一分程度の空白を挟んでから、ヴァンフリート殿下はそう口にした。


「……え」


 自分が謝罪されたのだと、私は少し遅れて気がついた。


「え、ええ……」


 表情こそ取り澄ましていたが、内心は驚き、呆気にとられていた。

 到底、笑って許す気になれないことをされたが、その乱心はルゼのせいだったことを考えると、なんだか強くも出られない。


「何を言っても、償えないとわかっている。操られていただなんて、言い訳にもならない。だが、言わずにはおれないんだ」

「……殿下」


 私は相手の乱れた前髪をまじまじと見つめた。


 動揺してしまったのは、この人が頭を下げるところを、生きている間に見ることはないだろうとごく自然に思って生きていたからである。

 というより、恨みが最高潮に達していた時ですら、ヴァンフリートという人に謝らせるなんてことは考えてもいなかった。――頭を下げているといっても、まつげを伏せて頷いているだけと言われれば、そうかもしれないと言う程度だけれど。


「申し訳なかった。どうにか、貴女の名誉を取り戻させてほしい」


 前髪が揺れて、頭の位置が戻った。伏せていたまつげが上がり、紫色の目がまっすぐこちらに向けられる。


 予想していなかった事態に直面して、私は目を泳がせた。それが結果的に、改めて相手の格好を上から下まで見下ろすことにつながった。

 王家だけに許された紺碧の衣服は、首まわりを中心に血みどろで台無しになっている。私やルゼほどではないが土汚れもついているし、いつもきっちり整えていた髪もぐしゃぐしゃだ。


 さっきまでの威厳が鳴りをひそめれば、獅子だなんて異名とは程遠い惨憺たる様子である。


 もちろん私も、人のことは言えない有り様だ。腕組みする課程で、腕で固まりかけていた泥を払いながら、私は鼻から息を吐いた。


 名誉の、回復。


 それは、この王都グラニエルを身一つで追い出された日の私が、切望してやまなかったもの。


「皮肉ですね。魔女として貶められた名誉が、魔女になって王宮に舞い戻ったからこそ、回復するのですから」


 固まったヴァンフリート殿下の顔にひとしきり満足してから、私はゆっくり表情を和らげた。


「……先は助けていただきありがとうございました。首の、傷の加減は、もうよろしいので?」


 フラウリッツの治癒なのだから大丈夫に決まっていると思いながら気遣うと、なぜだか殿下は喉元をおさえて真っ青になった。……まさか、痛むのだろうか。


「あ、ああ、大事ない。……ところでルゼは、どうなったんだ。先ほど、目を開けたように見えたが」

「……殿下。彼女は、もう」


 続ける言葉に窮した私は、さりげなく、王太子の目線と意識のないルゼの体の間に立った。今さら隠せるはずもないのに。


 どう言ったら、この場は穏便に片付くだろう。記憶がないからといって、ルゼが王家にしたことは帳消しにならないし、しかし空っぽの彼女の体を引き渡して裁かせたくもない。


 私への恩返しにこの子をほっといて、とでも言おうかと口を開きかけた時、木の上から小さな影がヴァンフリートに向かって飛び出してきた。


 私はあっと口を大きく開けた。黒猫だ。


「ロザロニア!」


 ぎょっとした殿下の肩を遠慮なく蹴ってこちらに跳んできた黒猫は、その短い滞空時間で黒豹に姿を変えた。


 息を呑んだ私の横を長い体躯ですり抜けると、フラウリッツの腕からルゼの体を奪い、そのまま王宮の表の方へと一目散に走り去っていった。一瞬の出来事だった。


「待っ……」

「行かせてやって」


 思わず後を追おうとしたが、フラウリッツの一声で体が止まった。

 黒豹の走り去った方向から、幾人もの叫び声が聞こえてきた。驚き、走り回る人々の奇声の中から「魔獣が外に出たぞ!」という誰かの大声が響いた。そのときようやく、私は王宮の魔女避け魔法の効果がほとんどなくなっていることに気がついた。


「王太子の婚約者ルゼ・カールロットは、魔獣にさらわれたんだ。悪いが、結婚も断罪も諦めろ」


 フラウリッツの言葉に殿下は目を見張ったが、黒豹の去った方向と私たちを何度か見比べると、結局何も言わず猫に蹴られた肩を手で払った。


「……貴女たちは、私と、この国の恩人だ。どうかその恩に報いさせてほしい」

「報いるって」


 私が眉を寄せると、ヴァンフリート殿下は「教会には手出しさせないから、まずはしばし王宮で身を休めてはどうか」と提案してきた。


「えっ、ここでなんて」

「そいつはよかった。レダリカは少しゆっくりするといいよ」


 天敵であることを思い知った大聖堂の近くでなんて、冗談じゃない。そう殿下の申し出を断ろうとしたが、そんな私の声に言葉を被せたのは、フラウリッツだった。

 意外に思って振り仰いだ先に、にこやかな笑みが広がっている。


「フラウリッツ、あなたもここで?」


 いつも通りに見えるその顔に、妙な引っ掛かかりを覚えた。思った通り、フラウリッツは「まさかぁ」とへらへら笑いながら否定した。


「僕には王都にとどまる理由がないもん。……君には、まだあるだろ。確認すべきものが」


 そんなものない、と言いかけて気がついた。

 ルゼの呪いの矛先は、王宮と王太子だけじゃない。


「殿下、おと……、カールロット公爵の容態は」


 視線をヴァンフリート殿下に戻すと、彼も途端に表情を曇らせた。芳しくないのだろう。


 じわ、と不安が胸に広がった。病気がちだと聞いたときにはなんとも思わなかったのに、今は気になって落ち着かなかった。


 だって、病も、ルゼへの盲愛も魔法だったのだ。見るものを惑わすリボンも術者本人も側から離れて、かけられた魔法も止まったのかどうか、確かめたかった。


「身を隠せる馬車と、口のかたい供を用意する。公爵家には、貴女を見ても混乱しないよう先触れを出しておこう」


 その申し出には、断る理由がなかった。


「ありがとうございます。フラウリッツ、私、お父様の様子を確認したら、すぐ戻って」


 くるから、ちょっと待ってて。

 そう言いかけて、振り返った私は一瞬言葉を失った。


「……フラウリッツ?」


 呼びかけに応じる声はない。


 すぐそばにいたはずの魔法使いは、私が目を離したほんの数秒の間に、忽然と姿を消していた。


 

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