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56 魔女殺しの魔法


「じゃ」

「ま、待て魔法使い!」


 用はすんだとばかりに踵を返そうとしたフラウリッツの肩を、ヴァンフリートが掴む。今度は逆に、魔法使いが王子に引きずられた。


 騎士たちが息を詰めたが、手は動かない。せっかく離れかけた標的と主君の距離が、主君のせいでまた縮んだから。


「……っ! なんっだよ離せよ、傷口開くぞ」

「…………じゅ、順を追って説明せよ。私は、一体どうなっていたのだ。なぜレダリカやルゼたちは、あんなことを。そなたはなぜ、そんな急に、死ぬなどと」


 相手の握力に目を剥いて振り返ったフラウリッツは、首を気にしながらの矢継早の質問を「やかましーな!」の一言で切り捨てる。そして不機嫌を隠さない顔で低く囁いた。


「騎士に聞かれていいのかよ。お前が魔女に惑わされ、潔白だったカールロット家の長女を追い出して、その魔女本人を新しい婚約者にして好き勝手させた上、追い出した姉の方も魔女になって舞い戻って盛大に姉妹喧嘩してこの有り様。当のお前は洗脳から目覚めるなり魔女に殺されかけ魔法使いに助けられ、とても止められる状態にはなかった、なんて」


 ヴァンフリートの顔面から表情が消えたのを見ると、フラウリッツは少し溜飲が下がったような顔をした。


「じゃあ悪いけど、僕は死ぬ前に彼らをどうにかしなきゃいけないんで」

「っ、だから待て、騎士団に何をする気だ魔法使い!」

「傷、開くよ」


 焦っていた。早くしないと、レダリカが『完遂』してしまう。そしたら、自分は動けなくなる。

 魔女たちが制裁に来てしまうのに。


 しかし、今度はヴァンフリートも怯まなかった。二の腕を強く捕まれ動けず、 残り時間を気にしていたフラウリッツの方が、苛立たしげに折れた。


「……レダリカはさっさと身を隠さなきゃいけないんだ。こんなところで騎士どもの相手をする時間なんて、あの子にはない。……んだよ、怖い顔すんな。殺しゃしないよ、ちょっと足止めするだけだ」


 “聖油持ち相手に、それで済みそうなら”とは小声であっても口には出さない。


 本当は、騎士の出方次第では、最悪の状況を作り出す覚悟までしていた。

 どうせ、魔女集会がそれを知る頃には、自分はこの世にいないのだから、とたかをくくって。


 早口で言い捨てたフラウリッツは、今度こそ腕を振り払った。まだ何か言いたげなヴァンフリートから顔を背け、視線を騎士たちのいる一角へと向ける。

 二人を囲みつつ様子を伺っていた騎士たちは、突然見られて緊張で息を呑んだ。が、実際のところフラウリッツは、そのときは騎士たちの向こうの、庭園の様子を確認しただけだった。


 魔女焼きの炎とも呼ばれる、聖油の火――魔女側から言わせれば、天空の精霊という希少かつ他に対して優位的な性質の精霊の呪油を聖油と呼んでいるだけで、魔女の魔法と本質は変わらない――はかなり落ち着いてきていた。

 整然としていた庭園の半分以上が見るに堪えない焦土となり果てていたが、探していたものを見つけたフラウリッツは、内心密かに安堵した。


 こちらに背を向けて座り込む、人影。不自然に炎から免れた芝生の上に広がる、黒いドレス。


 すぐそばで未だ鎮火にあたる騎士たちが動き回っているが、魔法の盾で目を曇らされた彼らにはまだ認識できていない黒髪の魔女。だが、彼女がじきに通常の人間たちにも見つかるのは明白だ。


(……やるなら、はやく。邪魔が入る前に)


 こんなに時間があったのに、自分が生きていることが、レダリカがまだ復讐を完遂していない証拠だ。

 彼女の気が変わった、なんて奇跡は期待していない。嫌なことほど実現しやすい自分の人生だったから。


「あの炎も少しは役に立ったな」


 王宮の魔法がほとんど力を失っているのを感じ取り、無意識に呟く。それから、フラウリッツはヴァンフリートにもう一度視線を合わせた。それまでより、幾分か表情をやわらげて。


「……しかしまぁ、難儀だね。せっかく捨て身で美女を助けた王子様だってのに、ほんとに王子様だからこそ、その美女を妃にできないんだから」


 後半は軽く鼻で嗤いながら言ったフラウリッツだったが、ヴァンフリートは相変わらず何か言いたげにしていた。


 なんだろ。

 深い興味はなくそう思いながら、フラウリッツは騎士の一角の足元に魔力の渦を作り始め――。


「ええいどきなさいっ! ほんとにっ、嫌味でもなんでもなく、兵士が付いてないとここじゃ動けないってわけ!?」


 その声は、魔法使いの集中力をあっという間に散逸させた。


「レダリカ!?」


 魔法使いは信じられない思いで声の方を見た。その先には、自分達同様に騎士たちに囲まれるレダリカがこちらに顔を向けて立っていた。


 黒いドレスに覆われたその肩には、だらりと力を失った金髪の娘が凭れている。ぶら下がっている、と言い換えた方がいいくらい、その四肢には力がなく、ほどけた金髪がベールのように顔を隠していた。


 フラウリッツは武器を構えた騎士たちの目の前でカラスに変わった。呆気に取られた彼らに目もくれず、その頭上を飛び越える。

 そのままレダリカの足元へと着地し、姿をもとに戻すと、周囲の騎士は悲鳴を上げて飛びすさった。


「フラウリッツ! 良かった無事で、ねえロザロニアはどこに」

「なんで」


 驚き、そしてほっと表情を綻ばせたレダリカに、フラウリッツが問いかける。

 レダリカは眉を寄せて困惑してみせたが、すぐに顔をしかめて目の前の相手を睨み付けた。


「なんでって何よ。まさかフラウリッツ、あの状況から私が負けて死ぬと思ってたの?」

「そうじゃない、そうじゃなくて」


 フラウリッツは、口に出す前にわずかに逡巡した。


「……なんで、殺さなかったの」


 レダリカは一拍置いてから、落ち着き払って答えた。


「殺したけど」と。


 フラウリッツは、一瞬胸を塞いだ重石を、「死んでないだろう」と否定して取り払った。


「わかる嘘をつくな、ルゼが死んでるなら、僕は」

「ルゼは死んでる」


 いつになく動揺するフラウリッツを前に、レダリカは衣装合わせの布のように揺れるだけの女の体を、肩ごと差し出した。


 金髪が揺れる。とっさに受け取り、横抱きにした体は、沈むように重く、およそ生命力を感じない。

 だが仰向けになったその胸は、確かに小さく上下していた。


 けれど。


「ルゼ・カールロットは死んだ。デライラもろとも、私が殺した」


 レダリカは、まっすぐフラウリッツの目を見て無感情に言い放った。


「もう二度と、現れない」


 レダリカの言葉に呼応するように、男の腕の中の、血のついたまつげが震えた。


「っ! デラ……」


 固まった血に苦労するように、ゆるゆると瞼が持ち上がる。薄く開いた青い目は覗きこむ男の顔を映した。


 湖のような静けさに、ガラスのような虚無感を漂わせて。


 目が合ったのは、ほんの一秒かそこらで、すぐに再び、穏やかな寝息をたてはじめた。それを目の当たりにして、ようやく、魔法使いも気がついた。


 “餞別の儀”でレダリカが受け取った魔法がなんなのか、フラウリッツは直視しなかった。


 このとき初めて、“魔女殺しの魔法”がなんだったのかを思い知り、そして、嘆息した。


「……そっか」


 男の片手の甲が、泥に汚れた頬を拭う。


 魔女を魔女たらしめるのは、知識と経験と、洗礼だ。そのすべてだ。


 洗礼された過去だけなら、何の意味もない。


「デライラ」

 

 おやすみと、フラウリッツは口の動きだけでそう言った。

 それが聞こえたはずもないのに、娘は男の胸に痩せた頬をすりよせた。


 何も知らない幼子が、親の腕で夢見るように、微笑んで。






「あれは、もしや、ルゼ・カールロット様では……?」


 周囲がようやく、魔女だと思っていた一人が王太子の婚約者であったことに気がつきはじめたらしい。

 私はフラウリッツが抱える、妹“だった”女の寝顔を見つめた。


「……どこか、遠くにいきなさい。貴族も、魔女も、信心深い人もあんまりいないような場所に」


 これで本当に、私たちはもう決して出会わない。

 大魔法使いの、記憶操作術は完全魔法だ。もう二度と、この子は『カールロット公爵家のこと』も、『魔女デライラのこと』も、それに関するすべてのことを、思い出さない。


 さよなら、デライラ。

 悪いわね、ルゼ。


 母親も、師匠も、忘れたくない思い出も全部私に取り上げられた、その恨みは地獄で聞くから。


「う、動くな」


 ――何せ、今はちょっとそれどころじゃないから。


 振り返ると、剣を抜いた若い騎士が、フラウリッツとの距離をひそかに詰めていた。


「おお、よくやった!……レダリカ・カールロット様、否、災厄の魔女レダリカ。魔女として、秘密裏に追放されたと。まさしく、王室から聞いていた通りの悪辣ぶりであったか」


 普段は大聖堂の警備にあたり、教会関連の式典で物々しく並ぶだけ、だと思っていた教会騎士団。銀装飾がひときわ派手な騎士団長が、若手を誉めながら、のしのしと近づいてきた。

 どうも、ルゼも魔女だと言うことはこの場でも伝わっていないようだ。


 別にいい。それはもう、終わったことだ。


 私はひそかに息を深く吸って、吐いた。足腰は疲労で今にも崩れそうだが、ここでへたれる気はなかった。……気持ちだけは。


「あら、これはこれは、ご無沙汰しておりましたわ騎士団長殿。あいにく、今は立て込んでおりますので、お誘いはまたの時に」

「ふざけるな!」


 騎士団長の一喝に、周りの騎士たちの顔つきが変わった。恐怖が、警戒と殺意に。


 ほほほとわざとらしく笑いながら、こっちだって大真面目だった。もう立ってるのがやっとなのだ。

 意識のない女一人を抱えたフラウリッツは、じっと自分に向けられた剣先を見ている。騎士は青ざめているが、引き結んだ口に、退く気はないという決意の固さが見てとれた。


 無表情なフラウリッツだが、魔女対策のされた聖武器があまりにも近くて、うまく魔力を扱えないらしい。私だって鳥肌が止まらないし、なんだか吐き気がこみ上げてきた。

 やり方さえあっていれば誰にでも魔法が使えるように、正しく作られた聖武器は使い手に関わらず魔法使いにとって命取りということだ。


 私は崖の際に追い詰められたような危機感にさらされながら、必死に頭を働かせた。ルゼが王宮にかけた魔法は、今も続いているのだろうか? どうにか礼拝堂までいけば、転移魔法で逃げられたりしないだろうか。ロザロニアは無事に逃げただろうか、クラリスはこんなときに、どこに行ったのだろう――。


「ルゼ様の無念、我らが――」

「騎士団長」


 その声で、敵意をにじませた騎士団長が、喉を塞がれたように黙った。騎士たちも踏み込みかけた足が、重心のやりどころがなくなってふらつく。


 ……そういえば。


「剣をおさめろ」


 騎士団長の肩に手を置いた、血まみれ服の王太子殿下がここにいるけど、本当にクラリスは何してるの?



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