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54 魔女の死


「あなたなんか、生まれてこなければよかったのに……、公爵夫人が出産なんてしなければ、お母さんは愛人になんか、ならなかった……、私も、あなたも、生まれてこなければよかったのにっ……!」


 ルゼには、周囲の変容など見えていないようだった。吐き出される言葉とともに、地面に、血と、涙の染みが増えていく。


「なのに、なんで……」


 彼女がそう呟く今も、どこかで何かが燃え落ちたのか、崩れる音がしている。それに男の怒鳴り声が続く。

 盾一枚隔てて起きるそれらが、ルゼと相対していると、ずっと遠くの出来事のように思える。

 追い詰められた魔女が最後にできる、唯一のことは、私を殺すことだけ。――たとえ、その力が残されていなくとも。


「なんで、みんな、あなたにばっかり……」

「……」


 私の首を絞めようとした手は傷だらけで、王太子の妃候補にも、公爵家の娘にも似つかわしくない。

 私は口を引き結んでそれを見つめた。 


 ……これは魔女の手だ。

 恨みに身を委ねて、魔の道に足を踏み入れた女の手。

 森の奥で、マイペースな魔法使いと、優しい妹弟子と、穏やかな時間を過ごして、それでもなお恨みを捨てきれなかった。


 これは、私自身の手だ。


「……私の前で泣くの、初めてね」


 怒った顔も、傷付いた顔も、初めて見た。

 出会ったのは、十年以上も前なのに。


 けれど、ここで感傷に浸っている暇などない。

 魔力を厚く固めた盾が、炎と接するところからじりじりと薄くなっているのがわかる。これは、魔女の力を削ぐ炎なのだ。きっとフラウリッツも手が出せない。

 時間は多くない。


 躊躇わない、私はそう決めて、ここに来たはず。


 息をひとつ吐いて、私は相手の薄い肩にそっと手を置くと、地面に向けてゆっくり押した。

 ほどけた金髪が地面に広がる。腕をついて覆い被さる私の黒い髪が、上から一筋、二筋と混ざる。


「……殺すの?」

 

 いとも簡単に押し倒されたルゼに、私は「そうよ」と答えた。


「そのための、黒いドレスよ」


 ルゼは怒りも驚きもせずに私を見つめたあと、血と泥にまみれた顔でふっと笑った。

 よく笑う子だ。こんなときまで、本当によく笑う。かつて羨ましいと思った、見るものを魅了する笑み。


 それは、いつも屋敷で見ていたのと変わらない顔のような気がした。過去の笑顔は全部嘘だったはずなのに。なら、今の笑顔は嘘なの、真なの。

 あなたのこと、知らなすぎて、私には判断できない。


 躊躇いはないけれど、虚しさが胸をついた。


「じゃ、共倒れね」


 聞き取るのも難しいくらい小さくなった、ルゼの声に耳を傾けながら、私は青い目をじっと見つめた。


「……こっちは倒れてないし、これから倒れる予定もないわよ」


 わざとすまして言うと、一体どこにそんな体力が残っていたのか、ルゼは声を上げて、少しの時間笑った。


「……たった四つの戒律も覚えられないなんて、意外と、本当に、おばかさんなの?」

「あの城で長く過ごしておきながら、こんな結末しか辿れなかった、あなたに言われたくない」


 それから、魔力の流れに集中した。

 初めて使う魔法に、緊張して喉が乾く。周りが燃えているからかもしれないけれど。

 けれど、絶対に成功する自信があった。


「それに、私はあなたを殺すけど、戒律を破らないつもりよ」

「え……?」

「罰は、受けるのかもしれないけど」


 呪文も魔法陣もいらない。どうすればいいのかは、体が知っていた。――まるで、自分で一から考案したみたいに、よくわかる。


 私は相手から目をそらさないことを自分に命じた。魔法が完全に対象を捕まえて、掌握するのを待った。

 そうしていると、されるがままだったルゼの顔つきが変わった。

 

「まさか、これ」


 地面に投げ出されていた手が、術を阻止しようとするように私の顔に伸びてきた。もう遅いことなんて、この子の方がわかっているだろうに、それでも。


「……いや、やめて」


 身を起こした私は、爪のはげた指先の手をそっと捕まえた。ほとんど力のこもっていない、傷だらけの手。


 それを受け止めるように両手ではさんでも、それでも彼女の懇願は聞き入れるつもりはなかった。


 胸が痛む。心臓に杭でも打たれているのだろうかというくらいに。


 本当はやりたいことがたくさんあるけどと、言っていた。

 本当は、復讐以外にも、やりたいことがたくさんあったのだろうか。

 本当は、余計な雑音なんて気にせずに、誰かと恋をしたかったんじゃないだろうか。

 

 ずっと、あの城にいたかったんじゃないだろうか。


 あなたに復讐を思い止まらせることができなかったのは、フラウリッツじゃなくて、私なのかもしれない。

 庭に走っていくあなたを追って、その手を捕まえて、どこに行くのと聞けば、何かが違っていたのかもしれない。


 胸が、痛む。望んだはずの復讐なのに、罰を受けているのは私のようだ。


 でも、ごめんなさいとは言わない。

 負けたあなたが悪いのよ、そう言ってやろうと、口を開いて。


「……私たち、どっちもお妃なんて向いてなかったわね」


 実際には、全然違う言葉が出てきた。


 押し黙った私を、ルゼは束の間呆然と見つめてきたが、やがて諦めたように、その目を細めた。


 ……頬に寄せた手の指が、かすかに動いた気がする。

 叩こうとしたのか、引っ掻こうとしたのか。

 それとも、甘えようとしたのか。


「……さすがは、“王妃様になるべく育てられた真の公爵令嬢”。自分で泥を被らない悪事がお上手ね。……せっかくの蝶の呪いも、あなたを絶望させられないなんて」


 嫌味のあとの、呪いの意味を聞こうとしても、無駄だった。

 薄桃の紅が剥げた、その口が、かすかに端を上げて。


「なんて、不愉快な、妹弟子……」


 薄いまぶたが、ゆっくり、ゆっくりと落ちていって。

 その瞳から、光が失われていく。


 口元だけは、笑ったまま。


「次は、地獄でお会いしましょう、――おねえさま」


 白い手が、私の手をすり抜けて、地面に落ちていった。



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