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51 王太子にかけられた呪い


「ヴァンフリート、殿下! 離し、痛っ!」


 私を背後から羽交い締めにしたのは、かつての婚約者だった。


 今やルゼの意のままに動く操り人形と化しているが、もとは武勇の誉れで知られていた人。振り上げた右手の手首を捻られ、私は堪らず鞭を取り落としてしまった。


 集中が途切れたその一瞬で、ルゼに巻き付いていた鎖が煙を上げて溶け落ちた。その手がすかさず鞭を拾う。


 鞭が強く芝生を叩く。蛇が口を開け、上体を高く上げる。迫ってくる。男の腕は、羽交い締めは、緩まない。


 ――噛まれる!


「わーんもうばかっ! レダリカさんの初心者っ!」


 痛みを予期して目を閉じた私の耳に、涙混じりの罵倒が飛び込んできた。同時に、私と王太子の間にずるりと冷たい泥が入り込んだ。


 えっ、と思う間も無く泥で繭のように包みこまれて、その場から転がるように離脱させられる。泥の壁のすぐ向こうから聞こえた蛇の怒ったような鳴き声に、背筋が冷えた。


「もおぉぉ、しっかりして下さい!」

「わっ」


 泥の繭から出たとたん、真っ赤な顔のクラリスが肩に掴みかかってきた。その目には涙が浮いている。


「召喚主に死なれたら、召喚された使い魔は普通消滅しちゃうんですよ! 魔物じゃなくて魔女がどうなるのかは、わかんないけど!」

「そ、そうね……」


 クラリスは心配してくれたというより、怒りと恐怖に突き動かされたようだった。

 とはいえ、助けられたことには変わりない。


「……ありがとうクラリ」

「わかったら、次が来るまでくれっぐれも気をつけてくださいこの陰気黒髪!」

「いっ!?」


 以前会ったときより格段に騒がしいクラリスを止められなくて、揺さぶられるがままでいた。が、私の肩と彼女の手の間に、折り畳まれた羊皮紙が挟まっているのに気がついた。

 それ何、そもそも『次』って何、と聞こうと口を開く。


 が、クラリスの頭の向こうに見えた光景に息が止まった。


 ルゼは、こちらを見ながら、ふうっと黒い煙を空中に吐き出した。

 煙は空気に溶けずもやもやと濃密に集まり、程なくして矢の形を取った。その矢じりはちょうどクラリスの背中へと向けられている。


 ――土の加護魔法は、クラリスの力不足ゆえに本来の完全魔法としての力を発揮していないと、フラウリッツが言っていた。


 クラリスが気がついていない危機に、泥は反応しない。


「クラリス!」


 叫ぶと同時にクラリスを自分の後ろへと引き寄せていた。――ただの反射だった。クラリスが避けると、呪いの矢が私にまっすぐ当たってしまうということまで考えて動けたわけがない。


 しまった、と思っても、もう遅かった。

 黒い影が、放たれる。


「……え」


 けれどいざ、『しまった、私が死んじゃう』と思ったときにはもう、矢は地面に落ちて黒い煙になって消えかけていた。


「……これはどういうことでしょう」


 怒りを圧し殺した声のルゼが、問いかけの相手を睨み付ける。私もわけがわからなくて、目を丸くして同じ方向を見た。


 ヴァンフリート殿下の方を。


「……わからない」


 問われた方もまた、私たち姉妹と同じように、――いや、むしろ一番わけがわからないという顔をして呟いた。


 彼は私たちを狙った矢へ向けて腰の剣を投げつけた己の右手を、戸惑いがちに見つめていた。


「なぜ、ルゼ、私は君のために……いや、違う、私は、何を……」


 そのまま右手で顔の半分を覆った。眉間に深くしわを寄せ、かなり混乱しているようだ。

 が、空虚な人形のようだった顔には表情が浮かび、紫の目には意思が宿っている。

 ……心を縛る魔法が、解けかけているのだ!


「で、」


 んか、と私が呼び掛けるより早く、鞭がしなる音がして、丸腰の彼の喉元に緑の蛇が食らいついた。


「ヴァンフリート様!」


 かつて見惚れたその顔に、自らの血しぶきを浴びて、ヴァンフリート殿下はその場に蛇ごと仰向けに倒れた。

 私はぱちん、と指をならす。王太子を芝生になぎ倒した蛇が炎に包まれた。


「殿下、しっかり」


 駆け寄り、蛇から服に燃え移っていた火を抑え込む。

 ヴァンフリート殿下は真っ青な顔で首を血まみれにしながら、薄く目を開けた。そのまぶたは震えていて、今にも力尽きてしまいそうだった。


「クラリス! この人をお願い!」


 振り返って叫ぶと、クラリスは私に腕を引かれたときから状況がうまく飲み込めていないようだった。


「えっ、敵じゃないですか。仲間割れでしょ?」

「ばかっ、見てたらわかるでしょ、殿下は巻き込まれただけって! ~っ、この人、この国の王太子よっ? つまり、魔女の抗争に巻き込まれて死んだりしたら、国をあげての魔女狩りが始まるってこと! あんたの見つけやすい小屋なんか、どこより早く火をつけられるわよっ!」


 相変わらず命の重さに疎いクラリス、自分の危機でもあると言われてさっと顔色を変えた。


 素早く泥に包まれたヴァンフリート王子が、クラリスとともに離れていく。


「あらら、人の婚約者を横から持っていってしまうなんて。赤毛の魔女は本当に手癖が悪い」


 そこへ、ルゼが手を振り下ろす。泥の繭と共に駆けていたクラリスの赤毛目掛けて、風の刃が走り出す。


「おまえが言える口!?」


 すかさず、クラリスの背中に空気の塊で盾を作ってやる。見えない刃が盾にぶつかった固い音が辺りに響いた。


 けれどそのとき、私の意識は完全にクラリスたちの方に向いていた。


「それもそうでしたか。もともとは、お姉様の夫になる予定でしたわね。……あのまま死なせてあげれば、死後、あなた方一緒になることもできたでしょうに」

「なっ……」


 がちゃんっ、と金属がぶつかる音がして、私は周囲を地面から生えた鉄の柵に囲まれていた。

 ご丁寧に上まで屋根で塞がれて、ドレスを含めた私の体の幅ギリギリの広さの檻は、私が中で体をよじるのすら許さない。


「どうも見た感じ、お姉様は火炙りがお好みのご様子。――王家を襲った災厄の魔女の最期には、お似合いね」


 ルゼが親指と人差し指を合わせて。これ見よがしに掲げる。身動きすらままならない狭い檻で、思考がうまくまとまらない。脱出するにはどうすれば。だめ、焦って何も思い付かな――。


「――デライラ、もうやめるんだ」


 そのとき、突然割って入った予想外の声に、私の思考が完全に止まった。ルゼもまた、動きを止める。


 ここは、王宮の敷地内でも端の方だ。生け垣の向こうは高い柵で、その向こうは敷地外のはず。

 そこから聞こえてきた、この声は。

 

「……ロザロニア?」


 呟く私に呼応するように、また声がした。


「レダリカを傷つけないで。話をしたい、聞いてほしいんだ、デライラ」


 生け垣に阻まれて、姿は見えない。けれどルゼは、声のする一点に視線が縫い止められたように顔を向け、見つめていた。


「……」



 沈黙のうちに、ルゼは王宮の魔法に働きかけたらしかった。やがて、がさがさと生け垣の葉が揺れて、尖った耳の黒猫が王宮の庭に姿を現した。


 その目が、檻のなかに押し込まれた私を見て見開かれ、すぐにルゼの方へ移っていく。


「レダリカを離してやって! お願いだよ、デライラ」


 ルゼの唇がぴくりと動いたが、何も言わない。檻はびくともしない。

 私の存在を忘れたかのように、ルゼの目はロザロニアに釘付けだった。


「……ヴィエリタから、お母さんのこと聞いた」


 そう言うと、猫は本来の、薄桃色の髪を揺らした姿に戻った。

 ロザロニアはルゼが何も言わないのを見てとると、一度悲しげにまつげを伏せ、「ごめんなさい」と再び口を開いた。


「私、死にかけたところをあなたに助けてもらって、いろんなことを教えてもらって、大切にしてもらったのに、気がつかなかった。あなたはずっと、ひとりで苦しんでいたんだね。……幸せだったのは、私だけだったんだね」


 一歩、一歩と、ロザロニアがルゼに近づく。

 私は柵を掴み、固唾を飲んで見守るしかできない。この二人の過ごした時間を、私は知らないから。


「もしもあの頃、あなたに復讐の手伝いを頼まれたら、多分私、喜んで引き受けたと思う。あなたのためになることなら、なんだってしたかった。私にはあなたと、フラウリッツしかいなかったから。

 ……でも、今の私にはレダリカもいる。はみ出しものしかいない私たちの世界で、姉弟子が妹弟子を大切にしないなんて許されないって、あなたから教わったから、……だから、その復讐には、もう手を貸せない。もう私には、あなたを止めるか、殺すかしか、できないんだよ」


 ロザロニアは、ルゼの目の前まで来ていた。


「殺させないで、デライラ」


 その目は真摯にルゼへと向けられている。


「……そう」


 ルゼが静かに応える。それまでの怒りや恨みを覗かせた声とは違う、まっさらな声に聞こえた。


 ――のは、十年以上騙されていた私の気のせいだった。


「なら自動的に、三つ目の選択肢しか選べないわね」


 止める間もなく、ルゼの右手が蛇の頭に変わり、ロザロニアの首に巻き付いた。


「ロザロニア、そんな!」


 悲鳴のような声で名を呼んでも、檻はびくともしない。指をならして魔法を試みるが、檻の柵から魔力を抑え込まれている感覚がして、うまく発動しなかった。


「……っ、デラ、イラ」


 ロザロニアの顔が苦悶に歪む。がく、と膝をついて、ますます蛇の締め付けがきつくなったように見えた。

 ざわ、と、私の内側を恐怖が駆け上がる。


 私より早く魔女になったのに、なんでルゼに勝てないの。勝ってくれないの。

 あの夜、私はひどい言葉であなたを遠ざけたのに、なんでここに来ちゃうの。私を、助けようとするの。

 

「さよならエリセ。あなたきっと、あのままのたれ死んだ方が幸せだった」


 無感情なルゼに見下ろされて、ロザロニアの瞳から光が失われていく。

 いや。

 蛇の頭が、とどめとばかりに口を開けてロザロニアの鼻先に向かう。

 やめて。

 誰か。


 ――なんで。

 いつでも神出鬼没だったのに。


「なんであなただけ、来てくれないの……!」


 吐き出した恨み言は、無力な自分への苛立ちだ。


 魔女の喧嘩は、勝てる準備をしてから買えと言われていたのに。


 違う、そもそも買っちゃいけない喧嘩だったのだ。

 ロザロニアは正しかった。手紙を無視すればよかった。ルゼと決着を着けようと思うべきじゃなかった。クラリスなら死なないだろうだなんて、傲慢な考えに天罰が下った。あの人変身魔法しかまともにできないのに。


 ごめんなさいフラウリッツ、私のせいで、あなたの大事な弟子はみんないなくなってしまう。

 ごめんなさい。あなたにとっての、最低な、災厄の魔女になってしまった。


 私は地面に膝をつき、手をつき、涙を芝生へと落とした。すると、芝生に新たな影が落ちてきた。


 ああ、私の番だ。


 私の背中に回された二本の腕。近寄ってきた、温もりの気配。それが私の頭を、覆い、背中を撫でられ、――。


 ……あれ、これ、抱き締められてる? 


 あれ、あのぴったりサイズの檻が、消えている。


「……ごめんって。いやクラリスにさ、召喚魔法の呪符渡したのにさ、なかなか呼んでくれないんだもんあの人」


 頭に移動した大きな手。穏やかな声が、いつもより少し荒い。息が弾んでいるからだ。


 まるで、急いで駆け付けたときみたいに。


「……どうして」


 それ以上形にならない問いと共に、おそるおそる顔をあげる。その先に、優しく、困ったように笑う緑の目がある。


「白もいいけど、やっぱり黒が似合うね」


 そう言う彼の肩には、黒い羽。


「カラスみたい」 


 銀の髪が光に当たって、輝きを直視した目が焼かれたようだ。

 視界が、またぼやける。


「ど、して……」


 ――一緒に来て欲しかった。ほかのどんな協力者より、あなたが一番心強かった。ルゼの師匠だからじゃない、私の師匠だから。

 でもそれは、拒絶されたと思っていたのに。


「……どうして来たの、フラウリッツ」


 気がつくと、膝をつく彼の傍らには、腕で上体を支えながら荒く息を整えるロザロニアがいた。


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