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49 黒鳥


 轟音と共に体が宙に浮かび、直後、激痛が全身を襲った。


「――っ!」


 すんでのところで、目に映らない『魔女の盾』を私と毒牙の間に挟むことができた。固く凝縮された空気の盾は牙を通さない、が、その衝撃をすべて吸収することはできなかった。


 そして、豪華絢爛な王宮も、中で魔女の大蛇が暴れることなんか想定されて作られてはいない。


 結果、私は打ち砕かれた壁や扉の破片と共に回廊に投げ出され、さらに這いずり回る胴体にぶつかって、盾に守られながら階段の下の庭先へと転がり出た。


「……っが、げほ!」


 背中をしたたかに打ち付けた私は、芝生に四つん這いになって咳き込んだ。内蔵がすべて出てきそうだと思いながら、呼吸を整える。


 外に出たのだ。


 めまいをこらえながら顔をあげると、生け垣や噴水の向こうに、私がたった今弾き出された宮殿を遠巻きにする兵士や貴族達がひしめいているのに気がついた。


「ひっ」

「ほ、本当に魔女だ、だ、だだだ大聖堂からの援軍は、まだ来ないのか!?」

「殿下は、ご無事なのか……?」


 こちらに言っているのか独り言なのか判断しづらいひそひそ声に、宮殿の方を仰ぎ見る。すると、さっきまでいたはずの大蛇も、ルゼもこつぜんと消えていた。


「……姿を隠したわね、あの卑怯者」


 庭と回廊を結ぶ階段の側の、芝生の影で何か黒いものが動いた。動物に変身したルゼかもしれない。


 きっと、すべて私の仕業として印象づけたいのだ。だから目撃者がいるときは姿を隠している。もしくは、見た目を変えている。


 私は呼吸も荒いうちに立ち上がると、魔力の流れをまとめるのに集中した。


 一旦、体勢を整えないと。


「ひっ、き、消えおった!」


 転移魔法で動く直前、野次馬の誰かがそう言った。





 王宮のあちこちが、混乱し、浮き足だっている。

 しかし、中庭の奥にひっそりと建つ旧礼拝堂の周辺は、いつも通り人の気配がなかった。

 まるで、そこだけが別の力で守られているかのように。


 その足元、静かに日差しを浴びる芝生の上を、小さな黒い蛇が音もなくうごめいていた。


 その蛇が、礼拝堂の崩れた扉の前で動きを止め、次の瞬間に若草色のドレスをまとった金髪の女に変わった。若葉を巻き込んだ風に、髪の黄色いリボンが煽られる。

 

 冷たい青い目が、その小さな建物の屋根から礎までを一瞥した。


「……そこにいらっしゃるのね、お姉様。真新しい魔法の残滓がそこかしこに漂っていてよ」


 女、――ルゼ、もとい魔女デライラが指を鳴らすと、足元に別の蛇が現れた。先ほど玉座の間で暴れた蛇ほどには大きくない、濃い緑の体躯。

 

 それでも、その全長は人間の身長を優に超え、胴は魔女の腕よりずっと太い。そして目に宿る獰猛な光は、先の者に引けをとっていない。


 拳三つ分の頭をもたげて牙をむいた蛇に「獲物は、こっちじゃないわ」と吐き捨てると、デライラは再び虚空から現れた鞭を握り、地面を強く叩いた。


 音に反応した蛇に先導させながら、蝶番が用をなさなくなった扉の先に進む。


「……」


 デライラは黙って青い瞳を巡らせた。

 そこには古びたいくつものベンチと祭壇があるだけだった。外同様に人影はなく、物音もせず、割れた窓から差し込む光が筋となって空中の埃を照らしているだけだった。


 ――その静けさが、ごく小さな水音を魔女と使い魔の聴覚に拾わせた。

 デライラの目が細くなる。鞭の持ち手を、握りしめた右手の人差し指で素早く二回叩いてから、礼拝堂の奥に向かってその革紐の先をしならせた。


 爆音と共に、鞭の先にあった祭壇とその後ろの壁が吹き飛ぶ。

 礼拝堂の後ろに、池が作られていた。王宮とその周辺の庭を囲む壕のような形の、浅い、幅の広い池。


 その水面に、一羽の黒鳥が浮かんでいた。礼拝堂から逃げるように、こちらに背を向けてせかせかと泳いでいる。


「……あらあら」


 それを見たデライラは顔に歪んだ笑みを浮かべた。それを合図としたように、蛇が胴を右へ左へとうねらせながら、池へと這い寄っていく。


「それで隠れたおつもり? 私の目を、欺けると思われて? よりによって、黒鳥。かつては、ここであなたがそう呼ばれていたこともありましたかしら」


 デライラが蛇へ片手を振る。水面へと身を乗り出した蛇は、そのまま地続きの地面の上を進むかのように、水面を這った。黒鳥は追っ手に気がついたのか、頭を振ってから泳ぎを加速した。


「飛んでお逃げにならなかったので? ああ、逃げられなかったのでしたわ、この王宮からは、誰も、決して」


 魔女も蛇同様に池へと足を下ろす。水面を悠々と歩きながら、視線は黒鳥から逸らされなかった。


 その指が黒い羽に覆われた頭に向けられる。すると狙われた黒鳥の近くで火花が立て続けに弾けて、たまらずといった体で黒い翼がはためき、向こう岸へと飛んで渡った。


 無論、そのくらいで青い目の魔女の追及は緩まなかった。着地した芝生で一際大きな爆発が起きた。

 

「ほら、反撃なさらないの? 変身したままではまだ難しい? ごめんなさいね、意外と公爵にかけた呪いが早く進んだものだから、お姉様の成長をゆっくり待てませんでしたの。……あなたが私に殺されたと、あの男には知ってもらわなきゃ意味がないから」


 爆発から間一髪逃げた黒鳥が、バラの生け垣の後ろにまわる。デライラは足を早めた。その目はまっすぐ標的の方へと向けられ、もはや地を這う自身の使い魔のことすら見ていない。


「王太子の妃にまで上りつめるはずだった期待の娘、レダリカ。その大事な駒の死と、命より大事な家名の失墜に、自分も関与した。それを、今際のきわであの男の魔法を解いて、わからせてやらなきゃいけませんの。……十一年前、愛人をぼろ切れみたいに捨てたことも、死後の名誉まで汚したことも、その子どもを軽い気持ちで引き取ったことも、それが本物の魔女になったことも心を操られていたことも何もかも、自分がやったことは全部、絶望の中で後悔させてやらなきゃいけない。ねぇ私忙しいの、なのに、なのに、なのに逃げるなレダリカ!」


 怒鳴った女の、手の動きに合わせて生け垣が次々に燃え、煤となって消えていく。が、ことごとく黒鳥はいない。探すデライラの目は、今まで秘めてきた憎悪を、もはや隠してはいなかった。


「わかってる、王族の妃だろうと貴族の娘だろうと、魔女が人ひとり殺したら魔女集会は制裁決議を出すのよ、どうせ。だから私、この計画で最初に殺すのは何がなんでもあなたにしようって決めてたの。そして先生が制裁に来る前に、今度はヘリセン・カールロットを殺す。そこまでは何がなんでもやらなきゃ、お母さんが浮かばれない。ああ、本当は、買収された異端審問官も、傲慢な貴族も教会の人間もみんな殺したいけど。お母さんに石を投げた無責任なやつらも、濡れ衣だって知ってて見捨てた魔女どももみんな、みんなみんな殺したいけど、でも」


 吐き出していた呪いの言葉が、そこで一度止まった。

 青い目も、ある一点を捕らえて動きを止めていた。


 見つけた。そんな目で、古びた東屋を睨みつけ、低く呟く。


「……本当は、まだやりたいこといっぱいあるけど、でも、最優先事項(あなたのこと)から手をつけていかなくちゃ」


 魔女デライラは冷酷な笑いを浮かべて、東屋に指先を定めた。足元の蛇が囃し立てるようにシャーと鳴く。


 東屋に向けた人差し指を、ためらいなく上へと弾く。瞬間、指の延長線上にあった東屋が、盛大な音をたてて倒壊した。


 デライラは、礎の上に被さる瓦礫と化した東屋を無言で見つめた。


「……首、切り落として父親に見せてあげよう」


 ぼそ、と呟き、デライラはゆっくりと足を踏み出した。


 が。


「……っ!」


 瓦礫が動いた。

 と思うと、がらがらと、何かに下から瓦礫が押し上げられて、地面へと転がっていく。緑の蛇が警戒するように頭を上げた。


 生きている。盾に守らせたか。

 そう思い、デライラはとどめのために指先に魔力を込めようとした。


 しかし、瓦礫の下から出てきたのは、大きな泥の塊だった。


「……は?」


 動きを止めたデライラの前で、人ひとり包み込めそうな大きさの泥玉は、ぱか、と二つに割れた。

 その中で縮こまっていた女と、なすすべなく目が合う。


「……き」


 レース飾りをつけた腕で、魔法陣の描かれた呪符ごと自身を抱きしめ、真っ青な顔で震える女。黒い羽を足元に纏わりつかせたまま、その口が動いた。


「……聞いてない! こ、こここんなことになるなんて、よよよよりによって、フラウリッツさんの一番弟子に喧嘩売るなんて! わ、わ、私、そんなつもりじゃなかったんですぅ!!」


 涙の浮かんだ目。冷や汗によるものか、逃げるときに池の水を被ったのか、その赤毛は記憶の中の姿より巻きがゆるく、へたれている。


 唖然としたデライラは、思わず呆けた声を出していた。


「…………なんで、あんたがここにいるの」


 ――クラリス。


 その名前を口にするより一瞬早く、デライラは生け垣から伸びてきた鎖によって全身を拘束された。


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