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44 餞別


「――ええ、そうね」


 私の返事に、ロザロニアの目が輝いた。私はそれを、それこそ恨むような、意地悪な気持ちで見返している。


「あの子を信じきっていた私に罪人の汚名を着せて、着のみ着のままで王都から追い出して、本当にここで私が魔女になるのを王都で優雅に待ってた。そして、なんだか知らないけど時間がなくなって、ようやく前を向きかけていた私をこれ見よがしに挑発してきた。

 私の半年、ぜんぶあの子の手のひらの上で踊らされてただけってわけだけど、姉弟子の姉弟子がしたことだから多目にみろって、あなたはそう言うのね」


 凍りついたロザロニアの顔の前に、届いたばかりの手紙を揺らす。それでも、肩を掴む力は緩まなかった。


「……わかってるならそんな挑発無視しろよ! よ、呼ばれてのこのこ行くわけないって、そんな手紙捨てなよ! ……レダリカにとって、ルゼは許せない仇でも、私たちにとっては、……私にとっては、デライラは家族そのものなんだよ。年下なのに、本物の姉以上に、姉でいてくれた人なんだよ……このまま無視すれば、お互い会わないまま時が過ぎてくかもしんないのに」


 だんだんと弱々しくなっていく声。家族という言葉。

 そうだ、フラウリッツも言っていた。弟子をとるのは子供を引き取るようなものと。

 フラウリッツと、デライラと、ロザロニアで、家族なら。

 ルゼと憎み合う私は、フラウリッツとロザロニアにとっての、何?

 

「隠し事した私たちに怒ってるなら……お詫びは、なんでもするから」

「なら、ルゼを殺してきてよ、私のために。がんばった妹弟子のために」

 

 今度こそ、ロザロニアは言葉を失った。

 できないでしょ、と笑った私の肩から、ロザロニアの手が離れた。その足が、一歩後ずさる。

 その頬に、一筋涙が伝っていく。


「……なんで、そういうふうに言うの」


 いつも笑っていてくれたロザロニアが、静かに涙を流している。料理が上手くなくて、少し不器用で、嘘が下手で。フラウリッツに信頼されていて、みんなに信頼されていて。


「ぜんぶ奪われたフラウリッツが、誰にも報復してないのに、なんでその弟子のあんたたちは、揃いも揃って誰かを傷つけたがるの。最後に、自分も傷つくってわかってるのに。……最後に、私たちが裁かなきゃいけないのも、わかってるのに」


 そして、みんなを信頼している、優しい魔女。


「――ロザロニア、私はあなたの優しさに救われた。私からあなたへの感謝は、たぶん、あなたが思ってるよりずっと深い」


 私は、あなたと出会えてよかった。

 でもあなたは、私と出会わない方がよかったのかもしれない。

 

「だから、ひどい言葉は最低限で済ませるわ。――消えて。私の前から」


 二秒後、つむじ風がストロベリーブロンドを包み、そして現れた黒猫は、素早く廊下へと走り去っていった。冷や汗まみれのダリエルは、私の方と戸口を交互に見てから、フクロウに変わってロザロニアの後を追った。


「……ベネス。手紙にあった通り、お店には本当に私にぴったりのドレスが常備されてるの?」


 死んだかと思うくらい静かだった傍観者に声をかける。顔を向けなくても、彼が弾かれたようにこちらを向いたのがわかった。


「も、もちろんよ」

「じゃあ、一着サービスしていただける? 王宮に行くのに、――王太子妃になるご令嬢へお目通りするのにふさわしいものを」

「……レダリカ様、でもそれは」


 息を飲んだベネスを、私は「すぐ持ってきて」と言って黙らせた。


 ベネスが部屋から出ていくと、腕を組んでそれを見送った男へ「フラウリッツ先生」と呼び掛ける。


 疲れきった緑の目がこちらに向く。嫌そうな顔。


「何その顔。そう呼んでいいのはルゼだけだった?」

「んなわけあるかよ、先生なんて呼んでもらえるような男じゃないってだけだ」

「ふぅん」


 ほんとだよ、という呟きを無視して、私は彼に背を向けて部屋の壁に沿って歩き始めた。


「ひとり立ちするとき、弟子は師匠が使える魔法を、なんでもひとつ、授けてもらえるのよね?」


 喋りながら、このあとすべきことを考えた。


「ルゼは、あなたから“魔女から王宮を護る魔法”を受け取った」


 成人の式典のときから、ルゼは王宮に出入りしている。

 かけた本人だけが解ける完全魔法。例外があるなら、餞別の儀しかない。


「……ああ、そうだ」

「それで国王陛下たちも、まさかあの子が魔女だなんて思わないってわけ。……ベネスが相変わらず王宮に入れないのなら、きっとあの子が自分に都合のいいように改変したのね」


 返事はなかった。肯定か、彼自身知らないのか。魔法をかけた王宮に、ずっと近づいていないのだから、後者だろうか。


「フラウリッツ。変身魔法ができる私も、もう一人前といっていいのよね?」


 魔法使いは黙ったまま。部屋をゆっくりと歩いていた私は返事を待たず、開けっぱなしだった扉を閉め、彼の背中に向かって言った。


「餞別に、ルゼを殺す魔法をちょうだい」


 フラウリッツの肩がぴくりと動いた。しかし、却下の言葉は聞こえない。私は畳み掛けた。


「いいでしょ。魔女デライラには、自分の最大の功績、王宮の魔女避けを好きなようにさせてあげて、その上“心を操るリボン”まで良いように使わせて。あれが王太子殿下に影響を及ぼしたのなら、私、遠回しにあなたに陥れられたようなものじゃない?」


 それとも、と、息を吸い込む。男の背中に、大股で近づいた。


 かつて、あなたは言っていた。次に魔女の喧嘩を買うときは、事前に根回しして、確実に勝てる準備をしろと。


「あなたが、一緒に来てくれるの。三番目の弟子の復讐のために、一番弟子を打ちのめしてくれる? 王宮の加護を解き、油断するあの子を急襲してくれる?」


 後ろから巻き付くように覗きこむ私の視線から隠れるように、フラウリッツは目元を手で覆い、ため息をつく。残っていたわずかな力も吐き出すような、ため息を。


 大きな手はそのまま額へとずれていき、前髪を無造作にかきあげた。


「……親バカなくらい、全力で味方でいてやれる師匠になりたかった」


 既視感のある言葉は、夏の森で聞いた独り言を思い起こさせた。


 きっと、彼はこの部屋で最終結果を見ようとしていた。三度目の弟子育成の成果を。二人目の、カールロット公爵家の魔女の出来映えを。復讐を胸に誓ったおろかな弟子の、導きだす答えを。やり直しの結果を。


 だから、ずっと静かにこちらを見ていたのだ。私が、どうするのか。どう結論を出すのかを、固唾を飲んで、かはどうかわからないけど、見守っていた。


 そんな彼につきつけられた結果は、『ルゼを殺す魔法をちょうだい』。


 フラウリッツは、壁ぎわのチェストから厚みのあるトランクケースを取り出した。そこから出てきたのは、洗礼の儀式で使ったゴブレットである。


 見ていると、フラウリッツはチェストの上に乗っていた瓶からゴブレットへ液体を注いだ。杯と、机の上の細いナイフを手にすると、私のいる鏡の近くへ戻ってきた。


 そして、自分の手のひらを私に向けると、片手にまとめて持ったナイフとゴブレットを同時に渡してきた。


「ここに、そのナイフで好きな魔法の魔法陣を描いて、流れた血をゴブレットにいれな。図柄がわかんなきゃ聞いて。蜂蜜酒と僕の血がまざったのを飲み干せば、もうその魔法は君のもんだ」


 それが、餞別の儀。

 どこまでいっても楽しくないのが魔女の秘蹟らしい。師匠の血を飲んで、弟子が一人前となるなんて。


 ゴブレットを手のひらの下に構え、ナイフを手のひらの上に立てる。フラウリッツを窺うと、その目は私の方も、私の持つナイフの方も見ていなかった。


「殺人なんて、魔女じゃなくてもできること、わざわざ選ぶなんて気が知れないけど」


 白い手のひらの上に、私の手の動きに沿って赤い線が走っていく。ほどなくして魔法陣が出来上がると、フラウリッツは一瞥もしないまま、その手を下に向けて、ゴブレットに血を垂らした。


 琥珀色の酒が、血そのもののように真っ赤に変わる。


「……師匠が三流なんだから、今さらか」


 一応というように、フラウリッツは杯の中を見た。色が完全に変わっているのを確認して、小さく口の端を上げる。


 前髪の下の、諦めの表情。完全に失望しきった、自嘲と悲しみにくれた笑み。

 私はそれを見ながら、ゴブレットを煽った。上を向くにつれて、その顔は杯の縁に隠されていき。


 飲み干したとき、部屋にはもう誰もいなかった。新しい黒い羽が、床で揺れているだけ。

 

 来てくれるかと聞いた問いに、答えはもらってないが、どうやら断られたらしい。


 ならあれが、私の最後の師が、教え子としての私に見せた最後の顔になるわけだ。




 ひとりで大広間に戻ると、いまだに好き勝手に過ごす魔女たちの中を分け入って、私は目的の人物にたどり着いた。背を曲げて椅子に座る、彼女の肩に手を伸ばす。


「ララ=エバ。本当になんでも知っているなら、ひとつ、教えていただける?」


 振り返ってもなお子羊の骨をしゃぶり続けていた老魔女は、私の問いに驚きもせず、にたりと笑った。


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