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43 最初の弟子

「当然だけど」


 フラウリッツが重々しい沈黙を破った。それはごくいつも通りの彼で、今にもその手にパイプを構えそうにすら見えた。


「魔女はみんなあいつを“魔女の名前”で呼んだ。彼女は自分の親が誰なのかは、僕に弟子入りを志願したときしか話さなかったし、誰も魔女の身の上話なんて聞きゃしない。だから、王都に住むベネスとヴィエリタ以外は誰も、魔女デライラがルゼ・カールロットだなんて知りはしないんだよ」


 次の瞬間、ぱん、と、頬を打つ乾いた音が部屋に響いた。


「ちょっと、あんたっ……」

「でも、あなたは知ってた。知ってて、私に言わなかった」


 咎めるようなダリエルの声を無視し、私はフラウリッツを詰った。

 フラウリッツは赤くなった頬をおさえることもせず、冷静なままだった。


「そうだよ」


 間髪入れずに、今度は手の甲で逆の頬を打ってやった。


「そうだよって、あなた、私がなんで魔女になったかも知ってたくせに、……ルゼが私に何をしたか、知ってたくせに!?」


 言い訳して。

 どうしようもない理由があるのだと、言って。

 落ち着き払った男の態度に焦っているのは、私の方だった。


「……そうだよ」


 けれどそんな願望は、フラウリッツには微塵も伝わらなかったらしい。

 固まった私に、フラウリッツは全く動じない。

 その目の奥に、悔恨とか、焦燥とかを見出したかったのに。


 冷たい。

 優しすぎない、近すぎない彼が、初めて冷たいと、遠いと思った。


「なんでルゼのことを言わなかったかって? 君を魔女にする以上、楽しく生きてほしいと思ったからだよ。だって君からしたら面白くないだろ。王都を追い出されて、ようやく新しい居場所を得たはずなのに、そこにも憎い妹の痕跡があるなんて。

 それに、あいつはもうこの城には来ない。本人がそう言って去ったからね。なら、時間が君の心を落ち着かせるまで、……もしくは、君自身から聞かれるまで、黙ってたほうが穏便だろ」

「……でも、タリスマンの試作品を処分させた」


 フラウリッツの向こうで、ロザロニアが肩を震わせたのが見えた。


「あのピアノの底に刻まれたデライラの名前を見つけて、私が疑問を持ったら困るから。聞いたら教える? 聞いてこないようにしたくせにっ?」

「なんだ、見えてたんだ」

「ロザロニアも、あなたも、ベネスも。みんな私の復讐を、ルゼのために邪魔したの? 最初から、あの子のことを忘れさせるつもりで私を」

「違うよ」


 興奮して早口になっていた私は、フラウリッツにぴしゃりと断じられた。その冷たさに呆気にとられる。


「……ベネスには僕から口止めした、話すのは、僕からにしたかったから。君の復讐は確かに防ぎたかったけど、でもそれはルゼのためじゃない」

「私のためって言うつもり? 詭弁だわ、結果的に、ルゼは野放しになる」

「違う、僕のためだ。最初の弟子を、まっとうな魔女に育てられなかった僕が、もう一度やり直すチャンスだと思ったんだ」


 フラウリッツの不可解な言葉に、私は「何言ってるの」と呟いた。


「……ルゼは、僕がこの森に追放されて大魔女ベルティナの世話になってた頃、ヴィエリタが連れてきたんだ。王国に恨みがある、強い魔女に弟子入りしたがってるって」


 昔語りをするフラウリッツは、いつも淡々としている。師事する時とは違い、それは過去と距離を保とうとするかのよう。

 感情に引きずられないようにしているかのよう。

 

「ベルティナは僕の師匠の一件でますます王家と関わりたがらなくなっていたし、王都から洞窟を抜けてこの森に通おうとするルゼを受け入れたがらなかった。そこで僕が洗礼した。……国を、全く恨んでないとは、言えなかったし。僕はなぜウィヴランを恨むのかと、なぜ魔女を目指すのかをルゼに訊ねた。詳細はきけなかったけど、母親を殺されたから報復するためだと、それだけ語った」


 報復? ルゼの母親が殺された?


 衝撃だったが、絶句しているうちに話は進んでいく。


「僕は、グラニエルには君がいると思えばこそ、徐々に復讐を諦めることができたけど、ルゼはそうじゃない。“一緒に国に復讐しよう”と言ってくる彼女の気持ちをどうにか変えたくて、僕は魔法の教授以外のこともした。できたばかりのこの城の厨房で、二人で料理をしたり、庭でお茶をしたり、子供のセンスで植えた花で、呪具を作ったり。そのうちにロザロニアが城に住むようになって、デライラ……ルゼは心の底から楽しそうに見えた。あのピアノの曲は、ルゼが機嫌の良いときによく歌ってたから僕たちも覚えたんだ。

 それを見て、ルゼにヴィエリタのもとへ持っていってもらったリボンの呪具の売上金が少なかったことがあったのも、彼女が屋敷でだけ身に付けているリボンがその呪具であることも、気がつかないふりをした。……屋敷を、魔法の鏡で覗いている後ろめたさもあったし」


 ダリエルが眉間にしわを寄せたけど、口は挟んでこなかった。


「でも一年、いや、一年半くらい前か。ルゼは『もうここには来ない』と言った。復讐については、何も言わず。ただ、ずっと引き延ばしにしていた餞別の儀を行って、……それから一年後、王都にいるはずの君が現れた。

 ルゼは魔女だから、ずっと王宮に入れなかったはず。だから時間をかけて、王族と親しくなれる姉を通して、機が熟すのを待っていたんだろう。そしてとうとう一年と少し前、自分自身が王宮に入る手段を得て、当初の目的を実行し始めたんだ」


 恨みを抱いて魔女を目指した弟子が、新たな魔女の弟子を作り出した。フラウリッツは淡々とそう言った。


「君を森で見つけたとき、僕は嬉しかったけど、同時に絶望したよ。あいつやりやがった、てな。……クラリスのこともベルティナのことも、本当は偉そうに言えたもんじゃない」


 最後は低い呟きだった。

 再びの沈黙に、私はすぐには言葉が出てこなかった。


 考えてみれば、私はルゼのことを知らない。あの子が屋敷に来てからは目の前のことに手いっぱいで、いつも笑って庭を駆けていくあの子のことを知る余裕なんて無かった。

 私を置いて庭を駆けていったあの子が、そのまま街に出て、洞窟を抜けて、ここに来ていたのにも、気づかなかった。


 だけど、あの子が最初に陥れたのは、国でも王族でもなくて、私だった。ルゼを殺したいと思ったことこそあれど、過去に誰かを害した覚えもないのに。

 戸惑いの奥で、黒い、別の感情が頭をもたげる。


 いつかの、ヴァンフリート王子と酒を酌み交わすルゼを思い出す。私を嘲笑うルゼ。

 手の中の手紙がくしゃりと鳴った。


「レダリカ、今、何に怒ってる?」


 俯く私にそう言ったのはロザロニアだった。いつの間にか、私の目の前、フラウリッツの横に立っている。部屋に入るのをためらうように入り口に立ち尽くしていたのに。


「前はデライラを恨んでただろうけど、今のそれは、私たちに対する怒りなんじゃないの?」

「急に、なに」

「最近のあんたはずっと楽しそうだった。ここに来たばかりの頃より、ずっと。みんな言ってるよ、レダリカは取っつきやすくなったって。ねぇ、もうほんとは」

「ロザロニア」


 私は突然饒舌になったロザロニアの意図を察して険しい声を出した。けれど、ロザロニアは退かなかった。


「復讐なんてやめようよ。デライラは罠にはめたけど、レダリカを殺さなかったじゃないか」


 すがるような目。私の肩を掴む手の力。

 彼女の、こんな必死な姿を初めて見た。そこまで、ロザロニアはルゼを慕っている。あの子が私に脅かされることを、恐れている。


 間近で見れば、それはショックだった。


 私に、ルゼを許せと言っている。


 クラリスには同情しないと言ったのに、ルゼは、ロザロニアにとって姉弟子だから?

 あなた自身が、私の姉弟子でもあるのに?


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