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42 カールロット公爵令嬢


 時間?

 ルゼが何のことを言っているのか気になって、それまでの考えごとが霧散した。


『ね、お父様、もう少し頑張って』


 ……ああ、眠る父を励ましていたのか。時間がない。そういうことか。

 

 さっさと消せばいいのに、ついそのまま見ていると、ルゼの顔が上がった。やつれた父と対照的な、記憶通りの華やかな美貌がろうそくの火に照らされる。

 その予想外に冷ややかな表情は、あまり見たことがなかったものだが、後頭部で結い上げた髪を飾るリボンが相変わらず――。


「……え? っ、!」


 その(え、)に引っ掛かりを覚えた私の声に、ちょうど反応したかのようなタイミングで、ルゼがこちらを見た。一瞬、その青い瞳と視線がぶつかったような錯覚に陥る。

 

 思わず息を詰めたが、ルゼの顔はすぐに逸らされ、視線はその手元に向かった。

 ――ばかばかしい、私は何を驚いているのだろう。見られていると、向こうにわかるわけがないのに。


『……そろそろ、森まで噂は届いたかしら』


 わかるわけが。

 ……森?


 ルゼの言葉は、暗い寝室で誰にも拾われずに消えていく。

 そのさまを、私たちはどうすることもできずに見つめている。


『あの御者が、伝えてくれたのかしら』


 御者。


『お姉様は、どう思ったのかしら。先生は、エリセは……ああ、あの子、もうエリセじゃないんだっけ』


 そこで、ルゼは笑った。懐かしむように。

 それきり意味のあることは呟かずに立ち上がり、燭台を持って寝室の出口へと向かう。


『――』


 はっきりした言葉は聞こえてこないけれど、鼻歌がかすかに聞こえた。

 私もよく知っているメロディ。ルゼが、日頃よく歌っていた曲。

 

 ――塔の部屋の、水晶のピアノが奏でた曲。


 歌うルゼが、部屋を出る直前。燭台を持たない方の手が、父に向かって空気を払うような仕種をした。魔法をかけるときのフラウリッツに、よく似た動き。


 その拍子に咳き込んだ父に、ルゼは満足げに笑って扉を閉めた。


「……これ、どういうこと」


 私の呟きを無視して、鏡像が歪む。あっという間に、父の寝室は鏡の中から消えた。


 そして鏡面には、呆然とした顔の私と、その背後に立つ銀の髪の魔法使いが映し出された。


「……フラウリッツ」


 何も言わない部屋の主を振り返る。

 緑の目には、驚きと緊張が浮かんでいる。肩で小さく息をしているのは、急いで飛んで来たからかもしれない。床に黒い羽が落ちていた。


「なんだレダリカ、やっぱ知ってたんじゃない」

 

 張りつめた空気を打ち割る、能天気な声。

 部屋の出入り口には、小包を腕に抱えたダリエルと、ロザロニアも立っていた。


 そのロザロニアの顔の蒼白なことといったら。


 横でベネスが動いた。「ダリエルっ」と名を呼んだ彼は、フラウリッツとすれ違い様に、腕を捕まれ足を止めた。おかげでダリエルの口は、止まらなかった。


「さっき聞いてきた魔女のことよ。ほら、森の中でさ」


 ダリエルの、オレンジ色に塗られた爪が飾る細い指が、私の方を指差す。その向こうにある、魔法の鏡を。


「今の、リボンの子よ」

 

 衝撃で、頭がぐらんと揺れた気がした。実際には、私はちゃんと絨毯の敷かれた床の上に立っているのに。


 急に重みを増したように感じる水差しを手にしたまま、私はもう一度、何も言わずに見下ろしてくるフラウリッツを見た。


「……そうなの?」


 魔法使いは瞬きもしないで、静かに私を見返してくる。緑のガラスのような目に、間の抜けた私の顔が映っていた。

 薄い唇は開かなかった。否定しなかった。それが答えなのか。


「あとねぇ、干されたせいで遅くなったけど」


 私たちの雰囲気に何も感じないのか、気にしないのか、またしてもダリエルが場違いな声を出した。


「これ。ヴィエリタからフラウリッツに。タダで贈り物なんて、あのケチなババアがめずらしーわよね。って、あら、ヤギが黒くなった」


 ずかずかと部屋に入ってきて、どか、と机に小包を置いたダリエルの言葉に、押し黙ったままの私たちの視線が、机の端の黒い木箱に吸い寄せられた。


「……フラウリッツ」


 師匠である人は、ある予感に押された私の固い声の意図を正確に汲んでくれた。撫でられた木箱から、青い封筒が取り出される。


「君あてだよ」


 震えそうになるのをこらえて受け取ると、封筒の表に『カールロットの魔女』と書かれていた。自分の心臓の音を聞きながら開けて、便箋の上に目を走らせる。


『親愛なるお姉様

 そろそろお城での生活にも慣れましたでしょうか。寒い季節は、鶏の血が固まりやすくて大変だったでしょう。

 気分転換に、たまには王宮にいらっしゃいませんか。ヴァンフリート様もお父様も、きっと泣いて喜びます。


 でも、私が一番、お姉様に会える日を心待ちにしていることを、どうかお忘れにならないで。そちらの事情もあるでしょうから、急かしても仕方のないこととは存じております。でも、あまり焦らさないでくださると嬉しいです。


 なにせ、もう時間もなさそうなので。

 ルゼ』


 見慣れた文字。時間がないという、さっき聞いたばかりの言葉。


 魔女しか使えないはずのヤギで送られてきた、ルゼからの手紙。


 私は便箋から顔を上げた。今度は確信を持って、フラウリッツの目を見つめる。


「そうなのね」


 ついさっき自分が投げかけた問いに、自分で結論を出す。フラウリッツは静かにそれを見守るだけで、否定も肯定も、言い訳もしない。


 ――初めてここに来た日。この部屋の寝台に横たわって盗み聞きした、ロザロニアの言葉。


『フラウリッツってば、王都のことならデライラに聞けばいいじゃないか』


 二人が知っていて、王都にいて、でも私が一度も会っていない魔女。隠すように取り上げられた、水晶のピアノに彫られた名前。


「ルゼが、魔女“デライラ”なのね」

「……ああ」


 それは、言いたいことをいくつも飲み込んで、それでも残った最低限の言葉のようだった。


「この城で洗礼した、僕の、最初の弟子だった」


 私たち四人、数秒のあいだは死んだ貝のように口を閉じていた。私はフラウリッツを見つめ、他の三人は私を見つめ。

 そんな中で唯一ダリエルの「え、え、何?」という間抜けな声が響いていて、それが実に滑稽だった。


 なんてこと。


 カールロット公爵令嬢は、魔女である。


 姉妹、ふたりとも。



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