41 仇の姿
「ドレス、お披露目できた?」
隣に、またベネスがきていた。台座に座り込む私と同じ方向を向きながら、彼は立って腕組みし、像に寄りかかっている。
「ええ。ロケットも渡せた。色々手伝ってくれて、感謝してるわ」
「やだ、いいのよぉ。でも次のときはぜひ、アタシにドレスを作らせてね。サービスするわよぉ」
片目をつぶってみせる仕種は女を弄ぶ美男のそれだが、口元には婀娜っぽく立てられた人差し指。ふざけた営業のあとでベネスは「ところでフラウリッツとロザロニアは?」と、辺りを見渡した。
「逃げた馬を探してるわ。あの男を森の外に放ろうにも、足がないんじゃ近くの村までたどり着けないだろうって」
「あらそう。なんなら、アタシが抱えて王都に連れて帰ろうかと思ってたけど」
「ヴィエリタの店に繋がる洞窟を、魔女以外に使わせない方がいいって考えみたい」
そう、と。ベネスはそれきり興味をなくしたようだった。ただ、何か考えるように視線を落としている。
「……ね、なぜ私に、ルゼのことを言わなかったの?」
顔を上げたベネスは、きょとんとしていた。思案顔から一転、いつも通りの彼、――彼女だった。
「聞かれてないもの、わざわざ言わないわ」
「魔女はおしゃべりが好きって」
「アタシ、体は男だから。まことに残念なことにね」
吹き出した私を、ベネスはわざとらしく眉を上げて睨み、そしてすぐにまた視線を落とした。
「……言って、貴女を思い悩ませるのが嫌だったの。だって今さら、貴女が思い煩う必要ある? 貴女を追い出した、あの王国のために」
私は人魚の尾びれに肘を置き、頬杖をついた。聞かれたことには答えず、逆に質問を返す。
「グラニエルがめちゃくちゃになったら、あなた仕事どうするの?」
「どうとでもなるわよ。美しい服を着たいのは、ウィヴランの貴族だけじゃないし」
問題ないらしい。それもそうか。
「……で? レダリカ様は、あの男の話を聞いて、どう?」
「どうって?」
「心配? 家族や、元婚約者が」
「まさか」
即答ね、とベネスがおかしそうに笑う。安心しているようにも見えた。
それを見上げながら、私は思索を巡らせる。
今の答えは、強がりではない。
確かにこの身を焼いてでも復讐せんと燃え盛っていた怨念の炎は、ずいぶん小さくなった。が、けして消えてはいない。父と、妹と、元婚約者を許すかどうかは全く別問題だ。
許していない。彼らに幸福な未来など来てほしくはない。
「ちょっと、どこ行くの?」
無言で立ち上がり、私は魔女の輪から離れるように大広間のすみへと向かった。その先には、中庭に面した通用口がある。
「実家の様子を見に」
ついてきたベネスに振り返って言うと、相手は目を丸くし、そして今にも不満を漏らしそうな顔つきになった。
「誤解しないで、心配なんてしていない。……でもあいつら、私の仇だから」
先制した私は、ガウンを翻して通用口へ進んだ。
*
「一体何なの……」
大広間の喧騒を一掃したような、人気のない二階の廊下。並ぶ扉のひとつの前で立ち止まった私に、ベネスが問いかけてきた。
「知らない? フラウリッツの部屋よ、ここ」
「いやそうじゃなくて、それ……」
指をさされて、戸惑いの理由に合点がいった。
鶏の血で満たされた、陶器の水差し。
大広間を出た私は、中庭の鶏小屋へ直行し、久しぶりに新鮮な“赤インク”を手にいれていた。血抜きした鶏は厨房に置いてきたので、明日の昼食にでも使うつもりだ。
「魔女になってからは、もうほとんど赤インクは使わなくなってたから、ちょっと手間取っちゃったわお恥ずかしい」
「お恥ずかしいって、いやそうじゃなく、なんで急に……あら」
何か言いたげながら要領を得ないでいたベネスの意識が、扉の取っ手を回した私の手に注がれたのがわかった。
「あの人、部屋に鍵かけてないのね。入りたい放題じゃない」
「このお城、どこもかしこも鍵かかってないわよ」
私は鍵かけてるけど、とこぼしながら、躊躇いなく部屋へと足を踏み入れる。初めてこの城に来た日以来、自分の意思で訪れるのは初めてだ。
あの日と変わらず、本のぎっしり詰まった書棚、紙きれに覆われた壁、雑多な机。
そして、魔法の鏡。
私はそこへ、脇目もふらず近寄った。
「……鏡は気まぐれだから、使えるときと使えないときがあるってフラウリッツが」
ベネスの言葉を聞き流し、厨房に寄ったときに手に取ったハケを水差しに突っ込む。そして、赤黒い“インク”を含んだハケで、記憶を頼りに鏡面へ魔法陣を描いた。暗記は、得意だから。
「『魔女レダリカより、古き精霊へ送る。汝この血を辿ってきたならば――』」
言葉と同時に、鏡面は石を投じられた湖面のように歪んだ。大きくなる波紋が、フラウリッツの部屋の中の様子も、私とその背後に立つベネスの顔も、赤い魔法陣も飲み込んでいく。
呪文を唱え終えると間も無く、波が落ち着いた。そしてさっきまでなんの変哲もない鏡だったそれは、今は全く別の場所を映し出していた。
「気まぐれだから、持ち主以外にも気分次第で尻尾振っちゃうみたい」
「……やだ、駄犬」
忠誠心の欠片もない呪具を前に、心底嫌そうに呟くベネスを差し置いて、私は鏡の向こうに目を凝らした。
金縁の鏡が見せているのは、暗い、大きな部屋。真ん中に浮かぶ小さな光は、燭台の火だった。
暗がりに目が慣れると、そばに大きな天涯つきの寝台があり、そこに老人が横たわっていることがわかった。
老人、と言っても差し支えないくらい、男は老け込んでいた。闇の中でもそうわかるほど。
「……お父様」
映し出されたのは、カールロット公爵邸の、当主の寝室だった。数ヵ月前まで生活していた生家ではあるが、この部屋に懐かしさは感じない。
ここは娘である私にも、そうそう入ることの許されていない場所だったから。――王弟の私室に無断で入っているのに、皮肉な話だが。
……でも、なぜこの部屋が映ったのだろう。私が様子を見ようとしたのは父ではなくて――。
「……レダリカ様、もうやめましょう。フラウリッツが戻ってくるかもしれないし、こんなの見ても仕方な」
「っ、邪魔しないでフェルマイナー!」
一撫ですれば鏡の魔法は解ける。それを知っていたから、横から鏡面に触れようとしたベネスに対し、咄嗟に険しい声が出た。しなやかな男の手が空中で止まり、それきり下がっていく。
「……ごめんなさいベネス、フラウリッツには後でちゃんと謝るから、だから、……」
罪悪感と苛立ちがない交ぜになって早口で取り繕う。が、鏡の向こうで何かが動いたのに気がついて、私の視線はそこに釘付けになった。
一瞬見たベネスの顔は、怒っても悲しんでもいなかったが、何か諦めたような表情で、それも気にかかってはいたけれど。
「……いた、ルゼ」
部屋のすみから、寝台へと近づく影の方が重要だった。寝台横の燭台から少し離れた場所に立っていたため、動くまで気が付かなかった。
鏡には、ルゼの居場所を映すよう念じていたはずだったから、父が映し出されておかしいとは思った。
そうか。ルゼは可愛がられていたから、私が入れなかった部屋であっても彼女にはそうではないのか。
「……変わってないわね」
無意識にそう呟いていた。男が話したルゼの様子に不自然なところを感じての確認だったが、この父と妹は相変わらずだ。父はルゼを可愛がり、ルゼもそれを享受する。
ルゼの悪どさは、権力者たる父がもう長くないことを見越して、政界へ先手を打っているつもりなのかもしれない。
敵ばかり作ると逆に厄介だし、そんな王太子夫妻は王国にとっては災難でしかないが、それはそれ。世間からつま弾きにされる自分たち、魔女の口を出すことではない。
何かあれば、ヴィエリタなりベネスなりが私でなくとも誰かに相談するはずだし。
それに、王都には確か魔女がもう一人いたはずだし――。
『もう、時間もなさそう』
突然、鏡の向こうでルゼが言葉を発した。鏡を撫でようとした手が、思わず止まった。