4 追放
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夏だというのに森は肌寒く、昼だというのに薄暗かった。すっかり汚れたドレスの袖から覗く腕を両手で擦っても、大して暖かくはならない。
家に一度帰ることも許されず、私はまっすぐ森の中においてけぼりにされた。非公開審理の顛末を知らないらしい御者は同情するような顔で一礼してくれたが、馬車に乗り込むとあっという間に元来た道を戻っていった。
泣いている暇などなかった。どんどん小さくなる車輪と箱を見つめ、あれを追いかければ出られるかもとしばらく轍に沿って歩いてみたりもした。しかし、進行方向から突然、馬のいななきと何かが壊れる大きな物音、そして悲鳴がして、途切れた。
何が起きたか、想像するのは容易かった。ここは獣も、噂では魔物も跋扈する“日没の森”なのだから。
結局それ以上は足が進まなかった。手先どころか足先までもが冷たくなったのは、寒さのせいだけではない。
結局その場から今も動けず、どこかでカラスが鳴くたび、木々の枝葉がざわめくたび、私は身を固くした。
「……火は、獣除けになるのよね」
しかし、集めた枝を前にして途方に暮れた。マッチなんて持っていない。
積み上げた木の枝を見ていると、身の内からひしひしと無力感に苛まれ、絶望していくのを感じた。
レダリカ・カールロットは、王太子の妻として必要なことは、なんだって学んでいたはずだったのに。
「……何が魔女よ」
ポットから注がれる紅茶のように、やるせなさが胸を満たしていき、やがて愚痴となって溢れた。
「火の一つだって起こせないわたしに、ヴァンフリート様を呪えるわけないじゃない……」
鬱蒼と繁る木々の狭間で、私は吐き出した。カラスの羽音を聞かなくて済むよう、さらに続けた。
「そもそも、どう考えても罠なのに、なんで殿下も誰も彼も私を罪人だと決めつけるの、お父様も助けてくれないし、ルゼもっ……」
そこで妹の存在が頭をよぎった。
改めて考えると、あの冷酷な殿下に天真爛漫なルゼが掛け合っただなんて、想像するだに恐ろしいことだ。命だけは助けると約束されて、彼女はあの大きな目に涙をためてお礼を言ったに違いない。
『お姉さまのお帰りをお待ちしています!』
「……」
不勉強な子だったが、生きてさえいれば追放先から歩いて戻ってこられると本気で思っているのだろうか。日没の森は人里から離れているし、獰猛な獣が野放しだから旅人も寄り付かないのだが。
それに無期追放というのはほとんどの場合生涯追放ということで、期限は無いからいつでも戻ってきていい、というわけではないのだが。
骸がここで風化したら、ルゼは姉の墓参りにも来られないのだが。
「……」
『ええっ、そうなのお姉様っ! でも頑張ったらきっとどうにかなるんじゃないかしら? なんたって、お姉様は王妃様になるべく育てられたカールロット家自慢の令嬢だもの!』
妹の反応がありありと想像できて、気がつくと、私は額を押さえてため息を吐いていた。
何かにつけて楽天的な見方をする妹は、私から忠告を受ける度に目を大きくして驚いては、その目をそのまま細めて笑って、そう締め括った。かわいい笑顔だった。
「ルゼ……」
もともとカールロット公爵位は王太子妃となっても私が引き継ぎ、次の王太子か、臣下へと下る第二子以降の子どもに引き継がれるはずだった。
自分がいなくなったら、彼女がその爵位を継ぐのだ。王家の側近として、伴侶も慎重に選ばなければならない。
歌と踊りが特技のルゼ・カールロット。自分と違って愛嬌があって見目も華やか。だがそれだけで、権謀術数飛び交う宮廷を、果たして生き延びれるだろうか。
答えはすぐに出た。
「……どうにかして、帰らなきゃ」
無茶だの無理だの言ってられない。私の帰りをルゼが待っているし、何よりルゼには私の帰りが必要だ。冤罪だとわかればヴァンフリート様だってこの追放を後悔なさるだろうし、昨日の朝別れたきりのお父様は今頃頭を抱えているだろう。もしかしたら泣いているかもしれない。お母様の葬式でも眉ひとつ動かさなかった人だけれど、まあ、もしかしたら、万が一でも。
自分が宮廷の権謀術数に敗れたこともいったん棚に上げて、私は立ち上がるともう一度轍に沿って歩き始めた。途中で獣の食事の跡に行きついてしまうかもしれないのは心底嫌だったが、うずくまっていたらここにそれができるだけだ。歩きにくい靴だが、豆が潰れ靴擦れができた足でダンスの練習を続けた日々を思い出せば、まだ大丈夫だと言えた。