39 助けを求める声
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「……大広間に戻っててって言ったじゃん」
暗い夜の森に、不満げな男の声が響く。城から離れてもう二十分は歩いていた。
私は明かりがわりの炎を掲げたまま、小言を言うカラスの乗る枝からふいっと顔を背けた。
「だいたいロザロニアはともかく、なんでダリエルまでこんなときだけレダリカの言うこと聞いてんだよ」
私の足元には黒猫に扮した姉弟子がおり、すぐそばの枝に止まっていたフクロウは甲高い女の声で「だってぇ、フラウリッツ見つけないと朝まで干すって言うから~」とのたまって首をずらしたりかしげたりした。心なしか、羽が萎れている気がする。
「……前に来たことがある人間だってだけで、誰が来たのかはわからないんだぞ。危険なやつかもしれないのに」
「大丈夫だよフラウリッツ。来たのが国王軍でもない限り、この人数ならこっちが有利なんだから」
黒猫が私のフォローに入ると、庭にいたときとはうってかわって怒ったような低い声で、フラウリッツカラスがくちばしをこちらに向けた。
「……慣れてる魔女と新人とでは、何が危険かも違うと思わない?」
さっきから帰れ帰れと言われている私も、不機嫌を隠さず応じた。
「問題ないわ。ねえダリエル先輩?」
「ふええ~ん、レダリカの徹底サポートも解放の条件だったの~こいつらえげつないわぁ~」
「……」
フクロウは身悶えするように大きな羽をばさばさとはためかせた。それを見やるカラスの緑の目に呆れの色が浮かんでいる気がしたが、――その大きなくちばしはすぐにそらされ、暗闇のある一点へと向けられた。
「……いた。レダリカ、明かり消して」
私は言われた通りにした。目を凝らした先から、かすかにいななきが聞こえた。少し距離がありそうだ。
まずカラスが音のした方へ枝の間を縫うように飛び立ち、黒猫は「ここにいるんだぞ」と言い残して茂みへと潜っていった。
「どーも馬が怯えてるわね。都市から来たのかしら」
フクロウ姿のまま、ダリエルが呟く。二人が消えた方向を見つめる、満月のような目を見つめ、私はなんともなしに今日のことを思い返していた。
「ねぇ、ダリエル、今日はここ半年くらいの間に交流のあった……私と会ったことのある魔女しかお招きしてないの。ほかにも、フラウリッツたちが親しくしてる魔女っているわよね?」
「えー? 知らないけど、いるんじゃない」
フラウリッツが消えた途端にやさぐれた声で応じる。このちょいちょい憎たらしいところにも、もう慣れた。
「じゃあ、聞いたことない? “デライラ”って魔女……もしかしたら、魔女の洗礼を受けてない人なのかもしれないんだけど」
その名前に、ダリエルは大きな目玉をたたえた首をぐりん、とこちらへ向けてきた。もとから真ん丸な目だったから顔からはわからなかったけど、羽が膨らんでいて、どうやら驚いているようだ。
「デライラ? 確かに最近見ないけど、何あんた王都にいたくせに会ったことないの? あの子、今は」
ダリエルの声がそこで止まった。
同時に、私もフクロウから注意を移していた。
なんだか、呼ばれたような気がしたのだ。
「あっ、ちょっと動くなっつわれたじゃないのバカ!」
ばさばさと騒ぐフクロウを無視し、私は月明かりを便りに先発二人が向かった方向へ注意深く足を踏み出した。
*
「レ、レダリカ嬢をどこにやった! 魔物め、俺をどうする気だ!」
ぼんやりとした明かりを見つけたので音を立てないように近づくと、木の幹から生えた鎖で手足を拘束された男が冷たい地面に転がって喚いていた。そばにはランタンが落ちていて、私が便りにしていたのはこの明かりだったのだとわかる。
目立つ白いドレスから濃い青のドレスと緑のガウンに戻り、借りたジャケットを片手に茂みに潜んで様子を見守る。馬は逃げたのか、辺りには見当たらなかった。
不思議なことに、緑の目のカラスと毛並みの艶やかな黒猫も、それぞれ枝の上と近くの地面で、騒ぐ侵入者をつまみ出すこともできず、手をこまねいているように見えた。
おそらく、相手が私の名前を口にしているせいだ。私は目を凝らし、外套姿の男をよくよく見てみる。
「……っあなた、あのときの!」
止めるように至近距離で羽ばたいたフクロウの爪を払い、私は茂みから出た。カラスと黒猫が振り向き、男も顔をこちらに向けてくる。恐怖と混乱にまみれた男の表情が、驚きと安堵に取って変わった。
「カ、カールロット公爵家のレダリカ嬢ですね! ああ、良かった、ご無事で」
「もうレダリカ、あそこにいろって言っただろ!」
茂みから抜け出た私の前に、黒猫が進み出た。フクロウがその上空をくるくると回る。
「やれやれね。フラウリッツの言うこと聞かなかったこの女が、ロザロニアの言うこと聞くわけないじゃないって話よ」
「うるさいぞ、役に立たないギョロ目め!」
「はー? 地を這う獣がよく言うわ」
言い合いを始めた魔女二人を避けて、私は男に一歩近づいた。カラスは何も言わない。静観を決め込んだみたいだ。
「あなた、王宮から私をここに運んだ、あのときの御者よね? なんでこんなところに」
私をこの日没の森で下ろし、同情する顔で一礼して去った男。後から聞いたところによると、ロザロニアが転移魔法で馬車ごと森の外へ運び出したという。
御者だった男は自由にならない手足で這うように私の方へとにじり寄ってきた。「解いてあげて」と頭上に向かって言うと、木の幹から延びて男を捕らえていた灰色の鎖は煙のように消えた。
「ご、ご令嬢、これは一体……いえ、あなたがご無事で良かった。これも天のお導きか……ともかく、すぐにグラニエルへお戻りください!」
「はあ?」
不可解なことを言われ、思わず語尾が上がった。男は構わず、私の膝へとすがりつく勢いである。
尋常ならざるその様子に、私はとっさに後退りかけた、が。
「あの女を……カールロットの魔女を、止めてください! 王宮が、完全にあの女の手に落ちる前に!」
告げられた言葉に、足を止めた。