38 一人前
「ちょっと足邪魔! フラウリッツ、あなた下手ね!」
「んなこたない、長すぎてもつれてるだけだぜ」
マニュアル通りのステップをわざと崩そうとするかのようなリードが嫌ではなくて、かえって笑いが込み上げた。踊っているときに笑ったのなんて、初めてかもしれない。
「言ったわね、この」
「わっ、こらやめとけ、……っ!」
ふざける彼に、私も調子に乗って足をわざと引っかけた。彼の慌てるような声に満足した。
が。
「あら?」
浮遊感とともに景色が回った。と思うと、私はぐちゃ、とうつぶせに倒れこんでいた。
仰向けのフラウリッツを下敷きにして。
「……ごめんなさい、支えてくれるかと思ったの」
「……期待外れのヘタレでむしろごめんよ。さてはお嬢さん、だいぶ酔ってるな?」
至近距離でそう言われ、私はぱっと口を押さえた。そういえば、ここへは酔いを冷ましに来たんだった。
酒の匂いがしただろうかと身を起こし、フラウリッツの上から草地へとどく。そのまま地面に手をついて立ち上がろうとした。
――その手を、フラウリッツの手が握りこんだ。立ち上がれなかった。
「ちょっと」
「変身の魔法が形になったら、一人前」
私の抗議に被せられたフラウリッツの言葉。
独り言のようだったが、「……って言ったよね」と続いた。
「来年もさ、そうやって変身して、僕の誕生日を祝いに来てくれる?」
「……城から出ていけってこと?」
月の光を全身に浴びて、フラウリッツは微笑を浮かべたまま、こちらを見ている。
いつの間にか音楽は止んでいた。
「隠れ家ができたらね。一人前の魔女なら、独り立ちしなきゃ」
「そんな戒律ないのに?」
「いつでも遊びにおいでよ。困ったことがあったら頼ってきてよ。理由なんてなくても、ご飯食べにおいでよ、ロザロニアみたいに」
「フラウリッツ、答えになってない」
「……ずっと考えてた。いつ君に、僕から離れていって貰おうか」
思いもかけない言葉が鋭利な刃物のように、胸に刺さった。
フラウリッツの手が、掴んでいた私の手を解放する。もう行けというように。
引き留めたのは、そっちのくせに。
「……私、何かした?」
「何も。別に拒絶してるわけじゃないよ、ただ」
「カールロット公爵の娘だから?」
「そんなんじゃない」
「ここにいたいって言っても、だめなの?」
「だめ」
冷静な声。とりつく島のない態度。それでも、クラリスに向けていたものよりはずっと優しい。
だからこそ、余計に思い知らされる。何を言ってもだめだと。
「……ここを出たら」
喉が震えた。言うな、と、心の内で止める声が聞こえたが、振り切った。
「ここを出たら、その足で公爵家に復讐しにいく。魔法であいつらを殺しに行く」
フラウリッツの、探るような目が射抜いてくる。ごく、と、私は喉を上下させた。
「本当に?」
「……ほ」
「僕はずっと思い止まってほしかった。復讐なんてやめて、別の生き方で幸せを見つけてほしかった。たぶん本当は、君を魔女にすべきじゃなかった。僕のこと、完全に思い出す前に、どこか遠くの街に送り出してあげなきゃいけなかった」
羅列される言葉に、聞いているだけの私の息が止まりそうになる。
なんでこんな冷たいことを言うのか、わからなかった。
「でも、会えたのが嬉しくて、また会えなくなるのが寂しくて、君の希望を聞くふりをして、結局魔女の世界に連れ込んでしまった。……ならせめて、魔女であっても、楽しく生きていってほしい。お茶を飲んで、買い物をして、着飾って、たまに仕事もして、正直な友人たちとお喋りして……たまに、僕にも会いに来て」
……なんで、冷たい言葉で殴った後に、優しい言葉で包み込むのか。これも何かの魔法だろうか。心臓を切り裂く呪いなのだろうか。
「それでも、君が復讐の道を選ぶなら、仕方ない。僕は無力だった。また、失敗したんだ」
「……っフラウリッツ!」
しびれを切らしたように、私は叫び、力を失ったようなフラウリッツの手を両手で握りしめていた。
「私は、ここにっ、フラウリッツのそばにいたいのっ!」
無我夢中で叫ぶ。一度口からこぼれた思いは、一方的に拒絶された悲しさと悔しさを飲み込んで洪水のようにあふれ出た。
「私は、あなたに料理を食べてほしいし、まだ知らない魔法も教えてほしいし、買ったものを見てほしいし、誰かに意地悪されたら一緒に怒ってほしいし」
「レダリカ、僕はね、君の思ってるような奴じゃなくて」
「気合い入れて着飾った姿が薄着だったら、上着譲ってほしいし」
「……レダリカ、ここには昔ね」
「転ぶときには一緒に転んで、下敷きになってほしいし」
「……レ、レダリカ、あのね」
「魔導書だって持ってないし」
そこでフラウリッツが苦笑いした。口を引き結ぶ私に、バレバレの嘘を嗜める保護者のような顔で言う。……ばあやが時々してた顔。
「それは書き写したでしょ。君のスピードなら、もう全部」
「ない。燃えた」
「何言ってんの」
「燃えたの。燃えちゃったの」
ははは、とフラウリッツは軽く笑ってから、真面目な顔になってまた、「……何言ってんの?」と繰り返した。
「……暖炉の前に置いておいたら、うっかり内側に倒しちゃって、燃えちゃったのよ。また一からやり直しなの」
フラウリッツはその美しい顔に間抜けな表情を浮かべて私を見つめた。私はそれを強い意思でもって見返す。睨み返すと言った方が正しいくらいに。
――夜の庭に立ち込めた、長いようで短いような沈黙を破ったのはフラウリッツの方だった。
「……燃やしちゃった、の間違いではなく?」
私は口を尖らせ、視線を泳がせて無言を貫いた。フラウリッツが「やられたなぁ」とため息をつく。
「なるほどねぇ……。魔導書を持たないで独り立ちは、確かに酷だ。君、一人前にはなりたいけど、独り立ちはする気無しって、あの風邪のときから思ってたの?」
「……」
「ずいぶん甘ったれてるじゃん。あーあ、これは親の責任かな。……しょーがないね」
最後の言葉に、私はぱっと顔をフラウリッツに向けた。フラウリッツは疲れきったような顔でこちらをみていたが、突然ふ、と柔らかく笑った。
「あの魔導書は、二人共同で使おうか」
「共同?」
「うん。君が持ってて。僕は内容覚えてるから」
フラウリッツはようやっと地面から上半身を起こし、両手を上にあげて伸びをして、そして今度はにっと深く笑みを浮かべた。
「ご飯の準備は交代制。言っとくけど生活費も折半だからね」
同居の継続を許すその言葉に、私は目を輝かせた。腰を上げたフラウリッツを見上げて礼を言おうと口を開く。
が、それを男の手が制した。緑の目の奥に、緊張が見える。
「ただ、ひとつ。僕が君に、ちゃんと話しておかないといけないことがまだ、……」
言葉は明らかに途中で止まった。訝しむ私の前で、フラウリッツは視線を城とは逆、森の方へと向けた。
「フラウリッツ?」
「……誰か、森に入ってきた」
険しい顔と声。こんな真夜中に、獣の跋扈する森に、人間。
私も立ち上がった。フラウリッツのこの言い方は、きっと同胞ではない。
「迷子の旅人かしら?」
「いや……この気配は」
フラウリッツの足元から、つむじ風が巻き起こる。
「以前にも、来たことがある人だ。先に大広間に戻ってて」
そう言うと、緑の目のカラスは森に向かって飛び立った。




