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(本編完結済み)『カールロット公爵令嬢は魔女である』  作者: あだち
本編

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37 変身


「魔女ジュールシアの死は自業自得だと、みんながそう思ってる。僕を仲間と思えばこそ、僕を金づるとして利用したジュールシアに同情しない。彼女の妹弟子だったベルティナすらも」


 フラウリッツの指がロケットを撫でた。そこに刻まれた名前を、懐かしむように。


「……魔女が、若い弟子をとる理由はさ、死に際に“臨終の儀”をやってもらうためでもあるんだ」


 こちらに向き直ったフラウリッツは話を変えたように見えた。けれど、その苦笑によく似た表情に、隠しようもない悲しみが浮かんでいる。


「魔女の最後の秘蹟。無事に死者の眠る国へ向かえるよう、故人のまぶたに手を置いて、精霊に魂を託すんだ。だから、死ぬときには必ず誰かがそばにいてあげないといけない。……あのクラリスがさ、ベルティナのもとで最初に教わったことは、臨終の儀のやり方だったんだよ、あからさまだろ?」

「……そう、気の毒ね。私が偉大な師匠に最初に教わったのは、下着の発注方法だったのに」


 そういやそうか、と魔法使いは笑った。大きく口を開けて、天を仰ぎ、師匠魔女の名が入ったロケットを持たない手で目元を覆って。


「……内心どうあれ、クラリスはちゃんとベルティナを弔えたそうだ。それにひきかえ、僕ときたら」


 私は目をそらした。言葉を切った彼が隠した表情を見ないまま、一歩体だけ近づけてゴブレットをまたちびりと傾ける。


 私とほんの数個しか年が違わない大魔法使いフラウリッツ。彼が弟子をとるのは、押しに弱いからなだけではない。ジュールシアが受けられなかった、臨終の儀の心配をしているわけでもない。


 たぶん、こんな肌寒い春の夜に、一緒に過ごせる家族がほしいから。

 自分が生まれて、二人目の母親が死んで、故郷を追われた季節を、誰かと過ごしたいから。


 しばらく、私たちは黙って立ち尽くしていた。

 そこに遠くからダリエルの「うえ~んレダリカ~」と助けを求める情けない声が、夜風に乗って届いた。


「……許してあげれば。あいつも反省してるんじゃないの」


 苦笑したフラウリッツに、私は少し考えて「ねえ」と切り出した。


「ロザロニアは、猫を見慣れていて、猫になりたくて、黒猫に変身するようになったって」

「流すんだ、そこ……」

「あなたは、なんでカラスなの?」 


 取り出したパイプをもてあそぶフラウリッツは、すっかりいつもの落ち着きを取り戻したように見えた。


「見慣れてたからだよ」

「嘘。王都の街中ならともかく、王宮にはカラスなんてほとんどいなかった」

「へぇ、そうだっけ?」


 煙草入れから一回分の葉を移すフラウリッツはこちらを見ない。

 どうでもいいことのようにあしらう彼に、私もめげない。


「ベネスがね、一度私のことをカラスみたいって言ったの。指摘したら、フラウリッツの口癖だって。昔好きだった女の子を、あなたはカラスに見立ててるの?」

「貴族ご用達のくせに、口の軽い仕立て屋だな」

「お喋りが好きなのよ、魔女だから」


 火のついたパイプを咥えて二秒後、薄い唇が煙を吐き出す。ため息みたいに。


「……カラス、やだ? 自由で賢くて、強いのに」

「嫌じゃないけど、ただカラスみたいな私が好きだったなら」


 ばつが悪そうな彼を前に、私は空になったゴブレットを地面に置くと、そして指をならした。その仕種は火を起こす時のように軽く、だが魔力の扱いには全神経を集中させて。

 足元から起きた風が円を描く。緑のガウンごと、着ていた青いワンピースがふわりと煽られた。


「……この姿は、お気に召さないのかしら、って」


 つむじ風に包まれる一瞬前、目を丸くした男の手からパイプが落ちた。


『でもレダリカは、レダリカのままで、やりたいことがあるんだろ』


 ロザロニアの言ったことが反芻される。相変わらず、動物への変身はできない。動きも想像できないし、そもそも違う生き物になりたいとも思えない。

 でも、もしこの人が望むなら。


『レダリカの成人の儀はちょっと見たかったな』

 

 風がやんでいく。

 ひらひらと、裾が草地にゆっくりと着地した。


 真っ白な、ドレスの裾が。


「……ご感想は?」


 私が着ていた緑のガウンと、その下の青いワンピースは、今や百合のように真っ白なドレスに変わっていた。ハーフアップにしただけだったまっすぐな黒髪も、サイドに編み込みを作って全部上げて。


 自己満足にならないように。ずっとそう心がけていたけれど、驚きに満ちたフラウリッツの表情を前にして、今日一番の満足感で頬がゆるむのを抑えきれなかった。


「……」


 フラウリッツは何も言わない。私はくるっと一回転してみせた。

 十六才の時に着た成人の儀のドレスのようなスカートの膨らみは無いが、腰から足元へと流れ落ちるようなドレープが美しい自作デザイン。ベネスにもイメージ画を見せて太鼓判をもらっている、自信作。白でも、ふわふわしていなくて、これならきっと似合っている、はず。


「……」


 フラウリッツはまだ何も言わない。私は反対側に回転してから、ちょっとスカートを持ち上げて腰を下げる挨拶のポーズをとってみた。

 よく見るとビーズとダイヤで模様が施されている。月の光でも、きっときれいに輝いて見える、はず。


「……」


 フラウリッツは、やはり何も言わない。

 私は動きを止めて、相手の取り落としたパイプをおとなしく拾ってあげた。


「ほら、落」

「寒そう」


 ぼそ、と。パイプを差し出すと同時に、ようやく聞けた感想、『寒そう』。頭を鈍器で殴られたような衝撃に、眩暈がした。

 確かに、袖は長いがレース編みだ。はっきりいって寒いけど。


「……っ、……ええ、ちょっとね!」


 言いたいことを全部飲み込むと、羞恥心と苛立ちが頭から爪先まで駆け巡った。そういえば、パイプを逆さにして煙草を捨てる男には、デリカシーがなかったのだった。

 もういいや。これははっきりいって完全魔法ではなく、気を抜いたら解ける変身魔法だ。さっさともとに戻ろう。

 そうして恥ずかしさがやさぐれに変わりかけたとき。


「着てな。また風邪ひくよ」


 肩を、予期しなかった温もりが覆った。びっくりして、今度は私が目を見開いて固まってしまう。

 対して、着ていたジャケットを私に羽織らせたフラウリッツは、ずり落ちないよう襟辺りをしっかり私の鎖骨前で引き寄せると、にーっと満足げに笑った。


「レダリカ、動物への変化は諦めて、お着替え変化に舵切ったんだ?」


 はっきり言われて、ざっくり刺さった。


「……だめ? 変身魔法、不合格?」

「すごくいい。花丸合格」


 うなだれた私が顔をあげると、フラウリッツは手の中のパイプをくるりと回し、季節外れなバラの花に変えた。

 そのまま右手をいつものように一振りすると、大広間から、音楽が聞こえてきた。魔女たちの歓声が続く。

 

「せっかくだから、一曲付き合ってよ。寒さも和らいだでしょ?」


 バラを私の耳の上へとそっと差し込んだ右手が、そのまま目の前に差し出された。

 上着に袖を通した私は、そこへ自分の手を重ねかけて、寸前でためらった。

 

 ダンスは、昔からあまり得意じゃない。もうずっと練習していない。

 ……どうせ咎める人間は誰もいない。でも。


 そんな私の迷いを一蹴するように、フラウリッツが私の手を掴んで強く引き寄せた。「きゃっ」とよろけるように飛び込んだと思うと、さっきとは違う彼の笑い声が上がる。


 それが合図だったかのように、緊張が消えた。草の上でのステップは自然に出た。

 


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