36 宴
祝われて嬉しいのかわからないから、デリケートな問題かもしれないから、大々的に“おめでとう!”って言うのは、様子見してからにするつもりだった。
もし誕生日を祝われることを望まないなら、“たまたま”人が多く集まったので、夕飯は奮発したことにする。そういう手筈だった。
一応、自己満足にならないよう、気を遣っていた。
「それが全部パアよ!」
「落ち着いて、レディ」
壁際、水瓶を掲げる人魚像の土台に腰かけて、ゴブレット片手に喚いた私へ、ベネスがチーズと干しイチジクの乗ったバケットを差し出してくる。
彼、もとい彼女以外に私の大声を気に止める客はいなかった。
というのも、いつもはがらんどうの大広間に、今日は大きなテーブルが出され、その上は料理や菓子、お酒で埋め尽くされていた。目につく限りのシャンデリアに火が灯され、魔女たちは自由奔放に飲み食いしてはお喋りに興じている。すみで杯をあおってくさくさしている若い魔女のことなど、別に誰も無視はしないが、特別気にとめもしない。
だって彼女たちの中央では、運び込まれた大きなソファに座るフラウリッツがいる。もはや秘密にすることもあるまいと、祝いの言葉とともにひっきりなしに酒をすすめられているのだ。
見る限り、いつも通りの彼だ。飲みたくないときは遠慮なく断ってもいるようで、無理もしていない。
良かった。今日の催しを、ありがた迷惑と思われていないみたいで。
ささくれだっていた私の気持ちが少し、和らいだ。
「……でも、サプライズは、全部パアッ!」
「わかったから、どうかお鎮まりになって我が女神」
五分おきに悔しさがわっと噴き出す私に、ベネスは根気強く酒を注いでくれた。
*
「ロザロニアが、ダリエルを物干し竿に吊るしてるんだけど、あれ君が命じたの?」
宴会が始まってから一時間が経過した。
お気に入りのガウンを羽織って庭に出て、冷たい夜の空気と月光で酔いの回った頭を冷やしていた私は、今日の主役の声に振り返った。
「まさか。ロザロニアったらそんなことしてるの? 下ろされる前に見てこようかしら」
「努力をぶち壊された妹弟子のお許しが出るまで、ロザロニアが全身全霊をかけて縛り続けるつもりみたいだけど」
大広間の明るさと喧騒を背にして、フラウリッツは苦笑いしながら歩いてきた。両手にはそれぞれ、スプーンが添えられたゴブレットを持っている。
「じゃあ、これ飲んでからゆっくり見に行くわ」
フラウリッツは声をあげて短く笑った。
差し出されたブランデーから甘い香りがした。ジャムが底に沈んでいる。
「……正直、祝われないのが普通になってたから、不思議な感じするな」
「他の魔女も、自分が生まれた日を知らない場合がほとんどなんですってね」
多くの魔女が、生家にろくな思い出がない。あえて言うなら洗礼を受けた日が魔女誕生日だそうだ。それも記念として大切にする魔女はやはり多くないらしい。
そんなこんなで、魔女は誕生日を祝う習慣が希薄だ。
「それもあるし、王宮にいた頃から、一年無事に生き延びたことに安堵してくれる人はいても、生まれてきたことを喜んでくれる人はいなかったし」
私はゴブレットの中身を意味もなくかき混ぜた。すぐりのジャムが、もろもろと崩れていく。
「だからかな。同胞にも、こうやって真正面から祝ってもらえるなんて、思ってなかった」
その声に嬉しさが滲んでいるのを感じた。見るとフラウリッツは目を細めて、口角を上げてこちらを見ていた。
「ありがとね」
「……私の方こそ、あの日、熊から助けてくれてありがとうございます」
言ってからなんとも言えない笑いが込み上げた。本当は、この城に来た翌日に言うつもりだったことだからだ。
いつも忙しくて、ずいぶん後回しになってしまっていた。ここで過ごすうちに、あの日のことを思い出す時間がどんどん短くなってしまっていた。忘れてはいけないこともあったのに。
神様、ほんとに私今、幸せです。権力も栄華も遠くなって、でもおかげで、とても充実しています。酔いも手伝って、高揚感が穏やかな温もりとなって私を包んでいった。
そこへ、フラウリッツがそれまでと全く変わらないトーンで水を差した。
「今頃にはもう、君はここにいないかと思ってた」
「……」
硬直から一転、私はゴブレットから一口酒を流し込んだ。舌の上で甘味と、苦味を転がし、飲み込む。
「……ヴィエリタをけしかけたから? “沈み星のショール”で、私に復讐の機会を与えるようにと」
「あれ、気づいてたんだ」
フラウリッツは悪びれずに認めた。私も淡々と返す。
「私が、品性と目的を天秤にかけてどちらをとるか試してたの? ヴィエリタ、持っていった呪具の買取金額ちょうどまで値を下げて、鼻先にぶら下げてきたわよ」
「試したんじゃない、チャンスをあげたつもりだったんだよ。あのショールがあれば、大抵の魔女からだって逃げ切れる」
戒律を犯して。フラウリッツの信頼を踏みにじって。それでも当初の目的を遂げる、そういう選択肢も、あの時、確かにあった。
――もしあの時、私がショールを被って、公爵家に向かっていたら、今どうなっていたんだろう。
そう思いを馳せて、は、と乾いた笑いが込み上げた。
「それで私が帰ってこないかもと寂しくなって、クッションに凭れて一人でやけ食いするつもりだったの」
「は、別にやけ食いじゃ……、やけ食いだな」
予想外の指摘だったのか、一瞬むきになって言い返そうとしたフラウリッツはばつが悪そうに視線を泳がせた。
「でも、あのショールは役立ったわ」
師の動揺した様子に満足を得て、私は手のひらに集中し、手首を回した。天に向けた手のひらの上に、転移させた小箱が現れる。
「ショールのおかげで、信頼のおける老舗の店頭で、意匠も質もこだわって注文することができたもの。お店の人とのやり取りは、ベネスに同伴してもらって彼に任せたけど」
唖然とするフラウリッツに、チョコレート色の包装紙に包まれた小箱を渡す。素直に受け取った彼は、しばらくまじまじとそれを眺め、そしてゴブレットをその場から消し、ゆっくりと開封し始めた。私は緊張を押し隠して、それを見守る。
「ペンダントだ。 あ、ロケットになって……」
細い銀の鎖の先の、トップアクセサリーを開けたフラウリッツの言葉が、そこで止まった。
銀とエメラルドでできたロケット。
中には、ヴィエリタから聞いた彼の師匠の名前と没年が刻んである。十一年前、彼が王都から出た年。
いつの間にか、口の中が乾いていた。私はもう一口ブランデーを飲んでから、声を出した。
「故人を悼むのに、必ずしも墓標が必要ではないかもしれないけど、その」
フラウリッツは何も言わず、じっとロケットを見ていた。少しの、私にとっては恐ろしく長い沈黙が続いた。
耐えきれなくなった私はゴブレットをぎゅっと掴んだ。
「よ、余計なことだったら、ごめんなさい」
「……僕が、この森から出ないのは、誰もそれを望んでいないからなんだ」
滑り出た私の謝罪は聞こえていたのかいなかったのか、フラウリッツはペンダントの先を見つめたまま語り始めた。
「僕が王宮と関わること、王都に向かうことを、王家も、同胞たちも、誰も望んでいない。ヴィエリタやベネスみたいにうまく紛れ込めない限り、魔女も魔法使いも、王都から離れていた方がいいんだって、みんなそう思ってる」
……では、ヴィエリタの店にも、いつもロザロニアがおつかいに行っていたのだろうか。『あら、フラウリッツはきっと怒りませんよ、今回も』という彼女の言葉。誰かが、過去にフラウリッツのお金を勝手に使ったかのような。
思考は口には出さないでおいた。今は些末なことだ。