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33 風邪

 *


 目を覚ますと、時計は昼過ぎを指していた。

 仰向けのまま視線を動かせば、窓の外は相変わらず雪に覆われている。森も、見えないけどきっと城の庭も。十日ほど前に初雪が降ってから、ずっと同じ景色。


 ……部屋の中にも、銀色の塊が見える。


「冬場は、自分の隠れ家にこもる魔女が多くなるんだ」


 違った。師匠の髪だった。


 視界が徐々にクリアになってくると、ここ数ヵ月寝起きしている部屋に、見慣れないものがいくつかあるのに気がついた。

 まずすぐそばに座る銀髪の男。それから、ベッドサイドボード上のトレー。そこで湯気をたてているシチュー皿と、二つもあるカップ。


「ダリエルの配達も割り増し料金になるしね。それでも彼女は飛んで移動できるだけいい。この、冷えきった雪の上を歩きまわるよりはね」


 足を組んで椅子に深く腰かけたフラウリッツは、カップのひとつを口に運んだ。だるさで寝台から動けない私を、呆れたように見やりながら。


「……ご存じ無い? この国のほとんどの人間は鳥に変身できないから、冬でも夏でも地面を歩いて用事を済ませるのよ。……っごほ」


 間一髪手を口で押さえてから咳き込むと、額になにか乗っているのに気がついた。手を這わせてみる。絞った布巾だ。

 ぼーっと布を見つめる私から、フラウリッツはそれを取り上げて額に置き直してやれやれとため息を吐いた。


「口は達者なようで、結構結構。パン粥とスパイスミルクティー置いとくから、どっちかだけでもお腹に入れるといい。トレーの上にあるかぎり、冷めないようにしておいたから」


 スパイス、ということはきっと独特な香りが部屋に漂っているのだろう。それが、今日の私には何もわからない。

 風邪を引いたのだ。


「……ごめんなさい。朝食作りは私の仕事なのに」


 罪悪感に胸がふさがる。視界がぼやける。熱のせいだろうか。


「おうおう泣くなよ。大丈夫だよ、こっちは赤ん坊じゃあるまいし。そりゃ、作ってもらうのが好きだし頼んだけど、こんなときまで君を酷使するような薄情ものに見られちゃ、そっちのが困る」

「な、泣いてない……」

「そうかいそうかい。鼻かみなお嬢さん」


 ちり紙を渡されるのも恥ずかしい。そもそも、彼の城とはいえ、寝巻き姿で横たわり、ぐちゃぐちゃの顔をさらしていることも恥ずかしい。消え入りたいと思うと、また目頭が熱くなってきた。

 おかしい、たかが風邪なのに、私ったらなんでこんなに泣いてるんだろう。ああ恥ずかしい。涙が止まらない。


「ああ、不安なのかな。なら仕方ない、どうせ笑うやつもいないから存分にメソメソするといい」

「……ふ、フラウリッツがいる……」

「出てけってか。気になるなら、こっちの姿でいるよ。不安で泣けるなら、寝付けるまでひとりぼっちにはならない方がいいと思うぜ」


 そういうが早いか、椅子から男は消え、代わりにそこに緑の目の大きなカラスがとまっていた。「ほら、鳥の前なら気を遣うのもばからしいだろ」と、言って、本物のカラスのように羽つくろいを始めた。


 ことさら優しくはなく、しかし絶対に冷たくはない距離感。本当に、この男ってこういうところがある。私はのそのそと体を起こし、スパイスミルクティーに手を伸ばした。


 カップをすすりながらしばらく横目で見ていると、カラスのフラウリッツは「ねえ、まだ寝ないんなら聞くけどさぁ」と大きなくちばしで話し始めた。


「突然体調崩したの、これが原因?」


 黒いくちばしの示す先は机の上。魔導書と写本、蜂蜜酒の小瓶と、ドライフラワーやレース編み。みんなやりかけで、誤魔化しようがなかった。


「……日付が変わる前に横になってるし、以前の私に比べたらずっと緩やかなタイムスケジュールなのよ」


 先日も、私はヴィエリタの店に呪具を携えて訪れた。

 その時に、どうも良くない土産物をくっつけて帰ってきたらしい。昨夜少し喉の調子がおかしいと思ったら、今朝は起き上がれなかった。


「まったく、生活費は師匠が持つもんなんだから、店にいくのは春まで待てば良かったのに。……まさか、僕お金の心配されてる?」

「そ、そういう訳じゃないけれど……」


 緑の目がじっと見つめてくる。カラスは表情が読めないから、こっちの方がかえって迫力がある。


「……」


 私がカップを掴んで黙りこむと、フラウリッツは逃げ道を示すように目をそらしてくれた。伸びでもしているみたいにゆっくり二、三回羽ばたいて、声の調子も変えて。


「やーれやれ。君って動いてないと死んじゃうタイプの魚みたい。たまには立ち止まってごらんよ、案外平気だから」


 私を責めず、シンプルな感想だけを言い置いたフラウリッツは椅子から机、チェスト、帽子かけへと移り、結局出窓の桟に居場所を定めた。


 ほっとした反面、彼がすぐに興味を引っ込めて体も遠ざけたことに、なぜか残念な気持ちもあった。心配してくれる彼に、答えなかったのは私なのに。


 風邪だから、気持ちが弱っているのか。そうだ。きっとそう。

 

 私はカップの中を見つめた。彼は師匠として、十分私を大切にしてくれている。私は弟子として、とても大切にされている。


 師弟として。


「ね、フラウリッツ。何をもって私が一人前になったと言えるの?」


 再びベッドに横になった私の方へ、窓の外を見ていたカラスが首を巡らせる。不思議な光景だ。


「そーだねえ。とりあえず、レダリカの場合は変身の魔法が形になったら、まずまず一人前といっていいんじゃないの。明確な基準なんてないしね。ひとりで生きていけるようになったら、だよ」


 ひとりで。

 だんだん重くなってきたまぶたをどうにか支えながら、問いを重ねた。


「……魔導書って、魔女がひとりで生きていくのに不可欠?」

「んん、写本作業、無理しないでほしいけど、そりゃあった方がいいよ。僕が教えきれてない呪文も魔法陣もたくさん載ってるし。それに原本でなくても、長く使ううちに魔力を安定させる拠り所になってくる」

「そう。……じゃあ、やっぱり頑張って書き写さなきゃ……」


 頑張って書き写して、一人前になって、そしてロザロニアのように、ここを出る。この城を。


「……さみしい……」


 私の口から無意識に漏れた言葉。その意味も考えられないくらい、意識が朦朧としてくる。お腹が温まったせいか、ひどく眠かった。


「……急ぐことない。雪が溶けてから、ゆっくりでいいよ」


 低い、心地よい声。


 閉じていくぼんやりとした視界の中で、窓のそばにいたはずのカラスが銀色頭の人間に変わっている。


 雪が溶けたら。

 春がきたら。


「そしたら、また一緒に遊べますね……」


 眠い。



「……そうだね。三人で遊べたら、良かったのにね」



 誰かの返事。夢かしら。


 眠い。


 

 意識は、そこで途絶えた。

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