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3 妹



 何度己の身を思い返してみても、捕まる要素がない。


「……確か、朝、王宮から呼び出しが来て、急ぎだって言うから何も食べずに身支度して。王宮についてから馬車を降りる直前に、しっかり結ったはずの髪が一房落ちていることに気がついて、どうしようって慌てていたら兵士たちに馬車を取り囲まれて、ヴァンフリート殿下への呪詛の容疑で逮捕するって言われて、それで、えっと」


 ガチャン。


 己の身に起きたことをぶつぶつ呟きながら反芻していたところで、錠が回る音が聞こえた。殿下が出ていってから初めて、この地下牢に、誰かが来たのだ。


「お姉様っ」


 石の床を打つ小刻みな足音ともに現れた小さな顔と、息せききった声。見慣れ聞き慣れたそれらに、混乱していたわたしの胸にはほんの少し安堵が広がった。


「ルゼ! 良かった、あなた無事だったのね! それにしてもどうやってここに」

「見張りの兵士さんに頼み込んで、少しだけ話すのを許してもらいました。それよりお姉様、一体どういうことなんです。呪詛なんて……。殿下とあんなに仲が良さそうでしたのに」


 妹はいつもと同じようにリボンでくくった金髪を揺らしながら、私のいる独房へと駆け寄ってきた。心配そうなその顔に、わたしは首をふった。


「違うわ、私は何も知らないっ、罠にはめられたのよ。きっとコウゼン侯爵令嬢かダートクール伯爵令嬢か、もしくは」

「でも、お姉様のお部屋から水晶の短剣と、毒水の入った瓶、それに王太子の名前が血で書かれた羊皮紙が出てきたんです。こんな不気味なもの、一体何にお使いに?」


 初耳だ。私はごく、と息を飲んだ。


「そ、それこそ身に覚えがないわ。信じて、私は何もしていないの!」

「お姉様……」


 ルゼの青い目が驚きに見開かれている。ルゼと私は何もかも似ていない。上昇を目指して常に気を張っていた黒髪黒目の私と、自然体でおおらかな金髪碧眼のルゼとでは。

 その瞳は薄暗がりの地下牢でもきらきらと輝いている。こころなしか、いつもよりも。


「わかりましたわ、待っていてください。私のたった一人のお姉様を、こんな卑劣な罠なんかで処刑台になんか送らせません。だからお姉様も、どうか私を信じて待っていてください!」


 鉄格子を掴む私の手に妹の手が重ねられたとき、見張りがルゼを呼ぶ声がした。時間切れだった。



 翌朝、私は本当に牢から出ることができた。文字通り、『牢からは』という意味でだが。


 昨日と同じ服のまま、顔を洗うこともできずに引き出されたのは宮廷の玉座の間だった。

 舞踏会に式典、婚約成立の際の両陛下への挨拶と、何度も足を踏み入れた華やかな場所は、しんと静まり返り、見知らぬ場所のように冷たく私を迎え入れた。 

 御前法廷として。


「前へ」


 言われて、崩れそうな足で前進する。広い玉座の間にいたのは、国王夫妻と王太子殿下、法務大臣と護衛兵だけだった。今の私のみすぼらしい姿を目撃する人数が少ないことに安堵すると共に、底知れない不安が増幅される。


「罪人、レダリカ・カールロット」

「つ、罪など犯しておりません」


 反射的に言葉を返すと、玉座近くに立つ法務大臣に「静粛に」と一喝された。一昨日まで、にこにこ笑って私やお父様の機嫌をとってきた人なのに。


「本来なら公開法廷のち斬首となるところ、貴殿の妹御の助命嘆願と、ほかならぬヴァンフリート殿下からのご温情により、人払いされた中での断罪のうえ、減刑が認められたことに感謝せよ」


 減刑、ということは、冤罪は晴れていないということだ。兵士が肩を押さえて跪かせようとしたが、そんなことされなくても膝に力が入らずへたりこんでいた。


 証拠とされた水晶の短剣や毒水入りの瓶などの“呪具”とやらが私の部屋から見つかったことを、大臣が原稿そのままらしく述べていく。その背後では、両陛下が玉座から無感動に私を見下ろしてきていた。その眼差しは厳しくもなければ情けもなく、実に淡々としていた。

 唖然とした。この二人にとっては、私の人生最大の危機も、いつもの仕事のひとつに過ぎないのだ。


 その横に立つかつての婚約者を見れば、不機嫌そうに眉間に皺を寄せて顔を逸らしている。

 私の方なんてちらりとも見ない。助けはない。


「水晶の短剣なんて見たこともございません!」と反論しても、誰も聞く耳を持っていないのが明らかだった。絶望がひしひしと足元から這い上がってくる。

 怖い。

 嫌だ、悪い夢だ。きっとそうだ。


「カールロット公爵家長女、レダリカ。魔女となりて王太子殿下に呪詛をかけし罪により、王都グラニエルからの無期追放を申し渡す。その身は“日没の森”へと()く送られるべし。これにあたっては、さらなる呪詛を防ぐため、身の回り品の一切の持ち出しを禁ず」

「にっ……!?」


 下った沙汰に絶句した。反論が全く聞き入れてもらえないどころか、この王都を追放されると言われたのだ。しかも、何も持たず、身一つで。


 それだけでも考えられないのに、よりによってわざわざ西の国境近くの森に送られるなんて。獣の生き餌になるくらいなら、いっそ斬首の方が苦しまない。


 しかし無情にも、大臣が「以上」と締め括ると同時に、肩を押さえていた兵士は今度は腕を取ってわたしを立たせ、御前から引きずっていった。

 そんな、なぜ、お父様は何をしているの。殿下は、急になぜ。


「待ってくださ、……待って! 私、魔女なんかじゃない! 殿下!」


 生まれて初めて、全力で叫んだ。喉が裂けるかと思った。言葉遣いなんて構っていられなかった。

 それでも、ヴァンフリート殿下は私を一瞥だにしてくれなかった。


 目の前が真っ暗になる。足元も覚束ない。引きずられるから、それでも体だけは動かされていく。物のように。


「お姉様っ」


 玉座の間から引きずり出される直前、ルゼの声が耳に飛び込んできた。

 首をめぐらせると、妹は大きな扉の影にちょこんと立っていた。両手を胸の前で組んだ彼女の青い目が潤んで、まっすぐこちらを向いている。ヴァンフリート様とは対照的に、なすすべなく引きずられる私を目に焼き付けようとするように。

 

「ルゼはお姉様のお帰りを、この宮廷でお待ちしております!」


 健気な言葉に、私は何も答えられなかった。


 扉が閉まる直前、一縷の望みをかけて、もう一度玉座の方を見る。ちょうど国王陛下がかすかに口を開くのが見えた。


「よもや、カールロット公爵令嬢が魔女であるとはな」


 聞こえるはずもない距離で、風が運んできた言葉に息が詰まった。




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