27 魔女ロザロニア
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「生まれた家の近くに、猫の家族が住み着いてたんだ」
二日後。相変わらず鳥にも猿にもなれそうにない私は、幾束ものコスモスが逆さにつるされた窓から入ってきた黒猫に、なぜその姿を選んだのかを聞いてみた。
「ご自宅の周りに?」
「ご自宅なんて大層なもんじゃない、この城の倉庫より小さいあばら家だけど。……猫ね、特に餌なんかやった覚えもないのに、いやに懐かれててさ。こっちはせかせか働いてんのに、いつも親子でのんきにじゃれあってて、もし生まれ変わるんなら猫がいいなぁって思ってたんだよね」
そう言って、黒猫はストロベリーブロンドの女性の姿に戻った。
夏から黒いドレスを着ていた彼女だが、透かしレースだった袖部分含めて全体が黒いベロアになり、首のまわりにはふわふわと同色の毛皮が付いたものに変わった。布地は彼女の動きに合わせて艶を発している。
「でも、猫ってロザロニアっぽいわね」
「えっ、怠け者に思われてる?」
「違うわ、そうじゃなくて」
感じたことを率直に述べようとした私は、直前で言葉を飲み込んだ。とっさに視線を窓際で揺れるドライフラワーへと移す。
体のなめらかな曲線が、猫っぽい。それをそのまま口に出して言うのはちょっと憚られた。プロポーションのすばらしさを強調する服を、ロザロニア本人が好んで着ているとはいえ、他人にはっきり口に出されるのは彼女も嫌がるかもしれない。揶揄したダリエルは額の端を焼かれていたし。
「……動きがしなやかで、目がきりっとした美人顔なところが、いかにも猫だわ」
言葉を選びなおすと、言われた当人は「ええ~、美人だなんて、あんたに言われたらかえって嘘くさいなぁ」なんて返しながら満更でもなさそうである。
実際のところ、お世辞でもない。最初の頃は、広い城とはいえ、こんな弟子と少し前まで同居していてフラウリッツは本当に何もしなかったのかと半信半疑だった。
しかし端から見ていると、二人の遠慮のない距離は男女の仲というよりむしろ兄妹のようで、疑いはそう時間をかけずに霧散した。
「……私はなんで、変身の魔法が上手くいかないのかしら。みんな簡単そうに変身しているのに」
外からここにやって来る魔女たちは、大抵姿形を変えてくる。火を起こす魔法が私より苦手な魔女も、かのクラリスでさえも。
ロザロニアも悩ましげに眉を寄せた。
「簡単なのかは断言できないけど、確かに動物への変身ができない魔女ってあんまり聞かないかも」
……魔女って本当に率直に物を言う。私の気分はますます落ち込んだ。
「フラウリッツは、他の人は子どもの頃に練習するからコツを掴みやすいんだろうって言ってたのよ。私くらい成長してからだと、柔軟さが失われて難しいんじゃないかって。そうなのかしら」
弟子入り志願をした際にも、『その年だと馴染みにくい』と言われた。
ララ=エバの言っていた通り、『招かれていない宴』、つまり王都や公爵邸に乗り込むのに、動物の姿をとれたら、復讐がすごく楽なのに。……どう復讐するかは、また後で考えるとしても。
「あ、そうなんだ。私はてっきり、レダリカは変わりたいって願望が薄いからじゃないかと思ってたけど」
ロザロニアの言葉に、私は目を瞬かせた。
「変わりたい願望?」
完全に乾ききった花の束をカーテンレールから外しながら、ロザロニアは頷いた。
「私はさ、ここに来るまで、親にも姉兄にもあんまり大事にされてなくて、いい思い出ってのもあんまりなくて。だから、それまでの自分も、自分の人生も好きじゃなかったよ。元の名前を捨てるのも抵抗なかった。魔女になりたいかどうかを別にしても、自分ではない別の何かになりたいって気持ちは自然に湧き出てたと思う。それこそ、猫とかに」
それなら私だって、公爵家の一員として、王太子妃候補として生きていた頃の自分はそんなに好きではない。家族にだって好かれていなかった。名前を変えたくなかったのだって、家族への愛着とは真逆の感情ゆえだ。
そんな、口には出さなかった反論が、ロザロニアには伝わったかのようだった。
「でもレダリカは、レダリカのままで、やりたいことがあるんだろ」
「……」
言われて唸った。
確かに、私はレダリカ・カールロットとして報復したいと、思っているけど。
「そ、それが理由なのかしら……」
「いや、私もわからないよ、なんとなくそう思ったってだけさ」
慌てて言い添えるロザロニアから、コスモスの束を受け取る。花が減る季節に向けて用意するこれも、魔法の力を補助し、増幅させる呪具のひとつになるという。残念ながら変身魔法の呪具ではない。
「……まあ、レダリカは少し肩の力抜いてみたら? 復讐のことから、少し離れて」
廊下を隣り合って歩きながら言われた言葉には反射的に「そしたら生きる気力そのものが萎えてしまうわ」と口答えしてしまった。言ってから、苦笑いして目をそらした姉弟子に、気まずさが湧いてくる。
無言になった私たちの重い空気は、前方の角から現れた共通の師によって払われた。
「あ、ロザロニアちょうどよかった。後で話があるんだ、残していった試作品のことで」
緩い笑顔を浮かべたフラウリッツの言葉に、ロザロニアは「……あ、ああ。あれ」と何かを思い出したように応じた。
「あれは、棄てていいよ。いらないし、売る気もないし」
「いやまあとにかく、棄てるにしても後で話そ」
それから、フラウリッツは視線を私の方へと動かし「気分転換に、明日はその花で呪具作ろうか」と言った。
「わかったわ。何の魔法の補助に使うの?」
「人心拘束の魔法。人の心を縛る魔法は難しいから、相手の心につけ入るためのいろんな呪具があるんだよ」
予想外のえげつなさに、思わず腕の中の可憐なコスモスを見下ろした。
ああなるほど。これを可憐と思う、その心がもうつけ入られているわけか。




