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22 好きな子


 だがそう考えていくと、私の中でますます深まっていく疑問があった。森の中で聞いた言葉だ。


「ねぇ、なぜ“何もできなかった”の。まさか、自分のかけた魔法で王宮に手出しできなくなったから、じゃないでしょ?」


 フラウリッツが足を止めた。地上に着いたのだ。

 それに合わせるように、石段の小さな炎もぽつぽつと消えていき、残すは私の足元の明かりだけとなった。

 

「もちろん。たいていの魔法は、かけた本人はちゃんと解けるもんだし、それに」


 暗い建物の中で、小さな通気口から差し込んでくる細い月光が、銀色の髪を照らしている。そうしていると、実に精巧な容貌だった。

 いつもと変わらないはずなのに、どこか作り物めいた美貌。


「それでなくとも、王宮以外の要所に攻撃を仕掛けることだって、やろうと思えばできた。魔女たちと徒党を組んで行動を起こすことも。罰は受けることになったろうけど、やってたらまぁまぁな惨事になったんじゃない。思い入れのある場所も、特にないしね」


 ぞっと、背中が粟立った。普段の様子からは想像もつかないが、この男がその気になれば王都を壊すことなんて、簡単だったのだ。

 なのに、なぜ。


「でも、君がいる場所だと思ったら、何にもできなかった」


 そうだ、私がいたから。

 ……。


「私が、何ですって?」 


 眉を寄せた私に、フラウリッツも負けじと首をかしげてきた。 


「だって君、グラニエルにいたでしょ? 王宮にも出入りしてたでしょ?」


 そんな当然のことのように。確かに、いたけども。


「そしたら、思い入れなんてあろうとなかろうと、手出しできるわけないじゃん」


 フラウリッツの人形のような顔に、困ったような笑みがにじむように広がっていった。力の入らない、どこか諦めたような、けれど少し嬉しそうにも見える微笑み。


「普通、好きな子の住む場所、吹っ飛ばせないでしょ」

「……なっ」


 好きな子。

 意味をかみ砕くと、私の足は蝋のように固まり、顔は火が付いたように熱くなった。ろうそくか。 


「あれ、何その反応。うぶだなぁ、婚約者だっていたくせに」

「だって、そんな」


 婚約は事務的な流れだけだった。こんなにもまっすぐな好意の言葉を男性から受けとるのは、生まれてはじめてだ。


 なんて返すべきなんだろう。『ありがとう』?『私も好きだった』?

 いや、確かに自分もイル少年が大好きだったが、そこに恋愛感情があったかと言われると違う気もする。

 ……。


「……ご、ごめんなさい」

「ん、急にどうし……あっ、いま僕ふられたのっ?」


 気まずくて、肩がびくついてしまった。申し訳なさは言葉以上に胸をついた。

 だって、向こうは師匠の仇、自分の仇への復讐を思いとどまるほどの思いを寄せてくれたのに。


 地上に向かう階段の、最後の二段を下りられない私に、しかしフラウリッツはけらけらと笑った。


「心配しないで。こんな話したのは、別に今の君とどうこうなりたかったからじゃないし、だいたい君が聞いてくるから答えただけだもん」

「……でも」

「それに言ったでしょ、色々思うことがあったのは師匠が死んだ直後だって。僕だって、ここでの生活と弟子育成でてんてこまいだったから、王都に残してきたことはすぐ二の次三の次でどうでもよくなっちゃったよ」

「…………あ、そ」


 それはそれでちょっと寂しい。照れて、罪悪感までもった私が自意識過剰みたいだ。

 

 複雑な乙女心をもて余す私に構わず、フラウリッツは外へと通じる木戸を押す。私もひとまず、オレンジ色に照らされた石段へと一歩足を下ろした。


「でも君のこと、忘れた日はなかったよ」


 さらりと言われて、最後の一段を踏み外しそうになった。空のカップも一瞬宙に浮いた。


「だから君の姿を森で見つけたときは目を疑ったけど、同時に嬉しかった。記憶の魔法は完全魔法だけど、かけたのが王宮の魔女避けの後だったから時間が経って綻びが出ていてもおかしくないし……とにかく、記憶が復活して僕に会いに来てくれたのかなって、期待しちゃった」

「……そう、だったの」


 私はどうにか転倒を免れたが、言葉はうまく探せなかった。手の中のカップにも、答えは見つからない。

 結果的に術は解けたのだが、この森に来た時点では何も思い出してなかったし、フラウリッツと会ってもしばらくは思い出せなかった。


「僕の顔見て甥の名前呼んだから、全然思い出してないって気がついたけどさ」


 月に向かってため息を吐きかける様は、パイプの煙を吐く仕草に似ていた。……拗ねているようにみえたが、多分また私が自意識過剰なだけなんだろう。逸りそうになる自分の心臓に落ち着けと唱える。


「ねぇ、君まだ恨んでる?」

「別に、もういいわよ、蒸し返さないで」


 うぬぼれを指摘されたように思って反射的に答えてから、はっとして声の主の顔を見、そこで勘違いに気がついた。フラウリッツは意外そうに目を見開いてこちらを見ている。

 

「ち、違うわ、ちょっと考え事してて、恨みは……」


 慌てた私の声は、そこで止まった。

 恨み。

 ヴァンフリート殿下への、お父様への。ルゼへの、恨みは。


「まだ、解けないわ」

 

 心の奥には、冷たい氷の塊がある。私は、フラウリッツのようにはなれない。

 魔法使いは「そっか」と言うだけで背を向けた。城へ向かって歩き出す。


 失望されただろうか。冷え切ったところとは違う心の隅から生まれた小さな焦りが、喉元を駆け上った。


「でも、命と引き換えにしてでも、っていう自棄みたいな気持ちはもうないわ。……多分」


 フラウリッツの足が止まった。

 私は口から飛び出していった言葉に自分で驚き、恥じた。相手を痛めつけても自分は傷つきたくないだなんて、なんて浅ましい。本音だとしても、なぜ急にそんなことを打ち明けてしまったのだろう。

 なのに、振り返った男は容赦ない。


「そうなの?」

「……そうなの」


 観念した私に、フラウリッツが引き返して、近づいてくる。『自業自得って言葉知ってる?』と、今度こそ叱られるだろうか。それとも『そりゃそうだよねー』と、あっけらかんと肯定してくれるだろうか。

 地面を見つめる視界の端に、彼のブーツのつま先が映り込んだ。


「なら、良かった」


 後頭部に、あたたかな感触。

 我に返って顔を上げると、もうフラウリッツはこちらに背を向けて歩みを再開していた。

 

 立ち止まったままの私は、師匠が撫でた後頭部に触れてみる。よく寝ているおかげで、指どおりは悪くない。

 ふと、視線の先の城の窓から、ロザロニアが片手を振っているのが見えた。「冷えるだろー」と、遠くからかすかに声が聞こえた。


「早く戻っておいでー、ミルクティー淹れたからー」

 

 笑顔だ。窓から身を乗り出しては、自分も冷えてしまうだろうに。

 そう思いながら、おずおずと、こちらも手を振り返してみる。


 すると、揺れる腕が二本に増えた。


「待ってるんだからぁ、早くー」


 あの腕は、フラウリッツだけじゃなくて、私にも振られている。彼女に、帰りを待たれている。

 視線を下げて、先を歩く背中を見つめる。聞けば教えてくれるけど、聞かないことは語ってくれない。

 でも、死ぬのが嫌になった私を、『良かった』と言ってくれた人。

 

 息が苦しくなった。

 王都には、帰りを待ってくれている人なんていない。あの日、私はすべてを失った。

 でも、ここで生活していくうちに少しずつ手に入れているものがある。


「レダリカ、明日は赤インクいらないよ」


 遠ざかる背中からの唐突な言葉に、私は声が震えそうになるのを悟られないように返事をした。


「朝ごはんは三人分ね。せっかくだから『正統派の』ミルクティーが飲みたいなぁ」

「……じゃあ、ロザロニアを足止めしてくれなきゃ困るわ。彼女、手伝ってくれるのよ」

 

 幼馴染の肩が揺れた。「ああ、それとね」と言葉が続く。


「明日、天気よさそうだから、洗礼しよっか」

「それはいいわね」


 そうだ、それがいい。何せ、天気がいいのだから。


 ……。


「えっ、洗礼っ!?」

 

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