10 早く魔女になりたい
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私が魔法使いを師に得て、十日ほどが経った。
城に住み始めた当初は、掃除や毎食の準備、水汲みから始まる洗濯といった雑事はすべて弟子である自分の仕事だと覚悟していたが、実際にはそうはならなかった。
とはいえ、すべてが免除されていたわけでもない。
「あの、フラウリッツ、掃除も洗濯も魔法で片付けてしまうのに、なんで料理だけ私にやらせるの?」
「え、嫌? ロザロニア呼んでやってもらう?」
「別に嫌なわけじゃ……」
ちり一つ落ちていない食堂で、染み一つないクロスのかかったテーブルの上に、私が作った素人丸出しの朝食が並んでいるのを見ると、少し気まずかった。バターで香りよく焼いたオムレツにするつもりが、もたもたしていたせいで少し焦げたし、成形しきる前に固まってしまって形もいびつだ。
料理の知識は皆無ではない。食卓の采配は女主人の役目と言われていたから。
ただ、実際に包丁をとるのは、貴族の奥方や王子妃のすることではなかった。……卵を割るのがあんなに難しいとは思わなかった。
「だって掃除や洗濯は“元の形にどれだけ戻せるか”っていう作業だけど、料理は新しいものを生み出す作業じゃん。何がどんな風になって出てくるのかっていう楽しみがあるから、僕、料理は誰かに作ってもらうのが好きなんだよね」
「……たとえあなたが魔法で作った方が美味しくても?」
「美味しいものを求めるなら、君が来た日にロザロニアに作ってもらったりしない」
なんという言いぐさ。とはいえ、公爵家より広い古城をひとりで掃いて回らなくてすんだのはありがたい。
「それに、せっかく一緒に住んでるんだから、家事分担とかした方が家族っぽくていいじゃん」
「はぁ」
私の家で家事分担など存在しなかったので、よくわからない。
……フラウリッツはそういう家庭で育ったのだろうか。思わず、加熱しすぎて皮が弾けたソーセージを口に運ぶ男の顔をまじまじと見てしまう。
……いや、彼はおそらく、そんな家庭に憧れたということだろう。
「あ、そだ。午前中にまた届け物が来ると思うんだけど、もしダリエルだったらそのままお金払って、君が受け取っちゃってくんない? 僕が立ち会わなくても、彼女から買うのは大抵パンとかチーズとかの食料品だから」
買い置きされていたパンは、昨夜の夕餉で食べきっていた。
一昨日、『思ったより減るの早いや』と発注書を書きながら呟いていたのを偶然見てしまった。食い扶持が増えたことを申し訳なく思っていたら、『庭に一本丸々は撒きすぎだったかな』とぼやきが続いた。
どおりで城の回りの野鳥がみんな、恰幅がいいわけだ。
「いいけど、私お金持ってないわ」
「出入り口の脇の花瓶の中に入ってるから」
「……そんなところに置いてるの」
それはいくらなんでも無用心では。胸に生じた呆れが、続く言葉でさらに上塗りされる。
「そんなとこっていうか、城中いろんなとこに置いてるから支払いには適当に使って。窓枠とか彫刻の手のひらの上とか」
「ええ?」
「だって、ダリエルは正面玄関から入るのにこだわるけど、ほかの人たちは窓とか煙突とか色んなとこからやってくるからさ。その都度魔法でじゃらじゃら取り寄せるより、その場で掴んでぽいっと渡したほうが楽なんだもん」
――この城に住むようになって十日ほど。けして長くはない期間の内でわかったことのひとつが、これ。
「ねえ、話変わるけど、今日の講義庭でやろうぜ。なんせすごく天気がいい」
「……昼にはまた暑くなるわよ」
「日陰でやるんだって。池で鳥が水浴びしてるの見ながら昼寝するのがいいんじゃないか」
「講義じゃなくて?」
「間違えた、そう、講義。水辺は涼しいから、呪文の系統分けもはかどるさ」
魔法使いフラウリッツは、とてもマイペースだ。
*
本当に外で行われた講義の後、私は部屋に戻り、数日前から取り掛かっている魔導書の写本作業を再開した。
この城に一つきりの正本は、フラウリッツが彼自身の師から受けついだ彼の持ち物だそうで、借りっぱなしにはできない。すごく分厚い本で、早朝から深夜まで作業しても栞の位置がほとんど変わっていない。
早く魔女になりたい。そのために、さっさとこれを書き写さなければ。大丈夫、徹夜は慣れてる。
「……うう」
ぼやっとした頭に喝を入れるように、ギュッと目を閉じてみるがあまり変わらない。
別に、慣れてるけど、でも部屋の大きな窓から広がる風景で目を休めるくらいはしてもいいだろう。
私に与えられた二階の部屋は、さっきまで自分たちがいた場所を悠々と見下ろせた。
正面門から城の入り口までを繋ぐ、石畳の一本道。その横に広がる、森の木々が作る陰から逃れて育った芝生。
手入れされた花壇というものはなく、百合やマリーゴールドなどが所々に群れを成して咲いている。バラの木もかたまっていた。
主の気まぐれそのもののような花の塊。もっと配置を考えればいいのに。
何せ、ここにはひっきりなしに客が来るのだから。ちゃんと手入れするには人手がいるが、魔法を使えば王宮のように――。
「……これは貴族の女の考え方ね」
魔法使いの弟子には、もう関係ない。
白けた気持ちで庭を見ていると、森から正面の門の上空を通って、一羽の白いフクロウが滑空してきた。私は魔導書に栞紐をはさんで椅子から立つ。
ほら、来客も、別に庭なんか見ちゃいない。