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グリンピース

作者: なかたたかこ

珍しく夜半から降り続いた雪のせいで、普段は自転車だった彼はどうしてもバスに乗らなければならず…

いつもなら自転車で帰るのだけれど、今日は夜半から降り続いた雪のせいでバスだった。

冬の間はこんなことがたまに、いやまれか。

だから定期券や他の便利な物を使う訳でもないので、朝、出かける間際、バタバタと自分のパートに行く準備や家族全員分の朝食、そして、俺と親父の弁当などを猛ダッシュで作っていた母に「はい、これ。今日のバス代。」と手渡された小銭でバス代を払った。

行きが340円だったから、帰りも当然340円。

でも、母は「万が一。」と言って、少し多めに持たせてくれた。

それがかえって厄介だと感じたのは、行きのバスを降りる時。

運転手の横にある料金箱で両替をしなくてはならなかった。

朝のバスは満員。

同じ「高校前」のバス停で降りる人が多いのはわかるのだが、普段乗りなれないバスでの両替で俺はパニックに陥った。

焦りと緊張で心臓がバクバク。

ま後ろから感じる、「早くしろ!」の無言の圧力に押しつぶされそうな気分。

ジャラジャラと両替機の受け皿から出て来た小銭から、340円を取り出す作業にこれほどまでに手間取るとは。

終わってしまえばそれがたかだか1~2分ないし、1分もかからなかったかもしれないぐらいの短い時間だったのかもしれない。

けれど、それをやってる最中は、これが永遠に続くんじゃないかってほど長く長く、長~く感じられた。

思えば乗る前に少し時間があった。

だったら、バス停の前にあるコンビニでガムでもジュースでも買って、先に両替しておけば良かった。

そんな回想に耽られたのは、行きとは真逆のゆったりした余裕で乗り込んだバスの中。

俺は運転手のすぐ後ろの列の、前から3番目の一人がけの席に座った。

右側には窓。

クリスマスの頃よりも随分と長くなった日中の明るさが、僅かに黄色みを帯びてきていた。

反対側の席だったら、頭全体に直射日光を浴びていただろう。

進行方向の関係で眩しさから逃げられて良かったと感じた。

家までの約30分、バスは心地よく揺れている。

足元から出ている丁度いい暖かさでついうとうとと眠りかけてしまうも、瞬きを何度も繰り返したり目を擦ったり、持っているカバンの冷たい金属部分を触って眠るまいと踏ん張った。

スマホは、他の人みたいにいじると酔うから。

それでも、いい塩梅の揺れとほんわかとした暖かさには勝てる訳がなかった。

友達とカツ丼を食べに来たのに、自分のだけカツが入っていないという不条理に猛抗議している夢を見ていた辺り、不意に通路側から薄っすらと冷気が漂ってきた。

停車したバス停から人が乗ってきた。

俺の隣に立った女性はどれだけ長く外にいたのだろう?

その人から放たれている冷気で、少しだけ目が覚めた。

20代後半ぐらいか?

いやいや、30代でしょ。

まぁ、とにかく「大人」の女の人。

全然、全くといって興味がないので、俺は再び夢の中に入りかけた。

すると不意に「はやし…かぁ…。」

隣で立っている女性が俺の名前を呼んだ。

えっ?誰っ?

ゆっくりと怪しまれないよう顔を見た。

誰だ?この人?

俺、こんな人知らないけど…。

その人は、スマホに目を移してこちらを見ている訳じゃなかった。

あれこれ訝しんで考えている間に、その女性はバスから降り始めた。

自分の名前を呼ばれたことが気になって、つられる様に慌てて俺も降りた。

その停留所は俺が降りる3つも前。

だからか料金も340円ではなく、310円だった。

30円分儲けたと一瞬うかれたが、すぐさまこんな場所で降りちゃったらもう家まで歩くしかないじゃんと思った。

俺の名前を呼んだ女の人は、スタスタとバス停の傍の小さなスーパーに入って行った。

そこは大手スーパーの系列で、案外スーパーがない都市部などによく出店しているところ。

なので、大手スーパーでしか買えない安くて品質の良い自社製品も買える。

俺の名前を呼んでおいて無視とは何事だ。

少しだけイラだったので後に続いて、店に入った。

別につけまわしている訳でも、ストーカーまがいでも何でもないつもりなのだが、事実、こうしてバスまで降りて同じ店にもということは、他の人から見たら少しはそういうこととも言えるかもしれない。

けど、あくまでも違う。

ホントに違うったら違う。

ただ、今ちょっと気になっただけ。

綺麗な人だったけど、絶対にやましい気持ちなんかじゃない。

心の中でぶつくさ呟きながら、怪しまれないように女性の傍にさりげなく近づき、女性と同じ物をかごに入れて行った。

途中、ついてきていると思われないよう、違うコーナーを見るフリもしつつ女性の後に続いた。

調味料のコーナーで女性が手に取った箱を見て、俺はようやく気がついた。

バスの中で呟いていた「はやし」が、「ハヤシライス」の「はやし」だったと。

な~んだと思っていたら、俺の後ろで同じような台詞が聞こえた。

「な~んだ、そうでしたか。」

そこにはがっかりした様子のおじいさんがかごを手に唖然としていた。

急に振り向き驚いた表情を浮かべていたらしい俺に、おじいさんは「ははは、いやね、バスの中でワシの名前を呼ぶもんだから、誰か知り合いかと思うてな…ははは、ハヤシライスのはやしとは…ははは、これまた…。」と言って笑い、女性と同じ「ハヤシライス」のルゥの箱を1つかごに入れると、「我が家も今日はハヤシライスにしますかな、では。」とレジに向かい歩き始めた。

何を思ったか俺は咄嗟にそのおじいさんに声をかけた。

「あっ!あのっ!俺も、あのっ、今日、ハヤシライスにします!」

「そうですか。」

優しい笑顔で俺に軽く会釈したおじいさんは、スタスタと歩きながら手を振って返した。

自分が一番びっくりした。

まさかまさか、自分の口からあんな台詞が飛び出るなんて。

ハッとなった俺は、すぐさまカバンからガサゴソ財布を出した。

中には2000円とバス代の残り。

これなら多分、大丈夫。

俺も女性とおじいさん同様、ハヤシライスのルゥの箱を手に取った。

そして、すぐさま美味しそうな写真とは反対側にある、材料や作り方が書かれている裏面を見た。

まずは玉ねぎ。

そう頭の中で言いながら、青果コーナーに戻り玉ねぎが3個入ったものをかごに入れた。

次に肉のコーナーで箱に書かれている通りの薄切りの牛肉のパックを選んでいると、誰かにツンツンと背中を突かれた。

「ん?誰っ?」

ガバッと振り返ると、そこに照れ臭そうに笑っている3組の杉田れみがいた。

「あっ、えっと、あっ…あ、か、買い物?」

やましいことなど何もない。

なのに、俺の動揺は一体なんなんだ。

自分でもよくわからない緊張感。

心臓が耳の傍にあるかのような気がした。

「うん、うふふ、はやし君も買い物?」

「あ、あ、うん、そう、なんだ。」

「へぇ、何、買うの?」

「あ、あ~、その、こ、これにさ、書いてるから…。」

俺は素早くかごの中の「ハヤシライス」のルゥの箱を見せた。

「あ~!はやし君ち、今日、ハヤシライスなの?」

「あ、うん…まぁね。」

「ふ~ん、そうなんだぁ…じゃあ…あたしもおんなじにしようっと!えへへ。」

「えっ?」

「はやし君のおかげで今夜の献立き~まり!ありがとね!」

「あ、えっ、あ、そ、そう、良かった。」

ズボンのポケットに入れたスマホのうるささが、鬱陶しくて仕方がなかった。

レジまでずっと杉田と一緒だった。

たまに見かけて可愛いなと思っていたけれど、こんな風に話をしたことなんてなかったもんだから、何を話したらいいのか正直困ったし、焦った。

母と7つ下の弟と3人暮らしだという杉田は、食事作りから掃除から何から家のことはほぼ全て任されているそうだ。

なので、毎日の献立を考えるのが大変だとも話してくれた。

杉田は偉いな。

それに比べて俺はどうだ。

自分でやらなけりゃならない自室の掃除すら忙しい母にやってもらうばかり。

更にやってもらっているくせして、母が勝手に物を移動させたりするとバカみたいに怒ったり。

俺ってサイテーだな。

杉田と自分は違う家なのだから、比べるのはお門違いなのは百も承知している。

だけど、同い年の女の子が頑張っているのを知ると、自分が情けなくなった。

「あ、そうそう、はやし君、セーン交換しよう!」

明るい笑顔の杉田と、店を出てからセーンの交換をした。

ふふふ、ふふふふふ。

自分でも訳がわからないが、ニヤニヤが何故か止まらなかった。


家までバス停3つ分歩いた。

そっか、今日は杉田のところも、あのおじいさんのところも、あの女の人のところもみんな「ハヤシライス」かぁ。

帰宅するとまだ誰もいなかった。

小学4年の双子の妹達は、木曜は水泳教室だった。

自室に向かわず、カバンはリビングのソファーの上に放り投げた。

こんな時間に家に居るのは珍しいかもしれない。

そう思うと急にテレビをつけたくなった。

この時間帯は何やってるんだろう?

パチッとつけてリモコンで各局色々見てみた。

かなり古いドラマの再放送が気になった。

どうやら主人公は少し小太りの若い男らしい。

途中からなので内容がイマイチよくわからなかった。

「えっ?何?このドラマ?」

素早くリモコンで「番組表」を出すと、「もち肌五郎」とあった。

少しだけ続けてみると、主人公はかなりのおっちょこちょいだが、人情に厚くていつも一生懸命。

「餅屋」に勤めている「五郎」は、唯一の自慢の「もち肌」で街のちょっとした事件を解決するという内容。

今日見ている回は、川に流された子猫を「もち肌」のぺったり感で救い出すという話だった。

「なんだこれ?」

そう思ったが、何故か頬を熱いものが伝っていた。

「さてと!」

そう声に出すと、小学校の家庭科の授業以来になる「調理」を開始した。

先にスマホである程度学習しておいた。

簡単そうに見えたけれど、いざ実践してみると慣れていないものはやっぱり慣れていないものだ。

玉ねぎの皮を剥いて切るだけで30分もかかってしまった。

材料が揃ったら、鍋選びで作業が中断。

母はいつもどの鍋でカレーやシチューを作っているのか、まるで思い出せなかった。

仕方がないので、自分でもわかるフライパンを使うことに決定。

箱の裏面に書いてある通り、きっちりかっちり作ることに成功。

「どれどれ?」と味をみると、これまたびっくり!

自分で作ったとは思えないほどの美味しさ。

いや、箱の説明通りに作れば誰でも同じ味になるから。

わかってはいるけれど、俺は妙に感動した。

部屋中にトマトベースのいい匂いが広がった。

「ははは…ははははは…ははははは。」

酷く疲れてどっかとソファーに座り込むと、丁度のタイミングで杉田からセーン。

見ると、美味しそうなハヤシライスの画像。

「あれっ?」

箱の写真と何かが違う。

違和感とまではいかないにしても、何か違うと感じた。

ちょっと考えると、答えが出た。

杉田の家のハヤシライスにはグリンピースが乗っかっている。

「あ、そうか!」

普段はミックスベジタブルに入ってるのも嫌いなグリンピース。

だが、こうして見ると茶色の海に丸い緑がポツポツと可愛らしく乗っている。

そういうところが杉田に似ているなぁと思った。

「じゃ、俺も。」

早速冷凍庫からミックスベジタブルの袋を取り出すと、先ずは大きめの皿にジャラジャラと凍ったそれらを出した。

その中から緑の丸だけを分けて別の皿に移した。

ラップをふんわりかけて温めると、「俺も乗せるわ!」と杉田に返信した。


外が暗くなってきた辺り、水泳教室から双子が戻り、次にパート先から母が、そして、最後に父がよれよれと帰宅した。

「あらっ!いい匂い!かけるが作ったの?すご~い!美味しそう!」

俺以外の家族全員ものすごく驚いていた。

特に母は心底嬉しそうにしていたっけ。

夕食後、母からレシートを見せてと言われたが、俺は断った。

「俺が勝手にやったことだから。」

かっこよくそれだけ言って風呂場に向かった。

部屋に戻ると机の上に「ありがとうね。美味しかった。母より」というメモと2千円が置いてあった。

暫くすると父が部屋に来て、「美味かった。また、頼むな。」なんて3千円くれた。

一瞬、小遣いがもらえてわ~いとなった。

けれども、すぐさま杉田のことが頭を過ぎった。

「あ、そだ。」

俺はすぐさま杉田にセーンを送った。

「あのさ、今度、料理教えてもらえるかな?」

杉田から「いいよ!」と返ってきた。

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。

他の作品もどうぞよろしくお願い致します。

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― 新着の感想 ―
[一言] 何気ないつぶやきから広がる繫がりが、とても暖かで素晴らしいですね。 あとパッケージの裏に書かれている通りに作ると、ちゃんとおいしく出来るのって凄いことですよねぇ。
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