6章 第1話 八つ目
【八つ目】
崩壊した聖都コムラーヴェの教会跡地で、
傷ついた者たちはそれぞれの仲間たちと共に休んでいた
今回の悪魔との戦闘とマルロの神格化の犠牲者は10万人を超えている
カナランという国は一夜にして滅んだと言えるだろう
国を支えていた教会は崩壊し、
代表を務めていたエレアザル・オシニスは戦死している
彼の死は、表向きは戦死という扱いになったのだ
大都市であったコムラーヴェの生き残りは100人程度しかおらず、
そのほとんどは近隣の散村へと移動して行った
ここにいても瓦礫の山と死体しか残っていないからだろう
少数だが悪魔化した住人がいたが、
巫女やハーフブリード達によって始末されている
これが終わったのが、マルロの神格化が止まってから4時間後だった
彼らはシルトの話を聞く前に残った悪魔を片付け、
一旦休んでから後日話を聞くという事にしたのだ
身体は自分たちが思っている以上に疲労していて、
皆の目が覚めたのは太陽が頭上を過ぎた頃になる
1人、早朝から起きていたシルトは、
周囲を見回りながらコムラーヴェの惨状を胸に刻んでいた
幼い子供たち、女性たち、老人たち、働き盛りの男たち……
その全てが無残に、無慈悲に命を奪われている
人の死体を見ても何も感じはしない……見慣れているからだ
どれだけ損壊が激しかろうと、シルトは何とも思わない
だが、力なき弱者の死体だけは別だ
理不尽な暴力により奪われた彼らは抵抗などしなかっただろう
いや、出来なかっただろう……そして、無慈悲にも奪われてしまう
彼は誰よりもよく知っていて、誰よりも嫌っている
幼い頃からそれが当然の世界に生き、数え切れない死が彼を変えた
人は何故奪い合い、殺し合うのだろう
このくだらない問いの答えは幼い頃に出した、
それは今も変わっていない答え……
足りないから奪い合い、殺し合うんだ
人間はどこまでも欲深く、満ち足りるという事はありえない
瞬間的にはあるかもしれない、だがそれもすぐに慣れてしまう
人はどんどん贅沢になり、貪欲になっていく
だったら、人は殺し合う運命にあるのだろう
人間の醜悪さが根幹に刻まれた彼の心は、
それに反発するかのように悪を許さない正義へと導く
しかし、それは傲慢とも言えるものだ
正義とは、悪とは、誰が決めている?
勝てば正義、負ければ悪、世の中だいたいそうなっている
だったら正義や悪は勝者が勝手に言っているだけだ
そこに本質は関係ない
確かに絶対的な悪は存在するが、奴らが善行をしないと言えば嘘になる
誰にでも裏表はある、それが人間というものだ
だが、これだけは言える……絶対的な正義などありはしない
僕は正義という名の元に奪われる数多くの力なき者を見てきた
だから僕は正義にはならない、でも悪にもなりはしない
僕は僕の目の前で振るわれる不条理を倒したいだけなんだ
1人でも多くの誰かを救えれば、
僕が生まれた意味があるかもしれないから
シルトは数え切れない遺体を前に瞳を閉じる
彼はどの神も崇めていないが、左手を胸に当てて祈った
来世では幸せに……
朝の日射しを肌で感じながら祈っていると、
生きている人の気配がし、そちらへと顔を向ける
歩いてくるのは薄い桃色の髪の少女……サラ・ヘレネスだ
「おはよ」
「ん、おはよ、シルトさんも早いね?」
「僕は疲れてないからね」
そっか……と、サラは俯く
彼女にはまだ僕がどうして出て行って、
どうして戻ってきたのか伝えていない
「戻ろう、お腹すいちゃった」
「……うん」
僕の斜め後ろをついてくるサラは、
チラチラとこちらを見ながら落ち着かない様子だった
彼女が何を思って何を考えているのか、僕には分からない
少しだけなら分かっている事もあるけど、
分かりたくない事もあるんだ……
左手で腰に差している剣の柄を撫でる
僕に出来ることは決まっている
この命にかけて守ると誓ったから、二度と傷つけないと決めたから、
僕はサラを、シャルルを……ジーンさんとラピも守る
「ごめんね、サラ」
「……ん」
彼女はそれ以上何も言わない、
ただ黙って後ろをついてくる……あの頃と何も変わらずに
「約束は守るから」
「うん」
そう言うと、サラは2歩ほど早足になり、僕の隣りに並ぶ
僕を見上げるその顔は頬を染めた笑顔で、恋する乙女のそれだった
あぁ……恋ってのは人をここまで綺麗にするのか……
僕はサラの心の内を何年も前から知っている
でも、ずっと気づかぬフリを続けてきた
それは、彼女が恋というものを自覚していないようだったからだ
シャルルにも恋心のようなものが幼い頃にあったのは知っている
それは家族で芽生えてはいけない感情であり、
何事にも真っ直ぐな彼女は分かりやすく変化していった
だから僕はその芽が出る前に摘み取ろうとした
彼女たちに気づかれないように距離を置き、
情けない姿やだらしない姿を晒し、幻滅させようと努力した
効果があったかは分からないが、結果は上手くいったと思ってる
あの2人に嫌われるのは嬉しいことじゃないけど、
家族の間にそれだけは持ち込んじゃいけないんだ
普段の僕ならサラの歩幅に合わせるところだけど、
今日は僕はそれをしなかった
僅かにずつだが距離が開き、サラが一瞬早足になり合わせてくる
それでも僕は歩幅を合わせる事はしない……いや、出来ない
僕の中にいる親としての僕がそれを許さないんだ
普段と違うペースの歩幅に不思議そうな顔をしているサラは、
僕の横顔を見ては首を傾げている
「そんなにお腹空いてるの?」
「そそ、早く戻ろ」
「……うん」
最後の返事は明らかに元気がなかった……
ズキッとする胸の痛みを感じながら僕は足を前へと出す
今は2人の時間を作っちゃいけないんだ
戻った僕らはまだ眠る仲間の元へと行き、
会話のない静かな食事を摂った
しばらくして1人また1人と起き、最後に起きたのはシャルルだった
聞いたところによると、彼女は魔力が切れても頑張ってたそうだ
それこそ、魔力欠乏症で命の危険があるほどに……
その話を聞いた時は少しイラッとしたが、怒りの矛先は自分に対してだ
自分が離れていたばっかりにこんな目に合わせてしまった、
一歩でも間違えば犠牲者が出てもおかしくはなかっただろう
「そろそろお願いできますか?」
聞いてきたのは死の巫女リリム・ケルトだ
サラやシャルルと歳の近い彼女は女性としてとても魅力的に見える
大半の男は彼女を綺麗か可愛いと表現するのではないだろうか?
そう思えるほどの美貌を持った女性だとは思う
次に、自分の左右に座るサラとシャルルを横目で見る
死の巫女に負けず劣らずの美少女だ
いや、むしろ勝ってる、うん、勝ってるな、間違いない
リリムの問いとは全く違う事を考えていると、
右隣に座っているシャルルが脇腹に拳を入れてくる
「何ぼ~っとしてんのっ」
「あぁ、ごめん、考え事してた」
ちょっと気を引き締めないとな……
改めて、左右に座る彼女たちを見て僕は気合を入れた
「じゃ、話そうか……聖剣と魔剣について」
僕は語り出す、これまでの事を……
そして、その旅で知った2本の剣の物語を……
・・・・・
・・・
・
あの夜、メンフィスを旅立ったシルトは、
1人で故郷であるラルアース地方へと向かっていた
どこでもいいから人がいない地域に行きたかった
だが、死ぬわけにもいかなかったため、ある程度準備が必要であり、
慣れてるラーズで準備してからある山を目指そうとしていた
ラーズ首都で食料や燃料の類を買い漁り、
シルトは今回の目的地のある山へと向かう
ラーズ首都の南西に位置するその山の名は「セカル山」
標高はそれほどではないが、広く深い森がある山である
周辺には魔物の生息域が多く、一番近い村でも半日はかかる
亜人……ワータイガーの領域が山2つ挟んだ場所にあるため、
人は滅多に近寄らないと地域と言えた
シルトは、セカル山にある洞穴で1ヶ月と少し生活してた
毎日、自身が自身でなくなる恐怖と戦いながら、
時たま聞こえてくるアヴァロンの声に苦しめられ、
徐々に精神が磨り減ってくのに苦しみながらも、
シルトにはこの鎧と盾と外套は手放せなかった
・・・・・
・・・
・
「どうして?」
シルトが話しているとラピが質問をしてくる
彼女の疑問はもっともだ、だが僕はハッキリと答える
「宝物なんだ、この盾も鎧も」
鎧はスラウトのみんなが僕に与えてくれた物だし、
盾はハーフブリードのみんなが僕に与えてくれた物だから、
大切な大切な僕の宝物なんだ
この力は必ず必要になる、そう確信してたから、
だから僕はこれを捨てずに使いこなす道を探していた
そう伝えると納得したようで、
僕は皆の様子を伺ってから続きを話す
・・・・・
・・・
・
力は力にすぎず、そこに善悪はない
善悪は力の使い手次第であるため、
シルトはこの力を良いことのために使いたかった
今度こそ……皆を守ると心に誓っていたから……
そこで彼はセカル山での孤独な特訓をした
アヴァロンの力を制御しようと日々努力したが、
そもそも力の引き出し方や制御の仕方が分からず、
魔法使いがよくやっている瞑想のように瞳を閉じて精神集中をしていた
そんなある日、飲み水を汲みに行った時に子供と出会う
男の子の名前はリッシ・イナーオゥ、
赤毛で、とても綺麗な緑の服を着た男の子だった
リッシはまだ10歳だが、1人で狩りの訓練をしているらしい
父親と共に森へ来ていたが、いつも父は自分の狩りに忙しく、
リッシはいつも1人で訓練をしていたらしい
そんなリッシはシルトと出会って驚いていた、
まさかこんな森の中で人に会うとは思わなかったのだろう
最初はかなり警戒されていたが、それはシルトには都合が良かった
現状で人と関わるのは恐ろしく、なるべく早く退散してもらおうと、
彼はあえて魔物を呼び寄せる香を焚いた
これで恐れをなして逃げてくれる、そう考えての行動だった
しかし、リッシは逃げる事はせず、父を探すと言い出したのだ
冷静に考えればそう言い出して当然なのだが、
今のシルトはそれすらも分からないほど精神が疲弊していた
薄っすらと煙を上げる香に先ほど汲んだ飲み水をかけ、
少年の頭を撫でてから彼は言う
「ごめんな、僕が君の父さんを必ず見つけるから、
君はあっちにある洞穴に隠れているんだ、いいかい?」
しかし、少年はシルトの言葉を信じはしない
初対面の何者かも分からぬ相手に、父親の命運を任せるはずなかった
「あんたが何者なのか知らねぇし、
なんで魔物さ呼ぶ香なんて焚いたのか分かんねぇけど、
父ちゃんはオレが探す、オレだって狩人だ、この森は庭みてぇなもんだ」
独特な訛りのある喋り方の少年は明確な意思を伝えてくる
自分のせいで少年を不安に、父親を危険に晒してしまった、
何をやっているんだ僕は……
「そっか……なら、手伝わせてくれないかい?」
そういうシルトの姿を下から上へと見上げていく
今のシルトは顔を半分隠すローブを身に纏っており、
ほぼ全身をすっぽりと覆うそれで、彼の鎧はほとんど見えていない
だが、知識のない少年の目から見ても分かるほどこのローブは高級な物だ
さらに、先ほど頭を撫でる時にチラッと見えた漆黒の手甲、
ローブの裾からチラチラ見える漆黒の鉄靴……見たこともない金属だが、
ツヤや傷一つないそれが高価な鎧なのは間違いない
無精髭やローブの汚れなどのせいで浮浪者のような印象はあるが、
この男が戦闘に特化した武人であるのは少年にも分かった
「好きにすれ」
少年はそれだけ言うと先に走り出す
すぐに消したとは言え魔物を呼ぶ香を焚いたのだ、
その影響が無いとは言い切れない、
一瞬の迷いは命取りになる……それが狩人の鉄則だ
ここは何度も訪れている森、1人で飽きるほど走り回っている
木々の根で足場は悪いがもう慣れているため走る速度はかなりのものだ
どうせ、あの男は着いて来れないだろう……と、後ろをに目をやると、
男は自分の背後にぴったりとつけるように並走していた
その様子は余裕すら感じられるものであり、
走る事によって見えた鎧はフルプレートのようだった
フルプレートでオレに着いてくる……?
少年は男の実力を見誤っていた
この男は自分が思うよりも遥かに場馴れしている強者であると、
評価を改めてから速度を上げる
いくら速度を上げようと男は平然とついて来ていた
ある程度進んだところで横に並んだ男は指で合図を出す
そちらへと目を向けると、木々の隙間から父親の影が見えた
オレより先に見つけたんか……何者だ、こいつ
少年が加速するよりも早く男は一気に加速し、
あっという間に距離を離されて行く……
男の後ろを必死について行くと、父親の近くには魔物が2匹見えた
『父ちゃんっ!!』
思わず叫んでしまったが、失敗したと思った
自分の声で父親の意識が逸れたのだ
隙きを伺っていた魔物たちは父親へと迫るが、
それよりも早くローブの男が近寄り、腰に下げていた剣を抜いた
しかし、その剣は真ん中辺りでポッキリと折れている
何故あんな剣を持っているのかは分からないが、
あれではダメだ、魔物に殺される、そう思った
父の前にいる魔物は二足歩行の巨大なウサギのような見た目で、
ウサギとの違いは人並はある大きさもそうだが、
足の爪が異常発達している事が特徴的だ
この魔物の名はレプス・コルヌトゥス
枯れ木のような角が生えた巨大なウサギ型の魔物である
異常発達した足の爪は牛すらも一撃で屠ると言われ、
人であれば一溜まりもないだろう
しかし、それほど恐れる魔物ではない
跳躍力こそ驚異的だが、巨体のためか移動速度はそれほどでもなく、
弓でなら比較的簡単に狩る事ができる魔物である
だが、それは遠距離での場合の話だ
近距離でのレプス・コルヌトゥスは驚異である
鋭い爪、強靭な脚力、巨体、それだけで人類には十分に驚異なのだ
それを折れた剣で相手にするなど自殺行為に等しいが、
男はローブの中から黒い大盾を取り出し構える
あんな大盾を隠し持ってたのか
不自然に膨らみがあったローブはあれのせいかと納得していると、
レプス・コルヌトゥスが男に飛び掛かる
あぁ、死んだな
少年は妙に冷静な目で見ていた
彼は男が魔物に殺されている間に父と逃げる事しか考えていなかった
レプス・コルヌトゥスがその場で人間の頭の高さまで跳ね上がり、
その鋭い爪で襲いかかる……が、男は大盾で容易くいなす
そして、カウンターで折れた剣をレプス・コルヌトゥスの喉へと突き立てた
剣は折れているため深くは刺さりはしないが、
男は肉をえぐり取るように前へと進みながら振り抜き、
レプス・コルヌトゥスの首は骨が見え、血が吹き出した
即死だ
あんな折れた剣であの魔物を一撃で……
少年が驚いている間も男は止まらず、次の目標へと動いていた
まるでそう動くのが当たり前かのような無駄の無い動きで、
一瞬で距離を詰め、レプス・コルヌトゥスが飛び上がる前に盾で抑えつける
そして、盾の上部から剣を滑り込ませ、その頭蓋にめり込ませた
重い重い一撃、常人であの威力の斬撃が放てるのだろうか?
折れた剣はレプス・コルヌトゥスの頭蓋を砕き、
魔物は脳みそをぶちまけながら倒れ込む
たった4~5秒の出来事だった
男は剣についた血肉を払い、鞘に納めて振り向く
口元には笑みすら浮かべ、腰が抜けて動けない父の前に膝をついた
「大丈夫ですか?」
「えぇ……貴方様は?」
父の問いに男は少し考え込み、何かを閃いたかのような顔で言う
「旅の剣士でソルドって言います」
シルトは偽名を名乗ったが、
親子は彼の正体には気づいていないようだった
「ソルドさん、あんた……強ぇんだな」
リッシはシルトの横に立ち、見上げながら言う
その瞳は尊敬や憧れの眼差しだった
「僕は大したことないよ、それより……」
シルトが魔物の死体へと近寄り、しゃがみこんで何かを調べている
リッシは真似するように横にしゃがみ、彼のする1つ1つの行動を見ていた
指で魔物の血をすくったシルトは鼻に近づけて嗅ぐ
強烈な悪臭が鼻孔を貫き、思わずしかめっ面になるが、
戦っている最中に感じた違和感……予想は当たっていたようだ
「この魔物は臭いが強すぎる、他の魔物を呼ぶよ」
シルトがそう言うと、リッシは父の方へと目を向ける
そんな事を父から教わった事がなかったからだ
しかし、父は黙って頷いていた
「えぇ、普通であれば矢で仕留めるので血はそこまで出ないのですが……」
「なるほど」
シルトが納得して立ち上がり
「早く移動しよう」
彼は父の手を掴んで立たせると、先頭を歩き出していた
1つ1つに迷いがなく、最善と言えるものを即座に行動に移す
この人は本物の手練れだ、狩人の自分になら分かる
「ソルドさん、どこへ向かっているのですか?」
父とオレは必死に彼の後ろをついて行っていたが、
村とは逆方向だったため、父が彼に聞いたのだ
というか、この道はさっき通ったような……
「あぁ、この近くに僕が寝起きしてる洞穴があるんですよ
とりあえずそこへ向かってます、落ち着いたら村まで送りますよ」
「落ち着く?」
父がオレを見ながら首を傾げているので、
オレはソルドさんとの出会いを話した
「魔物を呼ぶ香……まさかリンガムですか?」
父ちゃんはあの香を知ってるんだ、さすが父ちゃんだ
少年のシルトへと向きそうになっていた尊敬の念は父へと戻る
「えぇ、まぁ、よく知ってますね」
魔物を呼ぶ香……普通の人には縁のない代物だ
冒険者の中には腕試しだと稀に使う者もいるが、
大半の冒険者は情けなく逃げるが命を落とすという結果が待っている
ネネモリのエルフによる魔除けの香……"タギー"を作り出す時に、
偶然発見された香……それが魔を呼ぶ"リンガム"である
使用目的は増えすぎた魔物の誘導が主なものだが、
長期で焚き続ける事も困難なため、あまり利用はされていない
「ネネモリ出身でして」
「なるほど」
そうこうしていると例の洞穴に到着する
中は4メートルほどの浅い洞穴で、
中には寝床らしき漆黒の外套が敷かれたベッドと、焚き火の跡がある程度だ
シルトは消えている焚き火の前に座り、
燃え残っていた薪に赤黒い石を押し付ける
5秒ほどすると煙が上がり始め、10秒もすると火がついた
「焔石?!」
父の目が大きく開かれる
それもそうだ、焔石はかなり高価なもので、
発見した一般人は自分で使うより売る事を選ぶだろう
「拾ったんですよ、さっき」
「へ、へぇ……」
この辺りに焔石があるなんて話は聞いた事がない、おそらく彼の嘘だろう
リンガムといい、焔石といい、あの腕前といい……
この人はかなりのお金持ちのようだ
あの強さだ、それだけでかなり稼げるだろう
となると、相当名の知れた人なのかもしれない
残念ながら自分は詳しくないため知らないが、
どこかの国の英雄かもしれないな……
父がそんな事を考えていると、
シルトは2人をじっくりと見てから口を開く
「僕のせいでこんな事になって悪かった、
村までは責任を持って送るよ、それで勘弁してくれないかな」
そう言ってソルドさんは頭を下げる
これだけ凄い人なのに平気で頭を下げる人をオレは知らない、
強い奴や偉い奴はみんなオレたち下民を見下す奴ばかりだ
「頭を上げてください、私は命を助けてもらったんだ
貴方は何も悪くない、むしろ感謝しているくらいだよ」
「オレもだ」
親子はシルトに頭を下げる
その様子を見ながら困り顔で頬をかくシルトだった
日が落ち始めたためその日は洞穴に泊まる事にし、
翌朝、日の出と共に親子を連れて出立した
丁度食料も切れかけていた事もあり、
親子を村に送るついでに食料を調達できればと考えていると、
リッシの父親……ワイリィ・イナーオゥが立ち止まる
ワイリィは口元で人差し指を立て、2人に静かにするよう言うと、
背負っていた弓を構え、矢筒から1本の矢を取り出して弓を引き絞る
キリキリという弦の音が静かに響き、矢尻の先……獲物を見据えた
獲物である猪はキノコを漁っているようで、まだこちらに気づいていない
ワイリィは短い息を吐きながら慎重に狙いを定めてゆく
狩り独特の何とも言えない緊張感が辺りを包み込み、
シルトは戦場とは違う空気に少し頬が緩んでいた
すぅっと大きく息を吸い込んだワイリィは、
息を止めてから弓を更に引き絞る……そして、矢は放たれた
空気を切り裂く音がし真っ直ぐに獲物へと向かってく矢は、
的確に眉間を貫き、猪は鳴き声すら上げずに倒れる
この1撃だけで分かる、ワイリィは一流の狩人だ
3人は黙って猪へと近寄り、
猪の死亡を確認したワイリィが息子であるリッシを呼ぶ
「できるか?」
「ったりめぇだ」
リッシは腕まくりをしてから短刀を取り出し、
矢を抜き、腹を裂き、内蔵を取り出していく
頭部を落としてから大きな牙を抜き、牙は袋へしまっていた
後で聞いたが、この牙は加工して矢尻などにするらしい
近場の木々から丁度いいサイズの枝を探して切断し、
細かな枝を削ぎ落として1本の棒を作る
それに猪の胴体を括り付け、4本の脚を縛って固定した
手慣れている、幼い少年とは思えない手際の良さだ
シルトはその様子を静かに見つめていた……すると、
猪の縛られた棒を担ぎ上げたワイリィはシルトに頭を下げる
「待たせしてすみません、手ぶらで帰るわけにもいきませんで」
「いえ、全然いいですよ、いいものを見せてもらいました」
ワイリィの担ぐ猪からは血がポタポタと垂れており、
気になったシルトはチラチラと見ていたが、
ワイリィの代わりにリッシが理由を話してくれる
「動物は重いしすぐ腐るからな、
普通ならその場で血抜きすんだけどな、
そいじゃ時間かかっからよ、こいなら歩きながらできんだろ?」
なるほどな、生活の知恵ってやつか
しかし、こう血の臭いを漂わせていて大丈夫なのか?
シルトのその疑問にはワイリィが答える
「普通はしませんよ、今は貴方がいますから」
「なるほど」
信頼されているのは嬉しいが、
魔物が寄ってくるような行動はどうかと思う部分もあった
まぁ……いいか、後であの肉を少し分けてもらおう
そんな下心を抱きながら足を進める
魔物が現れる事はなく、森を抜けた3人は草原を進み、
小さな丘を何個か越えたところで村が見えてくる、
あれか親子の村で間違いないだろう
出立は早朝だったが、すでに日も落ち始めている
今日はこの村で一泊した方がいいだろう……が、シルトにそのつもりはない
いつ自分がアヴァロンに身体を乗っ取られるか分からない不安、
恐怖にも似たそれが、ゆっくりとだが確実に心を蝕んでいる
普段の彼からは想像も出来ないほど彼の心は弱っていた
村の入り口で立ち止まり、親子に告げる
「僕はここで失礼するんで、肉だけ少し分けてもらっていいですか?」
「えぇ、それは構いませんが……もう暗くなりますよ?」
その反応は当然だろう、夜は魔の領域……魔物の世界だ
近くに村があるならそこで朝まで過ごすのが当然だろう
「そだそだ、うち寄ってけって」
リッシもそう言うがシルトは首を横に振る
「……」
リッシが黙り、父を見上げると、
ワイリィはリッシの頭に手を置いて優しく撫でる
「何か事情があるんだろ、無理を言っちゃいかんぞ」
拗ねるリッシをなだめながら、ワイリィが担いでいた猪を下ろす
移動中ずっと猪を下にして担いでいたため、血抜きは完全に終わっていた
切断した頭部付近の断面から少し内側に入った部位、
猪の肩とも言える部分の肉をもらい、シルトは村を後にする
「ソルドさん、またなー!」
「ありがとうございました」
親子が見送る中、紫色に染まった世界へと歩き出し、
あっという間に辺りは暗闇に飲まれ、淡い月明かりだけの世界変わる
目が慣れてくると暗闇の中でも案外困ることはなく、
僅かな月明かりだけでも十分に歩くことはできる
しかし、視界が悪いのは間違いない、
神経をすり減らす警戒はいつも以上にしなくてはならない
肉体よりも精神の消耗が激しく、
ふぅ……と、大きなため息を吐き出しながら空を見上げ、
この暗黒の世界で一際輝く大きな月を眺めていた
黄色いような白いような輝きは、
闇に慣れた目には眩しく、少し目を細めて眺める
何の意味があるわけでもないが、何となくそうしたかったのだ
月にはこんな伝説がある
翼の生えた美しい人々が月に住んでおり、
神の使徒たる彼らの怒りを買うと、月は紅く染まり、
天から光の槍が降り注ぎ、大地は焦土と化す
月を司る神なんて聞いた事もないが、
六神教徒にもこの伝説は有名で、誰もが知っていると言ってもいい
月に神がいる……
それでは六神教の教えが間違ってることに? と思ったが、
神々はこの星を守護する存在であり、月にいるのは神に似た別のモノ、
という感じで矛盾が無いように都合よく解釈しているらしい
シルトはどの神も崇めていない、実際に神と会ったがそれは変わらず、
彼にとって神とは神という存在でしかなかった
恩恵には感謝はするが、崇めはしない
彼にとって自分と同等かそれ以上に大事と思える存在は、
シャルルとサラの2人だけなのだ
ジーンやラピもそこに加えてもいいかもしれないが、
シルトの中に明確な優先順位はある
それほどあの2人はシルトにとって特別なのだ
それこそ、神よりも遥かに……
2人の顔を思い出して頬を緩ませていると、
ガサッという草が鳴る音で一瞬で現実に引き戻される
音は思ったより近く、10メートル付近の位置から聞こえてきた
音の方へと顔を向けるが暗くてよく分からない……
月を見すぎた目が暗闇に慣れるよう何度か瞬きをし、
腰に下げている折れたミスリルブロードソードを抜く
常闇の盾を前へと構え、慎重に辺りの様子を伺い、気配を探る
気配といっても彼に魔力探知能力があるわけではないため、
視野や匂いや音や空気の流れや振動といった五感に頼ったものである
物語の登場人物のように殺気という曖昧なもので感知できるはずがない
殺気とは敵と対峙した時に感じる取る予備動作であって、
見えない何者かの殺気など感じ取れるわけがないのだ
それが出来るのは上位の魔法使いだけである
シルトほどの使い手でも無理なのだ、
魔法使い以外にそれが出来る人間はいないと言っていい
シルトの五感が音がした方から見て左前辺りに何かを捉える
何かがそこにいるのは間違いないが、何かまでは分かりはしない、
暗闇に目が慣れていないのもあるが、月明かりだけでは限界がある
次の瞬間、草むらの隙間に月明かりを反射した黄色い眼が一瞬見えた
目が合ったのを皮切りに草むらから飛び出した生物は、
シルトが予想していたものよりも遥かに巨大だった
草むらから飛び出した魔物の名は…………バジリスク
バジリスクとは鶏冠のついた巨大な蛇である
全長8~10メートルほどにもなる巨体で、太さは人の胴体よりも太い
緑色の綺麗な鱗に覆われ、安い武器では刃すら通らないだろう
バジリスクの雌は希少種であり、
その瞳には見たものを石化する魔力がある
雌雄両方に共通するのは牙には猛毒があるという点だ
一瞬でバジリスクだと認識したシルトは、真っ先に盾で顔を隠す
石化の能力は目と目が合うと発動すると聞いた事があるためだ
いくら雌が希少種とは言え、石化の能力は死に直結する
雄か雌か分からないため、そうせざるを得ないのだ
ジジジジジジッ
独特な音が鳴り、盾の影から盗み見ると、
バジリスクの尻尾の先が膨れ上がり波打つように動いていた
音はそこから発せられているようで、
それが何の意味があって鳴らしているのかは想像に容易い
シルトの当たってほしくなかった予想の通り、
草むらがガサガサと蠢き、追加で2体のバジリスクが現れた
いやいや、これマズいでしょ……
チラリと辺りを見渡すが、隠れる場所も盾に出来る場所もない
草原のど真ん中とも言える場所で、
石化と猛毒を持つ巨大な蛇を3匹も相手しなくてはいけないのだ
絡みつかれたら……終わりだな
シルトは左手の剣を手首のスナップで軽く回し、
ふと思い出す……剣が折れていることを
この剣でどうやって殺れってんだよ
万全の状態でも3体同時に相手して勝てるだろうか?
ハーフブリードというチームでなら余裕だろうが、
今は1人……誰も頼れる相手はいない
ジリジリと距離を取り、囲まれない位置をキープしていると、
3匹のバジリスクは尻尾を鳴らす……
まだ呼ぶ気か!?
ジジッジジッジジッ
先程までとは音が違う、それが意味するのは……
またしてもシルトの当たってほしくない予想は当たってしまう
現れたのは1匹、しかし先の3匹とは明らかに違う、
一回りも二回りも巨大なその蛇は、頭の部分は傘のように広がっていて、
その鱗には一部血のような赤が混じっている
雌だ……間違いない、これが雌だ
即座に盾を構え、雌の視界から顔を隠す
全長15メートル近い雌はその頭を上げただけでも6メートル近い
まさに化け物という言葉が相応しい魔物だった
そりゃ高いわけだわな……
以前買ったバジリスクの瞳を思い出し、
苦い思い出がフラッシュバックし、シルトは苦笑する
そういや、あの瞳デカかったもんなぁ……
瞳だけで直径8センチほどあったはずだ、その持ち主が小さいわけがない
今更だがあの瞳の価値を知り、現状と照らし合わせて鼻で笑う
「死んでやるわけにはいかないんだわ」
折れた剣を構え、狙いを雌に絞る
この盾と鎧があれば勝てない相手ではないはずだ
問題は石化だ、あれだけは先に潰さないといけない、
倒せないにしても瞳だけでも潰せれば勝機はある
呼吸を落ち着かせ、確実に相手を殺す時の目になったシルトは、
心の中で城壁を発動し、その身体が僅かに沈む
「…………来い」
月明かりの夜、8つの黄色い眼は血肉を欲する
抗うは人の子、黒き鋼を身に纏い、死の影を背負う者




