5章 第28話 Falling Down 其の一
【Falling Down】其の一
運命は、彼女がこの地に降り立った瞬間に決まっていた
数ある未来の中からそれが選択され、
物事は、人々は、無意識にその未来を目指す
ごく自然に……いや、必然というべきだろうか
彼女……地の巫女マルロ・ノル・ドルラードは、
生を受ける前から巫女に選ばれし特別な存在、
"神の子"と呼ばれる幼い少女である
同じ神の子であった先代水の巫女マナ・マクリールは言っていた
「君は無理しすぎ」
マナは見抜いていたのだ
マルロの危うさを、その内に秘める本来の力を
それは、マナ自身も持っていたものだったから
彼女は自身の力を知り、力に制限をかけた
その力はあまりにも強大で、人の手には余るものだったためだ
悪魔との戦いで使おうと悩んだ事もあったが、
最後までその力を使う事はなかった
自身の魂が砕け散る禁呪を使用するしかなくなった状況でも、
彼女はその力を使おうとはしなかったのだ
それは、世界を改変する力……そして、世界を壊す力
一度発動してしまえばマナ自身も制御出来なくなってしまう
そのため、彼女は自分に幾つもの封印を施し、
封印が解かれた瞬間に魂が崩壊するよう仕込んでいた
この程度で止まる力なのかは分からなかったが、
彼女にはこれしか選択肢がなかったのである
力の解放……それ即ち、神への昇華
それは、人ではなくなるという事であり、
神々と同格になるという事でもある
マナは神が嫌いだった
好き勝手押し付けてくる神々が嫌いだった
しかし、同時に感謝もしていた
世界に恩恵を与え続ける神々に感謝し、敬っていた
だが、彼女は神になりたいなど一度も思わなかったのだ
「なんでアタシがそんな面倒なのにならないといけないの?」
神なんて御免被る、そう言うマナは厄介者でも払うかのように、
手でシッシッと振って拒絶していた
彼女にとって神々とは"世界のために犠牲になっている存在"であり、
それは"神の子"も同じである
マナには嫌と言うほど分かっていたのだ、
その先に待つものが幸せではないという事実を……
だが、マルロは何も知らない
彼女は内に秘める本来の力など知らず、
ただただ悲しみに、絶望に囚われている
世界は少女に優しくなさすぎた
親の愛は与えられず、誰もが巫女として扱い、
少女は孤独だけを噛み締めて生きてきた
そこへ現れた無礼な存在……
少女は初めて"子供"として扱われたのだ
マルロという個人を見てくれた最初の人物……それがクガネである
少女は人生で初めて腹が立ったが、とても嬉しかった
誰も本当の自分を見てくれない
皆が見ているのは"地の巫女"であり"神の子"だ
歩み寄ろうとしても肩書きがそれを許さず、人々は離れ、敬う
それがマルロにとっては苦痛でしかなく、
次第に彼女は心を閉ざしていった
だが、クガネは違う
彼はマルロを子供扱いし、肩を並べる戦友として接した
些細な事かもしれない
本当に些細な事かもしれない
それでも少女は心底嬉しくて堪らなかったのだ
だから少女は恋に落ちた
二回りも違う大人のクガネを、
たった9歳の孤独な少女が愛してしまうのは当然だろう
しかし、初恋を知った少女に、世界は優しくはなかった
クガネは倒れ、マルロの握る手が握り返される事はもうない
全てを投げ捨てて彼の元へ行こうとしても、それは許されない
愛するクガネの言葉がそれを許してはくれなかった
「お前が生きていればそれでいい」
言葉は救いであり、呪いだ
クガネの言葉はマルロを助け、苦しめた
少女はクガネの言葉を守り、
生き甲斐のようなものを探していた
そんな頃に出会ったのが戦争孤児達だったのだ
自分より遥かに幼い子供たちの面倒をみることで、
喜ぶ子供たちに癒やされ、生の実感を得ていた
しかし、世界は少女に優しくはない
子供たちは無残にも頭部を切断され、
開いた瞳孔でマルロを見つめていた
まるで、少女を責めるように……
実際には違うのだが、マルロにはそうとしか思えなかったのだ
結果として子供たちの目が……彼女の心を粉砕する
少女は、世界を憎んでしまった
悲しみや痛みばかり与えてくる世界は、
無くなってしまえばいいと思ってしまった
耐え難い苦痛は、少女の中に眠る力の箍を外し、
六神と同格……いや、それ以上の力が目を覚ます
肉体に収まりきらない力は具現化し、
少女の背には光の翼が生え、頭上には光が集まり、
結晶のようになったそれは、輪のような形になろうとしていた
少女は、神にならんとしている
黄金の光の翼には陰りが見え隠れし、
不安定にその色彩を変化させながら徐々に巨大化していっていた
翼は教会の高い天井へと届き、破壊し、巨大化を続けている
うねりながら伸び続け、触れたものに無慈悲な破壊をもたらす
その様子を見ていたベリンダは大喜びではしゃいでいた
「マルロちゃんすご~~~~い」
これまでの比ではない桁違いの魔力と、
無慈悲な破壊の力を目の当たりにし、
ベリンダは何とも言えない身体の疼きを感じ、興奮していたのだ
マルロの眼前にいるベリンダに光の翼は当たらず、
膨張するように巨大化する翼は教会を破壊し続けている
逃げ遅れた人々もろとも……
極限をも超えた魔力を放つ存在の突然の出現に、
第2位階悪魔フルーレティは震えていた
その力は敬愛する主をも凌駕する力だったからだ
上空にいる六神よりも強大な力が、今そこに誕生した
悪魔にとって最大の驚異が今まさに降臨したのだ
しかし、自分にはどうする事も出来はしない
強さの次元が違いすぎるのだ
魔力量が勝敗を決めないのは大差がない場合だ
3倍差もあれば、それは決定的な差となり、
始まる前から勝負は決まると言ってもいい
では、フルーレティと今のマルロの差はどれほどか?
力が強大すぎて正確には誰にも言えないが、
最低でも数千倍の力の差は感じていた
ガチガチと歯が鳴り、自分が震えている事に気がつく
頭部に咲く伏魔殿の花の粉は、
物理的な波動となった魔力により吹き飛ばされ、
その影響か分からないが、花は急速に成長している
この花は悪魔にとってもとても危険なものである
そのため、扱いには細心の注意が必要であり、
魔樹から生まれたフルーレティであっても危険が伴う
急速に成長した花は、フルーレティの頭蓋を侵食し、
根は体内へと深く深く伸びてゆく
しかし、その程度で死ぬような悪魔ではない
第2位階悪魔である彼女はちゃんと対策もしてあるのだ
右手の小指の爪を剥がし、それを噛み砕く
喉に引っかかるが無理矢理飲み込み、
彼女の中に伸びる根は歩みを止めた……はずだった
フルーレティは魔樹と呼ばれる、魔界のとある樹から生まれている
濃密な魔素を含むその樹は、数々の強力な悪魔を生み出すが、
その中でも一際強い力を持っていたのが彼女だ
そんな彼女の肉体はそのほとんどが魔樹から出来ており、
伏魔殿の花の侵食を防ぐために、樹の果実に当たる爪を飲み込んだのだ
だが、どういう訳か、伏魔殿の花の侵食は止まっていない
それどころか、成長速度が跳ね上がってさえいる
危険を感じたフルーレティは、
頭部に咲く花を掴み、無理矢理にでも引き抜く
根に引っ張られ、皮膚や脳髄が一緒に引き抜かれるが、
それでもお構いなしに彼女は引き抜いた
「ぐ……ああっ、ぐ………」
想像以上の激痛が走り、言葉にもならない声が漏れる
意識が飛びそうになるのを必死で堪え、
ピントの合わなくなっていた目を何度か開いては閉じ、
焦点を合わしてゆくが……
ハッキリとした視界で彼女見た光景は【光】だけだった
マルロの光の翼は巨大化を続け、徐々にその数を増やしている
少女の本来の力が発現してから僅か2分ほどで、
光翼は2枚から6枚へと増えていた
教会の屋根を突き抜け、大量の土煙が辺りを包み込む
燃え盛る街は煙が充満していて元々視界は悪いが、
崩壊した教会により更に視界は悪くなる
もはや数メートル先も見えないような状況だが、
煙の中で光は生き物のようにうごめいていた
光翼の1枚が鞭のようにしなりながら伸びて行き、
教会の壁を突き破ってフルーレティへと迫る
それと同時にフルーレティの視界は戻ったという訳だ
彼女の眼には溢れんばかりの光が映し出され、
黄金の輝きと、烏木のような黒が混じり合い、
混沌と化した光の鞭はフルーレティの身体に触れる
「……ヒカリ」
触れた手が、胴が、顔が光に飲まれるように消えてゆく
まるで最初から存在していなかったかのように消滅し、
瞬時に逃げようとしたフルーレティの化物じみた速度よりも早く、
彼女を飲み込んだ
サタナキアと同格の第2位階悪魔である彼女は、
本来であれば今のハーフブリードやエイン達に勝ち目はない
だが、マルロの翼はそんなものなどいなかったかのように飲み込んだ
フルーレティの膨大な魔力は一瞬で消えるが、
マルロの放つ世界が揺れるほどの魔力の中では些細な事だ
《……選べ》
脳内に直接響く神の声がする、この声は死の神だろうか
誰への問いなのかは言わなかったが、
それがマルロへと向けられたものなのは誰もが分かっていた
《汝、我等と共に来るか、腐りの神子となるか……選べ》
しかし、マルロの口は開かず、答えはしない
代わりに、ラルアース地方の生命全ての頭に、
少女の苦痛が、悲しみが、絶望が、概念として伝わった
……クソじじいめ、そういう事か
ジーンの中にいるアスタロトが悪態をつく
状況が激変しすぎて動揺していたジーンは、
アスタロトの声に驚き、同時にその意味が気になった
……どういう事?
……今はそんな事はどうでもいい
……女、ここにおれば我もお前も死ぬぞ
……だよね、あの悪魔も死んじゃったみたいだし、どうしようかな
ジーンは辺りの魔力を感知しようとするが、
この荒れ狂う海のような魔力の波の中では探しようもない
正気を保っているだけでもやっとなのだ
少女の絶望は全ての生命に伝わっている
痛みが胸を切り裂き、悲しみが闇へと落とす
その強烈な感情の波に抗い、何とか自我を保っている状態だった
ジーンは魔力感知を諦めて肉眼で状況を確認する
東側70メートルほどの位置に男が2人見える
エインとラングリットがこの状況でも斬り合っていたのだ
エインの一方的な防戦のようだが、
彼はどこか手を抜いているように見える
ラングリットの鎧から溢れる赤い光が増し、
心なしか鎧の形が変わっていっているようにも見えた
すると、ラングリットの動きが加速し、
人間の限界であるシルトに迫る動きへとなってゆく
……すごい、シルさん以外であんな動きできる人いるんだ
ジーンが関心していると、2人の間を光翼が矢のように通り過ぎ、
大地は底が見えないほどエグレていた
溝の幅は10メートル近くある
エインとラングリットは分断され、睨み合いが続いていた
しかし、ラングリットがバイザーを上げた事でエインも剣を下ろす
憎しみと絶望に満ちたラングリットの顔は、
異様としか言えないものだった
あれは人なのだろうか……
エインには彼がもう人でないように見えたのだ
憎しみに囚われた人間はあそこまでなってしまうのだろうか……
彼の相棒をこの手にかけた事を少し後悔しながら、
エインは銀の拳を強く握り締める
ラングリットはオズワイドの遺体を抱え、
エインへと憎しみの眼差しを向けて叫んだ
『エイン・トール・ヴァンレン、
貴様は必ず……必ずこの俺の手で息の根を止める!』
そう言い残して彼は、
愛する男の亡骸と共に炎の街へと消えてゆく
ジーンはその様子を眺めながらも移動し、
サラとシャルルとラピを探していた
視界が悪く、なかなか見つけられなかったが、
サラの方から見つけてくれたようで、
3人で手を大きく振っているのが見える
「皆、無事でよかった」
「話してる余裕はないかも!」
シャルルがチラリと上を見上げると、
そこには無数の光の鞭……光翼が蠢いている
気がつけば、光翼は6枚から9枚まで増えていた
「あれ、マルロちゃんなの……?」
ラピが涙目で言うと、サラは黙って頷く
「どうして……」
ラピがそこまで言って口を閉じる
理由などここにいる全ての者が分かっているのだ
少女の悲しみが、痛みが、嫌というほど伝わってくるのだから……
「とにかく、避難しよ」
シャルルが歩き出そうとすると、
ジーンの赤い瞳が上空にいる神々を睨みつけ、彼女はこう言った
「待って、神が動く」
ここの方が安全になるかも、と付け加えて言うと、
彼女の言った通り神々が動き出し、
光翼を囲むように陣取り、徐々に降下を始めていた
・・・・・
・・・
・
崩壊する教会内部
イエルとミョルニルの3人は教会の裏手側で休憩していたが、
人々が逃げ惑い、その波が収まるのを待ってから移動を始める
がらんとした教会内をゆっくり進むと、
そこには蹲るマルロと、少女を見つめるベリンダの姿があった
彼女達の姿を確認した途端、
意識が吹き飛びそうなほどの魔力の波が押し寄せた
それは、幼い少女……マルロから溢れ出るもので、
イエルは頬を伝う冷や汗をぬぐって駆け出す
『マルロッ!!』
イエルの叫び声が教会内に木霊する
しかし、マルロはピクリとも反応せず、
顔を伏せたまま浮き上がって行った
「どうなってんだい、こりゃぁ」
イエルはドワーフのため、普通の人より足は遅い
そのため、マルロの元へと辿り着いた頃には、
彼女の背から生える翼は6枚になっていた
「ベリンダ、どうなってんだい、状況を説明しなっ」
イエルの問いにベリンダは振り向きもしない、
彼女は興奮した様子でマルロに釘付けになっていた
その様子を後ろから伺っていたミョルニルに変化が起きる
いや、ミョルニルのメンバーであるエイグットに、だ
マルロの感情が全ての者に伝わると、
エイグットは頭を抱えて苦しみ始める……
落ち着いていたはずの肉体が変異し始めたのだ
暴れ回るエイグットを落ち着かせようと、
リグレットが近寄ろうとするが、ニールはそれを止めた
「待チな、様子がオカしい」
「でも、姉御ッ!」
「お前モ分かるだロ」
ニールの言葉はそれ以上無かった
「お前も分かるだろ」その言葉の意味はリグレットにも理解できる
エイグットの魔力の質が急速に変化したのだ
それは、悪魔のそれだった
禍々しい魔力が全身を包み、自我などもう無いように見える
肉体はもはや人の形を保っておらず、化物のそれだ
彼もまた、少量だが伏魔殿の花粉を吸っていた
元々ハーヴグーヴァの墨により変異していた身体は、
その影響を色濃く受け、マルロの激流のような感情に感化され、
今、悪魔へと変異を始めていた
伏魔殿の花粉は人の心に入り込む
精神的に不安定な者や、極端に何かに依存する者、
そういった者から効果が現れる
弟はもう人ではない
その事実がリグレットの胸に突き刺さる
彼女は、涙を流してニールに嘆願するしかなかった
「…………エイグットを……お願い」
その願いの意味を察したニールは黙って頷き、
リグレットの頭を乱暴に撫でると、
チーム名にもなっているアーティファクト武器ミョルニルを構える
正直、ニールには勝ち目があるとは思えなかった
それほどエイグットの魔力は膨れ上がっている
もし勝ち目があるとしたら、それは……
『"これ"しかネぇよナぁッ!』
叫び、ニールは自身の胸を力強く叩く
それは、彼女の胸部に埋め込まれた"竜の逆鱗"の発動を意味していた
鱗の棘が深く突き刺さる
心臓まで達しそうなほど深く……深く……
「がっ……クぅ~、ヤベぇなコりゃ」
刹那、ドクンッと身体が跳ね上がり、
彼女の手足に爬虫類の鱗のような皮膚が広がってゆく
その背には蝙蝠のような翼が生える……が
『違ウっ! ウチの翼はこンなじゃ無イッ!』
ニールはミョルニルをぐるぐると回転させ、
ドスンっと地面へと突き立てると、両拳を合わせて歯を見せる
彼女の髪を縛っている紐が切れ、はらりと落ちた
『ウチは、死蝶ダ!』
その瞬間、彼女の背にある蝙蝠の翼は美しい蝶へと変わる
これまでの紫の羽根ではなく、赤く鮮やかな蝶の羽根へ
「そうカイ、アンタも嬉シイか」
ニールは自身の中で暴れ狂う竜へと声をかける
かの竜の怒りや憎しみがニールを飲み込もうとするが、
彼女はその力を全て使うと決め、受け入れた
だが、自分はくれてやらない
その強い意思が彼女の背に再び蝶を呼び寄せた
鮮やかに輝くそれは……命の光
ニールは今、命そのものを燃やしていた
「さァ、エイグット……歯ァ食いシバれ」




