行進の後に
「げほっ!ごほっ!おええ!」
目の前の女子高生は、全力ダッシュの後、息が上がったせいで咳込み、吐きそうになっていた。
なんだろう、綺麗な顔立ちをしてるのに凄く残念な子だ。
「……大丈夫?」
「大丈夫……です、はい。げほぉ!」
大丈夫じゃなさそうだね。明るい笑顔を向けてきたけど涙目だし。
「……名前!」
息が収まったかと思うと、女子高生はいきなりそんな事を言い出した。
はて?名前とな?誰の名前だ?
俺のか?デスノートにでも書くのか?
「名前がどうした」
尋ねると、女子高生は真剣な面持ちで言った。
「名前、聞くの忘れてました」
どうやらマジでデスノートに名前を書くつもりらしい……俺は世界的な名探偵でも犯罪者でもないぞ。ただの一般人だぞ?名前を教えたら死因は心臓麻痺になりそうなので、理由を尋ねる事にした。
「何故に聞くのか教えてくれ」
「いやぁ……素晴らしい演奏だったから名前くらい聞いておきたくて。ダメですか?」
恥かしそうに頭の後ろを掻きながら、俺を見あげてくる。
ふむ、デスノートに書くつもりは無いらしい。まあいいか名前くらい。教えたことが原因でなにか重大な犯罪に巻き込まれることは無いだろうし。
……無いよね?
「戸堂だ」
「とどうさん……珍しい苗字ですね」
「ああ、家族以外で俺と同じ苗字は聞いたことが無いな」
「しっかりと覚えておきます!」
そう言って、女子高生はびしっと敬礼した。何で敬礼なんだ、俺は軍人か何かに見えるか?無職だぞ?
「……あっ!忘れてました!私の名前は佐藤です!」
目の前の女子高生は佐藤と名乗った。しかし女子高生の名前を覚えたところでなんかあるわけでもない。
「とどうさん、一つお願いがあるんですけど……いいですか?」
「なんだ?」
女子高生は、またぶんと音がしそうな勢いで頭を下げて。
「私にトランペットを教えてください!!」
と叫んだ。
トランペットを教えろとな?まあこの子よりは上手い自信はあるが、教えるのには一つ問題がある。
「やだ」
だから俺は当然断った。
「ええ?!」
佐藤は目を丸くして驚いている……教えてもらえるとでも思っていたのか?甘いな!これが大人の厳しさと言うものだよ!!……ごめん、嘘です。
「なんでですか?!」
息がかかるほどの至近距離まで近寄ってきて、なんか怒った感じで言われた。
しかし、近い。こんな至近距離まで女子高生に近寄られるとなんか来るものがある。そんな事を考えてしまう俺って……薄汚れてるなぁ。
「まず落ち着け、そして離れろ。話はそこからだ」
「え?あ、はい。すいません……」
佐藤も近すぎる事に気が付いたのか、少し恥ずかしそうに一歩後ろに下がる。
「俺の吹き方は殆どが独学なんだよ。癖の塊みたいなもんだ、人に教えれるものじゃない」
俺は学生時代吹奏楽部に入っていたわけじゃない。音を聞いて、演奏を見て、すべて見よう見まねで吹いてみたものだ。トランペットの正しい吹き方なんて全く知らん。
「そうなんですか……でも、その吹き方を教えてほしいんです」
理由を教えてもまだ食いついてくるか……結構な執着心だな、おい。
「えーと……佐藤ちゃんは吹奏楽部でしょ?」
「あ、はい。そうです」
「もし教えたとしてだ。吹奏楽部で一人だけ変な吹き方してたら浮くぞ?トランペット何てソロ演奏するような楽器じゃないしな」
「……それはそうですけど」
拗ねた子供の様に口をとがらせ、いじけたように言った。その様子がとても子供っぽく見える、女子高生ってみんなこんなもんなのか?女子高生とふれあった記憶がほとんど無いからわからん。
「ま、諦める事だ。教える気は一切無い」
俺はそう言いながら、トランペットをケースにしまう。帰って企業に電話して履歴書でも書くか、そんな事を考えて帰ろうと脚を動かした時。
「じゃあアドバイスだけでも!一つだけでもいいから何か教えてください!!」
佐藤は俺の進路上に立ちふさがり、またぶんと頭を下げて、縋る様に言ってきた。
弱ったな……ここまで頼まれると断るのも悪い気がする。アドバイスねぇ……なんかあるかねぇ。
まずこの子に何のアドバイスが必要なんだ?この子のリアクションからすればきっと伸び悩んでいるんだろうけど。伸び悩んだ時ってほんと悩むしかないんだよなぁ、がむしゃらに練習しても無駄だし、かといって離れても下手になるだけだし。俺はどうしてたっけ……たしか。
……ああ、そうか。俺が伸び悩んだ時の対応を教えたらいいのか。ふむ、それなら簡単だ。
「音を聞くことだ」
「え?音を聞く?」
佐藤は豆鉄砲を喰らった鳩の様に、実写劇場版デ○ルマンを見た観衆の様にまるで意味が分からないといった感じできょとんとしている。
「自分の演奏でも、他人の演奏でもいい。ただトランペットの音を聞いて考えるんだ。どうしてこんな音が出るんだろう、どうやったらあんな音が出るんだろうってな。そしたら自ずとどうにかなる。俺の経験上はそうだった」
それだけ言って、俺は歩き出した。
他に言う事?無い。
そんな大層な生き方はしてないし、一度は夢を諦めた人間だ。あまり偉そうな事を言える立場じゃない。俺のアドバイスが気に入らなかったら無視するだろう、それでいいのだ。
まあ、少しは俺のアドバイスを取り入れてほしいなって気もする。
それで若い子の未来が少しでも良くなるなら、願ったりかなったりだ。
実写劇場版デ○ルマン……あれは酷いものでした。
もし見たい方がいらっしゃれば、言っておきます。
止めとけ。