第1話 白神山地の遭遇
西暦二〇一五年八月十九日
眠い眼をこすりながら『シン』こと北鎮樹は、携帯の着信を受けた。シンは、未だにガラケーを持ち歩き、メール機能もつかない送受信通話だけのネット接続はパソコンからで十分派であった。そのガラケーに電話を掛けてきたのは高校時代からの親友である安堂平太である。
「シン、朝のニュースを見たか?」
「何のニュースだ。それより、今何時だと思っているんだ」
「そうか、また徹夜か。それよりN国がまた、ミサイルを発射したようなんだ」
「あ~?それより、それで電話してきたのか?」
鎮樹は、仲間内から“シン”と呼ばれていたが、そのわけは鎮樹の“鎮”をシンと読んでいるだけで、平太が“ヘイ”と呼ばれるのと変わりなかった。重要なのは、ヘイがシンの上役であるということで、ヘイは社長、シンはそこで使われる獣医の新米という関係である。シンが岩手大学獣医学科を卒業してヘイの下で働くことになったのは、ヘイの誘いに乗ったためであるが、昨夜というか今朝寝たのは午前7時であった。昨夕から調子の悪い牛に付きっきりで面倒を看ていたシンは(そのことをヘイは知っているはずなのに、何故こんなニュースで電話してきたのか?)と不思議にも思ったのであった。
ヘイは安堂財閥現当主『平蔵』の長男であり次期当主を約束されていたが、その財閥は、岩手、青森、秋田を拠点とする第一次産業から加工、販売までを主として手掛ける地方財閥の1つであった。ヘイは、その跡を継ぐ修行のために基幹会社の1つである安堂北上牧場の社長となっているが、獣医は重要なポストでもあるためヘイはシンのスケジュールを把握していて当然のはずである。
「まあ、聞けよ。そのミサイルが何処に着弾したと思う?」
「知るかよ。そうか、おまえん家か?これはいい」
「そうだな、その方がよほど幸せかも知れない」
「なんだって、いったい何処に落ちたんだい」
「福島県。それもあの原発かもしれないんだ」
「マジかよ、そんなこと起こるわけないだろ」
「官房長官の公式報道によると“N国のミサイルは福島県辺りに着弾した模様です。詳細は鋭意調査中ですが、N国へ厳重に抗議し、如何なる制裁措置も辞さない所存です”ということらしい」
「ふ~ん、で、それでどうしてあの原発になるんだい?」
「おかしいと思わないか?自衛隊もU国も優秀なレーダーを持っている。それがどうして福島県に着弾になるんだい?もう少し場所を特定できてもいいんじゃないか?実はな、うちに入った情報で『あの原発付近でキノコ雲を見た』というのがあるんだ」
「ガセじゃないのかい?」
「複数の人の証言だぞ」
(もし、本当なら日本が、いや世界がどうなるかわからない。確か、あの原発には広島型原爆の18,000発分の核燃料が残っていたような?)と思うシンであった。
昼過ぎに牧場からの電話で起こされたシンが牛の面倒をみていると“社長から連絡が入っています。至急最寄りの受話器を取ってください“と呼び出しがかかった。
「今度は何処に落ちたんだ?」
「いや、そっちの動きはあまりない。どこのニュースも似たようなもので煮え切らないから、こっちで独自に情報を掴むことにした。ところで、今夜“大湯”にいかないか?」
「そりゃ何処の風呂だ。大体に俺のボスがそんな休みをくれると思うか?いつでも自宅待機だぜ」
「そっちは大丈夫だ。さっき許可をとったさ。“鹿角の牧場にお前を明日一日借ります”とね。大体に“大湯”は、鹿角のストーンサークルのことで、風呂じゃない。さっちんのお告げさ」
「それを早く言え。さっちんのお告げなら何をおいてでもいく」
通称さっちんは、本名が三数沙織で、ヘイの彼女であるが、東京大学文学部を卒業して、縄文考古学に入れ込んでいた。彼女は岩手県県北の神社に産まれ、現在そこで巫女としてアルバイトをしているが、縄文時代と巫女を秤にかければ、だんぜん縄文時代に軍配があがるだろうという少々変わり種の女の子であった。ついでに、さっちんは幼い頃から特殊な能力を持っていて、それが“お告げ”であったのだ。その“お告げ”は、事の中身にかかわらず、何かが起こるという点に関しては100%の当確率をもっていたのであった。ヘイの彼女となったのも“お告げ”によるものだそうで、ヘイは彼女から “お告げなんだから運命なんです”と熱烈なアプローチを再三受けたそうである。その二人の結びつきで何かが起こったかと言われれば、こればかりは起こったとも起こらなかったとも判じる事が出来ないが、今ではヘイの方が彼女に夢中のようである。それを知っているシンは、何かが起きる⇒面白いになるため“何をおいてでもいく”になったのであるが、そもそもN国のミサイルより大切な“お告げ”とは一体何なのであろうか。
それはともかくシンは、
「コウにも連絡をとったか?あいつお盆で田舎に帰っているはずだぞ」
「おう、行くってよ。今、大学は夏休みだそうだ。奥様もご一緒だとよ」
「りっちゃんも。こりゃ、楽しみが増えた」
コウこと菊池恒は、京都大学エネルギー科学研究科の大学院に在籍中であるが、いつも“自分が物理学者に向いているとは思えない”と溢し、では何に向いているかと聞くと“わからない”と返すのであった。
りっちゃんこと菊池りつは、コウの奥様であるが、年のほとんどを出羽三山で過ごす修験道の修行者であった。
夕方になり5人が揃うと、りっちゃんの運転するパジェロエボを駆って秋田県鹿角市の大湯ストーンサークルに向かったが、さっちんが言うには何かが起こるのは、深夜のいつかだそうである。そのさっちんが、岩手と秋田の県境辺りで異常を訴えた。
「いつもと違うわ」
「何がだい」
心配そうに尋ねるヘイであったが、
「声が直接聞こえるの。いいえ頭の中に響いているんだわ。白神山地よ。とにかく白神山地へ向かうのよ」
りっちゃんの駆るパジェロエボは猛爆進を続けた。いつものメンバーの中で桁外れの身体能力を持つりっちゃんは“でもメカより、身体を使った方がいいの”と言い、他の勧めを断ってA級ライセンスを取得しないのであった。
「あっちよ」というさっちんの言葉に従ってりっちゃんが目指すのは秋田県大館市の田代岳方面であった。やがて「あっちよ」という指図にもパジェロエボは応えられなくなり、車に搭載してある組立型オフロードバイクを取り出して「いくよ」というりっちゃんの声に後部座席のさっちんは頷いた。
置き去りにされた男3人は、
「仕方ないよな。これがベストのチョイスだったんだ」と、言うヘイに対して、
「大丈夫だよ。僕たちも急いで向かおう」と、りっちゃんに絶大な信頼を寄せるコウが応えると、
「歩いてかい?何時間かかるんだろう」と、言葉の割にさほど不満そうでもないシンが先頭を切っていた。
とっくに午後11時は過ぎたであろう時間帯に疾駆する“りっちゃん”であったが、ついに灌木の密生のためオフロードバイクも通れない険しさとなった。“さっちん”を着物の帯で自分に結わえつけた“りっちゃん”は、猿も顔負けの身のこなしを見せて自分の手足を総動員させて疾駆した。1時間近くも走った“りっちゃん”らが、目的地と思しき場所に着くと、そこには流線型の物体が、地面から1mくらい飛び出して突き刺さっているように見えた。
その時“さっちん”と“りっちゃん”に話しかける言葉様の思念が響いた。これだけ近いと“りっちゃん”にも聞こえるらしく、
「よく来てくれました。私は1時間以内に“養生カプセル”に入らなければなりません。必要なことだけ、先に済ませましょう」
二人の女性の脳裏には、身長30cmくらいの人型で、名前は“シャラ”という美しい女性の情報が、言葉と共に伝わってきていた。
「この移動艇の名は“ノン”。“ノン”を操作するために貴女方二人の精神情報を登録します」
…
「これで“ノン”の操作ができるのは、貴女方二人だけとなりました。他の者は、なんびとと言えどもこの“ノン”を操作することはできません。そして、貴女方二人に“ノン”の守護者四人の任命権を与えます」
…
「これで選ばれた六人は、少なくとも私の眠りが覚めるまで不老となります。注意しなければならないのは、不死ではないことです。それでは“ノン”の操作を試しにやってみましょう」
“シャラ”の指示する通りに“ノン”を操作すると、頭の中にパネルが現われた。どうやら、手で操作するのではなく思うことで操作するらしい。1つの選択を思うと“シャラ”との出会いの場面が映し出された。
「そんな感じです。私は最後にやっておかなければならないことがあります」
そう言うと“シャラ”は手指を動かし始めて、何やら呟いているらしい。
…
「亜空間結界を張りました。この空間に出入りできるのは件の六人だけになります」
やがて“シャラ”は眠りにつき、男どもは陽が昇る頃にこの場についたのだった。もちろんオフロードバイクを捨てた場所まで“りっちゃん”が迎えに行ったのは言うまでもない。




