第57話 「どっちつかずのヤタガラス①」
ある時、何処かの国にて。
右目に包帯を巻いた茶髪の少年が、何かから逃げるように走っていた。
年は10代前半、服というよりボロボロの布地を身につけ、靴の類は履いていない。
息をきらし、裸足の足が傷だらけになるまで走り続けた末、彼は人気の全くない場所に辿り着いていた。
民家跡らしき物が散見され、枯れた土と植物から推測するに、紛争の末に人々から放置されてしまった村だろうか。
もっとも、今の彼にそんな事を考える余裕など無く、体力の限界でかその場に座り込んでしまった。
「ハァ……ハァ……。クソッ……」
まだ大人にもなっていない彼だったが、既に自分の人生を呪っていた。
希望なんて無い。
正義ってなんだ。
自分を見捨てた神も世界も滅びてしまえ。
そんな思考が頭の中を回り続けていた。
「人間なんて……全員死ねばいいのに」
「……へぇ、そう」
ポツリと零れた独り言に、誰かが相槌を打ってきた。
誰もいなかった筈なのに。
「⁉︎」
驚いて伏せていた顔を上げる。
そこに立っていたのは、白衣と眼鏡が印象的な、自分より少し年上であろう男だった。
「死ねばいいのに……か。なるほどね」
「だ……誰……ていうか何処から……!」
あまりの事に、舌が上手く回らない。
パニックになる少年とは逆に、白衣の男は落ち着いた様子で言葉を紡いでいく。
「今はそんな事を言っているけど、果たして未来のキミはどうなるのかな? 答えは運命のみぞ知る……なんてね」
そう言い終わると同時に、男は懐から何かを取り出し少年に向けて軽く投げた。
手鏡だ。
なんてことない普通の、安っぽそうな。
少年は咄嗟に手を出し、手鏡を空中でキャッチしようとする。
その時鏡面に触れた指が、鏡の中にめり込んだ。
「‼︎」
その得体の知れない現象に取り乱し、少年は手鏡を地面に叩き付けた。
音を立てて手鏡は砕けて割れる。
その一瞬、少年の注意が手鏡に向いている間に、白衣の男はその場から消えていた……。
*
いつしかおれは、あいつ等が拠点とする屋敷を、一歩引いた位置で眺めていた。
「…………」
さっき屋敷の塀が吹き飛んだおかげで、周囲には既に多くの野次馬が集まっていた。
端から見れば、おれもそんな連中の1人として紛れてしまっているだろう。
今頃『向こう』では、師藤と夜乃が奴等と戦っている。
……なんでおれはここに来た?
分からない。
おれはどうしたいんだ。
どっちが勝つ事を望んでる?
この後に及んで、おれは何一つとして答えを出せていなかった。
「……!」
突然、野次馬たちがざわつき始めた。
俯いていた頭を上げ周囲を見渡し、救急車がこちらに向かっているのを見つける。
野次馬が呼んだか?
ご苦労な事だ……『こっち』に怪我人はいないのに。
最悪『向こう』じゃ死人が出てるかも知れないが……。
なんて事を考えながら救急車を目で追ってると、担架と救護員数人が中から出てきた。
「……いるのか、怪我人」
いや、冷静に考えれば塀の破片で怪我人が出ていてもおかしくはないか。
それこそ頭なんかに破片が当たれば大怪我だ。
おれとした事が、どうも考え方が固まっている。
何気なしに、救護員たちを目で追い続ける。
どうやら数人がかりで人を担架に乗せようとしているようだ。
確かああいうのは、患者を持ち上げてその下に担架を置くんだったか。
……どうでもいいな。
おれの脳はどうしても現実逃避したいらしい——
「……は⁉︎」
担架で運ばれる怪我人がチラリと見えた。
それだけなら別におれは反応しない。
だがあれは……いやまさか、そんな馬鹿な。
おれはその方向へ走った。
野次馬をかき分け、不意に片目に飛び込んだ信じられない光景の真偽を確かめるために。
野次馬を抜けた先に止まる救急車が2台。
その内1台に患者が運ばれてきた。
「や……夜乃…………?」
その患者は確かに夜乃幽永だった。
意識はない上に、脇腹あたりに木片が突き刺さっている。
信じられない。
紛れもなく目の前で起こっているが、それでも信じられない。
あの夜乃が負けた……⁉︎
こんな重傷を負うまでに!
一体誰が⁉︎
「嘘……」
おれの近くで誰かが呟くように言った。
ひどくショックを受けたような声。
そちらに少し首を曲げる。
そこにいたのは、買い物帰りなのかスーパーの袋を片手に持つ女だった。
しかも、こいつの事も知ってる。
向井という奴の姉……先日おれが誘拐した奴。
だが待て。
こいつは夜乃の顔は知らない筈だ。
そりゃこれだけの重傷人を見ればショックも受けるだろうが、この反応はそれとは違わないか?
まるで親しい相手がこの状況に置かれてるような……。
そう考えていた時、救急車が2台ある事を思い出す。
つまり単純に考えて怪我人はもう1人いる。
救急車の方に向き直す。
夜乃が運ばれた方じゃないもう一方……そっちは誰なのか。
「…………」
銀髪で背の高い男……。
夜乃が戦いたいとか言ってた奴か⁉︎
見たところ、2人とも同じくらいの重傷だ。
「相打ちか……?」
夜乃に何発かいれたとは聞いていたが、ここまでの奴だったのか。
想像がつかないぞ。
……今、師藤の方はどうなっている?
「……ねえ、君」
「…………」
「ねえってば!」
「!」
いきなり耳元で叫ばれた。
あの女が切羽詰まった表情で、おれの方を見ている。
「……そんな大声出さなくても聞こえる」
「最初無視したじゃん」
「別に無視したわけじゃない。おれに声かけたって気付かなかっただけだ」
だがなんでいきなりおれに声をかける?
おれの顔も知らない筈だぞ。
「……で、用は?」
おれがそう促すと、少し思いつめた表情をした後に、意を決した様に口を開いた。
「間違ってたらゴメンだけど……何言ってるか分からなかったら忘れてくれていいけど……君、ブレード使いっていうヤツなの……?」
「…………」
「……さっき救急車に運ばれてきた人を見た時の君の反応、多分今の私と同じ反応だったよ。それに何より……君の目知ってる。一昨日見た」
「なに……?」
「あの時私を攫ったの、命に化けた君だよね? 誰かに化けるのが君のブレード能力。どう?」
確信持った声で言い切られた。
なんて観察眼してる……。
こいつにはシラを切っても無駄らしい。
「……ああ、そうだよ。だったらなんだ」
「帰る途中で救急車のサイレン聞いて、嫌な予感がしてきて見れば……偽造君が……ねえ、今どういう状況なの⁉︎ 命たちは……」
後半から声が震え出し、目に涙を浮かべ始めた。
こいつの態度……ブレードの事は一通り聞いた様だが、能力は持ってないのか?
……巻き込まれた奴を、雲村が引き込んでない?
いや、それは今いい。
「お前分かってるのか? おれは……味方じゃないんだぞ」
敵だと言おうとして、咄嗟に言葉を選びなおしてしまった。
だっておれは……師藤の味方でもない。
「そのおれが……親切に質問に答えてやると思うのか?」
「…………」
女は押し黙った。
意地でも答えてもらうと言わんばかりに、おれを強く見据えている。
……苦手だ。
強い意志で絡んでくる奴が。
おれがそれの真逆で……それに憧れてるから。
なんでおれに無いものをこいつが。
なんでそんな真っ直ぐに。
「答えてよ……お願いだから。君、本当はそんな悪い奴じゃないでしょ?」
「は……?」
「君の目は確かに冷たいけど、同時に悲しそうとも思った。あんな事したくなかったんじゃないの?」
「なにを……言ってる……⁉︎」
やめろ。
「なんでなのかは分からないけど、君は……」
「やめろよ‼︎」
「ッ」
なにを取り乱してる。
「見当違いだ。おれは……いい奴なんかじゃない……! 悪い奴より質が悪い……おれはどっちにもなれないんだよ‼︎」
なにベラベラ喋ってる。
黙れよ。
「いっそ完全な悪人になれた方が良かった‼︎ なのに……! どうしておれは……‼︎」
こんな奴に乱されてどうする……!
いい加減にしろよ。
「どうして……未だ善人に……あいつ等に嫉妬してるんだよ……」
おれは唇を思い切り噛み、うな垂れた。
口の中に血の味が広がるが、お構いなしに噛みしめる。
そうでもしないと、更に色んなものが吐き出されてしまいそうで。
「…………」
女は唖然としておれを見ている。
なんなんだ、おれは。
おれはなんて脆いんだ。
冷静ぶって、悪人ぶっても、おれは結局おれだった。
弱くて、腹立たしいほどにどうしようもないおれだった。
「……いいじゃん。どっちにもなれなくたって」
「……?」
なんだ、いきなり。
「善でも悪でもなく……君は君でいいじゃん」
「…………」
「なにに囚われてるか分からないけど、人ってその2種類に分けられる程単純じゃないって、私は思うよ」
ゆっくりと頭を上げた。
相変わらずこいつは、強い目でおれを見ている。
言葉に自信を持っている。
「……やっぱり羨ましい」
「え?」
「もっと救急車呼んでおけ」
近くを軽く見渡し、立て鏡を発見する。
やっぱり近くにあった。
「おれも今どうなってるかは知らない。だから見てきてやる」
「! ありがと——」
「礼なんか言うな。言われる資格なんておれに無いんだから」
……まだ重りが外れたわけじゃない。
だが初めて言われたあの言葉が、おれの中に留まっていた。
「おれはどうなるんだろうか……」
まだ分からない。
これから分かる筈だ。
おれは鏡の正面まで走り、そこに手を伸ばした。
「ッ。あいつ等は……」
鏡の中に入り、周囲を見回す。
少し先に崩れた家がある。
夜乃に木片が刺さってた事を考えると、奴はそこで戦ってたのか?
師藤は?
ここからそう遠くない筈だが……。
そう考えた時、何かが炸裂した様な音が耳に飛び込んできた。
崩れた家の更に先から。
「あそこか」
鏡の中に普通生物はいない。
いるのはブレード使いだけだ。
奴等はそこで戦っている。
おれはその方向へと走り出した。




