Nightmares(不可触悪魔ズ:utb 4th)
halさんから、イラストもらいました
左がシナガワ君、右が飽浦君です
halさんのページはこちらですっ!
http://mypage.syosetu.com/130938/
この小説はRightさんの書いた小説「リリス・サイナーの追憶 嘘つき二人」のコラボです
http://ncode.syosetu.com/n6694bo/
Rightさんのページはこちらっ!
http://mypage.syosetu.com/282754/
「Show thy friendship, knight.」(友情を見せてはくれないかい、騎士?)
彼女はそう言ったらしい。そして、彼は答えたそうだ。
「Do not call me a knight. I’m a night.」(俺を騎士と決して呼ぶな。夜だ。)
シナガワがドアを蹴破った。
余りの勢いに天井から埃が落ちてきて、汚れた壁に入ったヒビが深まった。窓ガラスが小さく震え、本棚も体を前後に揺らしている。
屋根裏にいるネズミ一家もさぞかし驚いた事だろう。今頃、彼らは後ろ足で立ち、小さな口を大きく開けている筈だ。
地震発生。震度5はあっただろう。テレビをつけたら警報のテロップが流れているかもしれない。緊急事態だ。僕は今直ぐここから逃げ出すべきだろう。
「飽浦。精神科医の飽浦先生様よ」
机の下へと隠れようとする僕の後襟を、シナガワの言葉が掴んできた。
「わかった。また大変な事が起こったんだよね」
仕方が無いので席につく。古びた事務椅子が僕の変わりに悲鳴をあげた。
「ほう、殊勝な事だな」
シナガワが感心したように言った。
黒いニットコートの襟には黒光りする短毛のファー。釣り上がった細い眉の下には油断の無い瞳が強い光を放っていた。やや乱雑さを感じさせる髪からはアウトローの香り。シナガワはアンダーグラウンドに身を置く稼業。僕も東欧から来日した時に随分と世話になったものだ。
だが、毎度毎度、トラブルを持ち込まれるのはたまったものじゃない。
「僕はもう協力しないからね」
ささやかな宣戦布告は一顧だにされなかった。僕の勇気は一蹴された。
「何を言うかと思えば」
思い返してみれば碌な事が無い。シナガワはトラブルメイカー。ここ最近、量産体制に入ったらしい。押し寄せるトラブルに僕は翻弄されっ放し。メイド・イン・シナガワのスタンプを押されたトラブルは、楽しそうに僕の人生を蹂躙していく。
そうでなくとも、世間は外交問題などでトラブルが続出しているらしい。何だか揉めているようだ。不景気な世の中。憤懣は積もってゆくばかり。その内に爆弾騒ぎでも起こりそう。
ああ、目の前に爆弾が居た。
シナガワはいつでも爆発寸前。僕の人生の上で豪快に炸裂して、いつでも悲惨な事になる。主に僕が被害者だ。
爆弾は爆発するのが仕事。だけど、爆発される方はそうではない。
もうたくさん。
何と言うか、色々やり直したい。
以前は過去を変えるのはのは良くないなんて、言った事もあった。
あれは間違い。勘違い。
あの時の僕はどうかしていた。そして、シナガワは今でもどうかしている。
「そう言うな。お客様を連れてきた」
「またかい!」
「そうだ、イル・モンド・ディ・ニエンテからのお客様だ」
「ええっ! それを先に言ってくれなくちゃ!」
崩れかけていた僕の心が起き上がる。声は弾んでいた事だろう。
以前、僕達の世界に飛び込んできた少女。愛佳の事を思い出す。色々と騒動はあったのだけれど、知性を感じさせる怜悧な彼女は僕達のお気に入り。
秋の紅葉を思わせる橙色の長髪に、夜気を切り裂くフクロウを思わせる黄色の瞳。中世の技巧の粋を集めた精微な人形のような顔はどこまでも美しい。スイスの銀嶺を思わせる。伸ばされた背筋は張りつめた緊張を湛え、黄金律に支えられた四肢が真っ直ぐに伸びている彼女。愛佳が再び来たようだ。
「どこどこ?」
僕は手早く身だしなみを整える。ネクタイの結び目を指で確認し、顎を少し上げて、顔を斜めにしてみせた。
元より僕は絶望的に美しいのだけれども、この角度が一番良く見える。プラチナより高貴な輝きを持つ金髪と、青磁のような透明感のある青の瞳。優れた鼻の上に乗っている、眼鏡はシャープ。神々が創造した美を厳選して集め、形にしたのがこの僕だ。
しかし、どう言う訳だかシナガワはどこか不満顔をしていた。
良くない予感。
「こいつだ」
シナガワの後ろから出てきたのは、一人の少年。
中学生?
男子中学生の事など、どうでもいい。ダンボールに入れて、その辺りの転がしておけば、誰かがきっと拾ってくれるだろう。
愛佳の姿を探して、僕は部屋中に視線を動した。
「あれ? 愛佳ちゃん、どこ?」
「愛佳はいない」
「えっ? 嘘だよね?」
「用事があるとかで、どこかに行ってしまった」
沈黙。
僕達の間に天使が通り過ぎる。一人二人どころ騒ぎではない。われ先と他の天使を押しのける彼らは原野を駆けるバッファロー。沈黙という言葉さえ生易しい。
少年が口を開いた。
「えっと、オレは越智って言います。悠馬って呼んでくれて良いから」
誰もいないアスファルトに空き缶が転がったようだった。かつて感じた事もない悲しみと絶望が僕の身体を満たしてゆく。心の中にあったオアシスの栓が抜けた音がした。
心が乾いてゆく。
深いため息をついて、汚れた天井を眺める。天井にだらしなく横たわっている模様を数えていると、悠馬は言った。
「愛佳からココに行けと言われたんだけど? オレ、間違ったかな?」
愛佳だと?
呼び捨てだと?
慣れ慣れしい。どういうつもりだ?
僕は無意識の内に拳をしっかりと握っていた。ペンを持っていたら、それを握りつぶした事だろう。見れば、シナガワが目に影を落として、頬を引きつらせている。
「飽浦、愛佳はな、こう言っていたんだよ。こいつを鍛えてやってくれとな」
シナガワの声が震えている。爆発寸前のようだ。だけど、それは彼だけじゃない。
「へえ、シナガワ。そいつは面白いね。そいつは実に面白いよ」
応える僕の声も震えている。僕の理性はロケット花火のように飛んでゆき、派手な音をたてて破裂した。さぞかし良い音がした事だろう。
「飽浦、俺に一つ提案があるんだがな、聞くか?」
「何だい? 言ってみてくれないかな?」
彼の提案は黒そうで、それはとても魅力的に思えた。
「フレンドリー・ファイアという言葉がある。俺が言っている意味がわかるか?」
「途中で彼がどうなっても良い。そういう事、シナガワ?」
「そうだ。飽浦。訓練の間にこいつの肉体が粉塵のように粉砕されようが、こいつの精神が塵芥のように崩壊されようが、それは事故。それは事故なんだ。俺達は何も悪くない。全ては事故が悪い」
彼の表情に歪んだ喜悦が浮かんでいた。
なるほど。事故が起こってしまったのなら仕方がない。愛佳もきっと納得するだろう。悪くない。
「それは愉快なアイデアだね。久方ぶりに血が騒ぐよ」
僕達は低く笑いながら、指の骨を鳴らした。
---------------------------------------------------------------------------------------
傾きかけている雑居ビルの一室。普通の会社に紛れ、中国マフィアは当たり前のように事務所を構えていた。
その事務所に悠馬を放り込む。
「受け取れ。俺からのプレゼントだ。好きにしろ」
中国マフィアとは最近になって関わり合いができたらしい。敵対関係にあると以前に言っていた。交渉がどうとか、取引がどうとか、爆弾がどうとか、そんな事を言っていた。
ドアを閉じた途端、ビルが壊れるかと思うぐらいの騒ぎが起こるが、それは僕達には無関係。急いで離れる事にする。
階段の踊り場には非常ベルがあった。灰色の壁に浮き上がるかのようだ。それを見た瞬間、僕は既視感に襲われた。
待てよ。これと同じ経験をしていなかっただろうか?
「ねえ、シナガワ。僕は同じ体験をしたような気がするんだけど?」
「お前もそうか。俺もそう思っていた」
ビルから出て、しばらく歩く。
すっきりした気分で缶コーヒーを買って飲む。鼻歌さえ歌っていた。すると、向こうから悠馬が歩いてくる。随分と悲しそうな顔をしていた。彼は言った。
「もう、止めてくれよ」
おかし過ぎる。先ほど中国マフィアの事務所に放り込んだ筈。あれから十分も経っていない。逃げる暇があったにしても、手際が良過ぎる。
どういう事だろう?
何が起こったんだろう?
シナガワも異常に感づいているらしい。額に指を当て、呟くように言った。
「何だこれは?」
「何かが起こっているようだね」
僕の言葉でシナガワは異常事態をどのように対処するのか考えだしたが、直ぐに結論は出たようだ。彼は頭をあげた。
「もう一度、コイツを放り込みに行くぞ。手伝え、飽浦」
悠馬が悲鳴を上げた。
「またかよ!」
僕達が入った喫茶店は高架下にあるひなびた所だった。安っぽいカーペットは灰色で、壁紙は褪せた緑色の花柄。所々にある茶色の染みが余りに残念。カウンターには生活臭のする小物が積まれ、余計に心を萎えさせる。
「悠馬、つまりこういう事か。お前は時間を巻き戻せる?」
「そう言ったし」
シナガワが強い視線で睨みつけると、彼は口ごもったように言い直した。
「そうです」
「敬語はどうでも良い。お前のもっている能力とやらを知りたい。それだけだ」
「オレは時間を操る能力があるんですよ」
彼の説明によると、彼には特殊な能力があるらしい。
愛佳と悠馬の世界。イル・モンド・ディ・ニエンテと呼ばれる世界。それは僕達の世界とは別次元に存在している。そのせいもあってか、彼が使える能力。時間を操れるという能力は、随分と変容しているのだそうだ。
この世界では時間を巻き戻せるらしい。ただ、それは五分程度。そのおかげか、能力発動時にそれほど体調が悪くなる事もないと言っていた。
中国マフィアの事務所から脱出するのに、何度も時間を巻き戻した。そうして、何とか逃げる事ができたみたいだ。
「面倒くさい事になったものだ」
シナガワが足を組むと、つま先がテーブルに当った。コーヒーカップが揺れ、安っぽい瀬戸物の音がした。
「どうしたもんだろうね」
「しかし、愛佳は何をしているんだ?」
コーヒーを飲んだ後、シナガワはテーブルに肘をつき、顎をその上に乗せた。悠馬がそれに答える。
「愛佳は…」
彼の言葉に僕達二人はテーブルを拳で叩いた。珍しい事に、完全に同タイミング。店内に大きな音が響き渡った。
僕とシナガワは悠馬を睨み付けた。視線に歯があるなら、彼は血まみれになっていただろう。
「愛佳さんは…」
「よし」
「良いね」
僕達は背もたれに体を投げ出す。コーヒーを飲むと、水分が飛び過ぎていて、余りにも苦かった。飲み下すのを躊躇う程だ。
「で、尋ねるが愛佳はどうした?」
いつの間にか尋問口調になっている。大人げないが、僕も止めるつもりはない。
ドアが開く音がした。そこには白い毛糸の帽子を被った愛佳が居た。今日は随分とキュートな感じだ。こういうのも良いな。
「愛佳ちゃん!」
「愛佳!」
「どこに居るのか探したよ。それにしても、みすぼらしい所だねえ」
愛佳の呆れた声に、シナガワが指を鳴らした。
「おい、場所を変えるぞ」
僕は椅子を引いて、愛佳が座るのを待った。腰を下ろす時には、膝の後ろには当てない程度に、そっと椅子を前に。
空気中を舞う彼女の髪に花の香りが漂った。良いシャンプーを使っているようだ。趣味が良い。僕は少しだけ嬉しくなる。
上品で格式高い店内の壁紙は美しいバラが咲いている。僕達の席の正面には風景画。頬を撫でるかのような柔らかなバイオリン協奏曲の中に、かぐわしい紅茶の香りが浮かんでいた。
マイセンのカップとソーサーは上品で抜けるような白さ。時代の中で磨き上げられてきた光沢は上品で、輝きすぎない中にも明るさがあった。ソーサーの上では青い花とブドウが楽しげにダンスしている。カップのシェイプは優雅で、指で弾けば透明感のある音色を奏でるに違いない。
愛佳はチョコレート・ティーを選んだようだ。主張の強くない紅茶のフレーバーに、ココアとミントが溶けている。
僕はダージリンで、シナガワはローズヒップ。
悠馬はカモミールだ。荒廃した精神には丁度良いだろう。
愛佳は細木細工のような白い指で塩味のするクッキーを摘んでいる。甘いチョコレート・ティーには丁度合うだろう。口に入れた時、彼女は少し眉を潜めてみたが、カップを口につけて納得したようだ。
「それにしても、愛佳。お前は何をしているんだ?」
「悠馬、何も言っていないよね?」
親しげな愛佳の口調が、神経を逆撫でた。僕は少し苛ついた。
シナガワの持っていたカップの底がソーサーに激しく当る。皆の視線が集まった。
「すまない。何でも無い」
僕は視線を愛佳に戻し、次の言葉を待つ事にした。
両手の上に愛らしい顔を乗せて、愛佳は言う。
「それよりも、悠馬。ちゃんと鍛えてもらっているのかい?」
悠馬を気遣うような視線と言葉。今度は僕がカップの底をソーサーの端にぶつけた。皆の視線が僕に集中する。
「ゴメン。続けて」
「鍛えてもらっていると言うかさあ。なんつうのかなあ」
気楽そうに手で頭を掻きだした。僕とシナガワが歯を剥いた。
「おい、ティータイムに頭を掻いたりするな。無作法だ」
「そうだよ。そんな手でクッキーを摘んだら不潔じゃないか」
悠馬は下を向いて頷いた。
「良いだろう」
「合格だね」
愛佳が疑わしげな表情をして、僕達の顔を覗き込んできた。
「何を鍛えてるんだい?」
彼女の問いにシナガワは爽やかな声で答える。微笑みさえ浮かべていた。
「色々だ。なあ、飽浦」
「そうそう、色々だよ」
どうやら信じてはくれていなさそう。とても残念だ。心外だというように両手を上げて抗議する。
愛佳は再び尋ねる。
「本当?」
「本当だ。神に誓っても良い」
シナガワの神はいつだってストライキ。
「僕もそうだね。神様に誓っても良いよ」
僕の神様は僕の診察室で死んでしまった。多分、今回の死因は地震のせいだ。
愛佳は時計を一瞥してから言った。
「まあ、良いか。僕はそろそろ行かなくちゃいけない」
僕とシナガワがカップをソーサーの上に落とした。随分と大袈裟な音がした。気まずい空気が場を満たす。
「だ、大丈夫だ」
「な、何でもないから」
「じゃあ、僕は行くから。ちゃんとこの二人に鍛えてもらって、足手まといにならないようにしてもらわないとね。ただでさえ、使える人間が少ないんだ」
僕とシナガワは渋い顔をしてみせた。
「シナガワ、飽浦。それじゃあ、頼んだから」
軽やかに彼女は去って行った。まるで飛ぶ前に水面を走る水鳥のようだった。
波紋だけが残った。
悠馬が僕達の顔を見ている。やれやれ、仕方が無い。
「飽浦、悠馬を中国マフィアの事務所に放り込みに行くぞ」
「そうだね」
悠馬のカップがソーサーの上で踊った。
---------------------------------------------------------------------------------------
「もう、止めてくれよ!」
悠馬が大声で抗議する。
彼は踏ん張って、連れていかれないようにしているらしいが、それは無駄な抵抗というものだ。
「黙れ」
シナガワがそう言った。捕まる所も無さそうな、冷えた声だった。
「でも、愛佳ちゃん。どこに行ってるんだろう?」
「それだ。おい、悠馬。愛佳は一体どこに行っているんだ?」
「口止めされてるんだよな」
「知った事か、言ってしまえ」
悠馬は迷っているようだ。目が泳いでいた。
「でも、言ったら後で何されるか」
シナガワは大きく息を吸った。そして、言う。
「いいか、悠馬。言わなくても何されるかわかったものじゃない。お前の前に選択肢がある。一つは言って、愛佳に怒られる。もう一つは言わずに中国マフィアの事務所に放り込まれる」
「で、でも」
悠馬は迷っているようだ。
「お前が時間を巻き戻そうが、何回でも放り込んでやる。何回でもだ。さあ、選べ」
両手を広げるシナガワ。選択の余地は無さそうだ。
「バレンタインデーのチョコの作り方を習っているんだよ」
「何だって?」
言っている意味がわからなかったので、僕とシナガワは聞き直した。
「だから、愛佳は…」
呼び捨てなど許さない。
僕達からほとばしる気迫で悠馬は口ごもる。
「愛佳さんはバレンタインデーの手作りチョコレートの作り方を習っているんだよ。その、シナガワさんと飽浦さんにもあげるとか言ってた」
何もかもが許せるような気がした。
この世の罪悪など無い。免罪符の大バーゲン。天使に混じって悪魔も一緒に小躍りしている。天使の羽が地獄の業火に焼かれているようだが、この際、どうでも良い。素晴らしい。人生は輝きに満ちている。生きていて良かった。
「オレも貰える事になってるんだよね」
照れながら、悠馬が頭を掻いた。どうやら、彼だけは許せなさそうだ。
「愛佳ちゃんはどこの教室に通っているの?」
「ああ、何だったっけ? 五つ星のホテル。レヴィアンス・ホテルとか言ってたかな?」
「何だって?」
シナガワが血相を変えて悠馬の襟首を掴んだ。
「レヴィアンス・ホテルだと?」
「そこで貸し切りの教室があるとか言ってた」
「マズい」
シナガワが何か考えはじめた。何を考えているのだろう?
爆発する前にガス抜きをした方が良さそう。僕はシナガワに問いかける。
「シナガワ、どうしたんだい?」
「飽浦、レヴィアンス・ホテルはマズい。あそこは今日、爆破されるんだ」
とんでもない答えが返ってきた。聞かなきゃ良かった。でも、愛佳が関わっている。
「テロ? 一体誰が?」
「指示しているのは中国マフィア。彼らは実行犯にテロリストを雇っている」
「どうしてそんな事を?」
「交渉の為だ。裏には他国政府が咬んでいる。日本政府と外交交渉を行っているが、交渉がうまくいきそうにない。だから示威行為に出るらしい」
ややこしい話になってきた。何が何だか理解できない。シナガワは言葉を続ける。
「報道ではテロリストによるテロだと発表されるだろうがな」
もうついてゆけない。お手上げだ。適当に頷く事にした。聞いた所で結果は同じ。どうしたって巻き込まれる。
「日本政府は武力に屈したと表明せずに済み、指示した国は外交交渉を上手く進められる。中国マフィアは金を得て、テロリストは金とキャリアを手に入れる」
「本当なの?」
「最近のテロは、構造の違いはあれど、こういう形が多い。舞台に出てこない勝者が居るんだよ。だから」
シナガワは悠馬の肩に手を置いた。
「悠馬。やはり、お前を中国マフィアの事務所に放り込む」
シナガワの話だと、予定されているテロの爆発の規模はそれほど大騒ぎするほどでもないようだ。怪我人が何人か出る程度。
今更、警察に言っても、解除をするには時間が無さ過ぎる。シナガワは放っておくつもりだったらしい。
「愛佳が居るなら話は別だ。万が一があってはならない」
中国マフィアの事務所に進む足取りは迷いも無く一直線。通り過ぎる人々は僕達に視線を向けるが、それすら振り切る勢い。
「嫌だ。あそこはもう嫌だ」
「嫌だろうが何だろうが、まずは情報を収集しろ。お前の能力は時間を巻き戻す事ができ、その記憶を保持できる。まずは中国マフィアの中に放り込むから、テロリストの情報を掴め。可能なら阻止をするんだ」
「そんな! どうしたら良いんだよ?」
「お前は時間を巻き戻せるんだろう? 逃げるんじゃなくて考えろ。俺にだってわかるものか」
シナガワは焦っているらしい。目を細めていた。時間の無さが彼を追いつめているらしい。
「飽浦、とにかく時間がない。いいからこいつを放り込め!」
まだ、ビルの入り口に入っていない。中国マフィアの事務所は二階にある。
やっぱり、シナガワはどうかしているようだ。
「えっ、でも事務所に行くには、ビルの入り口に入らなくちゃ」
「時間がない。窓から悠馬を放り込め!」
悠馬が声にならない悲鳴をあげた。
「なるほど」
僕は悠馬を放り込む。
彼はロケットのように中国マフィアの事務所に飛んで行った。
ガラスの割れる音がした。
ビルの入り口に入ると、ボロボロになっている悠馬が居た。
さっきとは違い、随分と目が据わっていた。怒っている訳ではないらしい。
良い目をしている。何度か時間を巻き戻して情報を収集してきたらしい、彼の緑色の瞳も鋭さを帯びていた。茶色の髪は乱れているけれど、しぶとさと逞しさがあった。中々に良い男になってきた。
当然、僕にはまったく及びもしないけれど。
「どうだ? 何かつかめたか?」
シナガワが悠馬に詰め寄る。
悠馬は少し考えている。
「うん。だけど、この方法は良くない。シナガワさん、他の方法を探した方が良いって」
「悠馬、何を言っている? 俺達には時間がない」
悠馬は下を向いている。拳はしっかりと握られており、何かに耐えているかのようだ。言いたい事があるらしい。
「悠馬君、どうしたんだい?」
僕が声をかけると、堰を切ったように喋り始めた。
「何度も時間を巻き戻してみたんだ。携帯電話を奪い取り、そこに割り込む事で、テロ事件はストップできるよ」
「なんだ、それなら良いじゃないか。悠馬君は何を悩んでいるんだい?」
僕は怪訝な顔をしていた事だろう。質問すると思わぬ答えが返ってきた。
「だけど、飽浦さんは撃たれる。中国マフィアに発砲されて蜂の巣になっていた。シナガワさんもそうだ。発砲されて、致命傷ではないにしても被弾していた」
なるほど、彼はそれなりに頑張ったらしい。僕達の知らない所で、何度も何度も諦めずに挑戦していたのだろう。よれたパーカーが痛々しい。
だけど、優雅とほど遠い状態である事が気に食わない。シナガワはともかく、僕はもっと美しくあるべきだ。美の化身が血に汚れるなど、もっての他。耐えかねるほどの屈辱だ。
「だが、悠馬。それでテロは防げるんだな?」
「中止をさせるのは成功するけど」
「けど、何だ? まさか、戻る前の時間上でテロを発生させていないだろうな? こだわるべきはそこだ。違う時間上であろうとも、それは絶対に許されない」
「爆発が起こったとしても、愛佳が怪我するか、どうかもわからないんだろう? 愛佳が怪我をしたら時間を巻き戻せば良いじゃないか」
一笑に付す、シナガワ。
当然だろう。シナガワが否定するのも当然だ。
「愛佳が怪我をした時点でそれは駄目だ。たとえ、それが巻き戻され、無かった事にされる時間であったとしても、だ」
そういう事。たとえ無い事にされる時間の上であったとしても、愛佳が傷つく事自体が許されない。優雅であるとはそういう事だ。
「何でそこまでするんだよ?」
「それが俺だからだ」
「優雅さ故に、かな?」
悠馬は呆気にとられていたようだが、開いた口を引き結んだ。理解できたようだ。
「わかったよ。シナガワさん、飽浦さん」
見れば締まった顔つきになってきた。精悍さが彼の頬に刻まれている。成長したようだ。
何もした覚えも無いけれど、悠馬は勝手に鍛えられた。中々悪くない。愛佳も喜ぶ事だろう。
「だが、俺達が怪我をするのがわかっているのなら、それを防がなくてはな」
「どうするの?」
「階段の踊り場に非常ベルがあっただろう? 携帯電話を奪った後に、そいつを鳴らす。このビルは雑居ビルだから、どいつもこいつも避難を始めるだろうさ。そのドサクサに紛れてしまえば、発砲される事もないだろう」
悠馬の顔を明るくなった。
「行くぞ、飽浦、悠馬」
「さあ、行こうか」
僕の言葉に続いて、悠馬が頷き、決意の言葉を吐き出した。
「今度こそ成功させてやる」
---------------------------------------------------------------------------------------
僕の部屋で愛佳を迎える準備をする。
テーブルの上には真っ白なテーブルクロス。イタリア生地で、柔らかな手触りの中にも、しっかりとした伝統の確かさがある。燭台は銀のもの。職人の手作りで、良く目を凝らしてみなければ、隠された芸術は気付かない事だろう。ロウソクは取り寄せたものだ。白いワックスの中には、バラや菊の花びらが浮かんでいる。
流す音楽は派手すぎない方が良い。スピーカーの取り付けには、悠馬が大活躍してくれた。間接照明はシナガワの役。納得がいくまで、彼は何度も取り替えていた。おかげで僕の書斎は、要らない間接照明の倉庫のようだ。全部灯せば、きっとブレーカーが落ちるだろう。
殺風景だった壁には絵画を掛ける。さきほど画廊で見てきて気に入ったものを選んだ。やや、抽象的な絵画にした。
食事の間に絵画が何を表現しようとしているのか、意見を交わすのも悪くないだろう。
ノックの音がした。愛佳が帰ってきたようだ。
開けたドアの向こうには愛佳が立っていた。可哀想に外は冷え込んでいる。急いで中に入ってもらい、冷気を閉め出す。
「どうしたの、コレ?」
ロウソクが灯された暖かなダイニング。彼女は驚いたようだ。
サプライズは僕達のプレゼント。
ややもすると飽きそうになる日常に、ほんの少しアクセント。僕達からのささやかな贈り物だ。
これで彼女の心が晴れると言うのなら、手を尽くした甲斐もあったというものだ。
「どうしたんだい? 皆、怪我をしているようだけど?」
「何て事もない。悠馬を鍛えてやったんだ」
「一体、何を鍛えていたんだい?」
彼女の問いに僕達は顔を見合わせる。当然、悠馬も一緒だ。
「色々だ」
「そうだね、色々だよ」
悠馬が口を開いた。
「色々さ」
彼女のコートを受け取り、型くずれしないように、ハンガーにかける。愛佳が鞄から綺麗にラッピングされたチョコレートを取り出した。
パーティー開始の合図だ。
白いセーターを着て、微笑みを浮かべる愛佳の輝きが耐えないように、僕達は細心の注意を払う。
彼女の感心を引くべく、様々な話をしてみせた。
天使が柔らかく微笑んだ。
そろそろ別れの時間が来たようだ。二人を元の世界に戻す。
闇の滴、無の滴。
僕とシナガワは指を切る。滲んだ血はロウソクの光を浴びて黒く輝く。黒い真珠のようだった。
愛佳の表情のうっすらと厳しさが浮かんでいるようだ。自分の世界に思いを馳せているのだろう。
「僕はもう帰らなくちゃいけない。今日はあまり一緒にいられなかったけど」
「次の機会には明るい顔をしてもらいたいものだ」
「そうだね。心の底からそう思うよ。愛佳ちゃん」
愛佳は笑ってみせる。彼女は寂しさを見せない。冗談を言う気軽さで彼女は言った。
「シナガワ、飽浦。僕の騎士(Knights)になってみるかい?」
「前にも言った。俺達は夜(nights)だ。思いやり(Kindness)など捨ててきた」
鼻で笑う愛佳。
「そう言うと思ったよ。なら、キス(Kiss)ならどうだい?」
シナガワに変わって、僕が答える。
「嬉しいな。でも、クィーンのそれは大切にすべきだよ。僕達の変わりに、悠馬君が頑張ってくれる。そうだよね?」
「オレが守るよ」
しっかり首肯する彼を見て、少し安心した気持ちになった。
彼は期待に応えてくれるだろう。
二人の舌の上に血の滴を垂らした。
二人は二人の世界へ戻って行った。
「さあ、俺は戻る事にしよう。やらなくちゃならない事がある」
コートを取って、シナガワは厳しい顔つきになった。
「もう行くのかい、シナガワ?」
「そうだ。中国マフィアの後始末もある。俺の仕事はこれからだ」
「手伝おうか?」
シナガワは不敵な顔をしてみせ、ドアを開いた。寒い空気が入ってきた。
「考えておくよ」
シナガワはシナガワの世界に戻って行った。
誰もいなくなった部屋。
僕は僕の世界に戻らなくては。
闇は闇にあるべきだ。
ロウソクを吹き消すと、部屋に闇夜が流れ込んできた。
僕は僕の世界に戻る事にする。
Copyright (C) from リリス・サイナーの追憶 嘘つき二人 by Reght
http://ncode.syosetu.com/n6694bo/
Copyright (C) from Sympathy For The Devil by Yuya Akoh
http://ncode.syosetu.com/n7373bj/